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第133話 三日目の子ども

 少年の喉を狙い、白い天井から細長い杭が落ちてきた。


 レオンが踏み込むより早く、床に横たわっていた男が身体を投げ出す。


「レオン、伏せろ!」


 掠れた叫びと同時に、男の肩が少年を椅子ごと押し倒した。白い杭は二人のすぐ脇へ突き刺さり、硬い床を深く割ると、根元から細い枝を何本も伸ばして、倒れた男の腕と足へ絡みついた。


「ナギ!」


 もう一人、目を開けた女が起き上がろうとする。


 だが、上半身を少し持ち上げただけで、胸元を覆っていた白い粉が板のように固まり、彼女を床へ押し戻した。両手首にも白い輪が現れ、腕を広げた姿勢で固定される。


「シグレ、動くな!」


「動かなきゃ、この子が!」


「俺がいる!」


「二十二年遅い!」


 男――ナギは、白い枝に締め上げられながらも少年の前へ身体を入れた。


 少年は倒れた椅子の陰で短い剣を抱え、床へ座り込んでいる。驚いてはいたが、泣いていない。助けに飛び込んだナギを見つめ、それから少し離れた場所に立つ大人のレオンへ目を向けた。


「同じ顔が二つある」


 少年が言った。


 次の杭が落ちる。


「レオン!」


 アルトの声に、大人のレオンが剣を抜いた。


 頭上から迫る杭へ正面から刃を当てず、斜め下から切っ先を滑らせる。白い先端が横へ逸れ、床へ突き刺さる寸前、ガルムが両腕で柄を掴んだ。


「折るぞ!」


「待ってください!」


 ルナが制止する。


 しかし、ガルムはすでに杭を引き倒していた。白い棒が大きくしなり、床との接続部分へ亀裂が走る。ガルドが木槌を振り下ろし、同じ場所へ二度打ち込んだ。


 かん。


 かん。


 三度目で杭が折れる。


 床へ落ちた白い棒は液体のように崩れ、ナギを縛っていた枝の一部も力を失った。


「折って正解だったじゃないか」


 アルトが言う。


「一本だけならです!」


 ルナは広間を見回した。


 白い床の四隅が盛り上がっている。


 東西南北に一本ずつ。


 先ほどのものより太い杭が床を突き破って伸び、先端から何十本もの白い線を放った。線はナギとシグレだけではなく、少年の椅子、傷のある机、水桶、四脚の椅子へも絡みつき、赤紐の結び目を探すように表面を這っていく。


