第32話 剣聖レオンは芋から入る
【剣聖レオンから、公開メッセージが届いています】
その通知が出た瞬間、赤猫亭の食堂は完全に止まった。
鍋の音も。
皿の音も。
ミアの干し果物を噛む音も。
マルタが包丁を置く音さえ、やけに大きく聞こえた。
アルトは通知を見つめていた。
剣聖レオン。
神界ランキング一位。
名前だけなら、何度か聞いた。
現時点で、この世界で最も見られている配信者。
最も多くの神々に支持され、最も多くの投げ銭を集め、最も帰還に近い男。
そのレオンが、アルトの配信をフォローした。
そして、公開メッセージまで送ってきた。
『開けろ』
『早く』
『レオン様の公開メッセージ!?』
『奈落新人、ついに上位勢と接触』
『歴史的瞬間では?』
コメント欄が騒ぐ。
赤猫亭の外も騒がしい。
扉の向こうから、低ランク配信者たちや野次馬の声が聞こえる。
「レオンからだって?」
「一位の?」
「芋の人、何したんだ?」
「だから芋の人って誰だよ」
アルトは額を押さえた。
ミナが心配そうに聞く。
「開けますか?」
「開けないと、余計面倒だろうな」
ガルムが頷く。
「公開メッセージは無視しづらい。特に相手がレオンなら」
「お前、レオンを知ってるのか」
「遠くから見たことはある」
「会ったことは?」
「ない。あいつは別格だ」
その言葉で、少し空気が変わった。
ガルムが素直に「別格」と言う相手。
それだけで、レオンの位置が分かる。
ミアが椅子の上で尻尾を揺らす。
「一位ってことは、金持ち?」
「神貨は持ってるだろうな」
「会おう」
「基準が汚い」
「現実的と言って」
ガルドは工具を拭きながら、低く言った。
「相手の言葉を見てからだ」
「お前も気になるのか」
「気にならん」
「じゃあ何で聞いてる」
「作業音がうるさいから早く済ませろ」
「嘘が下手だな」
マルタは腕を組んでいる。
「開けな。飯が冷める」
「そこかよ」
「そこだよ。偉い剣士だろうが何だろうが、うちの飯を冷ます権利はない」
『マルタ女将、レオンにも強い』
『赤猫亭最強説』
『飯>剣聖』
アルトは息を吐いた。
「分かったよ」
通知に触れる。
視界に、金色の枠が広がった。
黒ではない。
銀でもない。
澄んだ金。
飾り気はないのに、やけに目を引く。
そこに、短い文章が浮かんだ。
【剣聖レオン】
《芋の件は見た》
食堂が、静まり返った。
「そこから入るなよ!!」
アルトの叫びが、赤猫亭に響いた。
コメント欄が爆発する。
『レオン様www』
『一位も芋見てた』
『芋が世界を繋いだ』
『剣聖公認の芋』
『芋経由確定?』
「確定するな!」
ミアが机を叩いて笑う。
「やっぱり芋じゃん!」
「違う! これは挨拶だろ、たぶん!」
ルナの銀色コメントが、少し遅れて流れる。
『……これは、違うと言い切れないかもしれません』
「弱気になるな!」
ガルムでさえ、口元を押さえていた。
「レオンにも冗談を言う感覚はあったらしい」
「そこに感心するな」
ガルドは無表情で言う。
「芋の皮を厚く剥いた事実は残る」
「お前は芋から離れろ!」
マルタは笑いながら皿を下げる。
「いやあ、芋を出してよかったね」
「全然よくない」
その時、金色の文字が続いた。
【剣聖レオン】
《だが、私が見たのはそこではない》
笑いが、少し止まった。
アルトは目を細める。
金色の文字は、淡々と続く。
《君は、神々の票に従わなかったそうだな》
食堂の空気が変わった。
ミナの手が止まる。
ミアの尻尾が揺れを止める。
ガルムが真顔になる。
ガルドも工具を置いた。
《市場で、投票型干渉を拒んだ》
《旧宿舎で、封鎖部屋より先に片付けを選んだ》
《ナギ・シグレの記録を、見世物にしなかった》
アルトは、ゆっくり息を吐いた。
レオンは見ている。
芋ではない。
たぶん、見ていたのはそこではない。
彼は本当に、アルトの選択を見ていた。
《面白い》
《一度、話そう》
短い。
それだけだった。
だが、重かった。
神界コメントが一瞬止まり、それから一気に流れ出した。
