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第31話 奈落新人、切り抜かれる

 翌朝。


 アルトは芋を見ていた。


 また芋だった。


 皿の上に、蒸された芋が二つ。


 湯気を立てながら、当然のような顔でそこにいる。


「……お前、まだいたのか」


『出た』

『宿敵』

『第一部ラストボス』

『芋に負けた男』


「誰が負けた男だ」


 赤猫亭の食堂に、いつもの朝が戻っていた。


 鍋の音。


 皿の音。


 マルタの怒鳴り声。


 ミナの小さな笑い声。


 ガルムが皿を運ぶ音。


 ミアが干し果物の入った小袋をこっそり確認する気配。


 ガルドが隅で道具を拭く音。


 昨日、ナギ・シグレの手帳を読んだ。


 帰還門の向こうの声を知った。


【おかえりなさい】


 けれど、それは帰る者に向けた声ではなかった。


 その言葉はまだ、アルトの胸の奥に残っている。


 それでも朝は来る。


 芋も出る。


 世界は遠慮なく続いていく。


「アルトさん、芋、嫌いなんですか?」


 ミナが向かいから尋ねる。


「嫌いじゃない」


「では、どうして睨んでいるんですか?」


「こいつとは因縁がある」


「芋と?」


「深い因縁だ」


『芋との因縁』

『奈落新人VS芋、三戦目』

『今回こそ勝てるか』


「だから勝ち負けじゃねぇ!」


 マルタが厨房から顔を出す。


「芋に負けてる男が何を言ってるんだい」


「女将まで!」


「剥き方が甘い」


「昨日より薄く剥いたろ!」


「昨日よりはね。人間としてはまだ厚い」


「人間性を芋で測るな!」


 食堂の客たちが笑う。


 ミナも口元を押さえている。


 ミアはテーブルの端でにやにやしていた。


「財布は守れない。芋にも勝てない。前衛として大丈夫?」


「お前は朝から人を刺すな」


「刺してないよ。撫でてるだけ」


「爪が出てんだよ」


 ミアは自分の爪を見て、わざとらしく言った。


「猫獣人だからね」


「便利な言い訳だな」


 ガルムが皿を置きながら呟く。


「芋でここまで盛り上がる配信者も珍しい」


「盛り上がりたくて盛り上がってるわけじゃない」


 ガルドが隅から低く言う。


「芋の皮は薄く剥け。食える部分を捨てるな」


「お前も参加するのかよ」


「食材を粗末にするな」


「急に正論で殴るな」


『芋回なのに全員強い』

『赤猫亭の日常』

『戻ってきた感じ』


 アルトはそのコメントを見て、少しだけ黙った。


 戻ってきた感じ。


 たしかにそうかもしれない。


 帰還の謎は消えていない。


 ナギの手帳も、赤猫亭の奥に保管されている。


 オルフェウスはまだ見ている。


 それでも、ここには飯がある。


 笑いがある。


 面倒な仲間がいる。


 それは、悪くない。


 アルトが芋を口に運ぼうとした、その時だった。


 視界いっぱいに通知が開いた。


【神界切り抜きランキング更新】


「……は?」


 アルトは箸を止めた。


 コメント欄が一気に流れる。


『来た!』

『今朝のランキング!』

『昨日の切り抜き反映されたぞ』

『新人、覚悟しろ』


「何をだよ」


 通知が続く。


【神界切り抜きランキング・本日朝版】


 第1位

《奈落新人、芋に敗北する》


 第2位

《ルナ様「違います!!」まとめ・最新版》


 第3位

《市場の猫ミア、財布を抜く瞬間》


 第4位

《封鎖部屋の月――ナギ・シグレの記録》


 第5位

《水路修理、なぜか泣ける》


 食堂が静まり返った。


 アルトは、しばらく通知を見つめていた。


 それから、静かに言った。


「なんで封鎖部屋より芋が上なんだよ!!」


 食堂が爆笑した。


『そこ!?』

『いや分かる』

『第1位、芋』

『ナギより芋』

『神界、終わってる』


「終わってるだろ!」


 アルトはテーブルを叩いた。


「昨日のあれ、相当重い話だったよな!? ナギの記録だぞ!? 帰還の謎だぞ!? ルナが自分の後悔を認めたんだぞ!?」


『それは重すぎて何回も見られない』

『芋は気軽に見られる』

『寝る前にちょうどいい』

