第九十八話
冬真は地図を眺める。
アイザー領とバルフラウ領の間には荒地があり、その周縁に森がある。丘陵を避けるように蛇行した道は、冬真もバルフラウ領への往復で通ったことがあるが、大して幅もなかった。馬車がすれ違える程度だ。特にアイザー領側は、道の手入れをする人員が足りず、魔物との緩衝地帯となる道の両側の荒地に、森がせり出してきてしまっている部分がある。
森を抜ける部分で迎撃するにしても、四倍の兵力差を簡単には覆せないだろう。むしろ冬真一人で迎撃した方がずっと効率的だ。
「む」
冬真は思わず声を上げた。そうか。それならいける。
「よし。この森で、迎撃をする」
ベルダーンとフェルティス、両名の眉が寄った。
「たしかにここでは互いに兵力を展開できませんが、受け止めるのにも限度があるかと」
代表して口を開いたのはフェルティスである。
「いや、迎撃に出るのは俺一人だよ」
ベルダーンが眉を吊り上げた。
「主君が一人で戦場に出るなど、危険すぎます。主君が倒れたら、それで向こうの目標は達成なのですよ」
「逆だよ。俺一人なら、いざとなれば王国領外の危険地域に出て追跡を振り切れる。追いかけてきた敵軍は魔物に処理してもらえるし」
ベルダーンが何とも言えない顔になる。
「それに、一応策がないでもない。俺一人で1000人以上を相手する……ようなことにはならないはずだ」
「本当ですか? それはどのような」
「魔物を誘引してぶつける。グレートボアがこの辺りにいるはずだからね」
冬真が森の奥の地点を指さす。
「そこそこ離れていますが、可能ですか?」
「遠くからファイアーボールを撃てばいい。いや、目立つから弓かな?グレートボアは突撃前と突撃後に硬直時間があるから、距離を稼ぐのは難しくない。振り切らないように調節するのが面倒だけど、振り切ったらまた弓で挑発すればいい」
冬真の敏捷値であれば、身体強化魔法を使えばグレートボアを振り切るくらいは簡単だ。
「そういえば、主君は弓も名手でしたね……」
「むしろ問題なのはスタミナだけど、向こうの斥候兵の視認位置まで到達できればそれでいいわけだから」
冬真の姿を視認した敵軍は、当然攻撃を行うはずだ。冬真が森に隠れているなら、罠の可能性を考えて、森を焼き払うなり、遠距離攻撃を行うなりの対処をするだろう。罠の可能性を考えずに踏み込んできてくれれば、もっといい。おそらく魔物は人間の陣営の区別をしない。追いかけてきたグレートボアに攻撃として認識される余地は十分である。
「一時的な混乱にはなりますが、グレートボア三体だけではそこまでの被害は出ないのではありませんか?」
質問を差し挟んだのはフェルティスである。
「そうだね」
冬真は頷く。いわゆるモンスタートレインにすることも可能ではあるが、誘引しきれない可能性も高い。
「だから混乱している最中に、フレアウォールで殲滅する」
冬真はあえて、殲滅という言葉を使った。相手は1700の軍隊だ。しかも向こうも魔法で回復と攻撃をしてくる。冬真自身が逃げ切るスタミナを残すことを考えると、いかに一撃で戦闘不能にするか――殺すかという勝負になる。手加減などしている余裕はない。
「ですが、すぐにマナ切れになるのではありませんか」
疑問の声を上げたのは、フレアウォールを撃つことのできる実力者、カティアである。
冬真は、少しだけ考えた。どこまで情報を開示するべきだろう。王女派閥は明確に同盟相手だ。カティアはどれだけ信用してもいいだろうか。
ベルダーンに視線を投げる。ベルダーンも、冬真が何に迷っているのか分かったのだろう。断言はできない様子で、視線を彷徨わせている。
――まあ、いいか。ここでカティアは命を懸けてゲルトルを一緒に防衛してくれようとしている。
冬真が奇跡を行ったという話も諸侯の間に流出していないから、王女に不利益なことはむやみに口外しないと信じていいだろう。それに、この件が元でベルシュフォールが冬真を攻撃してくるというのなら、王太子派閥と同様に叩き潰すだけである。
「実は、私の手元には、マナを大量に回復する薬が貯蔵してありまして」
フェルティスにもまだ共有していなかった情報だ。ここまで必要がなかった。
ルシュラ、カティアの顔から表情が抜け落ちた。フェルティスは、頭痛をこらえるような顔になっている。
「材料が貴重すぎて、大量には作れないのですが。在庫の大半を消費すれば、まあ、そこそこ行けるのではないかと思います」
縦列で進む敵部隊をフレアウォールで処理するとして。一回で20人。およそ85回フレアウォールを撃てばいい計算である。貯蔵している高マナ回復薬を20個くらい飲み干せばいけるだろうか?
「そなたは、一体どれくらいの手札を隠し持っているのだ……」
ルシュラが呻くように言う。
「ただ、私が迎撃に出る間、王女殿下の警護が手薄になってしまいます。フェルティスとカティア殿には王女殿下の傍に張り付いてもらう必要があるかと」
冬真の言葉に、二人が頷く。
「元よりそのつもりでおります」
「承知しました」
「それと、ベルダーン。迎撃戦の最中に、スタンピードが起きる可能性がある」
カティアにはルシュラが話したらしいから、この場で共有していないのはベルダーンだけである。
「はい?」
ベルダーンが、寝耳に水、といった表情で冬真を見返す。
「断言はできない。でも、対処をしないわけにはいかないから、バルフラウ領方面以外の農作物の収穫と、領民の収容の段取りもつけておいてほしい」
侵攻の予兆があってから侵攻開始までには時間があるというから、実際の避難はそれからでも間に合うかもしれない。
前回のスタンピードでは、侵攻開始までは一カ月近くの余裕があった。魔物は魔物の領域にひしめいて、じりじりと前線を上げてはくるものの、領民が退避できるほどの時間的余裕はあった。
それまでの王国のスタンピードも、全て同様の推移だったというから、今回だけ違うということはないだろう。――そう信じたい。
「いざというとき、速やかに対応できるように手配を頼む」
「かしこまりました」
ベルダーンの顔は疑問符だらけだったが、今が質問をするようなタイミングではないと思ったのか、すんなりと頷く。
「で、フェルティスには、バルフラウ領軍防衛時、スタンピード時のそれぞれの防衛配置と、指揮系統の再編を頼む。……盛りだくさんで、悪いね」
「やりがいのある仕事ですね」
「フェルティスの仕事が落ち着き次第、俺は領境の森に出る」
情報が遅れれば、バルフラウ領軍の迎撃に間に合わない可能性がある。
「いや、そなたはゆくがよい。フェルティスが私に張り付いているのではなく、私がフェルティスに張り付いておけばよいだけだ」
「王女殿下がずっと同席なさるとは、緊張しますね」
「どの口が言うのだ」
ルシュラがフェルティスに毒づいてから、冬真に視線を戻す。
「それに何も、そなたがゲルトルを出たことを敵に教えてやる必要はなかろう。ゲルトルにいると見せかければよい」