『レオン様が話そうって』
『やばい』
『一位から直々』
『認められた?』
『試されてる?』
『これ断れないやつでは』
アルトは通知を見つめたまま、しばらく黙っていた。
そして言った。
「断りたい」
食堂全員がこっちを見た。
ミナが小さく言う。
「断るんですか?」
「だって面倒くさいだろ」
ミアが呆れたように言う。
「一位だよ? 会えば仕事も情報も神貨も入るかもしれないよ?」
「お前の判断基準、金貨に寄りすぎだろ」
「寄ってない。中心にあるだけ」
「もっと悪い」
ガルムは金色の文字を見ながら言った。
「断るにしても、返答は慎重にした方がいい」
「レオンってそんなに危険なのか?」
「強い」
「それは分かる」
「それ以上に、正しい」
アルトは眉をひそめた。
「正しい?」
「剣聖レオンは、神々に愛されるだけの男じゃない。地上の冒険者からも支持されている。救助、討伐、護衛、迷宮攻略。どれも結果を出している」
「完璧超人か」
「ほぼな」
「嫌いなタイプだ」
ルナの銀色コメントが流れる。
『レオンさんは、真面目な方です』
「知ってるのか」
『神界では有名です』
「そりゃ一位だからな」
『ただ……』
ルナの文字が一瞬止まる。
『少し、まぶしすぎる人です』
アルトはその表現に引っかかった。
まぶしすぎる。
良い意味だけではない響き。
ガルムも同じように眉を動かした。
「分かる」
「お前もか」
「あいつは、見られることに耐えられる人間だ」
「耐えられる?」
「いや、違うな」
ガルムは少し考えた。
「見られるほど、正しくなれる人間だ」
食堂が静かになる。
それは、アルトにとって理解しにくい感覚だった。
見られるほど、疲れる。
見られるほど、歪む。
見られるほど、勝手に切り取られる。
少なくともアルトは、そう感じている。
だがレオンは違うらしい。
見られることで、より正しく、より強く、より剣聖らしくなる。
それが本当なら。
「……化け物だな」
アルトが呟くと、ガルムは否定しなかった。
「そうだ」
ミナが不安そうに聞く。
「怖い人なんですか?」
「悪人ではない」
ガルムは答えた。
「ただ、正しすぎる人間は、時々怖い」
マルタが鍋の蓋を閉めた。
「正しい人間は、自分が正しいと信じているからね」
ガルドが低く言う。
「道具も人も、真っ直ぐすぎると折れる」
ミアが首を傾げる。
「一位なのに?」
「一位だからじゃねぇか」
アルトは金色のメッセージを見る。
レオン。
剣聖。
ランキング一位。
見られる者の頂点。
そして、票に従わなかったアルトに興味を持った男。
面倒な匂いしかしない。
◇
返答をどうするかで、赤猫亭は軽く会議になった。
ミアは即答だった。
「会う」
「金目当てだろ」
「人脈目当て」
「言い換えただけで大差ない」
「一位と繋がれば、依頼も情報も増える。帰還のことも聞けるかもしれない。使えるものは使おうよ」
正論だった。
ミアが言うと、若干信用が落ちるだけで。
ミナは少し慎重だった。
「会うなら、場所を選んだ方がいいと思います。人が多い場所か、赤猫亭か……」
「ここに呼ぶのか?」
「マルタさんがいますから」
マルタが腕を組む。
「あたしを護衛扱いしてるのかい」
ミナが慌てる。
「あ、いえ、そういう意味では」
「悪くないね」
「いいのかよ」
マルタは笑った。
「一位だろうが剣聖だろうが、飯を食うなら客だよ。暴れたら叩き出す」
『レオン様を叩き出す女将』
『見たい』
『いや危ない』
『赤猫亭、神界最強拠点』
ガルドが短く言う。
「店を壊すな」
「心配そこか」
「当然だ」
ガルムは腕を組んでいた。
「会う価値はある」
「お前も賛成か」
「情報が得られる可能性は高い。レオンは上位配信者だ。帰還権に近い情報にも触れているはずだ」
「でも?」
アルトが聞くと、ガルムは少し黙った。
「会えば、向こうにもこちらを測られる」
「もう測られてるだろ」
「直接測られるのは違う」
その声には、経験があった。
