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第34話 剣聖の最短路と、奈落新人の寄り道

 第三層入口へ向かう道は、思ったより静かだった。


 静かすぎた。


 神界コメントはうるさい。


 同接も多い。


 道の両側には、遠巻きに見物する冒険者や配信者たちまでいる。


 それなのに、道そのものは妙に整っていた。


 理由は簡単だった。


 レオンが先頭を歩いているからだ。


 白い外套。


 腰の剣。


 無駄のない足取り。


 彼が歩くと、人が勝手に道を空ける。


 魔物が出ても、出た瞬間に終わる。


 石畳の割れ目から飛び出した小型の魔獣が、一匹。


 次の瞬間には、レオンの剣が鞘に戻っていた。


 魔獣は音もなく崩れた。


「……今、抜いたか?」


 アルトが呟く。


 ミアが耳を立てたまま言う。


「見えなかった」


 ガルムが低く答える。


「抜いて、斬って、戻した」


「それを見えたお前も何なんだよ」


「昔、上位を見ていたからな」


 ミナは少し青い顔で魔獣の残骸を見ている。


「すごい……」


 レオンは振り返らない。


 自慢もしない。


 ただ進む。


 それが余計に異常だった。


『レオン様、速い』

『一撃』

『剣聖すぎる』

『この安心感』

『奈落新人、ついていける?』


「ついていきたくてついていってるわけじゃねぇ」


 アルトは小声で言った。


 レオンが少しだけ振り返る。


「速度を落とそうか」


「聞こえてるのかよ」


「聞こえる距離だ」


「落とさなくていい。救助だろ」


「分かった」


 レオンはまた前を向く。


 その背中は、やはり真っ直ぐだった。


 真っ直ぐすぎて、こちらの曲がり方を意識させられる。


 アルトは少しだけ顔をしかめた。


 横では、マルタから持たされた弁当をミナが大事に抱えている。


 なぜミナが持っているのかと言えば、アルトに持たせると途中で落とすとマルタに判断されたからである。


「俺、そんなに信用ないか?」


「マルタさんは、アルトさんが戦闘中に投げる可能性を考えたのだと思います」


「弁当を投げる状況って何だ」


 ミアが言う。


「財布よりは投げそう」


「お前は財布から離れろ」


 ガルムが前方を見たまま言った。


「気を抜くな。第三層入口は近い」


 その声で、空気が少し変わった。


 道の先に、黒い門のようなものが見える。


 第二層までの入口よりも古く、深い。


 石造りの巨大なアーチ。


 その奥に、崩れた階段と暗い通路が続いている。


 第三層入口。


 低ランク配信者の小隊が戻らなくなった場所。


 レオンが立ち止まった。


 その横で、ヘルメスの救助係が地図を広げる。


 若い職員とは別の、年配の職員だった。


 顔には疲れがある。


「救助対象は三名です」


 職員が言う。


「カイ。短剣使い。配信者ランク圏外」


「リリ。見習い補助術師。配信経験二回」


「ボロス。盾役。探索者登録から三ヶ月」


 ミナが小さく息を呑む。


「若いんですか?」


「全員、十代後半です」


 アルトは眉をひそめた。


「なんでそんな連中が第三層入口に?」


 職員は答えにくそうに視線を落とした。


 代わりに、ガルムが低く言う。


「見られたかったんだろう」


 職員は小さく頷いた。


「……最近、低ランク配信者の間で、危険区域挑戦の切り抜きが増えています」


「危険区域挑戦?」


 ミアが顔をしかめる。


「要するに、無茶して目立つやつ?」


「はい」


 職員は苦しそうに続けた。


「カイたちは昨日、神界掲示板に予告を出していました。『第三層入口に挑戦する。今日こそ名前を残す』と」


 アルトは黙った。


 名前を残す。


 誰にも見られないのが怖い。


 だから、危険な場所へ行く。


 胸の奥に、嫌なものが落ちた。


『無茶するなよ』

