第39話 聖女は、本当に優しかった
その朝、赤猫亭はいつもより早く開いた。
理由は簡単だった。
聖女セシリアが来る。
それだけで、店の前には夜明け前から人が集まり始めていた。
見物人。
配信者。
セシリアの信奉者。
救助系配信を追っている神官崩れ。
そして、ただ騒ぎを見たいだけの連中。
マルタは扉の前に新しい札を掛けた。
【飯を食わない見物人は昼過ぎから】
その下に、もう一枚。
【怪我人を見るな。飯を見ろ】
アルトはそれを見て、少しだけ黙った。
「女将、だいぶ攻めたな」
「昨日、あんたが書いた札よりましだよ」
「いや、これは強いだろ」
「強くないと読まないんだよ、ああいう連中は」
マルタは鍋をかき混ぜながら言った。
いつもの口調だった。
だが、鍋の数はいつもより多い。
パンも多い。
芋も多い。
「……芋も多いな」
「客が来るからね」
「聖女が来るんだぞ」
「聖女も腹は減るだろ」
「減るのか?」
「人なら減る。神でも減らす」
「女将、神に強すぎる」
ミアが干し果物を齧りながら言った。
「セシリアって、そんなにすごいの?」
ガルムが窓の外を見ながら答える。
「救助系では上位だ。神界での知名度も高い」
「見捨てない聖女だっけ」
「ああ」
「本当に見捨てないの?」
ガルムは少しだけ黙った。
「少なくとも、そう呼ばれるだけの結果は出している」
「ふうん」
ミアはそれ以上聞かなかった。
ガルドは店の入口の蝶番をまた確認している。
「人が増える。扉に負荷がかかる」
「またそこか」
「壊れる前に見る」
「お前、地味にこの店の守護者になってないか?」
「違う。壊れると面倒なだけだ」
「はいはい」
ミナは奥の席で、治療道具を確認していた。
包帯。
消毒液。
小さな木箱。
回復術用の杖。
何度も同じものを確認している。
緊張しているのが、遠目にも分かった。
リリが隣に座っている。
何も言わない。
ただ、近くにいる。
カイとボロスは今日も皿洗いを手伝っている。
マルタの説教は一日で終わらなかったらしい。
「アルトさん」
ミナが小さく呼んだ。
「何だ」
「変ではありませんか?」
「何が」
「その……私が、会っても」
アルトは少しだけ考えた。
「変かどうかは知らん」
「はい」
「でも、会うって決めたのはミナだろ」
ミナは手元の包帯を見る。
「はい」
「なら、それでいい」
言い方が雑だったかもしれない。
でも、ミナは少しだけ笑った。
「ありがとうございます」
アルトは頷いた。
茶を置こうとして、やめた。
代わりに言った。
「怖かったら、怖いって言え」
「はい」
「嫌だったら、嫌だって言え」
「はい」
「我慢して笑うな」
ミナは少しだけ驚いた顔をして、それから頷いた。
「はい」
ルナの銀色コメントが流れる。
『今日は、私も見ています』
「いつも見てるだろ」
『今日は、少し違います』
「どう違う」
銀色の文字は、少し間を置いた。
『ミナさんを、見ています』
ミナが顔を上げる。
アルトはそれを見て、口を閉じた。
余計なことを言う必要はなかった。
◇
セシリアは、騒ぎの中から来なかった。
それがまず、意外だった。
外の人波が急に割れる。
歓声が上がる。
白い光が降る。
神々の祝福が鳴る。
そんな登場を、アルトはどこかで想像していた。
だが、実際は違った。
店の扉が、普通に叩かれた。
こん、こん。
控えめな音だった。
マルタが顔を上げる。
「アルト」
「俺かよ」
「あんたが受けた客だろ」
「客なのか?」
「飯屋に来たら客だよ」
その理屈はもう聞いた。
アルトは扉へ向かった。
取っ手を掴む。
開ける。
そこに、白い服の女性が立っていた。
セシリア。
想像よりも、ずっと静かな人だった。
白い修道衣に似た衣装。
