第24話 顔だけで選ばれる猫
西市場の空に、神界通知が浮かんでいた。
【神界アンケート予告】
《明日の配信で、視聴者参加型ミッションを実施します》
《提供:遊戯神トリックス》
その文字を見上げたまま、アルトはしばらく黙っていた。
市場の喧騒は戻っている。
果物屋の客引き。
串焼きの煙。
布屋の値引き交渉。
遠くで笑う子どもたち。
だが、頭の中には別の声が残っていた。
【さあ、遊ぼう】
軽い声だった。
悪意がない分、余計に腹が立つ。
「……遊びって言ったな、あいつ」
『遊戯神だからな』
『名前通り』
『トリックス様はだいたい悪趣味』
『でも盛り上がるんだよな』
「盛り上がれば何してもいいと思うなよ」
アルトが低く言うと、コメント欄が少しだけ静かになる。
ミナは不安そうに杖を握っていた。
「投票型干渉って……本当に現実に影響するんですか?」
ガルムが答える。
「する。俺も昔、一度だけ巻き込まれたことがある」
「どうなった」
アルトが聞くと、ガルムは嫌そうな顔をした。
「戦闘中に、支援物資を三択で選ばされた」
「便利そうじゃねぇか」
「一位が巨大な花束だった」
「なんでだよ!」
『映えたから』
『敵に投げつけたらウケた』
『あれは良い配信だった』
ガルムの眉間に皺が寄る。
「今、絶対ろくでもないことを言われただろ」
「だいたい合ってる」
「殺すぞ」
「俺を?」
「神を」
「気持ちは分かる」
その時、通知がまた光った。
【投票型干渉・事前告知】
《今回のテーマ》
《選ばれる者/選ばれない者》
アルトの表情が変わる。
「……なんだ、それ」
コメント欄がざわつく。
『テーマ出た』
『選ばれる者?』
『嫌な予感』
『トリックスっぽい』
次の瞬間。
市場の奥で悲鳴が上がった。
「魔物だ!」
「倉庫区から出たぞ!」
「誰か、止めろ!」
人波が揺れる。
西市場の奥、古い倉庫が並ぶ区画から、黒い影が飛び出してきた。
犬に似ている。
だが、身体は針金のように細く、背中から黒い棘が生えている。
一体ではない。
三体。
いや、五体。
「魔物が街中に出るのかよ!」
アルトが叫ぶ。
ガルムが腰の短剣に手をかける。
「普通は出ない。倉庫区の結界が破られたか」
ミナが青ざめる。
「人が……!」
逃げ遅れた人々がいた。
果物屋の老人。
荷物を抱えた少年。
そして。
屋根の上から降りようとしていた灰色の影。
ミアだった。
彼女は魔物を見て、舌打ちした。
「よりによって今?」
跳ぶ。
逃げようとした。
だが、足場にした屋根板が割れた。
「っ!」
ミアの身体が傾く。
下には魔物。
その瞬間、神界通知が開いた。
【視聴者参加型ミッション開始】
《救援対象を選択してください》
【A:果物屋の老人】
【B:荷運びの少年】
【C:市場の猫ミア】
《最多票の対象に、神界支援が付与されます》
「……は?」
アルトは固まった。
コメント欄が一気に流れ始める。
『来た』
『これか』
『誰を助けるか』
『三択!?』
『全員危ないぞ』
神界の票が動き出す。
【A:18%】
【B:22%】
【C:60%】
圧倒的に、ミア。
『ミアちゃん!』
『顔が良いからC』
『猫耳助けろ』
『美少女は守るべき』
『Cしかない』
ミアの耳がぴくりと動いた。
コメントは見えないはずだ。
聞こえないはずだ。
それでも、何かを感じ取ったのか、顔が強張った。
「……また、それ?」
小さな声。
市場の喧騒に消えそうな声だった。
アルトには聞こえた。
ミアは屋根の端に片手で掴まりながら、顔を歪める。
「どうせ、顔でしょ」
その言葉の直後。
魔物が跳んだ。
狙いは果物屋の老人。
老人は腰を抜かして動けない。
少年は荷物を抱えたまま転んでいる。
ミアも落ちかけている。
三方向。
一瞬で全部は無理だ。
ガルムが叫ぶ。
「アルト! 票を見ろ! 支援はミアに来る!」
「だから何だ!」
アルトは地面を蹴った。
ガルムの顔が変わる。
「おい、そっちは老人だ!」
「見りゃ分かる!」
『新人!?』
『Cが最多だぞ!』
『支援なしで行く気か?』
『無茶だろ』