「四本すべてが固定杭です!」


「何を固定してる!」


「人と場所を分けています!」


 ルナは床へ膝をつき、白い線へ触れた。


 指先へ文字が浮かぶ。


【到達者】


【同行者】


【待機者】


【外部持込物】


「人は人、物は物、待つ者は待つ者として、別々の処理位置へ戻そうとしています。このままでは、机を置いても同じ場所として認識されません!」


「なら四本壊す!」


 アルトが叫ぶ。


「壊す順番があります!」


「先に言え!」


「北、東、南、西です! 間違えると、拘束が一人へ集中します!」


 広間の北がどちらか分からない。


 壁も窓も、空の色さえない。


「北は!」


 ブルーノが記録端末を開く。


 表示が一度回転したあと、机を基準に方角を固定した。


「ナギさんの頭側が北です!」


「全員、聞いたな!」


 アルトが短剣を抜く。


「ガルムとガルドは北! レオンは東! 俺は南へ行く! ミナとルナは二人を診ろ! ブルーノは順番を叫べ! ミアとマルタは机を守れ!」


「西は誰が壊すんだい」


 マルタが小鍋を抱えたまま尋ねた。


「北を壊した組が回る!」


「時間がかかるね」


「何かあるのか」


「鉄匙ならあるよ」


 マルタは小鍋をミアへ渡し、大きな鉄匙を肩へ担いだ。


「西は私がやる」


「一人で杭を?」


「店の物を勝手に縛った分は、私が返す」


「戦えるのか」


「鍋底の焦げは、これで落としてる」


「杭と焦げは違うぞ!」


「叩けば分かるよ」


 白い線が机の脚へ巻きついた。


 赤紐の一本が引かれ、結び目がほどけかける。


「来る!」


 ミアが机の脚を抱える。


 床から白い甲冑が立ち上がった。


 先ほどの道で襲ってきたものと同じ形だが、今度の個体は槍を持っていない。代わりに両手の指が細長く伸び、糸を切るための鋏のように開閉している。


 一体。


 二体。


 机の周囲だけで六体。


 さらに、ナギとシグレのそばにも四体ずつ現れた。


「杭だけじゃないぞ!」


 アルトが叫ぶ。


「人間を先に止めます!」


 ブルーノの声が返る。


「白い甲冑は赤紐を切る個体と、拘束対象を戻す個体に分かれています!」


「見れば分かる!」


「分かったことを共有しています!」


「そのまま続けろ!」


 レオンは東の杭へ走る。


 途中、少年の前へ白い甲冑が一体割り込んだ。


 細長い指を短い剣へ伸ばす。


 少年は剣を抜こうとしたが、鞘の先が椅子の脚へ引っかかり、抜けない。


「その剣に触るな!」


 レオンが甲冑へ体当たりした。


 白い身体が横へずれる。


 剣を大きく振れば少年まで巻き込む距離だったため、レオンは敵の肘を左手で押さえ、刃の根元を脇の継ぎ目へ差し込む。捻り上げると片腕が外れたが、甲冑は残った手でレオンの顔を掴もうとした。