『元気出る』


「俺の苦悩を栄養剤にするな!」


 ミナが困ったように笑う。


「でも……少し分かります」


「ミナ?」


「ナギさんの記録は、何度も見るには苦しいです。でも、芋の場面は……その、安心します」


「俺は安心を提供するために芋と戦ってるわけじゃない」


 ミアが腹を抱えて笑っている。


「いいじゃん。芋で一位。すごいよ」


「嬉しくない」


「じゃあ、《芋の一位》って呼ぶ?」


「呼ぶな」


 ガルムが真顔で言う。


「《芋の敗北者》よりはましだ」


「比較対象を出すな!」


 ガルドは静かに頷いた。


「芋で一位を取れるなら、食材を無駄にしない啓発としては悪くない」


「そういう真面目な角度で評価するな」


 マルタは大笑いしながら鍋をかき混ぜている。


「いいじゃないか。芋で客が来るなら、芋を増やすよ」


「やめろ。供給するな」


「今日の昼は芋だね」


「決定が早い!」


 通知はまだ消えない。


 アルトは第2位を見た。


《ルナ様「違います!!」まとめ・最新版》


「……で、これだ」


 銀色のコメントが、一拍遅れて流れた。


『違います』


『違います!!』


『これは違います!!』


「三段活用するな」


『まとめられるようなことではありません』


『切り抜きには文脈がありません』


『私はただ、誤解を訂正しているだけです』


 コメント欄が爆発する。


『出た』

『本家』

『違います三連発』

『かわいい』

『また素材増えた』


 ルナの銀色の文字が震える。


『素材ではありません!!』


 アルトは頭を抱えた。


「今ので最新版が更新されたぞ」


『違います!!!!』


 ミナが口元を押さえて震えている。


 ミアは完全に笑い転げている。


 ガルムでさえ肩が揺れていた。


 ガルドだけは無表情だったが、工具を拭く手が一瞬止まっていた。


 マルタが言う。


「月の神様も大変だねぇ」


 ルナの銀色コメントが少しだけ小さく流れる。


『大変です』


「自分で言うな」


 アルトはため息をつき、ランキング第3位を見る。


《市場の猫ミア、財布を抜く瞬間》


 ミアの耳がぴんと立った。


「私?」


「お前だな」


『ミアちゃんの手つき綺麗』

『スロー再生すごかった』

『盗みの瞬間、芸術』

『顔が良い』

『指先も良い』


 ミアの表情が固まった。


 笑いが、少しだけ消える。


「……顔は関係ないでしょ」


 小さな声だった。


 アルトはコメント欄を見る。


 流れは速い。


 褒めているのだろう。


 たぶん、悪意はない。


 でも、ミアの耳は伏せている。


 アルトは芋を皿に置いた。


「神々」


 コメント欄が少し止まる。


「ミアの盗みを褒めるな。あと顔だけで見るな」


『え』

『でも綺麗だったし』

『かわいいから』


「それだよ」


 アルトは低く言った。


「それが嫌なんだよ、こいつは」


 ミアが驚いたようにアルトを見る。


 アルトは続ける。


「褒めるなら、斥候として褒めろ。水路で足場を見たこととか、旧宿舎で床下を見つけたこととか、そういうやつだ」


 少し沈黙。


 それから、ぽつぽつとコメントが流れる。


『水路の足場確認、助かった』

『封鎖部屋の箱を見つけたのミアだもんな』

『斥候として有能』

『ミア、罠確認が早い』

『猫じゃなくて斥候として見ます』


 ミアは黙っていた。


 尻尾の先だけが、小さく揺れている。


「……別に」


 彼女はそっぽを向いた。


「そこまで言わなくてもいいのに」


「言わないと分からない奴らがいる」


「神様に説教する新人、ほんと変」


「よく言われる」


 ミアは干し果物の袋を取り出し、一つ口に入れた。


 今度は、少しだけ嬉しそうだった。


 ミナが静かに微笑む。


 ガルムも何も言わず頷いた。


 アルトは第4位へ視線を移す。


《封鎖部屋の月――ナギ・シグレの記録》


 そこで、食堂の空気が変わった。


 笑いの後に、静かな影が落ちる。


 アルトはその文字を見る。


 ナギ。


 昨日の手帳。


 月。


 ルナの沈黙。


 帰還門の声。


