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今日どうだった、と聞いてくれる人  作者: ジェミラン
第五章「坂口自身の面談」

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後半

 ミラはしばらく、坂口を見ていた。


 その顔が、いつもと少し違った。事務的な表情の奥に、何か別のものがある気がした。


「坂口さん、もう一つ聞いてもいいですか」


「はい」


「その顔を見るために仕事をしてきた、とおっしゃいました。ここに来てから、その顔を見ましたか」


 坂口は少し考えた。


「見ました」


「誰の」


「全員の」


 ミラは静かに待った。


「レオンさんが、両方やればいいんですかね、と言ったとき。グラークさんが、少し軽くなった気がした、と言ったとき。シルフィさんが、休んでいいと言ってもらったのが一番うれしかった、と言ったとき。ヴェルダさんが、届けることを諦めるのをやめたとき」


 坂口は窓の外を見た。


「全員、あの顔をしていました」


「あの顔、というのは」


「何かが着地したときの顔です。言葉にするのが難しいんですけど、目の焦点が変わる。それまでぼんやりしていたものが、少し見えてきた、というときの顔」


「その顔を見るために、二十年間仕事をしてきた」


「そうだと思います。今日、初めて言葉にしましたが」


 ミラはタブレットを持っていない手を、テーブルの上に置いた。


「坂口さん、一つだけ正直に話してもいいですか」


 今度は、ミラが断りを入れた。


 それが珍しくて、坂口は少し前のめりになった。


「どうぞ」


「あなたをここに呼んだのは、私です」


「知ってます。ミラさんがこの紹介所の管理者で」


「そうではなくて」ミラは少し間を置いた。「私が、あなたを選んだということです」


「選んだ」


「異世界人材紹介所は、私が作りました。クライアントも、私が集めました。そして担当するエージェントを、人間界から探しました」


 坂口はミラを見た。


「なぜ、俺だったんですか」


「以前、あなたのクライアントだった人間がいます」


「俺の」


「人間界で、あなたが担当した転職者です。七年前、三十代の女性でした」


 坂口は記憶を探った。


 七年前。三十代の女性。


「……覚えていますか」


「少し、待ってください」


 坂口は目を閉じた。


 七年前は、まだ成約率が安定していた頃だ。担当したクライアントの数も多かった。三十代の女性、七年前——。


「IT企業から、福祉の仕事に転職した方ですか」


「はい」


「周囲に反対されていた。給料が下がる、もったいない、って。でも本人は、ずっとやりたかった仕事だと言っていて」


「その方が、私です」


 坂口は目を開けた。


 ミラを見た。


 黒髪ボブ、額の小さな角、事務的な話し方。


「……ミラさんが」


「人間界では別の名前でした。あなたに担当してもらって、転職して、福祉の仕事をしていました。それから色々あって、今はここにいます」


「色々、というのは」


「それは今日の話ではないです」ミラは少し目を伏せた。「ただ、あなたに担当してもらったあの面談が、私の人生で一番、話を聞いてもらえた時間でした」


 坂口はしばらく、何も言えなかった。


「だから、あなたを選びました。話を聞ける人間が必要だったので。あのとき、あなたがしてくれたことを、今度は異世界のクライアントたちに届けてほしかった」


「覚えていないですよ、俺は。そのときの面談を」


「覚えていなくていいです」


「でも、そんな大事な話を」


「覚えている側が、届いたと思えば、それで十分です」


 坂口はその言葉を、静かに受け取った。


 届いた言葉は、言った側が覚えていなくても届いている。


 水無月透の話じゃないが、言葉はそういうものかもしれない、と坂口は思った。


---


 しばらく沈黙があった。


 悪い沈黙じゃなかった。


「ミラさん、一つ聞いていいですか」


「はい」


「あの面談で、俺は何を言いましたか」


 ミラは少し考えてから、答えた。


「給料が下がっても、やりたい仕事をした方がいいですか、と私が聞きました」


「そうしたら」


「あなたは、それは私が決めることじゃないですよ、と言いました」


 坂口は少し笑った。


「それだけですか」


「それだけです。でもそのとき、初めて自分で決めていいんだと思えました。誰かに背中を押してもらいたかったわけじゃなかった。ただ、自分で決めることを許可してほしかった。あなたはそれをくれた」


