第百話
あと五話で完結です。
城館の官僚執務室に冬真が入っていくと、ベルダーンが音を立てて立ち上がった。
傍らで代筆を行っていた官僚が、会釈して下がっていく。
「主君、ご無事でしたか……!」
「うん。怪我一つしてないよ。こっちも無事なんだね?」
「はい、特に問題はございません」
ベルダーンとともに、冬真用の執務室に移動して、冬真は眉を上げた。
そこではフェルティス、王女、カティアがそれぞれ執務机に座っていた。執務机を二つ追加したらしい。さらに、部屋の隅には寝台まで入れてあるので、そこそこ広いはずの室内が、実に狭苦しいことになっている。
現れた冬真の姿を見て、三人ともが表情を緩めた。
フェルティスが立ちあがって、冬真に席を譲った。
「主君のいない間、机をお借りしました」
「このまま執務を全部代わってもらってもいいんだけど」
冬真は座りながら、半分本気でぼやく。書類仕事なんて嫌いだ。肉体労働はもっと嫌いだ。
「ご冗談を」
ため息を吐いて、冬真はルシュラとカティアに視線をやる。
「もしかして、お二人も手伝ってくださっていたのですか?」
「フェルティスが目を血走らせてペンを走らせているというのに、横で呑気に遊んでいられるわけがないであろ。大した手伝いはできぬがな」
「それは、ありがとうございます」
「そなた、もう少し人を増やしたがよいぞ。家宰殿が過労死せぬか心配だ」
「それは私も心配なのです。カティア殿の末弟殿が仕官してくださるそうなので、大いに期待しているのですが」
すると、カティアが顔を引きつらせて、視線を泳がせた。
「私は弟に恨まれるのかもしれません」
すでに通った話である。後悔しても遅いのだ。カモがネギを背負って自分からやってきてくれるのだから、鍋にして食べるのが礼儀というものである。
「で、報告だけど。迎撃はうまくいった。領軍にはこちらには来ないだろう。というか、来られないだろう」
「全滅させたのか?」
ルシュラが、慄いたように言った。他の三人も、王女と似たり寄ったりの表情である。
「いいえ。迎撃最中に、魔物の異常発生を確認しました。おそらくスタンピードかと。ヴィルキアと王都に至急の伝令を出してくれ。ブラーフェル殿がまだこちらに向かっていたら危ない」
後半はベルダーンに向けた指示である。
四人の表情が、さっと厳しくなる。
「すぐに手配をいたします」
ベルダーンが慌ただしく部屋を出ていく。
「まさか、本当に起きるのか?」
「私が領境の森を撤退したときには、バルフラウ領軍は完全にこちらの領側に踏み込んで散開していました。魔物が倒す傍から発生しておりましたので、そこから軍を取りまとめて撤退するのは難しいでしょう。おそらく壊滅……いえ、全滅します」
「王太子殿下に唆された結果がスタンピードによる自領の壊滅とは。何より領民が気の毒です」
フェルティスがそう言って、冬真の机の上から、一枚の羊皮紙を差し出した。
「こちらがバルフラウ伯爵が発した檄文です」
『アイザー侯爵は女神の奇跡を独占しようと、武力と『ルキアの矛』の二つ名を盾に、王女殿下の囲い込みを企んだ。そればかりか、王女殿下をさらって領地に閉じ込めて人質としている。自分は王国の秩序を取り戻すため、そして王女殿下を救出するため、兵を挙げてアイザー領と戦うものである。心ある諸侯は我に続け』だそうである。
「よくもまあ、面の皮が厚いとしか言いようがないな。これって、俺が負けたらどさくさに紛れて王女殿下を弑して、『自棄になったアイザー侯爵が王女殿下を害した』とか言い出すつもりなんじゃないの?」
ルシュラが頷く。
「王太子殿下はそのつもりであろうな」
冬真はフェルティスに視線を向けた。
「スタンピード時は王国との協定があって、周縁諸侯には援軍が入るんだろう? バルフラウ領が壊滅するのか?」
王国では定期的にスタンピードが起きているため、スタンピード対応に限定された特別法がある。王家を含む内縁部領地は、スタンピード時には一定兵力を一定期間、外縁部領地に救援として提供しなければならない。