【おかえりなさい】


 コメント欄も、少しだけ流れが遅くなる。


『これは重かった』

『見返すのに覚悟いる』

『ナギ、どうなったんだろう』

『帰還って何なんだ』

『ルナ様……』


 ルナは何も言わない。


 アルトも、しばらく黙った。


 そして言う。


「これは切り抜きにするなとは言わない」


 ミナが少し驚いた顔をする。


「いいんですか?」


「ああ」


 アルトは保護箱の置かれた奥の倉庫の方を見る。


「あいつが残した記録だ。忘れられるよりは、見られた方がいいのかもしれない」


 少し間を置く。


「でも、面白がるな」


 コメント欄が止まる。


「ナギは見世物じゃない。ルナの後悔も、帰還の謎も、俺たちの餌じゃない」


 アルトは自分の言葉に、少しだけ苦笑した。


「まあ、俺も見た側だけどな」


 ガルムが言う。


「見ること自体が悪いわけじゃない」


 ガルドが続ける。


「どう見るかだ」


 ミナが頷く。


「ちゃんと見ること、ですよね」


 ミアがぼそりと言う。


「顔だけじゃなくて」


 マルタが鍋を置いた。


「食材も、人も、記録も、雑に扱うんじゃないよ」


 アルトは小さく笑った。


「結局、全部そこに戻るんだな」


「当たり前だよ」


 ルナの銀色コメントが、ようやく流れた。


『ありがとう』


「礼はナギに言え」


 少しだけ間があった。


『うん』


 それだけだった。


 アルトは第5位を見る。


《水路修理、なぜか泣ける》


「なぜかって何だよ」


 ガルドが眉をひそめる。


「水路修理は泣かせるためにやるものではない」


『ガルドさんの“必要な人だった”が刺さった』

『水が流れる音よかった』

『地味だけど残る仕事』

『ガルド切り抜きもっと欲しい』


 ガルドは空を睨んだ。


「いらん」


『欲しい』

『職人配信需要ある』

『作業音だけでいい』


「見るなとは言わん。騒ぐな」


 マルタが笑った。


「よかったじゃないか、ガルド。人気者だよ」


「最悪だ」


 アルトは思わず吹き出した。


「その気持ちは分かる」


 ガルドは短く言った。


「お前より分かっている」


「張り合うな」


 その時、さらに通知が開いた。


【神界話題タグ】


《#芋に敗北する男》

《#違いますは違わない》

《#財布を守れない前衛》

《#月は見送るだけじゃない》

《#赤猫亭組》


 アルトは無言になった。


 ミアが吹き出す。


「赤猫亭組だって」


「名前は決めないって言ったよな」


 ミナが困ったように笑う。


「でも、自然に呼ばれ始めていますね」


 ガルムが腕を組む。


「名称は勝手に定着する。止めるのは難しい」


「経験者の言葉が重いな」


「炎上名も勝手についた」


「それは嫌な実例だ」


 ミアがタグを指差す。


「財布を守れない前衛、けっこう好き」


「俺は嫌いだ」


 ルナのコメントが流れる。


『#月は見送るだけじゃない、は……』


「それは?」


『嫌いではありません』


 アルトは少しだけ目を細めた。


「そうか」


 そこには、少しだけ救いがあった。


 ナギの言葉が、違う形で誰かに残っている。


 軽く扱われる危険はある。


 それでも、完全に消えるよりはいいのかもしれない。


 難しい。


 見ることは、本当に難しい。


 ◇


 朝食が終わる頃には、赤猫亭の外が騒がしくなっていた。


 店の扉の前に、人が集まっている。


 現地の冒険者。


 低ランク配信者。


 ただの野次馬。


 誰かが小声で言う。


「ここにいるんだろ? 奈落新人」


「切り抜きで見た」


「ミアって猫獣人もいるらしいぞ」


「ルナ様の推しって本当か?」


「芋の人?」


 アルトは額を押さえた。


「最後のやつ誰だ」


 マルタが包丁を手に取る。


「追い払うかい」


「包丁で出るな。怖い」


「飯屋の女将に一番似合う武器だよ」


「武器じゃねぇよ」


 ガルムが窓の外を見る。


「注目が地上にも波及しているな」


「早くないか?」


「ヘルメス経由で神界切り抜きが地上にも流れる。配信者界隈は特に早い」