 自分で決めることを、許可してほしかった。


 坂口は目の前のテーブルを見ながら、その言葉を反芻した。


 レオンも、そうだった。勇者を辞めていいですか、と聞いてきたわけじゃなかった。両方やっていいんですか、と聞いてきた。許可を求めていた。


 シルフィも、そうだった。休んでいいですか、と聞いてきた。


 みんな、自分で決める力を持っていた。ただ、誰かに許可してもらうまで、動けなかった。


「坂口さん」


「はい」


「あなたは今、自分に何を許可していないと思いますか」


 坂口は止まった。


 鋭い質問だった。


「……娘と、ちゃんと話すことを、許可していないかもしれないです」


「なぜ許可していないんですか」


「怖いから」


「何が怖いですか」


「嫌われているかもしれない。向き合ったら、それが確定する気がして。曖昧なままの方が、楽だから」


「でも」


「でも、このままじゃいけないとも思っています」


 ミラは静かに坂口を見ていた。


「他には」


「他に許可していないこと、ですか」


「はい」


 坂口はしばらく考えた。


「この仕事を、好きだと言うことを、許可していなかったかもしれないです」


「今日、言えましたね」


「言えました。言ってみたら、別にどうってことなかったです」


「そういうものですよ」


 ミラの口元が、少し動いた。


 右の口角が、いつもの一ミリより、少しだけ大きく上がった気がした。


---


「坂口さん、最後に一つだけ」


「はい」


「この仕事を、続けたいですか」


 坂口は少し考えた。


 人間界に戻れば、リストラされる。それは分かっている。ミラに言われた日から、ずっと分かっていた。


「続けたいです」


「人間界でも、ということですか」


「どこでも、というか——転職エージェントという形じゃなくても、人の話を聞いて、その人が自分の持っているものに気づいて、届く方向に向けてやることを、続けたいです」


「それが、あなたの天職だと思いますか」


 天職、という言葉が、空気の中に置かれた。


 坂口はその言葉を眺めた。


 天職。


 レオンも、グラークも、シルフィも、ヴェルダも、それぞれの天職を探しにきた。みんな、一つの答えを求めていた。


 しかし面談を重ねるうちに分かってきたことがある。


「天職は、一つじゃないと思います」


「なぜそう思いますか」


「レオンさんは、勇者と料理人の間にいる。グラークさんは、魔王と普通の老人の間にいる。一つに決めなくても、両方持っていていい。そういうことが、だんだん見えてきました」


「あなた自身は」


「俺は——」


 坂口は少し間を置いた。


「話を聞く人間でいたいです。転職エージェントでも、異世界のエージェントでも、どこかの父親でも。どこにいても、聞く人間でいたい」


 言い終わってから、少し恥ずかしくなった。


 こんなことを声に出して言ったのは、たぶん初めてだ。


「それが、坂口さんの答えですね」


「答えになってますか、これ」


「十分なっています」


 ミラは立ち上がった。


 面談が終わった、ということだろう。


「ミラさん」


「はい」


「七年前の面談、俺は覚えていないですけど」


「はい」


「でも、あなたが話してくれたことで、今日思い出したことがあります」


「何をですか」


「なんで転職エージェントになったか、です。なんとなく、って最初に言いましたよね」


「言っていましたね」


「なんとなくじゃなかったかもしれないです。新卒の会社を辞めるとき、俺も誰かに話を聞いてほしかった。でも聞いてもらえる場所がなかった。だから、そういう場所を作りたかったのかもしれない」


 ミラはしばらく、坂口を見ていた。


「それが、二十五歳のときに言葉にできなかったことですね」


「そうかもしれないです。二十年かかりました」


「遅くないですよ」


「そうですか」


「気づいたときが、始まりです」


---


 面談室を出ると、レオンが廊下で待っていた。


 今日の午後に訪問案件があるらしく、地図を広げて確認していた。


 坂口の顔を見て、レオンが言った。


「お疲れ様です。なんか、顔が違いますね」


「そうですか」


「なんか、すっきりしてる、というか」


 坂口は少し考えた。


「面談してきました」


「クライアントと、ですか」


「俺が、クライアントでした」


 レオンは少し目を丸くした。


「坂口さんが」


「たまには、聞いてもらう側になるのも、悪くないですね」


 レオンはその言葉を聞いて、少し笑った。


「それ、僕が最初に来たときに思ったことです」


「そうですね」


 坂口はレオンの持っていた地図を覗いた。


「午後の訪問、どこですか」


「北の森の精霊区域です。シルフィさんの仲間に、相談したい方がいるらしくて」


「シルフィさんから紹介があったんですか」


「はい。昨日、連絡が来たみたいで」


 坂口はミラを見た。


 ミラはタブレットを操作しながら、右の口角を一ミリ上げた。


 シルフィが、仲間に紹介した。


 それは、シルフィが自分の外に向かって動き始めた、ということだ。


 届く方向に、向き始めた。


 坂口はコートを手に取った。


「行きましょう」

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