「うるせぇ!」
アルトは果物屋へ向かって走った。
脇腹が痛む。
まだ傷は完全に治っていない。
だが、足は止めない。
魔物が老人へ飛びかかる。
「伏せろ!」
老人は動けない。
アルトは滑り込むように老人を突き飛ばした。
魔物の爪が肩を掠める。
「ぐっ!」
血が飛ぶ。
『当たった!』
『だから支援対象じゃないって!』
『何してんだ新人!』
「助ける相手を投票で決めんな!」
アルトは叫んだ。
そのまま魔物の胴へ蹴りを入れる。
浅い。
吹き飛ばせない。
ガルムが追いつき、短剣で魔物の首筋を斬った。
「相変わらず無茶をする!」
「投票に従う方が無茶だろ!」
「理屈は分かるが身体が持たん!」
ミナが杖を構えた。
「《ライトヒール》!」
アルトの肩に淡い光が届く。
しかし、ミナはすぐに少年の方を見る。
別の魔物が、少年へ迫っていた。
ミナの顔が青ざめる。
距離がある。
アルトは間に合わない。
ガルムも遠い。
その時、屋根の上から声がした。
「ちっ」
ミアだった。
彼女は自分に向かってくる神界支援の光を見た。
【最多票対象:C】
【市場の猫ミアに《跳躍補助》を付与】
ミアの足元に光が宿る。
彼女はそれを見て、笑った。
嫌そうに。
傷ついたように。
でも、笑った。
「はいはい。顔が良くてよかったね、あたし」
ミアは光を使って、自分を助けることもできた。
安全な屋根へ逃げることもできた。
だが。
彼女は逆方向へ跳んだ。
少年の方へ。
「伏せて!」
ミアの蹴りが、魔物の横腹に入った。
魔物が吹き飛ぶ。
少年が目を丸くする。
「お姉ちゃん……」
「お礼は金でいいよ」
いつもの軽口。
でも、声は少し震えていた。
『ミアちゃん!?』
『支援を他人救助に使った』
『え、かっこいい』
『顔だけじゃないじゃん』
ミアの耳が動く。
彼女は顔を歪めた。
「……だから、そういうのが嫌なんだって」
その時。
最後の一体が、ミアの背後へ回り込んだ。
「ミア!」
アルトが叫ぶ。
ミアは振り返る。
避けられない。
その瞬間、アルトの前に新しい通知が浮いた。
【追加投票が発生しました】
《次の支援対象を選択してください》
【A:アルト】
【B:ミナ】
【C:ミア】
票が走る。
【C:74%】
『ミアちゃん守れ!』
『今度こそC』
『顔が良いから死なせるな』
『猫耳は保護対象』
アルトの目が冷えた。
「またかよ」
ガルムが低く言う。
「アルト、今度は従え。支援が来る」
「ミアにか?」
「ああ」
「で、あいつはまた顔で選ばれたと思う」
ガルムは黙った。
ミアの表情は、遠くからでも分かった。
助かる可能性が高い。
なのに、泣きそうな顔をしている。
アルトは拳を握る。
「ミナ!」
「はい!」
「あいつを守れるか?」
「距離が……でも、やります!」
「ガルム!」
「分かってる!」
アルトは走った。
投票結果とは逆に。
神界支援がミアへ降るより先に、アルトは魔物へ突っ込んだ。
『新人!?』
『支援待てよ!』
『Cで決まったぞ!』
『票を無視するな!』
「票じゃねぇ!」
アルトは叫ぶ。
「俺が決める!」
魔物の爪が迫る。
【《危機察知》発動】
死角。
右下。
避ける。
避けきれない。
爪が腕を裂いた。
「ぐっ……!」
だが、止まらない。
アルトは魔物の身体に体当たりした。
勢いで魔物がずれる。
ミアの首筋を狙っていた牙が空を切る。
ガルムの短剣が、その横から入った。
「遅い!」
「怪我人に言うな!」
ミナの魔法が届く。
「《フェザー・ステップ》!」
アルトとガルムの足が軽くなる。
二人は同時に踏み込み、魔物を市場の石壁へ叩きつけた。
骨の折れる音。
魔物が崩れ落ちる。
残りの魔物たちも、市場の警備兵が駆けつけて押さえ始めていた。
戦闘は終わった。
だが、空気は重い。
神界通知が静かに浮かんでいた。
【投票結果】
【最多票:C/市場の猫ミア】
【支援付与:未使用】
【判定:対象外行動により干渉不成立】
その下に、軽い声が流れる。
【おや?】
【思ったより、つまらない選び方をするね】
遊戯神トリックス。
アルトは空を睨んだ。