薄い金色の髪。
柔らかな目。
大きな装飾はない。
胸元に小さな聖印があるだけ。
神々の祝福光も、派手な演出もない。
ただ、そこにいるだけで、空気が少し柔らかくなる。
レオンが場を整える人間なら。
セシリアは、場の角を丸くする人間だった。
彼女は深く頭を下げた。
「お時間をいただき、ありがとうございます。セシリアと申します」
声は、驚くほど自然だった。
作った甘さがない。
大げさな慈悲もない。
ただ、聞きやすい。
相手に届くように、丁寧に置かれた声だった。
アルトは少しだけ身構えを解きかけて、慌てて戻した。
「アルトだ」
「存じています」
「だろうな」
セシリアは少しだけ笑った。
「本日は、条件を守ります。赤猫亭の方々、怪我をされた方々、そしてミナ様を、勝手に映すことはいたしません」
「本当に?」
「はい」
セシリアは迷わず答えた。
「救いは、相手の許可なく晒すものではありませんから」
アルトは言葉に詰まった。
正しい。
普通に正しい。
思っていたより、ずっとまともだ。
店の中が少しざわめく。
ミナが立ち上がった。
セシリアはミナを見ると、すぐに頭を下げた。
「ミナ様。お会いできて光栄です」
ミナが慌てる。
「そ、そんな。私の方こそ」
「第三層入口での救助記録を拝見しました。声にならない痛みに気づく判断、とても尊いものでした」
ミナは一瞬、言葉を失った。
セシリアの言葉に、嫌味はなかった。
本当に、心からそう思っているように聞こえた。
リリがミナの隣で少しだけ微笑む。
セシリアは、そのリリに視線を移した。
「リリ様ですね。足の具合はいかがですか?」
リリは驚いて背筋を伸ばした。
「は、はい。ミナさんのおかげで、だいぶ良くなりました」
「よかったです。怖かったですね」
その一言で、リリの目が少し潤んだ。
セシリアは近づきすぎなかった。
泣かせようともしなかった。
ただ、少し膝を折って、リリと同じ高さで話した。
「無理に思い出さなくて大丈夫です。今は、食べて、眠って、少しずつ戻ればいいのです」
リリは小さく頷く。
ミナも、その横で少しだけ表情を緩めた。
セシリアはカイとボロスにも声をかけた。
「カイ様。怖かったでしょう」
カイは皿を持ったまま固まる。
「は、はい」
「それでも、戻ってきましたね」
カイの目が揺れる。
「……はい」
「次は、戻れる場所を持ったまま進んでください」
カイは何も言えず、ただ頭を下げた。
セシリアはボロスを見る。
「ボロス様。盾を離さなかったのですね」
ボロスが初めて目を見開いた。
「……分かるんですか」
「手に跡が残っています」
ボロスは自分の手を見る。
大きな手のひらに、盾の持ち手の跡が赤く残っていた。
「仲間を守ろうとした手です」
ボロスは唇を引き結び、黙って頭を下げた。
アルトは見ていた。
セシリアは、ちゃんと見ている。
リリだけではない。
カイだけでもない。
ボロスも見た。
泣く者だけを見ているわけではないように見えた。
ルナの警告が、少しだけ遠くなる。
泣かない人が映らない。
本当にそうなのか。
自分たちは警戒しすぎていたのではないか。
そう思いかけた時、マルタが声をかけた。
「話すなら座りな。飯も出すよ」
セシリアはすぐに頭を下げる。
「ありがとうございます。いただきます」
マルタが一瞬だけ目を細めた。
「聖女様でも飯は食べるんだね」
「はい。食べます。よく食べます」
セシリアは少し恥ずかしそうに笑った。
「食べないと、救えませんから」
マルタは満足げに頷く。
「分かってるじゃないか」
アルトは思った。
普通に、いい人だ。
困るくらいに。
◇
セシリアには、芋ではなく煮込みが出た。
アルトはそれを見て、マルタを睨んだ。
「差別じゃないか?」