 少年が短い剣を鞘ごと振る。


 こつん。


 白い指へ当たった。


 威力はない。


 それでも甲冑の注意が一瞬だけ少年へ移る。


 レオンは敵の腰を蹴り、広間の中央へ押し出すと、首の付け根へ剣を振り下ろした。


 白い板が割れる。


 内部の巻物が露出する。


「少年、下がってください!」


「少年じゃない」


「では、何と」


「レオン」


 大人のレオンの動きが止まりかける。


 すぐに剣を返し、巻物を切断した。


「レオンは私です」


「ぼくもだよ」


「分かっています」


「分かってない顔」


「今は戦ってください!」


「ぼく、剣の続き知らない」


「私も知りません!」


 少年は少し驚き、それから短い剣を握り直した。


「じゃあ、一緒だ」


 白い線が椅子の脚へ絡み、少年ごと北側へ引いた。


「椅子を離してください!」


「嫌だ!」


「なぜ!」


「ここで待つって言われた!」


 少年は座面へ片腕を回す。


「三日、待った。だから、ここにいないと駄目!」


「もう待たなくていい!」


「まだ二人が帰ってない!」


 大人のレオンは答えられなかった。


 二人は目の前にいる。


 だが、まだ拘束されている。


 迎えに来たとは言えても、帰ってきたとは言えない。


 白い線が強く引かれる。


 少年の身体が椅子ごと床を滑った。


「椅子を外します! 受けられる方!」


 レオンが叫ぶ。


「受ける!」


 ガルムの声が遠くから返る。


「こっちは北だ! 持ってこい!」


「少年ごとです!」


「二人で運べ!」


 レオンは椅子の背板を掴む。


 少年も座面へしがみつく。


 二人で白い線に逆らいながら北へ進み始めた。


 その頃、アルトは南の杭を守る二体の甲冑と向き合っていた。


 一体は両腕を広げて杭の前へ立ち、もう一体は白い線を手繰り寄せ、机を南側へ引こうとしている。短剣一本では太い杭を折り切れず、先に甲冑を排除する必要があった。


 アルトは正面の個体へ走ると見せ、三歩目で急に腰を落とした。


 甲冑の腕が頭上を通る。


 白い板の下を滑り込み、背後へ抜ける。


 すぐに振り向かず、杭へ絡んでいる線を一本だけ短剣で切った。


 その瞬間、シグレの身体が大きく跳ねた。


「切るな!」


 ナギの叫び。


 白い線一本がシグレの右手首へ集まり、輪を締め上げている。皮膚が白く変わり、指先から血の色が失われていく。


「普通に切ったら駄目なのか!」


「固定杭を先に!」


 ルナがシグレの手を押さえる。


「線だけ切ると、残った線へ荷重が移ります!」


「それも先に言え!」


「今、分かりました!」


 甲冑が背後からアルトへ腕を振り下ろす。


 アルトは横へ転がり、白い拳を避けた。拳は床を砕き、細かい破片を撒き散らす。


 起き上がる前に、もう一体が足首を掴む。


 引かれる。


 アルトは短剣を床へ突き立てたが、白い表面へ浅い傷しか入らず、身体は南の杭へ向かって滑り続ける。


「アルト!」


 ミアが机の陰から飛び出そうとする。


「来るな!」


 アルトは片脚を掴まれたまま身体を捻り、自由な足で甲冑の手首を蹴った。


 一度。


 外れない。


 二度。


 白い指に亀裂が走る。


 三度目で指が一本折れた。


 掴む力が僅かに弱くなったところで、アルトは上半身を起こし、短剣を甲冑の手の甲へ突き立てる。刃を横へ引くと、二本目、三本目の指が外れ、ようやく足が抜けた。


「ガルム!」


 北側からガルドの声が響く。


「上へ持ち上げろ!」


 ガルムは北の杭へ両腕を回し、腰を落とした。


 杭は人の胴より太く、床の奥深くまで続いている。単純に引くだけでは動かないため、ガルドが根元へ楔を三本打ち込み、木槌で順に叩いて隙間を作っていた。


 かん。


 右。


 かん。


 左。


 かん。


 手前。


「今だ!」


 ガルムの脚へ筋肉が浮かぶ。


 背中が大きく盛り上がり、両足の下で白い床が砕けた。


 杭が僅かに浮く。


「まだだ!」


 ガルドが楔をさらに奥へ叩き込む。


 北の杭から伸びていた線が激しく揺れ、ナギの両腕を締める枝が緩んだ。


 ナギは右腕を引き抜く。


 手の甲は白く凍り、指も思うように曲がらない。


 それでも、少年の椅子へ伸びている線を掴んだ。


「レオン!」


 少年が顔を上げる。


「そのまま椅子を持ってろ!」


「戻ったら、続きを教える?」


 ナギの動きが止まる。


 痛みで歪んでいた顔が、別の形へ崩れた。


「覚えてたのか」


「ずっと」