「お前にとってはな」
【票は神々の総意だよ?】
「知らねぇ」
【選ばれた者を助ける。それが遊びの規則だ】
「人助けを遊びにすんな」
コメント欄が少し静かになる。
トリックスの声は楽しそうだった。
【でも、彼女は選ばれた】
【嬉しいはずだよ】
【たくさんの神が、彼女を見た】
ミアの肩が震えた。
彼女は俯いている。
表情は見えない。
アルトは一歩、彼女の前へ出た。
「見ただけだろ」
【何?】
「顔を見て、猫耳を見て、面白がって、票を入れただけだろ」
アルトの声は低かった。
「それを選んだって言うな」
ミアが顔を上げた。
金色の瞳が揺れている。
「……なんで」
小さく言う。
「なんで、怒ってるの」
「腹立ったから」
「私、助かったじゃん」
「助かってねぇ顔してた」
ミアは言葉に詰まった。
アルトは続ける。
「票で選ばれるのと、ちゃんと見るのは違うだろ」
市場のざわめきが止まる。
神界コメントも、ほとんど流れない。
「お前が盗人なのも、口が悪いのも、金に汚いのも、逃げ足が速いのも、顔を見られるのが嫌なのも」
「……」
「俺はまだ、全部は知らねぇ」
アルトはまっすぐ言った。
「だから、顔だけで助ける相手を決める気はない」
ミアは笑おうとした。
いつものように。
軽く。
茶化すように。
だが、うまく笑えなかった。
「……変な人」
「よく言われる」
「普通、助けられたら喜ぶでしょ」
「普通ができるなら苦労してねぇ」
ミアの耳が少し伏せる。
「私ね」
声が小さくなる。
「昔、拾われたことがあるんだ」
アルトは黙る。
ミナも、ガルムも。
誰も口を挟まなかった。
「顔が良いから、店に立てば客が来るって。猫獣人は珍しいからって。笑ってれば食わせてやるって」
ミアは笑った。
今度は、かなり下手な笑いだった。
「で、飽きたら捨てられた」
市場の風が吹く。
屋台の布が揺れる。
「次の店でも同じ。次の客も同じ。かわいい、綺麗、珍しい。そう言って近づいて、飽きたらいなくなる」
ミアは自分の髪を指でつまむ。
「だから盗った。先に取れば、捨てられる前に逃げられるから」
アルトは何も言えなかった。
コメント欄も静かだった。
ほんの少しだけ、流れる。
『……』
『ごめん』
『そういうつもりじゃ』
ミアの耳が動く。
「それも嫌」
彼女は言った。
「謝られるのも嫌。かわいそうって見られるのも嫌」
そして、アルトを見る。
「あんたも、そういう目で見る?」
「見ねぇよ」
「なんで」
「俺も見られるの嫌いだから」
ミアは瞬きをした。
アルトは肩の血を押さえながら言う。
「見られたい時に見られなくて、見られたくない時に見られる。だいたい腹立つ」
ミアは少しだけ黙る。
それから、ほんの少し笑った。
「……それ、ちょっと分かる」
「だろ」
その時、トリックスの声がまた流れた。
【つまらないなぁ】
【せっかく票を集めたのに、感動的な救出劇にならなかった】
アルトは空を睨む。
「お前、まだいたのか」
【いるよ。遊びは最後まで見る主義だからね】
「なら覚えとけ」
【何を?】
「俺は、お前らの票で動かない」
アルトは言った。
「誰を助けるかは、俺が決める」
トリックスは少し黙った。
そして、楽しそうに笑った。
【いいね】
【それはそれで、遊び甲斐がある】
通知が消える。
市場の空が元に戻る。
アルトは大きく息を吐いた。
「……ろくな神がいねぇ」
『否定しきれない』
『すみません』
『でも新人、かっこよかったぞ』
「褒めても何も出ねぇ」
ミナが駆け寄ってくる。
「アルトさん、腕を見せてください!」
「浅い」
「浅くないです!」
「はい」
ミナに怒られ、アルトは素直に腕を出す。
ミナの回復魔法が淡く光る。
その横で、ミアがじっと見ていた。
逃げない。
軽口も言わない。
ただ、見ている。
やがて彼女は、ぽつりと言った。
「……仕事」
「あ?」
「さっき、仕事があったら呼んでって言ったでしょ」
「ああ」
「一回だけ、安くしてあげる」
「金取るのかよ」
「当然」
少しだけ、いつもの笑い方に戻っていた。
でも、完全には戻っていない。