『低ランクで第三層はきつい』

『でも気持ちは分かる』

『誰にも見られないの、きついよな』

『アルトたちが伸びたから焦った?』


 最後のコメントに、アルトの手が止まった。


「……俺たちを見たのか?」


 職員は言葉に詰まる。


 ガルムが静かに言った。


「お前のせいではない」


「まだ何も言ってない」


「言いそうな顔だった」


 アルトは舌打ちした。


 ガルムは続ける。


「だが、見られる者の影響は、そういう形で出る」


 嫌な言葉だった。


 正しいから、余計に嫌だった。


 レオンが地図を見て言う。


「責任の話は後だ。今は救助する」


 その声は冷静だった。


 正しい。


 この場では間違いなく正しい。


 レオンは地図の一点を指した。


「最後の配信反応はここ。第三層入口から南東の崩落区画。奥に二名の反応が残っている」


「二名?」


 ミナが聞き返す。


 職員が頷く。


「カイとボロスと思われます。リリの反応は途中で途切れています」


 食いしばるような沈黙。


 ミナが杖を握る。


「リリさんは……」


「不明です」


 レオンは短く言った。


「最短で奥の二名へ向かう。生存反応が確認できている者を優先する」


 合理的だった。


 正しい。


 だが、アルトの胸に小さな棘が刺さった。


「リリは?」


「途中の反応消失地点を通る。痕跡があれば拾う」


「なければ?」


「奥へ進む」


 アルトはレオンを見る。


 レオンは揺れない。


 揺れていないように見える。


「それが最善か」


「現時点では」


 アルトは何も言わなかった。


 今は、まだ。


 ◇


 第三層入口の内部は、第二層までとは空気が違った。


 冷たい。


 湿っている。


 それでいて、どこか焦げたような匂いがする。


 壁には古い転移陣の残骸。


 床には崩れた石材。


 天井からは、水滴が落ちている。


 ミアが先頭近くで耳を動かしていた。


「音が変」


「どんな風に」


 アルトが聞く。


「反響が多い。穴がある。横道も多い。あと、上から落ちそうな音」


 ガルドがいれば喜びそうな、嫌な情報だった。


 ガルムが短剣を抜く。


「古い崩落区画だ。足元を見るな。壁も見ろ」


「足元も壁も見るのかよ」


「見る場所が増えたと思え」


「簡単に言うな」


 レオンは迷わず進む。


 速い。


 だが、乱暴ではない。


 危険箇所を避け、魔物が出れば一閃。


 小型の岩殻虫。


 影狼。


 毒霧を吐く蝙蝠。


 どれも、レオンの前ではほとんど障害にならなかった。


『レオン様すごい』

『安心感が違う』

『救助が早い』

『これが一位』

『アルト、いらなくない?』


「うるせぇな」


 アルトは低く言ったが、否定しきれなかった。


 実際、レオンだけで進めるのではないかと思ってしまう。


 速い。


 強い。


 正確。


 人気が出るのも分かる。


 人がついていくのも分かる。


 だからこそ、嫌な感じがした。


 途中、崩れた壁の前でレオンが立ち止まる。


「ここを抜く」


「抜く?」


 アルトが言う前に、レオンの剣が閃いた。


 崩落した石材の一部が、綺麗に切断される。


 通路が開いた。


 ミアが目を丸くする。


「便利すぎ」


 ガルムが低く言う。


「だから一位だ」


 レオンは振り返る。


「急ぐ。奥の反応が弱くなっている」


 全員が頷く。


 進む。


 さらに奥。


 その時だった。


 ミアの耳がぴくりと動いた。


「待って」


 レオンは足を止める。


 ミアは左の壁を見る。


 そこには崩れた小さな横穴があった。


 人が通るには狭い。


 ほとんど瓦礫に塞がれている。


「声がした」


 アルトは横穴を見る。


「リリか?」


 ミアは耳を澄ませる。


「分かんない。すごく小さい。声というより、息」


