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今日どうだった、と聞いてくれる人  作者: ジェミラン
第六章「天職とは何か」

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11/13

前半

 北の森の精霊区域は、光の色が違った。


 木々の間から差し込む光が、緑がかっていて、空気ごと染まっているみたいだった。足元の草が柔らかくて、踏むたびに少し沈む。どこかから水の音がする。


 レオンが先を歩きながら、振り返った。


「坂口さん、精霊区域に来たのは初めてですか」


「初めてです」


「独特でしょう。空気が違うんですよね」


「なんか、呼吸が深くなる気がします」


「精霊の力が、空気に混じってるからだと思います。昔、旅でここを通ったとき、すごく回復した記憶があって」


 坂口は周囲を見ながら歩いた。


 木の幹に、小さな光が宿っている。虫ではなくて、精霊の気配らしい。レオンが「あれは若い精霊です、まだ形になれないんですよ」と教えてくれた。


 形になれない精霊が、木の幹で光っている。


 なんとなく、新入社員みたいだな、と思った。


---


 シルフィの仲間は、区域の中心にある大きな木の根元にいた。


 名前はフォロ、と聞いていた。風ではなく、雨を司る精霊だ。外見はシルフィに似ていて、薄い青の髪が肩まであった。ただ、シルフィより少し小柄で、目の色が深い灰色だった。


 坂口たちが近づくと、フォロは立ち上がった。


「坂口さんですか。シルフィから聞いています」


「はい。今日はよろしくお願いします」


「こちらこそ。こういうところに相談に来るのが初めてで、緊張しています」


「大丈夫ですよ。シルフィさんも、最初は緊張していました」


 フォロはそれを聞いて、少し表情が和らいだ。


 木の根元に、平らな岩が二つあった。そこに向かい合って座った。レオンは少し離れた場所で、持参した食材を取り出し始めた。訪問案件のとき、レオンはいつも少し離れた場所で何かを作りながら待っている。帰りに必ず、何か食べるものができている。


「今日は、どんなご相談ですか」


 坂口は聞いた。


「シルフィから聞いたかもしれませんが、雨を降らせることに、疑問を感じ始めていて」


「疑問、というのは」


「嫌いじゃないんです。雨が大地を潤して、作物が育って、川が満ちていく。その結果を見るのは、好きです。でも、雨を嫌がる人たちを見るのが、つらくて」


「嫌がる、というのは」


「雨が降ると、洗濯物が乾かないとか、遠足が中止になるとか、傘を持ってくるのを忘れたとか。小さなことなんですけど、そういう顔を見るたびに、私が降らせているせいで、と思って」


「フォロさんが降らせているせいで、という感覚があるんですね」


「はい。雨は必要なものだと分かっています。でも、嫌がられるたびに、少しずつ消耗していきます」


 坂口はメモ帳に書いた。


 *必要な仕事をしているのに、嫌がられる。貢献の実感と、他者の反応のズレ。*


「フォロさん、少し聞いてもいいですか」


「はい」


「雨を降らせたあとで、よかったと言われたことはありますか」


「あります。農家の方が、ありがとうと言ってくれることが、たまにあって。そのときは、やってよかったと思います」


「たまに、ということは、毎回じゃない」


「毎回ではないです。ほとんどは、何も言われないか、嫌な顔をされるか」


「その割合は、どのくらいですか」


 フォロは少し考えた。


「ありがとうと言ってもらえるのは、十回に一回くらいかもしれないです」


「残りの九回は、嫌な顔か、無反応か」


「だいたいそうです」


「その一回を、覚えていますか」


「……はい。よく覚えています」


「九回より、一回の方が記憶に残っている」


「そうかもしれないです」


 坂口はペンを置いた。


「フォロさんにとって、その一回がある限り、続けられると思いますか」


 フォロはしばらく考えた。


「……続けられると思います。ただ、九回が積み重なってくると、一回が霞んでくる気がして」


「その九回を、少し軽くする方法を一緒に考えましょうか」


「軽くする方法、ですか」


「嫌な顔を見なくて済む方法は、たぶんないです。でも、嫌な顔を見たときに、引きずらないための方法はあるかもしれない」


 フォロは少し目を丸くした。


「引きずらない、というのは、どういうことですか」


「シルフィさんは今、三秒間を置く練習をしています。すぐに反応しないで、少し間を置く。フォロさんの場合は、嫌な顔を見たときに、すぐに落ち込まないで、少し間を置けるかもしれない」