「ごめんな」


「まだ帰ってない」


「ああ」


「だから、まだ教えてもらってない」


「ああ」


 ナギは線を自分の腕へ巻きつける。


「帰るぞ」


 白い線が少年を引く。


 ナギが引き返す。


「今度は、絶対に」


 ガルムが杭を持ち上げた。


「抜けるぞ!」


「全員、伏せろ!」


 ガルドが楔を最後まで叩き込む。


 北の杭が根元から外れた。


 白い光が広間を走る。


 ナギ、シグレ、少年を縛っていた線の四分の一が同時に消え、赤猫亭から持ってきた机が床へ重く沈んだ。


【北固定:解除】


 共有表示が机の上に浮かぶ。


「次、東!」


 ブルーノが叫ぶ。


 レオンは少年の椅子をガルムへ預けた。


「二人で受けてください!」


「受ける!」


 ガルム。


「俺も持つ!」


 ナギが答える。


「腕が動いていません!」


「片方は動く!」


「無理を」


「二十二年寝た。もう十分休んだ!」


 ナギは自由になった右腕で椅子の座面を持つ。


 左腕はまだ白い枝に捕まっていたが、北の固定が外れたことで立膝までは起こせている。


 ガルムとナギが椅子を支える。


 少年は座ったまま、二人の顔を交互に見た。


「大きくなった?」


 ナギが少年に聞く。


「向こうにいる」


 少年がレオンを指す。


「そうか」


 ナギは大人のレオンを見る。


「本当に大きくなったな」


「あとで話します」


 レオンは視線を逸らした。


「今は東を壊します」


「剣の続きは」


「あとで教えてください」


「覚えてたのか」


「忘れさせられていただけです」


 レオンは東の杭へ向かって走った。


 東側には白い甲冑が五体並んでいる。


 盾二体。


 鋏の指を持つ個体が三体。


 レオンは剣を両手で構え、足を止めない。最初の盾へ正面から踏み込むと、盾の中央ではなく縁へ刃を当て、身体を横へ流しながら円を描くように剣を滑らせた。


 盾が外へ開く。


 露出した脇へ肩を入れる。


 敵の身体が隣の盾へぶつかり、二体の姿勢が同時に崩れた。


 そこへガルムが追いつく。


 少年の椅子はナギへ預けている。


 空いた両腕で二体の盾をまとめて抱え、後方の鋏三体へ押し込んだ。


「まとめたぞ!」


 レオンが跳ぶ。


 盾の上へ片足を置き、さらに高く踏み切る。


 五体の頭上を越えながら身体を捻り、東の杭へ剣を振り下ろした。


 刃が白い表面へ食い込む。


 半分。


 止まる。


「抜けません!」


「そのまま持て!」


 ガルドが走り込む。


 杭へ刺さった剣の背を、木槌で叩く。


 かん。


 刃が深く入る。


 二撃目。


 かん。


 白い杭に縦の亀裂が走った。


 甲冑がレオンの背後へ迫る。


 アルトが一体の脚へ飛びつき、足首を抱えて引き倒した。別の一体はガルムが盾ごと押さえ、三体目の鋏がレオンの首へ伸びる。


 ミアの投げた小皿が鋏の指へ当たった。


 ぱりん。


 皿は割れた。


 敵の手も僅かに逸れる。


「皿!」


 マルタが怒鳴る。


「レオンの首より安い!」


「当たり前だよ!」


 マルタ自身も西の杭へ鉄匙を叩きつけながら叫び返した。


 レオンは首を引き、鋏を避ける。


 剣を杭へ残したまま、敵の腕を両手で掴む。肘を伸ばさせ、杭の亀裂へ鋏の指を差し込むと、身体ごと捻って敵の腕を梃子にした。


「ガルドさん!」


「離せ!」


 レオンが飛び退く。


 ガルドの木槌が、亀裂へ入った白い腕ごと杭を叩いた。


 東の杭が割れる。


 内部から大量の白い紙片が噴き出し、盾と鋏を持った五体の甲冑が一斉に崩れた。


【東固定:解除】


「次、南!」


 ブルーノの声。


 アルトは南の杭の前にいる。


 甲冑二体を倒したが、杭にはまだ触れられていない。


「手を貸せ!」


 レオンとガルムが向かう。


 その時、シグレの身体が床から浮いた。


「シグレ!」


 ナギが手を伸ばす。


 北と東の固定を失った白い線が、残る南と西へ集中し、シグレを二本の杭の間へ吊り上げていた。


 両腕が左右へ引かれる。


 胸元の白い板がさらに硬くなり、呼吸をするたび骨の軋む音が聞こえる。


「息ができない!」


 ミナはシグレの身体へ飛びつき、胸元の板と服の間へ杖の先を差し込んだ。


「ルナ様、板を止めてください!」


「触れると私も固定対象になります!」


「もう全員、対象です!」


 ルナは迷わなかった。


 シグレの胸へ両手を当てる。


 白い板に文字が浮かぶ。


【同行者】