 ミアが尻尾を揺らす。


「名前売れたじゃん。仕事増えるよ」


「静かな朝が減る」


「静かな朝なんてあった?」


「なかったかもしれない」


 ミナが不安そうに扉の方を見る。


「大丈夫でしょうか」


「大丈夫じゃない気がする」


 その時、扉が勢いよく開いた。


 入ってきたのは、見覚えのあるヘルメスの若い職員だった。


 帰還者記録を調べた時に対応した職員だ。


 彼は息を切らし、アルトを見つけるなり叫んだ。


「アルトさん!」


「今度は何だ」


「大変です!」


「だいたい大変だよ、最近」


 職員は一枚の通知紙を差し出した。


「ヘルメス・ネットワークから正式通知です!」


 アルトは受け取る。


 そこには、整った文字でこう書かれていた。


【注目配信者認定のお知らせ】


《対象:アルト》

《現在順位:41位》

《直近話題性:急上昇》

《神界切り抜きランキング複数入賞》

《上位配信者からの接触可能性あり》


 アルトは嫌な予感を覚えた。


「上位配信者からの接触可能性?」


 職員は、さらに青ざめた顔で言った。


「すでに発生しています」


「誰だ」


 職員は唾を飲み込む。


 その瞬間、神界通知が開いた。


【剣聖レオンが、あなたの配信をフォローしました】


 食堂が止まった。


 コメント欄が一瞬で爆発する。


『レオン!?』

『1位のレオン!?』

『剣聖来た!』

『上位勢に見つかった』

『やばい』

『奈落新人、終わった? 始まった?』


 ガルムの表情が鋭くなる。


 ミナが杖を握る。


 ミアの耳が立つ。


 ガルドが工具を置く。


 マルタが包丁を下ろす。


 アルトは通知を見つめた。


 剣聖レオン。


 ランキング1位。


 上位配信者。


 名前だけは、何度か聞いている。


 その相手が、こちらを見た。


 アルトはしばらく黙っていた。


 そして、ぼそりと言った。


「……俺、芋で見つかったんじゃないだろうな」


 コメント欄が一斉に流れた。


『可能性ある』

『芋経由かも』

『レオン様も芋見た?』

『芋が世界を動かした』


「嫌すぎる!!」


 ルナの銀色コメントが、そっと流れた。


『違うと思います』


「思います、じゃなくて断言しろ!」


『……たぶん違います』


「弱い!」


 ミアが腹を抱えて笑う。


 ミナも笑ってしまっている。


 ガルムは真顔で言った。


「理由はともかく、見つかったのは事実だ」


「何にだよ」


「見られる者の世界に」


 その声は、妙に重かった。


 かつてそこで壊れかけた男の声だった。


 ガルドは何も言わず、工具を拭いている。


 ただ一度だけ、面倒な仕事が増えたと言いたげに鼻を鳴らした。


 アルトは通知を見る。


 剣聖レオンが、あなたの配信をフォローしました。


 これは物語じゃない。


 自分の現実だ。


 それでも、状況は動き始めている。


 帰還の謎。


 ナギの記録。


 神界の切り抜き。


 勝手に広がる名前。


 そして、ランキング1位の視線。


 アルトは深く息を吸った。


「……面倒くせぇ」


 マルタが笑った。


「飯、増やしとくよ」


「なんで」


「客が増えるからさ」


 アルトは窓の外を見る。


 赤猫亭の前には、さらに人が増えている。


 神々も見ている。


 地上の人間も見ている。


 もう、見られることから逃げる段階ではないのだろう。


 なら。


 アルトは小さく呟いた。


「票じゃなく、現場を見る」


 誰にも聞かせるつもりはなかった。


 だが、ルナの銀色コメントが静かに返る。


『見てる』


「見送るなよ」


『見送らない』


 それだけで、少しだけ息ができた。


 そして、通知はもう一つ開いた。


【剣聖レオンから、公開メッセージが届いています】


 食堂が、また止まった。


 アルトは顔をしかめる。


「……朝飯くらい、静かに食わせろよ」


 コメント欄が歓声で埋まる中、赤猫亭の朝は、最悪に騒がしくなっていった。


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