第47話 剛腕・砕打
火喰い鼠は、灰の奥から来た。
走る音が先だった。
かさ、かさ、かさ、かさ。
乾いた灰の上を、無数の爪が削る音。
次に赤い目が見えた。
一つ。
二つ。
十。
数えるのをやめたくなる数だった。
少年は、崩れた石材の下で息を呑んだ。
足が挟まっている。
逃げられない。
ガルドは少年の足元に膝をつき、石の隙間へ工具を差し込んでいる。
ミアはアルトの右前に立った。
短剣を低く構え、耳を動かしている。
「数、多い」
「見れば分かる」
「見えないのが混ざってる」
「嫌な情報を増やすな」
灰が舞う。
視界は悪い。
火喰い鼠の身体は小さい。
そのうえ灰の色に紛れる。
赤い目だけが、時々ちかりと光る。
アルトは拳を握った。
目の前にいる敵を殴るのは簡単だ。
だが、今回はそれだけでは足りない。
背後には少年がいる。
足元にはガルドがいる。
横にはミアがいる。
下手に大きく振れば、崩れた石材がさらに落ちる。
派手に吹き飛ばせば、少年の足ごと巻き込む。
面倒だ。
だが、こういう面倒には慣れてきた。
『火喰い鼠、多い』
『小型の群れは厄介』
『灰で見えない』
『アルト側、三人だけか』
『少年の顔映すなよ』
『ガルド作業中、守れ』
『投げ銭準備』
コメントが流れる。
アルトはそれを横目で見た。
「少年の顔は映すな」
ブルーノの声が、通信越しに聞こえた。
《分かってる。灰でほとんど隠れてる。こちらから補正はかけない》
「それでいい」
《位置情報だけ共有する。魔物の接近方向を出す》
神界表示の端に、赤い点が浮かんだ。
右に三。
正面に五。
左奥にさらに数。
ブルーノはちゃんと仕事をしている。
それが少しだけ意外だった。
いや、意外と思っている時点で失礼なのだが。
火喰い鼠の一匹が跳んだ。
正面。
低い。
速い。
アルトは半歩沈み、拳ではなく肘で打ち落とした。
灰の上に小さな火花が散る。
続いて二匹。
ミアが右を裂いた。
一匹の喉を切り、もう一匹を蹴って軌道から外す。
外れた鼠がガルドの方へ転がった。
「そっち!」
「見えている」
ガルドは工具を片手に持ったまま、足元の石片を蹴った。
石片が火喰い鼠の顔に当たり、動きが止まる。
アルトが踏み込んで潰した。
「職人が戦うな」
「手が足りない」
「それはそうだが」
ガルドはもう少年の足元へ戻っていた。
工具の先が、石材の奥へ入っていく。
かちり。
嫌な音。
ガルドの顔が険しくなる。
「噛んでいる」
「足か?」
「足ではない。荷具の金具が石に噛んでいる。外せば抜ける」
少年がかすれた声で言った。
「荷、捨てていい」
ガルドは短く返す。
「今は足が先だ」
「でも」
「黙れ」
少年は黙った。
アルトは少しだけ笑いそうになった。
ガルドの「黙れ」は、なぜか説得力がある。
その間にも、火喰い鼠は増える。
小さな体に、赤い熱。
灰の奥を走り、跳び、噛みつこうとする。
アルトは拳で一匹を弾き、膝で二匹目を落とした。
しかし、三匹目が横を抜けた。
「ミア!」
「間に合わない!」
少年の方へ走る。
ガルドの背中へ跳ぶ。
アルトは反射で拳を振りかけた。
だが、そこを殴ればガルドも巻き込む。
拳が止まる。
遅れる。
火喰い鼠が、ガルドの肩へ迫った。
その瞬間、灰の中から細い影が走った。
ミアの投げた短針だった。
火喰い鼠の横腹に刺さり、軌道がずれる。
アルトは踏み込み、靴底で踏み潰した。
「助かった」
「あとで干し果物」
「考えておく」
「決定で」
「今、交渉するな」
ミアは笑わなかった。
視線はずっと灰の奥に向いている。