【代替帰還不可】


【待機者への接続を遮断】


「シグレさんは、レオン様とナギさんの間を切るために残されています!」


「聞こえてる!」


 シグレが苦しげに叫ぶ。


「本人の前で説明するな!」


「状況共有です!」


「あとにしなさい!」


 ミナが杖をさらに押し込む。


 白い板が僅かに浮く。


 シグレが一度、大きく息を吸った。


「南を壊して!」


「分かってる!」


 アルトたちは南の杭へ集まる。


 今度は引き抜く時間がない。


 ガルムが杭へ背中をつけ、両腕を回す。


 レオンが前から剣を水平に構え、ガルドが刃の背へ木槌を当てる。


「折る方向は!」


 ガルドが尋ねる。


 ルナがシグレの線を見る。


「西へ!」


「マルタがいるぞ!」


「退いて!」


 アルトが叫ぶ。


 西の杭を叩いていたマルタは、鉄匙を一度だけ深く打ち込み、そのまま手を離した。


「匙を置いていくな!」


「あとで取るよ!」


 マルタは小鍋のところまで走る。


「やれ!」


 ガルムが杭を西へ押す。


 レオンの剣が白い表面を削る。


 ガルドの木槌。


 アルトの短剣。


 三つの刃と力が同じ亀裂へ集中する。


 南の杭が傾いた。


 シグレを吊っていた線が緩む。


「もう一度!」


 ガルムが吠える。


 レオンは剣を引き、先ほどより下へ差し込む。


 アルトは短剣の柄を両手で握り、全体重をかけた。


 ガルドの木槌が振り下ろされる。


 どん。


 南の杭が根元から折れた。


【南固定:解除】


 シグレの身体が落ちる。


 ミナとルナが受け止めたが、三人まとめて床へ倒れた。シグレは激しく咳き込み、胸を押さえながらも、自分の足で立とうとする。


「寝ていてください!」


「二十二年寝た!」


「同じことを言わないでください!」


「ナギも言った?」


「言いました!」


「なら私も起きる!」


 シグレはミナの肩を借りて膝を立てた。


 残る西の杭から、すべての線が伸びている。


 ナギ。


 シグレ。


 少年。


 机。


 椅子。


 水桶。


 赤紐。


 九人の足元にまで新しい白い輪が現れ、広間全体を西へ引き始めた。


「最後!」


 ブルーノが叫ぶ。


「全員で壊します!」


 西の杭は、ほかの三本より太くなっていた。


 失われた固定機能を一つに集め、表面には何層もの白い板が重なっている。その前には、これまで倒した甲冑の残骸が集まり、人の形を作り始めていた。


 腕が四本。


 脚が四本。


 盾と槍、鋏、白い杭の破片をすべて取り込み、広間の天井へ届くほど巨大な身体へ変わる。


「大きすぎる」


 ミアが机の下から見上げた。


「芯はどこです!」


 ブルーノが巻物を広げる。


「胸、腹、頭に一つずつ! 三本とも壊さないと止まりません!」


「杭は!」


「巨体の後ろです!」


「先にこいつか!」


 巨体が四本の腕を振り上げる。


 一つは机。


 一つは水桶。


 一つはナギと少年。


 最後の一つはシグレを狙っている。


「分かれろ!」


 アルトの声で全員が動いた。


 ガルムが机の前。


 ガルドとブルーノが水桶。


 レオンがナギと少年。


 アルトとミナがシグレ。


 ルナは中央で白い線を読み、マルタとミアは小鍋と皿を抱えたまま、机の下へ入った。


 巨体の拳が落ちる。


 ガルムは机を背にして両腕を交差させ、正面から受けた。


 床が陥没する。


 膝が沈む。


 それでも机へは触れさせない。


「重いぞ!」


「見れば分かる!」


 ガルドは水桶をブルーノへ渡す。


「一人で持てるか!」


「短時間なら!」


「落とすな!」


「先に伝えてください!」


「今、伝えた!」


 ガルドは木槌を両手で握り、巨体の足首へ走る。


 白い足が踏み下ろされる。


 横へ飛び、避ける。


 着地と同時に足首の外側へ木槌を打つ。


 一撃では傷もつかない。


「硬い!」


「三本の芯を先に!」


 ルナが叫ぶ。


 巨体の胸元に三つの薄い光が見えた。


 頭。


 胸。


 腹。


 同時に壊す必要がある。


「レオン、頭!」


 アルトが指示する。


「ガルム、胸! 俺が腹へ行く!」


「一人で届くのか!」


「登る!」


 アルトは巨体の脚へ短剣を突き立てた。


 白い板の隙間を足場にし、膝、腰へと駆け上がる。巨体が身体を揺らすたびに手を離されそうになるが、短剣を次の隙間へ打ち込み、自分の身体を固定しながら腹の光へ近づいていく。


