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第17話 神々よ、賭けろ

 第二層の主が、目覚めた。


 バルゴラの中央頭は砕けたはずだった。


 アルトの拳は確かに入った。


 グラムの剛腕。


 ルナの月光加速。


 ミナの支援。


 全部乗せた一撃だった。


 なのに。


 崩れ落ちた中央頭の奥で、巨大な赤い目が開いている。


 ひとつ。


 ただ、ひとつ。


 けれど、その目に見られた瞬間、アルトの背中に冷たい汗が流れた。


「……おい」


 アルトは拳を下ろしたまま、引きつった笑みを浮かべる。


「普通、頭砕いたら終わりだろ」


『普通はな』

『でもここ第二層主だから』

『深層核が本体だ』

『新人、よくここまで削った』


「褒めるなら勝てる情報もくれ!」


 バルゴラの身体が歪む。


 三つの頭のうち、中央頭は砕けている。


 だが、その奥の赤い核が脈動するたび、右の骨頭と左の人面頭が不気味に震えた。


 肉が盛り上がる。


 骨が鳴る。


 黒い霧が、傷口から漏れ出す。


【奈落三頭獣バルゴラ】

【深層核、覚醒】


 表示が変わる。


【討伐条件:深層核の破壊】


「最初から言えぇぇぇ!!」


『今出た』

『深層核は観測されないと開かない』

『つまり今がチャンス』


「いや説明が怖いんだよ!」


 ミナが息を呑む。


「深層核……」


「知ってるのか?」


 アルトが振り向くと、ミナは青ざめた顔で頷いた。


「高位の奈落種が持つ中枢です。普通の攻撃は通りません」


「じゃあどうする?」


「……分かりません」


「よし、正直!」


『ミナちゃん正直で偉い』

『でも状況は最悪』

『詰み寄り』


「寄るな! 詰みに寄るな!」


 その瞬間。


 バルゴラの右の骨頭が口を開いた。


 音が消えた。


 いや。


 音を吸われた。


「――っ!?」


 アルトの身体が硬直する。


 心臓を直接掴まれたような感覚。


 呼吸が止まる。


 視界が暗くなる。


『死気だ』

『まずい』

『動けなくなるぞ』


 アルトは歯を食いしばる。


 動け。


 動け。


 ミナが後ろにいる。


 今、止まったら。


 その時。


 骨頭が動いた。


 牙が迫る。


 避けられない。


「アルトさん!!」


 ミナの声が遠くで聞こえた。


 次の瞬間。


【死神ネクロが投げ銭しました】


【30,000神貨】


 黒い花びらのような光が、アルトの周囲に舞った。


『ネクロ!?』

『死神が動いた』

『珍しすぎる』


 ネクロのコメントが、静かに流れる。


『死は美しい。ですが――』


『幕を下ろすには、まだ少し早い』


【《死線歩行》を一時付与】


 アルトの視界が、白く開いた。


 迫る牙。


 骨の軋み。


 自分の心音。


 ミナの息遣い。


 全部が、やけに鮮明に聞こえる。


 死ぬ寸前の一秒が、伸びた。


「っ、があああっ!!」


 アルトは無理やり身体をひねった。


 骨頭の牙が肩を掠める。


 血が飛ぶ。


 だが、直撃は避けた。


『避けた!?』

『今の無理だろ』

『死線歩行、えぐい』


「ありがたいけど名前が縁起悪すぎる!!」


 アルトは転がって距離を取る。


 だが、身体が重い。


 《死線歩行》は強い。


 強いが、嫌な感覚だった。


 死に近づくほど、身体が研ぎ澄まされる。


 つまり。


 安全圏では使えない。


「趣味悪い加護だな……!」


『褒め言葉として受け取ります』


「褒めてねぇ!!」


 バルゴラが再び咆哮する。


 左の人面頭が笑った。


 泣きながら。


 笑いながら。


 その口から、無数の声が漏れる。


 ――逃げろ。


 ――無駄だ。


 ――お前では無理だ。


 ――見られているぞ。


 ――失敗するぞ。


 ミナの肩が震えた。


「や、やめて……」


 声が、彼女に向かっている。


 アルトではない。


 ミナを狙っている。


『精神干渉』

『ミナちゃんに刺さる』

『まずい』


 ミナの顔が青ざめる。


 杖を握る手が震えていた。


「私……また……」


 アルトは振り返った。


「ミナ!」


 ミナは震えていた。


 目が泳いでいる。


 彼女の背後に、過去の何かが見える気がした。


 たくさんの視線。


 嘲笑。


 失敗。


 誰かの落胆。


 それを、まだ語らなくていい。


 でも。


 それがあるから、今のミナは怖がっている。


 バルゴラの人面頭がさらに笑う。


 ――また見られている。


 ――また失敗する。


 ――また誰かを失望させる。


 ミナの膝が崩れかけた。


「ミナ!!」


 アルトが叫ぶ。


「見るな、あいつを!」


「で、でも……声が……」


「俺を見ろ!」


 ミナが顔を上げる。