「間を置く、というのは」


「あの人は今、傘を忘れてきてイライラしているんだな、それだけだ。私が降らせた雨のせいで、あの人の一日がひどいものになったわけじゃない。そう考える余地を、三秒で作る」


 フォロは黙って聞いていた。


「雨は必要です。フォロさんがいなければ、大地は干上がる。その事実は、嫌な顔をした人間の数で変わらない」


「でも、嫌な顔を見ると」


「見ます。これからも見続けると思います。ただ、それはフォロさんの仕事が間違っているということじゃない。そこだけ、切り離して考える練習です」


---


 面談が一時間ほど続いた。


 帰り際、フォロが言った。


「シルフィが、ここに来てよかったと言っていました。来てみて、分かりました」


「どういう意味ですか」


「話を聞いてもらえる、というのが、こういうことか、と」


 坂口はその言葉を聞いて、少し間を置いた。


「シルフィさん、最近どうですか」


「変わりました」フォロはそう言って、少し笑った。「先週、初めて願いを断っていました」


「断れたんですか」


「はい。小さな願いでしたけど。断った後、すごく複雑な顔をしていましたが、でも、やれた、という顔もしていました」


 坂口はメモ帳を閉じた。


 シルフィが、断れた。


 練習を続けていた。一人で、続けていた。


---


 木の根元を離れて、レオンのところに向かった。


 レオンは小さな火を起こして、鍋で何かを作っていた。森の中で採れたものと、持参した食材を合わせたらしく、いい匂いがしていた。


「お疲れ様でした。もうすぐできますよ」


「何を作ったんですか」


「森のきのこと、ハーブのスープです。精霊区域はいい食材が多くて」


 レオンはスープを木の器に注ぎながら、聞いた。


「どうでしたか、今日のクライアント」


「シルフィさんの紹介だけあって、似たような問題を抱えていました」


「シルフィさん、変わりましたよね」


「フォロさんから聞きました。断れたらしいですよ、先週」


 レオンは少し目を細めた。


「それはすごい」


「すごいですよ」


 坂口はスープを一口飲んだ。


 温かくて、きのこの香りが深かった。


「レオンさん、料理うまくなりましたね」


「そうですか」レオンは少し照れた。「毎日作っているので」


「毎日作っているのは、楽しいからですか」


「楽しいです。あと——」レオンは少し間を置いた。「誰かが食べてくれるのが、うれしくて」


「それ、最初に言っていたことと同じですね」


「同じですか」


「パーティーの剣士のガルドさんが、三杯おかわりしてくれた話」


 レオンは少し驚いた顔をした。


「覚えてくれていたんですね」


「印象的だったので」


 レオンはスープをかき混ぜながら、少し考えていた。


「あのときは、料理が好きだということを、誰かに話したことがなかったんです。言ったら失望されると思っていたから。でも坂口さんに話して——なんか、それだけで、少し楽になった気がしました」


「話すだけで楽になることがある」


「はい。話す前は、ずっと自分の中で抱えていたので。出したら、軽くなりました」


 坂口はその言葉を聞きながら、昨日の自分の面談を思い出した。


 この仕事が好きです、と言った。


 言ったら、別にどうってことなかった。むしろ、軽くなった。


「レオンさん、今、勇者の仕事はどうですか」


「続けています。パーティーに戻って、また旅をしています」


「料理も続けていますか」


「はい。旅先で作るようになりました。村に着くたびに、その土地の食材で何か作って。最初は戸惑っていた村人も、だんだん楽しみにしてくれるようになってきて」


「両方、やっていますね」


「やっています」レオンは少し笑った。「最初は、どっちかにしなきゃいけないと思っていたんですけど。両方やってみたら、どっちかだけのときより、なんかうまくいっている気がします」


「なぜだと思いますか」


「料理があるから、戦いが重くなりすぎない。戦いがあるから、料理が惰性にならない。なんか、バランスが取れている気がします」


 坂口はメモ帳に書いた。


 *天職は、一つじゃなくていい。二つが支え合うとき、どちらもより深くなる。*

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