 ミナが顔色を変えた。


「痛みの気配がします」


 レオンは地図を見る。


「奥の二名の反応がさらに弱い。ここで時間を使うと、二名を失う危険がある」


「でも、ここにも誰かいるかもしれない」


 アルトが言う。


 レオンは頷いた。


「可能性はある。だが、確定しているのは奥の二名だ」


「じゃあ、ここは後回しか」


「戻りで確認する」


 合理的だった。


 まただ。


 正しい。


 たぶん正しい。


 奥に二人。


 横穴に一人いるかもしれない。


 生存反応があるのは奥。


 なら奥へ行く。


 救助隊としては正しい。


 レオンは言った。


「全員を救うために、最短を選ぶ」


 アルトは横穴を見た。


 狭い。


 暗い。


 何も聞こえない。


 でも、ミアは聞いた。


 ミナは痛みを感じた。


 それを後回しにする。


 後で戻る。


 その間に、もし声が消えたら。


『レオン様が正しい』

『奥の二人優先だろ』

『反応ある方が先』

『横穴は危険すぎる』

『新人、勝手に動くなよ』


 コメント欄が流れる。


 アルトは歯を噛んだ。


 神々の票ではない。


 だが、また似ている。


 多数の声。


 合理的な声。


 正しい声。


 その中で、ミアが横穴を見たまま言った。


「……まだ聞こえる」


 ミナが杖を握る。


「私も、ここに誰かいると思います」


 アルトは息を吐いた。


「レオン」


「何だ」


「奥は任せる」


 レオンの目が少し変わる。


「君は?」


「横穴を見る」


「危険だ」


「知ってる」


「戦力を分けるのは得策ではない」


「だろうな」


「私の判断では、奥を優先すべきだ」


「分かってる」


「ではなぜ」


 アルトは横穴を見た。


「声がした」


 短い答えだった。


 レオンは黙った。


 アルトは続ける。


「聞こえた声を、後回しにできない」


 ミアの耳が少し揺れた。


 ミナが小さく頷いた。


 ガルムが短く言う。


「俺はレオンと奥へ行く。地形を知っている」


「助かる」


 レオンはガルムを見る。


「分かった。奥の二名は私とガルムで救う」


「俺とミアとミナで横穴を見る」


 レオンはアルトを真っ直ぐ見た。


「君の判断は危険だ」


「だろうな」


「それでも行くのか」


「ああ」


 レオンは一拍置いた。


「なら、時間を決める。十分だ」


「短いな」


「十分で戻れなければ、こちらから向かう」


「分かった」


 レオンはすぐに奥へ向かった。


 迷いがない。


 ガルムが続く前に、アルトに低く言った。


「死ぬな」


「そっちもな」


「レオンがいる」


「じゃあ安心だな」


「だから怖いんだ」


 その言葉だけ残して、ガルムは奥へ走った。


 アルトは横穴を見た。


「行くぞ」


 ミアが頷く。


「狭い。私が先」


「頼む」


 ミナが杖を握る。


「私も行きます」


「危なかったら下がれ」


「下がりません」


 その声は強かった。


 アルトは少しだけ笑う。


「分かった」


 三人は横穴へ入った。


 ◇


 横穴は狭かった。


 身体を横にしなければ通れない場所もある。


 瓦礫が多く、足場も悪い。


 頭上から砂が落ちる。


 コメント欄は不安げに流れていた。


『狭い』

『これ危ないぞ』

『レオン様側見たい』

『でも声がしたなら』

『ミア頼む』


 ミアは一番前で、耳と指先を使いながら進んでいる。


 いつもの軽口はない。


 顔ではなく、手癖でもなく。


 斥候として動いている。


「右、崩れやすい。左足から」


「分かった」


「次、低く。頭打つ」


「助かる」


「財布のことは忘れて」


「今言うな」


 少しだけミアが笑った。


 ミナは後ろで息を整えながらついてくる。


 途中、彼女がふと立ち止まった。


「こっちです」