「客に合う飯を出してるだけだよ」
「俺にも合う飯を出せ」
「芋」
「おかしいだろ」
セシリアが小さく笑った。
その笑いも自然だった。
「芋も好きです」
「本当か?」
「はい。救助中に持ち運びやすいですし、腹持ちがいいので」
ガルドが頷いた。
「分かっている」
「お前ら、芋で通じ合うな」
少しだけ店内に笑いが生まれた。
その笑いの中で、セシリアは両手を合わせ、短く祈った。
大げさな祈りではない。
神々に見せるようなものでもない。
食事への感謝だった。
それから、静かに煮込みを食べる。
「美味しいです」
マルタが笑う。
「だろう」
「温かい味がします」
「それはいい褒め方だね」
ミアが小声で言った。
「……普通にいい人じゃん」
アルトは答えない。
正直、同じことを思っていた。
ガルムはまだ警戒している。
だが、その顔にも少し迷いがある。
ブルーノは今日も店の隅にいた。
当然のように芋を食べている。
「どうだ、解説者」
アルトが聞く。
ブルーノは肩をすくめた。
「予想以上に自然だ。だから強い」
「どういう意味だ」
「作ってないように見えるものが、一番届く」
嫌な言い方だった。
だが、完全には否定できなかった。
セシリアは食事を終えると、改めてミナに向き直った。
「ミナ様。昨日の“泣かない客”の処置について、少しお聞きしてもよろしいですか?」
ミナは小さく頷く。
「はい」
「無理に話す必要はありません。話せる範囲で」
「大丈夫です」
ミナは少し緊張しながらも、言葉を選んで話した。
右肩の傷。
肋骨の痛み。
泣かず、声にも出さず、ただスープを頼んだ男。
ミナがどう気づいたか。
なぜ奥へ移したか。
なぜ強い回復をかけなかったか。
セシリアは一度も遮らなかった。
相槌も静かだった。
途中で神々へ視線を送ることもない。
ただ、ミナの話を聞いている。
やがて、セシリアは深く息を吐いた。
「素晴らしいです」
ミナが少し驚く。
「そんな」
「いいえ。とても大切な判断です。泣いていない方、声を上げない方、助けを求めることに慣れていない方。そういう人の痛みを拾えるのは、簡単なことではありません」
セシリアの言葉は真っ直ぐだった。
ミナの目が少しだけ潤む。
比較ではない。
見下しでもない。
セシリアは、本気でミナを認めている。
「ミナ様の手当ては、静かで、温かい」
セシリアは微笑んだ。
「私は、好きです」
店内が静かになる。
ミナは、どう返せばいいのか分からない顔をしていた。
「ありがとう、ございます」
「こちらこそ、学ばせていただきました」
アルトはそのやり取りを見て、少しだけ肩の力を抜いた。
警戒しすぎだったのかもしれない。
そう思った、その時だった。
セシリアは、やわらかく続けた。
「だからこそ、もっと多くの方に届くべきです」
アルトの中で、何かが止まった。
ミナも、一瞬だけ瞬きをした。
「届く、ですか」
「はい」
セシリアの声は優しい。
何も悪いことを言っていない。
「泣かない方の痛みに気づける救いがある。声を上げられない方を、静かに支える手がある。それを知らない人は、たくさんいます」
セシリアは本当にそう思っているようだった。
「だから、隠してしまうのはもったいない」
もったいない。
その言葉は、たぶん善意だった。
だが、アルトの耳には引っかかった。
ミナは見せるために診たわけではない。
あの男は、騒がれたくないと言った。
ミナはそれを守った。
その静けさも含めて、あの処置だった。
なのに、セシリアは言う。
もっと届くべき。
隠してしまうのは、もったいない。
届くべき。
見せるべき、ではない。
けれど、ほとんど同じ意味に聞こえた。
ミナは困ったように微笑んだ。