 アルトは血まみれだった。


 肩も裂けている。


 頬も切れている。


 足も震えている。


 それでも立っていた。


「俺も怖い!」


 アルトは叫んだ。


「めちゃくちゃ怖い! 正直帰りたい! 今すぐ布団に入りたい!」


『急に生活感』

『布団は分かる』

『新人、緊張感返せ』


「でもな!」


 アルトはバルゴラを睨んだ。


「今、お前が止まったら俺が死ぬ!」


 ミナの目が見開かれる。


「だから頼む!」


 アルトは笑った。


「見られててもいい。震えててもいい。失敗してもいい」


 息を吸う。


「俺を助けてくれ」


 その瞬間。


 コメント欄が止まった。


 ミナは杖を握りしめた。


 手はまだ震えている。


 でも。


 逃げてはいない。


「……私」


 小さな声。


「見られるのが、ずっと怖かったんです」


 その声は震えていた。


 けれど、まっすぐだった。


「失敗したら、笑われるから。役に立てなかったら、捨てられるから。誰かの期待に応えられなかったら……私は、ここにいてはいけない気がして」


 アルトは黙って聞いた。


 ミナの足元に、淡い光が集まり始める。


「でも」


 彼女は顔を上げた。


 神々が見ている。


 コメント欄が見ている。


 観測神が見ている。


 それでも。


「今は、見られてもいいです」


 ミナの魔法陣が広がる。


「笑われてもいいです」


 光が強くなる。


「失敗しても、怖くても、震えていても」


 ミナは、アルトを見た。


「私は、この人を死なせません」


 その瞬間。


回復術式ライトヒールが変質しました】


【《共鳴治癒》を獲得しました】


『うお』

『ミナちゃん覚醒』

『支援職の覚醒だ』


 ミナの魔法が、アルトに届いた。


 温かい。


 でも、いつもの回復とは違った。


 痛みが消えるわけではない。


 恐怖がなくなるわけでもない。


 ただ。


 ミナが、そこにいる。


 自分の痛みを、少しだけ一緒に背負ってくれている。


「……お前」


 アルトは目を見開く。


 ミナの顔が苦痛に歪む。


「だ、大丈夫です……!」


「大丈夫じゃねぇ顔してんだよ!」


「でも、動けますよね?」


 ミナは涙目で笑った。


「なら、十分です」


 アルトは一瞬だけ言葉を失った。


『ミナちゃん……』

『これは推す』

『支援職の鑑』


 その時。


 黒いコメントが流れた。


【良いですね】

【誰かの痛みを分け合う】

【実に美しい】


 アルトの目が冷える。


「黙って見てろ、オルフェウス」


 バルゴラが突っ込んでくる。


 深層核が赤く光る。


 アルトは構える。


 死線歩行。


 月光加速。


 剛腕。


 共鳴治癒。


 全部ある。


 でも、それでも足りない。


 深層核まで届かない。


 硬すぎる。


 遠すぎる。


 守りが厚すぎる。


『火力が足りない』

『核まで通らない』

『もう一押し必要』


 アルトはコメント欄を見る。


 神々が見ている。


 さっきは、グラムとルナが賭けた。


 ネクロも動いた。


 でも、まだ足りない。


 なら。


「なあ」


 アルトは、ゆっくり笑った。


「まだ見てるだけの神、いるよな?」


 コメント欄が揺れる。


『え』

『また煽る?』

『新人、味しめたな』


「違う」


 アルトは首を振った。


「俺だけじゃ届かない」


 拳を握る。


「グラムだけでも、ルナだけでも、ネクロだけでも足りない」


 バルゴラが迫る。


 時間がない。


 それでもアルトは叫んだ。


「見てるだけなら、観客だ」


 コメント欄が止まる。


「でも賭けるなら、共犯だろ!!」


 アルトは神々へ向けて吠えた。


「俺を見世物にしたいなら、最後まで責任取れ!」


 静寂。


 ほんの一瞬。


 世界が止まった。


 そして。


【1神貨】


 小さな通知が流れた。


 続いて。


【3神貨】


【5神貨】


【1神貨】


【10神貨】


【2神貨】


 ぽつり。


 ぽつり。


 雨粒のように、投げ銭が降り始める。


『少ないけど投げる』

『新人、死ぬな』

『ミナちゃんも生きろ』

『見たいんだよ、続きが』


 その数が増える。


【1神貨】

【1神貨】

【5神貨】

【8神貨】

【10神貨】

【3神貨】

【1神貨】


 やがて、それは雨になった。


 光の雨。


 小さな神貨が、星のように降り注ぐ。


【集合投げ銭が一定値を超えました】


【群星加護、発動】


 アルトとミナの周囲に、無数の小さな光が灯る。


 ひとつひとつは小さい。


 グラムの剛腕ほど強くない。


 ルナの月光ほど眩しくない。


 ネクロの死線ほど鋭くない。


 でも。


 たくさんあった。


 数え切れないほど。