その奥に、まだ何かが残っている。
「ただし」
ミアはアルトを指差す。
「顔で選んだとか、かわいいから助けたとか言ったら、財布三回抜く」
「一回でもやめろ」
「じゃあ二回」
「減らし方が小さい」
ガルムが腕を組む。
「どうする、アルト」
「どうするって?」
「斥候は必要だ」
「財布の安全は?」
「諦めろ」
「諦めたくねぇ」
ミナが小さく笑った。
「でも、ミアさんがいてくれたら、助かると思います」
ミアは少しだけ目を逸らした。
「さん付けしなくていい。むずむずする」
「じゃあ、ミアちゃん」
「それもむずむずする」
「ミア」
「……それでいい」
アルトはミアを見る。
「一回だけだぞ」
「うん」
「財布は抜くな」
「努力する」
「約束しろ」
「努力する」
「おい」
ミアは笑った。
今度は少しだけ、さっきより自然だった。
【臨時同行者が追加されました】
《市場の猫ミア》
【役割:斥候/罠抜け/逃走支援】
【注意:財布管理を徹底してください】
「最後いる!?」
『いる』
『重要』
『最重要項目』
ミアは空を見上げる。
「何それ。なんか腹立つ」
「だいたい合ってるから気にするな」
「気にするよ」
その時、ミアがふと市場の奥を見た。
先ほどの果物屋の老人が、少し離れた場所に立っていた。
老人はミアを見て、何かを言いかけた。
だが、結局何も言わず、果物を一つ、台の端に置いた。
ミアはそれを見る。
しばらく見ている。
「……なにそれ」
老人は顔を逸らす。
「傷物だ。売り物にならん」
「嘘つき」
「うるさい。いらんなら捨てる」
ミアは少し迷った。
それから、そっと果物を取る。
「……いくら?」
「いらん」
「借りは嫌い」
「じゃあ、今度払え」
ミアは果物を手の中で転がす。
そして、小さく言った。
「……今度ね」
アルトは何も言わなかった。
ミナも。
ガルムも。
市場は少しずつ、いつもの騒がしさを取り戻していく。
神々の視線はまだある。
現地の視線もある。
顔を見る目。
値踏みする目。
面白がる目。
それでも、その中に一つだけ、違うものが混ざった気がした。
アルトは空を見上げる。
トリックスの通知はもうない。
だが、どこかで笑っている気配は残っている。
「……勝った気はしねぇな」
ガルムが言う。
「神相手に勝った負けを考えるな」
「じゃあ何だ」
ミアが果物をかじりながら言った。
「嫌がらせには、嫌がらせで返せばいいんじゃない?」
「盗賊の発想だな」
「生き残る発想だよ」
アルトは少しだけ笑った。
「悪くない」
ミアが目を丸くする。
「本気?」
「半分」
「半分は?」
「不安」
「正直」
『新メンバー感』
『顔だけじゃない』
『ミア、いいぞ』
『財布は守れ』
アルトは財布を握りしめる。
「そこだけは絶対守る」
ミナが笑う。
ガルムが呆れる。
ミアが果物をかじる。
市場の空は、まだ少し騒がしい。
だが、さっきよりは息がしやすかった。
その時、銀色のコメントが流れた。
『よかった』
ルナだった。
アルトは空を見る。
「何がだよ」
『あなたが、投票に従わなかったこと』
「当たり前だろ」
『うん』
短い返事。
でも、少しだけ安心したように見えた。
その直後。
黒いコメントが、ほんの一瞬だけ流れる。
【選択は、観測を変える】
オルフェウス。
アルトは眉をひそめた。
「また出たよ」
だが、それ以上の文字は流れなかった。
代わりに、遠くの巨大スクリーンが切り替わる。
【神界ランキング速報】
《アルト》
《42位 → 41位》
「……上がった」
ガルムが目を細める。
「投票に従わなかったのに、上がったか」
ミナが言う。
「神様たちが、見ていたから……?」
ミアが果物をかじりながら呟く。
「変なの」
アルトはスクリーンを見上げる。
ランキングが上がった。
帰還に、また一歩近づいた。
でも、胸の中には別の感覚があった。
票に従わず、自分で選んだ。
それでも観測された。
それでも順位は上がった。
なら。
「……数字って、ほんと面倒くせぇな」
アルトは呟く。
その言葉は、誰にも否定されなかった。