 ガルムは胸へ届かない。


 巨体の盾を踏み台にする。


「レオン!」


「行きます!」


 レオンが走る。


 ガルムは両手を組み、腰を落とした。


 レオンがその手へ足を載せる。


 ガルムが全力で押し上げると、レオンの身体は巨体の肩を越え、頭の高さまで跳ね上がった。


 空中で剣を逆手へ持ち替える。


 頭の光へ突き立てる。


 白い板が閉じ、刃を挟んだ。


「抜けません!」


「そのまま押せ!」


 レオンは柄へ両手を重ねる。


 落下する体重まで乗せ、刃を一寸ずつ進める。


 ガルムは巨体の胸へ爪を突き立てた。


 光の位置。


 板を剥がす。


 内部の巻物が見える。


 だが、胸の芯は三本の太い白い線に守られている。


「切れ!」


「手が塞がってる!」


 シグレが落ちていた槍を拾った。


「使える?」


 ナギが尋ねる。


「二十二年前よりまし」


「俺より先に戦うな」


「寝すぎた人が言わないで」


 シグレは槍を構え、走る。


 足元はまだ覚束ない。


 それでも巨体の腕を避け、床へ刺さった鉄匙を踏み台にして跳び、ガルムの肩へ片足を載せた。


「借りる!」


「早くしろ!」


 槍を胸の隙間へ突き入れる。


 一本目の線を断つ。


 二本目。


 三本目だけが硬い。


 ナギが少年の椅子から手を離した。


「受けられる奴!」


「受ける!」


 マルタが答える。


「私も!」


 ミアが加わる。


 二人が椅子を支える。


 ナギは動かない左腕を身体へ縛るように白い線を巻き、右手で床の槍を拾った。


「シグレ、下がれ!」


「あと一本!」


「二人でやる!」


 ナギの槍が、シグレの槍の上へ重なる。


 二本で同じ線を挟む。


 反対方向へ捻る。


 白い線が切れた。


 胸の巻物が露出する。


「ガルム!」


 シグレが叫ぶ。


「潰せ!」


 ガルムは両手を胸の穴へ入れ、巻物を掴んだ。


 左右へ引き裂く。


 白い紙が大量に舞った。


 胸の光が消える。


 同時に、レオンの剣が頭の芯を貫いた。


「二つ!」


 ブルーノが叫ぶ。


「腹だけです!」


 アルトは巨体の腹へ辿り着いていた。


 短剣を光へ突き立てる。


 浅い。


 巨体が四本の腕を自分の腹へ向けた。


 アルトごと叩き潰すつもりだ。


「間に合わない!」


 ミナが叫ぶ。


 最初の拳が迫る。


 アルトは短剣を手放さない。


「机を鳴らせ!」


 何をするのか分からないまま、マルタが鉄匙を机の天板へ叩きつけた。


 かん。


 ミアが小皿を置く。


 こと。


 水桶を持つブルーノが、蓋を指で叩く。


 こつ。


 赤猫亭の音が広間に響いた。


 巨体の動きが一瞬だけ止まる。


 帰還処理の兵器でありながら、場所として認識され始めた赤猫亭の音を無視できない。


「今だ!」


 アルトは短剣をさらに押し込む。


 刃が芯へ届く。


 手応え。


 捻る。


 腹の光が砕けた。


 三つ目。


 巨体の四本の腕が力を失い、アルトの周囲を通り過ぎて床へ落ちた。


 身体全体に亀裂が走る。


 アルトは白い板を蹴り、飛び降りた。


 ミナとガルドが下で受ける。


 三人まとめて床へ転がる。


 巨体が崩れた。


 頭。


 胸。


 腹。


 四本の腕と四本の脚が、無数の紙片へ変わって広間を覆う。


 その後ろに、西の杭が立っている。


「終わってない!」


 ルナが叫ぶ。


 西の杭から伸びた線が一斉に縮む。


 ナギ。


 シグレ。


