第九十七話
ゲルトルの街は、どことなく不穏な空気に包まれているように見えた。
通りを歩く領民たちが、大通りを進む冬真たち一行を見つけると、安心したように表情を緩めて、目を見交わして笑う。そんな様子を、何度となく見た。
城館では、ベルダーンが緊張した面持ちで迎えてくれた。
「王女殿下、お目にかかれて光栄です」
「久しいな、家宰殿。すまぬが、しばらく世話になる」
礼を取るベルダーンに、一見しておかしなところはない。義手をつけて、その上で手袋で見えないようにしているようだ。
一瞬だけ、こっそり回復していてもバレないのでは、という考えが冬真の頭をかすめた。しかし、露見してしまえば、影響力は計り知れない。冬真が地位を得るまでは我慢するべきだ。
「主君も、よくお戻りくださいました」
「うん、いつも面倒をかけるね」
本当に。この戦争は、王女の言葉を借りれば、遅かれ早かれ起きるものだったかもしれない。でも、今このタイミングで起きたのは、間違いなく冬真の行動が原因である。
* * * *
私邸で旅装を解いた後は、あらためて城館の会議室で打ち合わせである。
ルシュラが冬真の側から離れては却って危険なので、ルシュラもカティアも同行である。疲労しているのに申し訳ないが、一刻を争う事態なのだ。
会議室には、冬真、ルシュラ、カティア、フェルティス、ベルダーンの五人が集まっている。
「まず、グルドハイム公爵閣下よりお知らせいただいた最新の敵兵力だけど……」
冬真は、公爵領で渡された羊皮紙をテーブルの上に広げた。ベルダーンが、領地周辺を含んだ地図をその横に広げる。
『伯爵領の予想動員兵力はおよそ1000。諸侯から私兵が流入している形跡あり。最終兵力は1500から1700付近になることが予想される』
ベルダーンの表情が暗いものになった。
1000も他領への軍事行動に向けるのは、復興から三年のこの領地では、農地から人をはがし、食糧需要を危機ラインに落としても厳しい。そもそも、兵士となりうる成人男性の割合が低すぎる。少年兵だらけになるだろう。
「公爵領からは、私兵を200貸与してもらえることになってる。既にこちらに向かっているはずだ」
スタンピードの可能性はあるが、兵力差を考えれば借りざるを得ない。公爵家としても冬真と王女を守る姿勢を見せねば面目が立たないらしい。カティアが来てくれたのと同じ理由である。
「それと、バルフラウ領軍の侵攻が確定したあとは、援軍として500の領軍を差し向けてくれるそうだ」
少しだけ、ベルダーンの表情が明るくなる。
援軍の派遣が、侵攻が確定してからなのは、バルフラウ領を侵攻するつもりだった、などという言いがかりを防ぐためだ。
援軍500は、嫡子であるブラーフェルが率いてアイザー領との領境で訓練を名目に駐留してくれるらしい。こちらは社交シーズンまでと期限が分かっているからできる手だ。
公爵領が手薄になってしまうが、王都側の王太子派閥の領地は、後背にある王女派閥領地と王都の軍閥の存在があるので、バルフラウ領の防衛戦でもないのに、領地を挙げて軍を動かす可能性は低いという。
懸念点は、やはりスタンピードである。ブラーフェルには、魔物領域から距離をとって行軍して、異状があったら決して無理をせずにヴィルキアに引き返すようにと念を押してある。スタンピードが起きれば、バルフラウ軍だって侵攻を続けられるはずがないのだから。
「で、うちが対応できる兵力って、どれくらいかな?」
「我が領は、まだ人口が回復しておりません。領の生産力に影響を与えない範囲なら300が限度です。食糧の供給を諦めて、練度不足と装備不足を足しこんで、700が限界です。その多くは、兵士とは呼べないものになるでしょう」
出席者の表情が、険しいを通り越して悲壮なものになる。
「公爵家から私兵200と領軍500の援軍があって、かなり無理して1400か。数だけを見れば勝負になりそうだけど、練度と装備不足を考えると、数をそのまま考えるのは厳しいだろうね」
フェルティスが頷く。
「はい。ベルダーン殿の情報のとおりなら、こちらの総兵力は1000と計算しておいた方がよいかと」
しかも、兵力は公爵家の比重が大きい。この戦いを凌いだら、結局は冬真が殺人人形にならないといけないくらいの巨大な恩ができそうだ。いや、王女のための戦いだから王女が恩を返すのか? しかし、王女と婚姻するのだから、結局は冬真が一緒に返すことになるのだろう。
仕方がない。これも冬真が自分で選んだ道だ。
「少なくとも、ブラーフェル殿が来てくれるまでは、迎撃は自殺行為だね。そうなると籠城戦、か」
冬真は顎を指先でつついた。
「王女殿下は、王都にいらした方が安全だったのでは?」
思わずカティアがもらした感想も無理はない。冬真は肩を竦めた。
「その可能性は否定できません。……万が一、この領地が落ちそうになったら、王女殿下には安全な場所に一時避難していただくのがよいかと」
「敵はまっさきにヴィルキアとの連絡を遮断するかと思いますが」
「そうですね。だからその場合、向かうのは王国領外です」
「は」
「ブラッドベア生息地のど真ん中であれば、敵は王女殿下にたどり着く前に壊滅いたしますので」
ルシュラが青ざめて冬真の指先が地図上で指し示す位置を見ている。
「危険なのでは?」
「危険は危険ですが、案外、魔物の反応範囲というのは限られています。その隙間であれば、十分滞在が可能です。むろん、王女殿下が躓いて石を蹴ったりとかなさらなければ、の話ですよ」
そうでなければ、夜になったときに寝ることもできないではないか。
「しかし、それでは、侯爵をゲルトルから離してしまうことになるぞ」
「敵の本当の目的は私と王女殿下です。格好の獲物が自分から出てきてくれたら、大喜びで食いつきますよ。ゲルトルへの圧は下がるはずです」
フェルティスが頷く。
「間違いないでしょう」
「それで、籠城戦になるとして、土嚢の設置はどれくらい進んでる?」
問いはベルダーンに向けたものだ。
襲撃事件があってから、フェルティスの進言で石壁内部の土嚢の積み増しを行っている。最悪門は破られても、冬真が防衛すれば簡単には中に入れない。しかし、複数個所を破られれば終わりだ。
「目標の七割です。敵軍到達までには間に合うかと」
冬真は溜息を吐いた。ひとまず、致命的な状態ではないらしい。
「しかし、畑に被害が出るのは嫌だな。せっかくここまで復活させたのに」
「略奪は避けられません」
ベルダーンの表情も苦々しい。
「うーん……」
兵の数には圧倒的な開きがある。――籠城戦しかないのか?本当に?