見られる者の世界。
そこで壊れかけた男の声。
ガルムは続ける。
「レオンの配信に映れば、今よりさらに注目される。良くも悪くもな」
「つまり、また切り抜かれる」
「そうだ」
「最悪だな」
ルナの銀色コメントが流れた。
『でも、逃げ続けることもできません』
「分かってる」
『レオンさんは、帰還権に近い人です』
『話す価値はあります』
「ルナは会わせたいのか?」
少し間があった。
『会わせたいというより』
『避けても、いずれ向こうから来ると思います』
「それは嫌な予想だな」
『はい』
「そこで素直に肯定するな」
アルトは息を吐いた。
会うしかない。
断る理由はいくらでもある。
だが、断っても状況は止まらない。
一位に見つかった以上、もうこちらだけの都合では動けない。
それが、見られる者の世界なのだろう。
「返事を書く」
アルトが言うと、神界コメントがざわめいた。
『来た』
『どう返す?』
『失礼なこと言うなよ』
『いや新人は言う』
『絶対言う』
「うるせぇ」
ヘルメスの若い職員が慌てて紙とペンを出す。
「こちらから返信できます。公開返信にしますか? 非公開返信にしますか?」
「違いは?」
「公開返信は神界にも地上にも流れます。非公開はレオン様にだけ届きます」
「非公開で」
コメント欄が一気に荒れる。
『えー』
『公開しろ』
『見たい』
『そこは配信者なら公開だろ』
「こういうところだぞ」
アルトは即答した。
「全部見せる必要はない」
ガルムが小さく頷いた。
「正しい」
職員は少し驚いた顔をした。
「本当に非公開で?」
「非公開で」
アルトはペンを持つ。
書き出そうとして止まる。
相手はランキング一位。
剣聖。
普通なら、丁寧に書くべきなのだろう。
だが、あまりへりくだる気にもなれない。
ミアが横から覗き込む。
「『神貨ください』って書く?」
「書かない」
「じゃあ『仕事ください』」
「書かない」
「『会ってもいいけど報酬次第』」
「お前が書くな」
ミナが苦笑する。
「普通に、話を聞きたいです、で良いのでは?」
ガルムが言う。
「条件は入れろ」
「条件?」
「場所、時間、人数。相手の配信に勝手に乗らないこと。切り抜きの扱い。最低限は決めるべきだ」
「面倒だな」
「面倒を避けるために面倒を先にやる」
ガルドが頷く。
「良い仕事は段取りだ」
「全員に正論で詰められてる気がする」
マルタが言う。
「じゃあ書きな。『飯を食うなら赤猫亭で』って」
「宣伝するな」
「商売だよ」
アルトは少し考え、書いた。
【剣聖レオンへ】
【話すこと自体は受けます】
【ただし、場所はこちらで指定します】
【赤猫亭】
【こちらの仲間を勝手に映さないこと】
【ナギ・シグレの記録を見世物にしないこと】
【それを守れるなら、一度話します】
【あと、芋の件から入るのはやめてください】
ミアが吹き出した。
「最後いる?」
「いる」
ガルムが真顔で言う。
「不要だが、お前らしい」
ミナは困ったように笑った。
「でも、少し安心します」
ガルドは短く言った。
「無駄な一文だ」
マルタは笑った。
「いいじゃないか。芋は大事だよ」
アルトは職員に紙を渡した。
「送ってくれ」
「はい」
職員が通信魔道具に紙をかざす。
淡い光が走る。
【剣聖レオンへ返信しました】
コメント欄は不満げだった。
『非公開かぁ』
『見たかった』
『でも条件つけたのは良い』
『芋禁止w』
『絶対レオン笑ってる』
アルトは椅子に背を預けた。
「これで少しは静かに――」
通知が鳴った。
【剣聖レオンから返信が届きました】
「早すぎるだろ!」
職員が青ざめる。
「即答です」
アルトは顔をしかめた。
「開ける」
今度は非公開メッセージだった。
金色の文字が浮かぶ。
【剣聖レオン】
《条件、了承した》
《赤猫亭で構わない》
《ナギ・シグレの記録には触れない》
《仲間を勝手には映さない》
《芋の件は、努力する》
アルトは最後の一文を見て固まった。
「努力するな。守れ」
続きがあった。