「何か見えるのか?」


「見えるというより……痛みが濃いです」


 嫌な表現だった。


 だが、信じるしかない。


 三人はさらに奥へ進む。


 やがて、ミアが手を上げた。


「いた」


 瓦礫の奥。


 小さな空間。


 そこに、少女が倒れていた。


 薄い緑の外套。


 片足が石材に挟まっている。


 杖は折れている。


 声もほとんど出ていない。


 ミナが駆け寄る。


「リリさんですか?」


 少女の瞼がわずかに動く。


「……だれ」


「助けに来ました。もう大丈夫です」


 リリ。


 見習い補助術師。


 反応が途切れていた三人目。


 彼女はここにいた。


 後回しにしていたら、どうなっていたか。


 アルトは考えないようにした。


 ミナがすぐに杖を構える。


「足が挟まれています。出血は少ないですが、冷えています」


「石をどかせるか?」


 ミアが見る。


「無理に動かしたら崩れる」


「じゃあどうする」


「小さく削る。支えながら」


 アルトは周囲を見る。


 細い石材が足を押さえている。


 レオンなら一閃で切れるかもしれない。


 だがここで剣を振れば、天井ごと落ちる。


 強さでは解けない場所だった。


「ミア、できるか」


「できる。たぶん」


「たぶん?」


「できる」


「頼む」


 ミアは短刀を抜き、石材の隙間を少しずつ削り始めた。


 顔が真剣だった。


 ミナがリリの手を握る。


「今、痛みを抑えます」


「……カイ、は」


「奥にいます。別の人たちが助けに向かっています」


「ボロス、も」


「はい。助けます」


 リリの目から涙がこぼれた。


「ごめんなさい……私たち、見られたくて……」


 ミナの手が止まらない。


「今は謝らなくていいです」


「誰にも、見られなくて……カイが、今度こそって……」


 アルトは黙った。


 やはりそうだった。


 見られたくて、無理をした。


 誰かに名前を覚えてほしくて。


 危険な第三層入口に来た。


 その結果、こうなった。


 アルトは拳を握る。


 怒りではない。


 ただ、胸が重かった。


 リリはかすれた声で続ける。


「切り抜きに……なりたかったんです」


 コメント欄が少し止まった。


 ミアの短刀の音だけが聞こえる。


 かり。


 かり。


 ミナが静かに言う。


「今は、助かることだけ考えてください」


「でも……配信……」


 アルトは低く言った。


「今は配信じゃない。救助だ」


 リリがぼんやりとアルトを見る。


「……奈落、新人」


「芋じゃない方で覚えろ」


 ミアが小さく吹き出した。


 ミナも少しだけ笑う。


 リリの表情が、ほんの少し緩んだ。


 その時、ミアが言った。


「いける。アルト、支えて」


「分かった」


 アルトは石材に手をかける。


 重い。


 だが、動く。


 ミナがリリの足を支える。


「ゆっくり」


 ミアが最後の支点を削る。


「今」


 石が浮く。


 リリの足が抜けた。


 ミナがすぐに回復をかける。


「《ライトヒール》」


 淡い光がリリの足を包む。


 完全ではない。


 だが、痛みは少し引いたようだ。


 リリが息を吐く。


「……ありがとう」


 アルトは肩で息をしながら言った。


「礼は帰って飯食ってから言え」


「飯……?」


「マルタの弁当がある」


 リリはなぜか泣きそうな顔をした。


「お腹、空いてます」


「なら生きてる」


 ミナが微笑む。


「はい。生きています」


 その瞬間、奥から轟音が響いた。


 地面が揺れる。


 ミアが耳を伏せる。


「奥!」


 レオン側だ。


 アルトはリリを背負う。


「戻るぞ」


「急いでください!」


 ミナが叫ぶ。


 三人は横穴を戻り始めた。


 ◇


 合流地点に戻ると、奥の通路からレオンとガルムが戻ってきた。