 少年。


 三人が杭へ引かれた。


「全員で!」


 アルトが立ち上がる。


 ガルムが杭へ抱きつく。


 ガルドが根元へ木槌。


 レオンが剣。


 ナギとシグレも拾った槍を差し込む。


 アルトが短剣。


 ミナが杖。


 ブルーノは水桶を床へ置き、巻物の記録を杭の表面へ押しつけた。


「これは、お前たちの命令だ!」


 白い文字が杭へ逆流する。


【外部持込物】


【待機者】


【到達者】


【同行者】


 分類の文字が乱れ、重なる。


 マルタは机を杭のそばまで押した。


「座るところはこっちだよ!」


 四脚の椅子を机の周囲へ置く。


 ミアが深皿を中央。


 小鍋。


 水差し。


 匙。


 赤紐のついた物を、一つの場所へ集める。


「飯を出すよ!」


 マルタが小鍋の蓋を開けた。


 温かい湯気が白い広間へ立ち上る。


 芋と塩。


 赤猫亭の匂い。


 西の杭が大きく揺れた。


「今!」


 全員が力を込める。


 杭が傾く。


 白い線が三人を引く。


 少年の椅子が床を滑る。


 レオンは剣から片手を離し、少年へ伸ばした。


「手を!」


 少年も手を伸ばす。


 指先が触れる。


 冷たい。


 小さな手。


「もう待たなくていい!」


「二人は?」


「ここにいる!」


「帰った?」


「これから一緒に帰る!」


 少年はナギとシグレを見る。


 二人とも杭へ武器を差し込み、こちらへ向かって力を込めている。


 ナギが叫ぶ。


「レオン!」


 どちらを呼んだのか分からない。


 少年も。


 大人も。


 同時に顔を上げる。


「帰るぞ!」


 少年の指が、大人のレオンの手を握った。


 その瞬間、二人の身体の間に白い線が走る。


 少年の輪郭が揺れた。


 消えるのではない。


 大人のレオンの腕へ、胸へ、顔へ、重なる。


 入口の冷たさ。


 一日目。


 二日目。


 三日目。


 短い剣。


 戻ったら続きを教えるという声。


 待っても帰ってこなかった二人。


 それらが一度に流れ込み、レオンは剣を持ったまま膝をついた。


「レオン!」


 アルトが叫ぶ。


「離すな!」


 レオンは歯を食いしばる。


 少年の手を握る。


「三日、待ちました」


 声が二重に響く。


 子どもの声。


 大人の声。


「待ちました」


 少年の身体が光へ変わり、レオンへ流れ込む。


「でも、もう一人ではありません」


 レオンは立ち上がった。


 剣を両手で握る。


 少年の短い剣が、大人の剣へ重なる。


 刃の輪郭が一瞬だけ短くなり、次の瞬間、白い杭の奥まで届く鋭い光へ変わった。


「全員、離れてください!」


 レオンが叫ぶ。


 アルトたちは武器を引く。


 ガルムも杭から離れる。


 レオンが剣を振り下ろした。


 西の杭が縦に割れる。


 光が広間を二つに分けるほど大きく走り、床の奥へ埋まっていた根まで一気に断ち切った。


【西固定:解除】


 四本の杭がすべて消える。


 ナギとシグレを縛っていた白い枝が砕けた。


 机や椅子へ絡んでいた線も。


 赤紐を引いていた力も。


 レオンの足元にあった白い輪も消える。


 静寂が訪れた。


 少年の椅子は空になっている。


 短い剣もない。


 レオンは、自分の右手を見る。


 大人の手。


 だが、掌には、三日間冷たい床へ座り続けた感覚が残っていた。


「戻ったのですか」


 ルナが尋ねる。


 レオンは少し考える。


「分かりません」