『いけ』

『生きろ』

『殴れ』

『帰れ』

『でもちょっと残れ』

『ミナちゃん泣くな』

『新人、見せろ』


 アルトは息を呑んだ。


「……なんだよ」


 口元が緩む。


「結構いるじゃねぇか」


 バルゴラが迫る。


 深層核が赤く光る。


 アルトは地面を蹴った。


「ミナ!」


「はい!」


「全部、乗せる!」


「分かりました!」


 ミナの《共鳴治癒》が強くなる。


 痛みがある。


 恐怖もある。


 でも、折れない。


 光の雨がアルトの腕に集まる。


 グラムの剛腕が骨を軋ませる。


 ルナの月光加速が足を押す。


 ネクロの死線歩行が、死の一歩手前で道を示す。


 群星加護が、それらを繋ぐ。


 バルゴラの爪が迫る。


 アルトは避けない。


 ぎりぎりまで引きつける。


『新人!?』

『避けろ!』

『いや狙ってる』


 死線歩行。


 世界が遅くなる。


 爪の軌道が見える。


 深層核の鼓動が見える。


 ほんの一瞬だけ、核を覆う肉が開く。


 そこ。


「今だ!!」


 アルトは踏み込んだ。


 爪が脇腹を裂く。


 血が飛ぶ。


 ミナが苦痛に息を詰める。


 でも、魔法を切らさない。


「いってください!!」


 その声が背中を押した。


 アルトは、拳を突き出す。


 深層核へ。


 赤い目が、アルトを見た。


 見られている。


 全部。


 恐怖も。


 痛みも。


 怒りも。


 帰りたい願いも。


 誰かを守りたい気持ちも。


 全部。


「見てろ」


 アルトは言った。


「これが俺の人生だ」


 拳が、深層核に届いた。


 轟音。


 赤い光が砕ける。


 第二層全体が震えた。


 バルゴラの三つの頭が、同時に叫ぶ。


 獣の咆哮。


 骨の悲鳴。


 人の泣き声。


 すべてが重なって。


 そして、消えた。


 巨体が崩れる。


 黒い霧が晴れていく。


 アルトはその場に膝をついた。


「……っ、はぁ……はぁ……」


 拳から血が滴っている。


 脇腹も痛い。


 肩も痛い。


 全身が痛い。


 でも。


 生きている。


 ミナが駆け寄ってくる。


「アルトさん!」


「……生きてる」


 アルトは小さく笑った。


「たぶん」


「たぶんじゃ困ります!」


 ミナが泣きながら回復魔法をかける。


 コメント欄は、しばらく何も流れなかった。


 本当に。


 完全に。


 神々が、言葉を失っていた。


 やがて。


 ひとつだけ、コメントが流れた。


『……見ていて良かった』


 それをきっかけに。


 コメント欄が爆発した。


『うおおおおおおお!!』

『第二層主撃破!!』

『新人やりやがった!!』

『ミナちゃん最高!!』

『群星加護、鳥肌立った』

『これは忘れられない』


【奈落三頭獣バルゴラ 討伐成功】


【第二層主撃破】


【特別配信:第一条件達成】


 アルトは仰向けに倒れた。


「……第一条件?」


『あ』

『まだある?』

『観測神さぁ』


「やっぱりクレーム入れる……」


 黒いコメントが、静かに流れる。


【素晴らしい観測でした】


 アルトは空を睨む。


「お前のためじゃねぇよ」


【ええ】

【だからこそ、美しい】


 その言葉に、アルトは舌打ちした。


 その時。


 銀色のコメントが、そっと流れた。


『……名前』


「え?」


『さっき、名前で呼んだ』


 ルナだった。


 アルトは数秒考えて、思い出す。


 そういえば。


 障壁で助けられた時、確かに呼んだ。


「……いや、あれは勢いで」


『勢いでも、呼んだ』


『呼んだ!!』


「二回言うな!」


 コメント欄が一気に湧く。


『ルナ様かわいい』

『そこ回収するのか』

『戦闘後にそれ言う!?』


『大事です!!』


 アルトは疲れ切った顔で空を見た。


「神様って、もっとこう……威厳とかないのか?」


『あります!!』


「ないだろ」


 ミナが泣きながら、少しだけ笑った。


 その瞬間。


 新しい通知が表示される。


【神界ランキング更新】


《アルト》

《圏外 → 42位》


 アルトは目を見開いた。


「……42位」


『うおおおお!!』

『一気に来た!!』

『帰還圏内!!』

『新人、マジで伝説になるぞ』


 帰還圏内。


 その言葉が、胸に刺さる。


 帰れる。


 もしかしたら、本当に。


 アルトは拳を握りしめた。


 だが。


 その直後。


 黒いコメントが流れる。


【おめでとうございます】


【帰還に一歩、近づきましたね】


 祝福の言葉のはずだった。


 なのに。


 アルトにはそれが、ひどく冷たく聞こえた。


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