救援先の調整を行うのは王国だ。冬真がアールバルで徴用されてヴィルキアに送られたのも、この特別法に基づいた措置である。
「領地戦を開戦した側に王国が兵力を余分に回したりすれば、今回の領地戦の負担を王国が持つ、ということになります。主君に対する敵対宣言にも近しいかと」
フェルティスの表情は沈鬱だ。
「しかも今回は、主君からスタンピードが警告されていたのに開戦に踏み切ったわけですから、酌量の余地がありません。援軍を送る諸侯としても、無駄死にさせるために送ることは承知できません。おそらく、領民の避難を手伝うだけで、スタンピード開始前には撤退するという運びになるでしょう」
ルシュラとカティアも、それぞれ、悲痛な表情を浮かべている。
「領民の避難は間に合うかな?」
「難しいでしょう。避難行動を監督する領兵が圧倒的に不足しているはずです」
「そうか……」
冬真は一瞬だけ、バルフラウ領方面に視線をやった。
首を振って、視線を戻す。
「仕方がない。選んだのはバルフラウ伯爵だ。我々だって、スタンピードを生き残れるかは分からないわけだから。防衛計画に集中しよう。フェルティス、頼りにしてるよ」
王国からの援軍が入るにしても、兵力が足りないのは間違いない。
冬真が話している最中に、ベルダーンがそっと部屋へと戻ってきた。
「は、お任せください」
「防衛戦が避けられないとなると、間者の動向が心配だね。王女殿下にはヴィルキアにご退避いただいたほうがいいかな?」
バルフラウ側の領境とは違って、ヴィルキア側の道は手入れをしてあるので、魔物生息域との間の緩衝地帯が機能している。王国の援軍もそこを通ってやってくるのだ。
フェルティスが首を振る。
「可能性はあります。が、過度に心配なさる必要はないかと。危ないのは、スタンピードが終結した直後です。助かったと思えば、誰しも気が緩むものですから。隣で一緒に生き延びた仲間を疑いにくくもなります」
「終わったからって安心して眠ったりしてはいけないってわけだ。王女殿下はここに残るのでよろしいですか?」
「むろんだ。私も魔法は結構使える方なんだぞ。カティアほどではないがな。スタンピードであれば、私も防衛に加わる」
「それは……」
「結果として、私はそなたから公爵家の婚約者と言う立場を奪い、この領に公爵家との従属関係を押し付けたことになる。であれば、領を先頭に立って守る姿を見せねば、領民も納得するまい」
冬真は眉を下げた。またしても、自分が動いた結果が王女を戦場に押し出している。
ルシュラが苦笑する。
「そのような顔をするな。そなたの申し出を受け入れたのは私。だから戦場に立つのも私の責任だ。どうにも、そなたは自分の責任を抱え込みすぎるな。人間としては美徳でも、貴族社会では付け込まれるぞ。王太子殿下なら、大喜びでそなたに罪悪感を植え付けるところだ」
「性格でして」
「それで苦労するのはそなたではなく、周囲なのだぞ。以前にも言ったが、周囲に被害を出したくないのであれば、そなたは変わらねばならぬ」
冬真は肩を落とした。返す言葉もない。
フェルティスは無表情、ベルダーンはルシュラへの反感と納得が入り混じった複雑な表情だ。
「努力いたします」
ルシュラとの会話がひと段落したと見たのか、フェルティスがおもむろに口を開いた。
「では、王女殿下を含めて防衛計画を策定いたします。王女殿下には基本的に主君と行動を共にしていただく前提でよろしいですね? 兵力が足りないため、同室でお過ごしいただくことになりますが……」
遠慮がちな声を聞きながら、冬真は考える。
スタンピードが、一定の人的損害で終わるものならば。バルフラウ伯爵領の壊滅によって、スタンピードの終結は早まるのではないか?
人間を大量虐殺してスタンピードを引き起こした挙句に、さらに失われる人の命の数を計算して、自領が少しでも安全になったと喜ぶ。……自分はもう、人間とは呼べない。ただの怪物だ。