《ただし、一つだけ聞きたい》
《君はなぜ、神々の票に従わなかった》
《答えは会った時でいい》
《私は、それを聞きに行く》
アルトは黙った。
茶化せない文だった。
レオンは本当に、そこを見ている。
票に従わなかったこと。
神々の期待を蹴ったこと。
それが、彼にとって重要らしい。
なぜだ。
一位の男が、それを気にする理由は何だ。
ガルムが低く言う。
「やはり、そこか」
「お前、分かるのか」
「レオンは神々に選ばれている男だ」
「ああ」
「だからこそ、選ばれない判断に興味があるんだろう」
アルトは少しだけ眉を寄せた。
「選ばれない判断」
ミナが小さく言う。
「票に従わないこと、ですね」
ミアが干し果物をかじる。
「一位って、ずっと選ばれてる人だもんね」
ガルドが言う。
「選ばれ続けるのも、道具には負荷がかかる」
「人間にも、だろ」
「同じだ」
アルトは金色の文字を見た。
レオン。
彼はただの完璧な英雄ではないのかもしれない。
見られるほど正しくなる男。
選ばれ続ける男。
神々の票を受け取り続けた男。
その彼が、票を蹴ったアルトを見ている。
「……ますます面倒くさいな」
ルナの銀色コメントが流れる。
『でも、大事な出会いになると思います』
「そういう前向きなことを言う時、大体面倒なんだよ」
『否定はできません』
「しろ」
『違います』
「弱い」
その時、赤猫亭の外で歓声が上がった。
誰かが叫ぶ。
「剣聖レオンが赤猫亭に来るらしいぞ!」
「本当か!?」
「奈落新人と会談だって!」
「芋の人、すげぇ!」
アルトは椅子から立ち上がった。
「誰が漏らした!」
ヘルメスの職員が真っ青になる。
「お、おそらく、レオン様側のフォロー通知と移動予定が……」
「非公開の意味!」
ガルムが窓の外を見た。
「増えているな」
「何が」
「人だ」
アルトも窓を見る。
赤猫亭の前に、人だかりができ始めていた。
冒険者。
配信者。
商人。
野次馬。
そして、どこから聞きつけたのか、屋台まで出ようとしている。
マルタの目が光った。
「……商機だね」
「やめろ。その顔やめろ」
「芋を仕入れるよ」
「なぜ芋に戻る!」
ミアが腹を抱えている。
「芋会談だ」
「違う!」
ミナも笑ってしまっている。
ガルムは真顔で言う。
「レオンが来る前に、人の整理が必要だな」
ガルドが立ち上がる。
「入口の扉を補強する」
「何の準備だよ」
「壊されてからでは遅い」
全員が動き始める。
騒がしい。
最悪に騒がしい。
だが、昨日の重さとは違う。
これは、見られることによって起きる騒ぎだ。
望んだわけではない。
けれど、もう逃げられない。
アルトは金色のメッセージをもう一度見た。
《君はなぜ、神々の票に従わなかった》
その答えは、単純なようで難しい。
ミアを選んだから。
現場を見たから。
神々の票が嫌だったから。
どれも正しい。
でも、それだけではない。
アルトは木板を思い出す。
【票ではなく、現場を見る】
【帰るためではなく、選ぶために進む】
それを、一位の男にどう言えばいいのか。
アルトは小さく息を吐いた。
「朝飯どころじゃなくなったな」
マルタが皿を置いた。
「食べな」
「今この状況で?」
「今この状況だからだよ」
ミナが小さく笑う。
「食べましょう、アルトさん」
ミアが芋を差し出す。
「はい、芋」
「お前、わざとだろ」
「勝負前には芋」
「何の文化だ」
ガルムが低く言う。
「食える時に食え」
ガルドも頷く。
「手元が狂う」
アルトは全員を見た。
そして、諦めて芋を取った。
「……分かったよ」
芋は温かかった。
悔しいが、うまかった。
外では人が増え続けている。
神界コメントは流れ続けている。
剣聖レオンは、赤猫亭へ向かっている。
アルトは芋をかじりながら、ぼそりと言った。
「これ、絶対また切り抜かれるだろ」
コメント欄が即座に反応した。
『もう切ってる』
『剣聖前の芋』
『勝負飯』
『芋会談前夜ならぬ朝』
「やめろ!」
その叫びも、たぶん切り抜かれた。