状況は悪い。
ガルドの作業には時間がいる。
火喰い鼠は増えている。
アルトたちは、広く動けない。
それなのに、敵は小さく、速く、数が多い。
神界コメントもざわつき始めた。
『これ、きつい』
『広範囲攻撃できないのがつらい』
『少年とガルドが近すぎる』
『レオン側は?』
『本隊も交戦中』
『アルト側、押されてる?』
『投げ銭入れるぞ』
投げ銭通知が光る。
【鍛冶神ガルドナ:小型魔獣対処補助】
【狩猟神ラウム:反応速度強化】
【観測神オルフェウス:視界補正微弱】
灰の中の輪郭が、少しだけ濃くなる。
だが、完全には見えない。
アルトは一匹を殴り飛ばす。
火喰い鼠の身体が灰に沈む。
次。
さらに次。
殴れる。
倒せる。
だが、数が減らない。
いや、減っているのに、道が塞がらない。
奴らは倒れた仲間を踏んでくる。
横から回り込んでくる。
背後の少年へ向かう。
アルトは舌打ちした。
「倒しても間に合わねぇな」
ミアが短く言う。
「うん。通り道を潰さないと無理」
「通り道か」
アルトは足元を見た。
灰。
その下に脆い石床。
さらに下に空洞。
崩れかけた回廊。
ガルドが言っていた。
中央は駄目だ。
右、次は左。
灰の乗り方が違う。
見方が違う。
敵を殴るのではない。
敵が進む道を見る。
アルトは火喰い鼠の群れを見た。
見えにくい。
だが、赤い目の流れは見える。
あいつらは、最短で少年へ向かっている。
なら。
「見えなくてもいい」
アルトは拳を握り直した。
「進ませなきゃいいだけだ」
神界コメントが一拍、止まった。
火喰い鼠の群れが、一斉に動く。
正面から四。
右から三。
左奥から、さらに影。
アルトは敵を見なかった。
床を見た。
奴らが通るはずの灰の筋。
少年へ伸びる、細い道。
そこへ拳を落とした。
がん、と。
拳が石床を打った。
衝撃は、下へ抜けなかった。
前へも走らなかった。
横へ流れた。
灰の下で、脆い石が鳴る。
びしり、と線が走った。
【条件達成】
【守護対象への進路遮断を確認】
【剛腕系派生スキルを獲得しました】
《剛腕・砕打》
表示が出た瞬間、アルトは二撃目を入れた。
今度は右。
火喰い鼠が走る道、その真下。
石床が砕けた。
敵を直接殴ったわけではない。
道を殴った。
火喰い鼠の群れが、足場ごと崩れる。
赤い目がまとめて傾き、灰の下へ落ちた。
甲高い鳴き声が響く。
ミアが目を丸くした。
「道を殴った?」
「そう見えたなら、そうだ」
アルトは三撃目を構えた。
「そこは通行止めだ」
灰の奥で、別の群れが回り込もうとする。
アルトは一歩横へずれ、床ではなく壁の根元を打った。
《剛腕・砕打》
衝撃が壁沿いに走る。
積もった灰と瓦礫が崩れ、細い回り道を塞いだ。
火喰い鼠が行き場を失い、足を止める。
そこへミアが飛び込んだ。
「止まったなら、刺せる」
短剣が二度走る。
赤い目が二つ消えた。
コメント欄が爆ぜた。
『新スキル!?』
『剛腕・砕打!』
『敵じゃなくて道を砕いた』
『進路遮断スキルか』
『救助向きの戦闘スキル』
『奈落新人、戦い方が変わった』
『これは熱い』
『投げ銭追加!』
通知が続く。
【石工神バルダ:地形把握補助】
【鍛冶神ガルドナ:衝撃制御補助】
【無名の下級神:通すな!】
最後の投げ銭に、アルトは少しだけ口元を歪めた。
「分かってる」
火喰い鼠の群れが、次々と進路を変える。
だが、もう見えていた。
見える、というより、流れが分かる。
どこを通りたいのか。
どこが脆いのか。
どこを砕けば、少年へ向かう道が消えるのか。