 レオンの外套には、少しだけ土がついている。


 ガルムは肩で息をしていた。


 その後ろに、二人の少年がいる。


 一人は短剣を握ったまま、顔面蒼白。


 もう一人は大きな盾を背負い、腕を負傷している。


 カイ。


 ボロス。


 二人とも生きていた。


「リリ!」


 短剣使いの少年――カイが叫んだ。


 アルトの背中のリリを見て、膝から崩れそうになる。


「生きて……」


「生きてる」


 アルトはリリを下ろした。


 ミナが三人の状態を確認する。


「全員、応急処置が必要です。でも、命は大丈夫です」


 コメント欄が一気に流れた。


『全員生存!』

『よかった』

『リリいた!』

『横穴行って正解だった』

『でも危なかったぞ』


 レオンはリリを見て、静かに息を吐いた。


「見つけたか」


「ああ」


 アルトは答えた。


 レオンは少しだけ目を伏せる。


「私の最短路では、一度通り過ぎていた」


 その言葉に、誰もすぐには返せなかった。


 レオンは続ける。


「君の判断は危険だった」


「分かってる」


「戦力を分ければ、全員を危険に晒す」


「それも分かってる」


「だが、結果として一人を救った」


 レオンはアルトを見る。


「私は、見落とした」


 アルトは少し驚いた。


 レオンは言い訳しなかった。


 隠さなかった。


 ただ、自分の見落としを認めた。


 それがまた、まぶしい。


「……あんたなら後で見つけたかもしれない」


「かもしれない。だが、後では遅かった可能性もある」


 レオンはリリを見る。


「すまなかった」


 リリは驚いて首を振る。


「い、いえ、そんな」


 カイが震える声で言った。


「俺が……俺が悪いんです」


 全員が彼を見る。


 カイは短剣を握ったまま、涙をこらえていた。


「誰にも見られなくて。配信しても、神様は二柱とか三柱で。コメントもなくて。だから、危ないところへ行けば、切り抜かれるかもしれないって」


 その声は震えていた。


「俺が行こうって言いました。リリも、ボロスも止めたのに」


 ボロスが首を振る。


「俺も、止めきれなかった」


 リリも泣きながら言う。


「私も、少し期待してました。見てもらえるかもって」


 アルトは何も言えなかった。


 見られたい。


 誰にも見られないのが怖い。


 その気持ちを、馬鹿だと切り捨てるのは簡単だ。


 でも。


 神々に見られることにうんざりしながら、数字が落ちると胸が痛む自分がいる。


 分からないとは言えなかった。


 レオンが静かに言う。


「無謀だった」


 カイは肩を震わせる。


「はい」


「だが、生きている」


「……はい」


「なら、次は生きて反省しろ」


 アルトは少しだけ目を細めた。


 レオンは正しい。


 正しい言葉だ。


 だが、アルトは口を挟んだ。


「飯食ってからな」


 カイが顔を上げる。


「え?」


「反省は飯食ってからでいい」


 ミアがにやりと笑う。


「マルタの弁当あるしね」


 ミナが弁当を取り出す。


「少しずつ食べましょう。急に食べると身体に悪いです」


 カイは呆然としている。


 ボロスも、リリも。


 レオンがアルトを見る。


「甘いな」


「そうかもな」


「だが、悪くない」


「一位に評価されても困る」


 ガルムが静かに言う。


「飯を食えるなら、まだ戻れる」


 その言葉は、誰に向けたものだったのか。


 カイたちか。


 それとも、自分自身か。


 アルトには分からなかった。


 ミナが弁当を開ける。


 マルタの煮込みパン。


 干し肉。


 芋。


「また芋かよ」


 アルトが呟くと、リリが小さく笑った。


 カイも、泣きながら笑った。


 ボロスは黙って芋を受け取った。


 コメント欄が流れる。


『救助飯』

『また飯』

『マルタ弁当つよい』

『泣ける』