「また?」


 ミアが言う。


「ですが」


 レオンはナギを見る。


 次にシグレ。


「待っていたことを、覚えています」


 ナギは片膝をついたまま笑った。


 涙が頬を流れている。


「遅くなった」


「はい」


「怒ってるか」


「剣の続きを教わってから決めます」


「怖いな」


 シグレがナギの後頭部を叩いた。


「まず謝りなさい」


「今、謝った」


「遅くなったは報告」


「じゃあ」


 ナギはレオンへ頭を下げた。


「置いていって、ごめん」


 レオンはすぐに答えなかった。


 ナギの謝罪を報告へ変えず、損失にも、記録にも置き換えず、そのまま聞いている。


「はい」


 しばらくして、返す。


「聞きました」


 シグレもレオンを見る。


「私も、ごめんなさい」


「聞きました」


「許す?」


「今は分かりません」


「それでいい」


 シグレは小さく笑った。


 立とうとして、足に力が入らず倒れかける。


 ミナが支えた。


「二十二年ぶりに起きた直後です。座ってください」


「椅子がある」


 シグレが机を見る。


「四つも」


「貸してる」


 ミアが言った。


「赤猫亭から」


「返すの?」


「帰ったら」


 ナギとシグレが、机の周囲へ置かれた椅子を見る。


 一脚はナギ。


 一脚はシグレ。


 一脚はレオン。


 残る一脚。


「誰の席?」


 ナギが尋ねる。


「水を出す人」


 ミアが答えた。


「一緒に飲む人でもある」


 マルタが補う。


 ルナが水差しを持つ。


「私が」


「待ってください」


 ブルーノの声が硬くなった。


 彼は共有表示を見ている。


 四本の杭を壊してから、表示はしばらく白いままだった。今、ようやく文字が浮かび始めている。


【固定解除:完了】


【到達者:ナギ】


【同行者:シグレ】


【待機者:レオン】


【待機記録:統合済み】


「成功じゃないの?」


 ミアが聞く。


「まだ続きがあります」


 次の行。


【解放対象:三】


 アルトが眉を寄せる。


「三人で合ってる」


「はい」


 さらに文字が現れる。


【帰還先候補:赤猫亭】


【受入席:四】


【帰還可能数――】


 表示が一度止まった。


 数字だけが何度も書き換わる。


 三。


 二。


 三。


 一。


 最後に残ったのは。


【帰還可能数:二】


 誰も声を出さなかった。


 机の周囲には四脚の椅子がある。


 ナギ。


 シグレ。


 レオン。


 ルナ。


 全員が座れる。


 それでも、帰還処理は三人のうち二人しか返せないと告げている。


「古い処理枠です」


 ルナが表示を見つめる。


「最初から、到達者と同行者の二人分しかありません」


「レオンは今ここにいる」


 アルトが言う。


「待機記録を統合したことで、現在のレオン様も解放対象へ含まれました」


「意味が分からない」


「この場所では」


 ルナがレオンを見る。


「今のレオン様も、まだ帰っていない者として扱われています」


 レオンは空になった少年の椅子へ目を向けた。


「では、私が残ります」


「駄目」


 ナギとシグレが同時に言った。


 二人の声が白い広間へ重なる。


 共有表示の最後に、新しい行が現れた。


【超過対象を一名選択してください】


 その直後、四つ目の椅子だけが、白い床へ沈み始めた。


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