アルトは拳を振る。
一撃。
二撃。
三撃。
敵そのものではなく、敵の未来を殴る。
火喰い鼠たちは、少年へ届かない。
届く前に、道が消える。
ミアが動きやすくなった。
ガルドの背中へ近づく敵が減る。
ガルドは工具を奥へ押し込んだ。
「もう少し」
「急げ」
「急いでいる」
少年が震えながら言った。
「俺、映ってる?」
アルトは火喰い鼠を蹴り飛ばしながら答えた。
「顔は出てない」
ブルーノの声が続く。
《出してない。灰と遮蔽で隠してる。識別情報も伏せる》
「だそうだ」
少年は目を閉じた。
「……よかった」
その一言で、アルトの拳に少しだけ力が入った。
見られたくない。
その願いは、戦闘中でも消えない。
命が危ない時でも、消えない。
だから守る。
それだけだ。
灰の奥で、ひときわ大きな火喰い鼠が現れた。
小型より二回り大きい。
背中に焼けた石片が刺さっている。
群れの核か。
そいつが鳴くと、小型の鼠たちが一斉に動きを変えた。
正面ではない。
上だ。
壁を駆け、天井の崩れかけた梁を伝ってくる。
ミアが叫ぶ。
「上!」
アルトが見上げる。
灰の中に赤い線が走った。
落ちてくる。
少年の真上。
ガルドの真上。
床は砕ける。
壁は塞げる。
だが、上から来るものはどうする。
アルトは一瞬だけ考えた。
すぐにやめた。
考えるより早く、身体を動かす。
壁を殴る。
違う。
梁を殴る。
それも違う。
落ちる道を砕く。
アルトは横の柱へ拳を叩き込んだ。
《剛腕・砕打》
衝撃が柱を上へ走る。
梁そのものを壊すのではない。
梁の上に積もった灰と小石だけを弾き飛ばす。
火喰い鼠たちの足場が、急に滑った。
赤い目が乱れる。
落下の軌道がずれる。
ミアがそのずれた一匹を空中で切った。
アルトはもう一匹を拳で弾く。
残りは灰の斜面へ落ちた。
ガルドは、顔も上げずに言った。
「抜ける」
金具が外れた。
石材がわずかに浮く。
少年の足が自由になる。
少年は痛みに顔をしかめたが、叫ばなかった。
アルトは即座に後ろへ手を伸ばす。
「ミア、肩」
「はい」
二人で少年を引きずり出す。
顔は灰布で隠す。
ミアが素早く少年の頭に布をかけた。
少年が小さく言う。
「ありがとう」
「まだ終わってない」
アルトは少年を背負った。
軽い。
軽すぎる。
カイと同じくらいの年。
それなのに、こんなところで一人で挟まっていた。
火喰い鼠の大きいやつが、低く鳴いた。
小型が道を変える。
今度は、退路だ。
アルトたちの戻る道を塞ぎに来る。
ガルドが短く言う。
「悪い知恵がある」
「魔物に知恵はいらない」
「いるから厄介だ」
ブルーノの通信が入る。
《アルト、レオン側から連絡。本隊は確保。ただし撤退路に灰狼が回ってる》
「こっちも退路を塞がれそうだ」
《合流地点は分岐点。あと五分でレオン側が戻る》
「五分か」
アルトは背中の少年を背負い直した。
「三分で戻る」
《言うと思った》
「解説するな」
《今のは通信だ》
アルトは前を見る。
火喰い鼠の群れ。
崩れかけた道。
背中の少年。
横にミア。
後ろにガルド。
進むしかない。
アルトは拳を握った。
「ミア、道を見るな。敵を見ろ」
「了解」
「ガルド、崩れる場所を言え」
「左は駄目。右奥、灰が薄い」
「そこを行く」
大型の火喰い鼠が跳んだ。
正面。
真っ直ぐ。
アルトは逃げなかった。
拳を引く。
剛腕。
だが、ただの剛腕ではない。
相手を殴る。
同時に、その足元を砕く。
《剛腕・砕打》
拳が大型の顎を打った。
衝撃がその身体を抜け、足元の石床へ落ちる。