『芋で泣く日が来るとは』


「芋で泣くな」


 アルトは言った。


 でも、誰も笑いすぎなかった。


 少しだけ、静かな笑いだった。


 ◇


 帰路。


 レオンは前を歩き、アルトたちは救助した三人を支えながら進んだ。


 速度は遅い。


 レオンの最短路ではない。


 だが、全員が歩いている。


 それで十分だった。


 途中、レオンがアルトの横に並んだ。


「私は全員を救うために最短を選んだ」


「ああ」


「君は、聞こえた声を後回しにしなかった」


「ああ」


「どちらが正しいか、まだ分からない」


 アルトは少しだけ驚いた。


 レオンが、そう言うとは思わなかった。


「一位でも分からないことあるのか」


「ある」


「意外だな」


「完璧ではないと言っただろう」


「嫌味に聞こえるんだよ」


 レオンは少しだけ笑った。


 そして、真顔に戻る。


「だが、ひとつ分かった」


「何が」


「君は、寄り道で誰かを拾う」


 アルトは顔をしかめた。


「褒めてるのか?」


「褒めている」


「分かりにくいって」


 レオンは前を見た。


「私は、最短で多くを救う。それが私のやり方だ」


「そうだろうな」


「だが、最短では見落とすものがある」


 アルトは黙った。


 レオンは続ける。


「今日、私はそれを見た」


 その言葉は素直だった。


 だからこそ、重かった。


 アルトは少し考えてから言った。


「俺も見たよ」


「何を」


「あんたがいなきゃ、奥の二人は間に合わなかった」


 レオンは答えない。


「だから、あんたの最短路も必要だった」


 レオンは少しだけ目を伏せた。


「そうか」


「ああ」


「なら、また組めるな」


「そこに繋げるな」


 レオンは微笑んだ。


「努力する」


「その言葉、信用できなくなってきたぞ」


 コメント欄が軽く沸く。


『芋の件』

『努力する=破る前振り』

『剣聖の努力』

『また組む?』


 アルトは空を睨む。


「切り抜くな」


『もう遅い』


「だろうな!」


 少しだけ場が緩む。


 しかし、アルトの中には、まだ引っかかりが残っていた。


 レオンは見落としを認めた。


 でも、次も同じ状況なら、彼はまた最短を選ぶだろう。


 それが彼の強さだから。


 そして、いつかその最短路の途中で、本当に置いていかれる誰かが出るかもしれない。


 その時、自分は何を言うのか。


 まだ分からない。


 でも、文句は言う。


 たぶん。


 絶対に。


 ルナの銀色コメントが静かに流れた。


『全員、助かってよかった』


「そうだな」


『でも、怖かった』


「俺もだ」


『アルト』


「何だ」


『寄り道、悪くありませんでした』


 アルトは少しだけ笑った。


「一位には怒られたけどな」


 レオンが隣で言う。


「怒ってはいない」


「じゃあ何だ」


「心配した」


 アルトは言葉に詰まった。


「……そういう真っ直ぐな返し、やめろ」


「すまない」


「謝るな」


「分かった」


「分かるな」


 リリが後ろで小さく笑った。


 カイも少しだけ笑った。


 ボロスも、疲れた顔のまま息を吐いた。


 その笑いで、ようやく救助が終わった気がした。


 ◇


 第三層入口を出ると、外は騒然としていた。


 ヘルメスの救助係。


 野次馬。


 配信者。


 神界コメント。


 全てが一斉に押し寄せる。


 カイたちは担架に乗せられ、応急処置を受ける。


 カイは最後に、アルトの方を見た。


「奈落新人さん」


「芋じゃない方で覚えろ」


「はい」


 彼は少し笑って、それから涙をこらえるように顔を歪めた。


「俺、見られたかったんです」


 アルトは黙った。


「誰にも見られないのが、怖かった」


 周囲の音が少し遠のいた。


 カイの声だけが、妙にはっきり聞こえた。