「私は……まだ、そこまでは分かりません」
セシリアはすぐに頷いた。
「もちろんです。無理にとは申しません」
責めない。
押しつけない。
本当に優しい。
だからこそ、逃げ場がない。
「ただ、ミナ様の救いで、励まされる方はきっといます」
セシリアは言った。
「見せることは、晒すことだけではありません。届くことで、救われる方もいるのです」
正しい。
それも、正しい。
アルトは何も言えなかった。
ミナも黙っている。
リリが心配そうにミナを見る。
セシリアはその視線に気づき、微笑む。
「ごめんなさい。急ぎすぎましたね」
彼女は本当に反省しているように見えた。
「今日は、お会いできただけで十分です」
そう言って、セシリアは静かに頭を下げた。
◇
その後、セシリアは赤猫亭の中で誰にも無理をさせなかった。
カイに配信を続けるか聞くこともしない。
リリに恐怖を語らせることもしない。
ボロスに盾の話を無理に掘り下げることもしない。
マルタには飯の礼を言い、ガルドには直した椅子を褒め、ガルムには一度だけ静かに会釈した。
ガルムはその会釈を受けたが、言葉は返さなかった。
ミアには、少し意外なことを言った。
「あなたの耳が、リリ様を救ったのですね」
ミアは身構える。
「そうだけど」
「よい耳です」
「……顔じゃなくて?」
「耳です」
セシリアは少し笑った。
「もちろん、お顔もお綺麗ですが」
ミアの耳がぴくりと動く。
アルトが一歩出ようとしたが、ミアは手で制した。
「その後に、耳を褒めるなら許す」
セシリアは少し驚いた顔をして、それから笑った。
「では、順番を間違えないようにします」
「そうして」
ミアは干し果物を齧った。
悪くない空気だった。
少なくとも、悪意はどこにもない。
それが、かえって難しかった。
セシリアが帰る頃には、店内の多くが彼女に好感を持っていた。
客も。
カイたちも。
ミナも、戸惑いながらも、嫌ってはいない。
アルトも、嫌いとは言えなかった。
嫌いと言えるほど、彼女は何も悪いことをしていない。
セシリアは扉の前で振り返った。
「今日は、ありがとうございました」
マルタが言う。
「飯を食いに来るなら、また来な」
「はい。ぜひ」
「見物は昼過ぎだよ」
セシリアは札を見て、少し笑った。
「覚えておきます」
そして、ミナを見る。
「ミナ様。また、お話しさせてください」
ミナは少し迷い、それから頷いた。
「はい」
セシリアは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます」
最後に、アルトを見る。
「アルト様」
「何だ」
「ミナ様を守ろうとする姿勢、とても温かいと思いました」
「……どうも」
「でも、ミナ様は、ご自分で立てる方ですね」
アルトは返事に詰まった。
セシリアは続ける。
「今日は、それがよく分かりました」
その言葉も、正しかった。
アルトは少しだけ視線を外す。
「分かってるならいい」
「はい」
セシリアは頭を下げ、赤猫亭を出ていった。
外は騒がしくなるかと思ったが、彼女は誰にも大きく手を振らなかった。
神々への過剰な挨拶もしなかった。
静かに去っていく。
その背中は、白く、優しく、どこか遠かった。
コメント欄が流れる。
『普通にいい人だった』
『セシリア様やっぱり優しい』
『ミナちゃんも認められた』
『届くべきって良い言葉』
『でも少し引っかかった』
『どこが?』
『分からん』
アルトはその流れを見て、何も言わなかった。
分からない。
たぶん、それが正しい。
はっきりした悪意なら、楽だった。
だが、セシリアは本当に優しかった。
そして、その優しさの中に、小さな白い棘があった。
◇
夜。
赤猫亭はいつもの音を取り戻していた。
鍋の音。