石床が砕け、敵の踏ん張りが消える。
火喰い鼠の巨体が横へ流れた。
アルトは肩で押し込み、灰の穴へ叩き落とす。
「邪魔だ」
巨大な影が灰の下へ消えた。
コメント欄が沸く。
『うおおおお』
『顎打って足場も砕いた!?』
『剛腕・砕打、制御やばい』
『ただの火力じゃない』
『守りながら殴ってる』
『レオン様の斬撃と別方向の強さ』
『奈落新人、強くなってる』
アルトは走り出した。
背中の少年が揺れる。
「痛かったら言え」
「……痛い」
「よし」
「よし?」
「言えたならいい」
少年は少しだけ笑ったようだった。
ミアが横で言う。
「オルグみたい」
「感染したな」
「いい感染」
「たぶんな」
ガルドが後ろから言う。
「右、二歩。次、低く」
アルトは言われた通りに動く。
灰の床が背後で崩れた。
火喰い鼠の群れが遅れる。
ミアが残った一匹を蹴り落とす。
道が開ける。
分岐点の光が見えた。
◇
分岐点には、ブルーノがいた。
顔色が悪い。
端末を両手で持ち、必死に情報をつないでいたらしい。
アルトを見るなり、声を上げる。
「生きてるな」
「見れば分かる」
「顔は出してない」
「よし」
「少年の識別情報も伏せた」
「よし」
「ただ、コメントが荒れてる」
「後でいい」
「今は後でいい」
ブルーノは頷いた。
成長した。
少しだけ。
その時、反対側から白い剣光が走った。
レオンだった。
背後には、ガルムとミナ。
さらに負傷者たち。
護衛二名。
下層配信者三名。
荷運び一名。
全員、傷だらけだが生きている。
ミナは息を切らしていた。
だが、目はしっかりしている。
「アルトさん!」
「こっちも一人拾った」
レオンが少年を見る。
顔は布で隠れている。
レオンは何かを言いかけ、やめた。
「見落としていたのか」
「灰で映ってなかった」
ブルーノが答える。
「配信も切れていた。神界側にもほぼ出ていない」
レオンは目を伏せた。
「そうか」
短い言葉だった。
だが、重かった。
ミナがすぐに少年を診る。
「足を見ます」
少年が小さく言う。
「顔は」
「映しません」
ミナは即答した。
少年の身体から少しだけ力が抜けた。
レオンはそれを見ていた。
そして、アルトを見る。
「新しい技か」
「らしい」
「敵ではなく、道を砕いた」
「ああ」
「効率的だ」
アルトは眉をひそめた。
「お前に言われると褒められた気がしない」
「褒めている」
レオンは本気で言っていた。
だから余計に面倒だった。
ガルムが低く言う。
「撤退するぞ。灰狼が近い」
「まだ来るのか」
アルトは少年を降ろしながら言った。
灰の奥から、低い唸り声がした。
火喰い鼠とは違う。
重い。
複数。
灰狼。
レオンは剣を抜いた。
「ここからは、全員で抜ける」
アルトも拳を握る。
「最短でか?」
レオンは一瞬だけアルトを見た。
「全員で帰る最短だ」
アルトは少しだけ口元を歪めた。
「それなら乗る」
神界コメントが一気に走った。
『全員で帰る最短』
『レオン様、言い方変えた?』
『アルトの影響?』
『剛腕・砕打もっかい見たい』
『灰狼きた』
『ここから本番か』
灰の奥に、狼の影が浮かぶ。
一匹ではない。
五。
いや、もっといる。
負傷者を抱えた状態での撤退戦。
状況は悪い。
だが、さっきより分かりやすい。
守るものがある。
通さない敵がいる。
帰る場所がある。
アルトは拳を鳴らした。
「行くぞ」
レオンの剣が白く光る。
アルトの拳に、砕打の光が宿る。
灰狼たちが、一斉に駆け出した。
そして灰燼回廊の撤退戦が始まった。