「でも、あそこにいた時、思いました。見られるために来たのに、誰も俺たちの声を聞いてくれないって」


 アルトは何も言えなかった。


 レオンも黙っている。


 ガルムも。


 ミナも。


 ミアも。


 カイは続けた。


「助けに来てくれて、ありがとうございました」


 アルトはしばらく黙った。


 そして、言った。


「飯食ってから反省しろ」


 カイは泣きそうな顔で笑った。


「はい」


「あと、次に無茶したらマルタに説教される」


「誰ですか」


「怖い女将」


 ミアが横から言う。


「神より怖いよ」


 ミナが慌てる。


「そんな言い方は」


 ガルムが真顔で言う。


「間違ってはいない」


 ガルドがいれば頷いただろう。


 レオンはそのやり取りを見て、少しだけ笑った。


「赤猫亭に連れていくのか」


「怪我が落ち着いたらな。飯を食わせる」


「救助対象全員を?」


「ダメか?」


「いや」


 レオンは首を振る。


「君らしい」


「分かったように言うな」


「少し分かってきた」


「やめろ。怖い」


 その時、通知が浮かんだ。


【救助依頼達成】


【生存者三名確認】


【神界評価集計中】


 コメント欄がざわつく。


『全員生存!』

『神回だった』

『レオン最短路すごかった』

『アルトの寄り道も効いた』

『ミア斥候すごい』

『ミナ判断早い』

『ガルム安定』

『救助飯泣いた』


 アルトはため息をついた。


「また切り抜かれるな」


 ミアが言う。


「今回はいいんじゃない?」


「何が」


「顔じゃなくて、斥候として映ったし」


 アルトはミアを見る。


 ミアはそっぽを向いた。


「……たぶん」


 アルトは少し笑った。


「そうだな」


 レオンが静かに言った。


「良い救助だった」


 アルトは空を見る。


 神々はまだ騒いでいる。


 だが、どこか少しだけ違う。


 派手な勝利ではない。


 魔物を倒しただけでもない。


 見落とされそうな声を拾った。


 それが、今日の救助だった。


 通知が続く。


【神界ランキング更新】


《アルト》

《41位 → 39位》


 コメント欄が爆発した。


『上がった!』

『39位!』

『30位台!』

『寄り道で上がった!』

『赤猫亭組すげぇ!』


 アルトは表示を見た。


 上がった。


 また、数字が上がった。


 今回は、少しだけ嫌ではなかった。


 誰かの傷を開いただけではない。


 誰かを助けた結果だったから。


 でも、それでも数字は数字だ。


 使え。


 使われるな。


 ガルドの声が、頭の中に残っている。


 アルトは小さく呟いた。


「道具だ」


 ルナの銀色コメントが流れた。


『はい』


「使う。でも、使われない」


『はい』


 レオンがアルトを見る。


「次は、もっと見られる」


「分かってる」


「それでも行くのか」


 アルトはカイたちの担架を見た。


 ミナの杖。


 ミアの耳。


 ガルムの背中。


 赤猫亭の弁当の空き包み。


 そして、第三層入口の暗がり。


「声がしたらな」


 レオンは静かに笑った。


「そうか」


 その笑みが、少しだけ眩しかった。


 少しだけ、怖かった。


 そして少しだけ、信じてもいいようにも見えた。


 アルトは顔をしかめる。


「やっぱり面倒くさいな、あんた」


「よく言われる」


「だろうな」


 その時、外の芋屋が叫んだ。


「救助成功記念! 奈落新人芋、半額だよ!」


「便乗するな!!」


 アルトの叫びが、第三層入口前に響いた。


 コメント欄が笑いで埋まる。


 救助は終わった。


 だが、見られる日々は終わらない。


 むしろ、ここから始まるのだと。


 アルトは、嫌というほど理解していた。


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