皿の音。
椅子を引く音。
芋の皮を剥かされるアルトのため息。
「……なんで今日も芋なんだ」
マルタが即答する。
「聖女様も好きだって言ってたろ」
「そこ拾うな」
「売れるよ」
「売るな」
ガルドが横から言う。
「薄く剥け」
「分かってる!」
ミアは干し果物を数えながら、セシリアの去った扉を見ていた。
「嫌な人じゃなかったね」
「ああ」
アルトは芋の皮を剥きながら答えた。
ガルムが低く言う。
「だから厄介だ」
「お前もそう思うか」
「悪意だけなら切ればいい。善意は切りにくい」
その通りだった。
ミナは奥の席で、治療道具を片付けていた。
アルトは手を止める。
「ミナ」
「はい」
「大丈夫か」
ミナは少し考えた。
「悪い方では、ありませんでした」
「ああ」
「本当に、優しい方でした」
「ああ」
「でも、少しだけ……分かりません」
アルトは頷いた。
「俺もだ」
ミナは包帯を畳む。
「私の処置を、もっと多くの方に届けるべきだと言ってくださいました」
「ああ」
「それは、きっと間違っていません。私も、同じような痛みで困っている人がいるなら、知ってほしいと思います」
「そうだな」
「でも」
ミナは手を止めた。
「あの方の言う“届く”は、少しだけ、眩しすぎました」
アルトはその言葉を聞いて、レオンを思い出した。
まぶしすぎる人。
セシリアもまた、別の形で眩しい。
レオンは正しさで眩しい。
セシリアは優しさで眩しい。
どちらも、本物だ。
だから目が痛い。
ミナは小さく続けた。
「私は、あの男の人が騒がれたくないと言ったことも、忘れたくありません」
「忘れなくていい」
「はい」
少しだけ沈黙。
視界の端に、銀色のコメントが流れた。
『ミナさん』
ルナだった。
『そのままで、いいと思います』
ミナは微笑んだ。
「ありがとうございます」
ルナはそれ以上言わなかった。
余計な言葉を重ねない。
それが、今日はよかった。
その時、店の扉が開いた。
アルトは反射的に身構えた。
セシリアが戻ってきたのかと思った。
だが、違った。
入ってきたのは、昨日の男だった。
泣かなかった客。
右肩を庇いながら、静かに立っている。
店内の何人かが気づいた。
男は少し気まずそうに言った。
「……スープを」
ミナが顔を上げる。
男は彼女を見る。
「今日は、泣かなくてもいいんだったな」
ミナは一瞬驚き、それから静かに笑った。
「はい」
マルタが厨房から言う。
「座りな。今日は熱いよ」
「助かる」
男はいつもの客のように席へ座った。
誰も大きく騒がない。
コメント欄も、少しだけ流れる。
『泣かない客、また来た』
『スープの人』
『常連化?』
『静かでいいな』
アルトはそれを見て、小さく息を吐いた。
泣かなかった客が、また来た。
それだけのことが、妙に大きく感じた。
セシリアの言う「届く」も、間違ってはいない。
でも、こうして静かに戻ってくるものもある。
映えない。
泣かない。
けれど、確かに続いている。
ミナは男の席に水を置いた。
「肩はどうですか」
「痛い」
「正直でよろしいです」
「昨日よりはな」
男は少し笑った。
その笑いは、今日も泣きではなかった。
アルトは芋の皮を剥きながら、ぼそりと言った。
「……悪くないな」
ミアが聞きつける。
「何が?」
「何でもない」
「言いかけてやめるの、気になるんだけど」
「気にするな」
マルタの声が飛ぶ。
「アルト! 手が止まってるよ!」
「分かってる!」
ガルドが言う。
「厚い」
「見てんじゃねぇ!」
赤猫亭に笑いが起きる。
その笑いの中で、白い聖女の影はまだ消えない。
だが、今夜はその隣に、泣かない客のスープの湯気があった。
アルトには、その湯気の方が少しだけ信用できた。




