第九十九話
森の中を、冬真は駆ける。振り返って、グレートボアが追跡してきているのを確認して、一定距離――ボアが突撃を行うぎりぎりの距離に近づくのを待ってから、また駆けてゆく。
ブラッドベアが生息してくれていれば、より致命的な被害をもたらせただろうに。ブラッドベアがたまたまうろついていたと強弁するのには無理があるほど生息地が離れているので、断念せざるをえなかった。いや、生息地が近くとも、調査隊の事故と結び付けられるリスクが高すぎるので、実行はできなかっただろうか。
30分ほどもそうやって誘引を続けたのちに、遠目に見つけた兵士の姿に、冬真は微笑んだ。軽装鎧を着こんだ歩兵だ。おそらく斥候兵だろう。冬真は木々の陰に隠れて、ボアが十分に近づくのを待ってから、さらに木々の陰を縫うようにして、兵士の元へと接近していく。
「何だ、何者だ!」
速度と静穏性を両立させるのは、いかな冬真と言えど不可能である。鋭い誰何の声が飛ぶ。しかし、それでいい。
「止まれ!止まらないと攻撃するぞ!」
冬真は木の陰で止まった。振り返って、ボアが近づくのを待つ。
「出てこい!そこにいるのは分かっている!」
ガサガサと、声の方向から草を踏み分ける音と、その左右の少し離れた位置からも、近づいてくる音がする。
「ファイアーボール」
冬真は顔だけ覗かせて、魔法を撃った。声のする方向の、その向こうへ。火の玉が、近づいてきた斥候兵の上半身を焼いて、さらに後方の空間に飛んでいく。
爆発音と悲鳴、怒号が耳を打つ。殺気立った気配が、斥候兵の方角から殺到する。
ボアの位置ももうすぐそこだ。冬真はわざとゆっくり、木の陰を飛び出した。ちゃんと見えるように。木々を盾にするようにして、道と並走を始める。合間にも、ファイアーボールを木々が切れている空間に撃ち込んでいく。
「近接兵、弓兵、応撃せよ!」
指揮官の声が聞こえる。どうやら、魔法士は攻撃しないらしい。森が火事になって燃え広がれば、煙も熱も相当のものだ。通過に時間がかかる軍のダメージが大きくなると言う判断だろうか。ともあれ、近接兵が来てくれるなら願ってもない。罠だとか警戒する頭もない猪武者で助かった。
「は、魔法士が前線に出て特攻とはな。兵のいない領に仕えるしかないとは、実に哀れなものだな!身の程もわきまえず、神の名を騙り、王女殿下を我が物にせんと欲した主君を戴いた己の不運を呪って死ね!」
一際立派な鎧をまとった戦士が駆けてくる。冬真は剣を構えて待った。
そうして。相手が踏み込んでくる瞬間に、剣の平で、横に向けて吹き飛ばす。戦士の身体が、宙を舞った。グレートボアの鼻先――いままさに、冬真に向けられようとしていた角の前に。絶叫が響き渡る。
冬真は速度を一気に上げて、ボアを一気に突き放しにかかった。途中からは隊列の視界に入らないように、森の中に進路を変更する。ボアはついてこない。僅かな騒乱の音が聞こえる。
それを確認すると、再び冬真は走り出した。騒ぎが落ち着く前に、停滞した隊列を――人間を、出来る限りフレアウォールで焼き尽くさねばならない。殺戮の時間だ。
……できれば、こんなことはしたくなかった。けれど、相手は冬真の領民を殺戮するつもりでやってきている。ならば冬真も、全力で迎撃するしかない。
木々の合間に見える斥候を一息に斬り下げて、斥候兵の身体を盾にするように掲げた状態で森を飛び出してフレアウォール。またすぐに森に戻って、斥候兵を斬り裂いては死体を盾にして森を出てフレアウォール。
風を切る音とともに、斥候の死体にいくつもの衝撃が加わる。弓の待ち伏せ攻撃だ。しかし死体を貫いて、そこからさらにブラッドベアの革鎧を貫くのは不可能である。冬真であれば、頭部と喉だけ保護できればそれでいくらでも回復できる。
そのうちに、冬真が向かう予定の地点に、ばらばらと近接兵と弓兵が駆け入ってくる。どうやら散開しての追跡命令が出たらしい。固まっていれば的になるだけ、という判断ができたようだ。
魔法士がいないのは、火災をさらに忌避していること、負傷者の救護のためだろうか。混乱の中で森林が燃えたら、被害は計り知れない。
ひとまず、散開している時点で、進軍は止まっている。
冬真は、森の奥地に向かって駆け出した。速度を調整しながら、今度は追跡部隊と追っかけっこである。追跡に夢中になった部隊を、グレートボアの群れにうっかり突っ込ませるのが目的だ。目ざすは二段階目の悲劇である。
幸いにも、ほどなくグレートボアの姿を遠目に見つけることができた。ショックバレットで挑発してから、追跡部隊に向かって引き返す。
「ようやく観念したか!」
木々の間を抜けて、冬真は、近接兵の攻撃をかわす。後続がうじゃうじゃ続いている。冬真が包囲されて、四方八方から串刺しにされるのは時間の問題だ。冬真は口角を持ち上げた。
「ショックウェーブ」
近接兵たちの顔が引きつった。一気に動作がスローモーションになる。冬真との魔力差でレジストができない。冬真はその中を駆け抜けていく。矢は飛んでこない。同士討ちになる危険性のほうが高いからだ。
「抜けられたぞ!」
「引き返せ!」
硬直範囲をぬけたら、またショックウェーブを放つ。そのうちに、冬真の背後で絶叫が上がり始めた。グレートボアが近接兵の群れに到達したのだ。
「ばか、退け!逃げろ!」
やがて兵士の姿がまばらになって、途切れる。追跡部隊はこれで打ち止めのようだ。
さすがに、腕も足も重い。息も上がっている。ひとまずここまでだろうか?冬真は適当なところで、進路を変えた。今度は自分の領地側に向けて走っていく。
まばらに立っている斥候兵たちを、片っ端から切り捨ててそのまま駆け抜ける。十体以上――十人以上と表現するべきだろうか?――を斬り捨てたところで、突然、悪寒が背中を突き抜けた。
冬真は思わず足を止めた。木の陰に身体を隠す。肌が粟立っている。足を動かさなければならないと思うのに、動きたくない。
ふいに、目の前にジャイアントボアが湧いた。咄嗟に切り払い、木の陰を飛び出して走る。ゲルトルに向かって。またすぐにジャイアントボアに遭遇する。今度は無視をして走る。敵の斥候兵が、ジャイアントボアに攻撃されているのが見えた。
こんな密度で、速度で、魔物がわくわけがない。
冬真は走りながら、呟く。
「……ステータス」
灰色の画面に表示されている冬真のレベルは、75。
――戻らなければ、ゲルトルへ。ここに残っていたら、冬真と言えど破滅する。魔物のわきつぶしをされている人里へ逃げなければ、いずれ数の暴力に飲みこまれる。
二度目のスタンピードが、始まる。




