第百一話
周囲には、地響きのような音と、低い嘶きが満ちていた。
冬真は、街壁上から地上を見下ろして、フレアウォールを撃った。押し寄せている魔物は、これまでのこの領を襲ったスタンピードと同じ、ジャイアントボアである。
ジャイアントボアはそこまで魔法防御が高いわけではない。冬真の攻撃一発で炭となって崩れ落ちる。その後ろからも、次々と押し寄せたジャイアントボアが炎の壁に突っ込んで燃え落ちていく。
冬真は左手にした弓を構えて、今度は弓矢でジャイアントボアを倒していく。
スタンピードが始まるまでに新調したばかりの、ブラッドベアやグレートボアの腱を贅沢に使った強弓だ。通常の腕力では満足に引くことすらできないかわりに、飛距離は2倍だ。
横では領民の子供が矢を補給してくれている。その目はきらきらと輝いて冬真を見ていた。
隣では、ルシュラが魔物の密度が高い場所を狙ってファイアーボールを撃っている。ルシュラはフレアウォールも撃てるが、すぐにマナ切れになってしまうため、ファイアーボールで局所援護を担うことになったのだ。
ルシュラの装備も、出来る限りブラッドベア革で整えた。そもそもルシュラは一般人に比べればはるかに魔力が高いので、刺客が魔法攻撃してもそのままのダメージは通りにくい。
ブラッドベア革であれば、魔法防御も物理防御もとびぬけているので、至近距離からの一撃でもなければ即死はしない。王女に不用意に近づくものは警告なしに排除する、という告知も出してある。
ルシュラの指にはミスリルの指輪、手首にもミスリルの腕輪が輝いている。マナ回復量増加と魔法防御力増加のアーティファクトである。もちろん冬真もつけている。
ベルダーン、カティア、フェルティスにもルシュラと同様の装備を作って渡した。王女を攻撃できないと見た刺客が、中核人員にターゲットを切り替える可能性もあるからだ。
ルシュラとカティア、フェルティスは渡された装備品が全て冬真お手製だと知って、ツッコミを諦めたような顔だった。
「アーティファクトを自作できるだと? それにこの鎧まで……。そなたの価値がどんどんとんでもないものになってゆくな……。いや、もはや今さらか……」
現在は、夜明けに始まったスタンピード開始から半日後。陽が稜線にかかって、世界は薄暮に沈んでいる。
冬真が立っているのは、もっとも魔力圧の高い、王国領外に向けてせり出している角である。ゲルトルは長方形の都市だ。ボアの突撃の負荷が街壁の角に集中してしまう構造になっている。いつかは都市が発展したら、今ある街壁の外側に新しい六角形の石壁を建ててもいいかもしれない。そんな日まで冬真が王国にいるのかは知らないが。
フレアウォールが消える。冬真はある程度マナが溜まるまでは弓を撃って、再びフレアウォールを唱える。
魔物の群れに恐怖と不安の視線を向けている領兵たちは、立ち上りつづける炎の壁に安心を感じているようだった。この炎の壁が立ち上っている間は、領主が――『ルキアの矛』がゲルトルを守ってくれているのだ。
指揮官以外の魔法士は、二名が冬真とルシュラの休憩時の交代要員で、他は残りの角に割り振っている。実にギリギリだ。
「南東方向にグレートボア! 数は12!」
見張り兵の叫び声に、辺りが一気に緊張する。角による重量級の衝突は、石壁に対する天敵みたいなものだ。
冬真は、左手に持った弓を引いた。恐ろしげな風切り音を立てて、矢は真っ直ぐにグレートボアの眉間を貫く。
グレートボアは、フレアウォールでは殺しきれない。確実に弓で射殺す。
周囲に待機した領兵たちは、もはや畏怖と信仰を込めた眼差しで、難なく天敵を射殺す冬真を見ている。
「何を見てる? 射て。一体でも減らすんだ」
「はいっ」
冬真が言うと、領兵たちが慌てて弓を射る作業に戻った。
冬真はグレートボアを全部射殺してから、再びフレアウォールの設置に戻った。
地上に目を凝らす冬真の胸には、じりじりと焦燥が迫っていた。
王国軍からの援軍は、近接兵150名、弓兵150名に魔法士10名。公爵家から貸与された私兵が200。アイザー領兵が700。公爵家の私兵は、スタンピード対策にそのまま貸してくれた。ヴィルキアの防衛もあるだろうに、実にありがたいことである。
王国からの援軍は正規の王国軍であるうえ、指揮官はフェルティスともカティアとも親交のある相手だそうだ。軍務大臣が王女派閥だから、最大限の配慮をしてくれたのだろう。
王女を王都に戻すように、という王国名義の要請も来たが、これはルシュラ自身が拒絶した。王都では王女を盾に王国の援軍を出させたなどと、また口さがないことを言われていそうだ。
部隊を二つにわけて、6時間で1交代。長辺に150名、短辺に120名。およそ12mに一人しか配置できない。それも近接兵と弓兵こみで、である。人を遊ばせておく余裕などないので、近接兵にも弓を持ってもらってイノシシ狩りだ。
ここまでの防衛で、蛇型・猿型の登攀魔物によって、領兵3名が命を落としたと報告を受けている。予備兵力などというものはわずか20名しか置けていないので、あと17名が失われれば、どこかの壁の密度を下げざるを得ない。
防衛兵力が絶望的なので、苦肉の策として、もっとも耐久力が低いと予想される街門は石壁で埋めた。応急のものなので、他の石壁よりは強度が低いが、木製の扉をそのまま晒しているよりははるかにましだ。内側は土嚢を優先的に積んで補強してある。
防衛射撃の密度は高いとは言えず、ジャイアントボアの排除は進まない。しかし逆に言えば、下にジャイアントボアがひしめき合っていることで弓は撃てば当たるし、敵も助走距離が取れず、石壁への衝撃が抑えられているむきがあるようだ。
そのかわり、恐ろしい圧力が継続的に石壁にかかっているはずだ。石壁内部では、今も戦闘に参加できない老人と子供たちが土嚢積みに追われているが、あとどれくらいの時間、この圧力に耐えられるものだろう。
まもなく交代の時間がやってくる。
冬真とルシュラも一度は休みを取った。ただし街壁の上での仮眠だ。
グレートボアが襲撃に混じったなら、冬真が排除しないと街壁に確実にダメージが入る。ジャイアントベア、ブラッドベアなどの登攀可能な強力な魔物の生息地も領外にあることから、混じってくる可能性もゼロではない。悠長に中に入って休むわけにはいかない。
まして、これから視認性の落ちる夜だ。冬真もルシュラもここからは徹夜である。上級魔物の接近を見逃せば大惨事が待っている。即応できるようにしなければならない。
対角線上の角の指揮をまかせたフェルティスも、左右の角を受け持っているベルダーンとカティアも、その間で指揮をとっているフロイとプレッタも、同様の体制に入っている筈である。
しかし、いつまでも守り切れるわけではない。明日になってもこの攻勢が続くようであれば、人員の摩耗は避けられない。三年前、ヴィルキアの防衛戦はそこまで長くは続かなかった。おそらく、ゲルトルが壊滅したからだ。
早く終われと願うということは、他領で命が失われることを望むということでもある。そして、現実に、今この瞬間に、バルフラウ領では命が失われ続けているのではないか。
「報告!バルフラウ領方面、グルドハイム領方面は想定よりも敵群密度が低いとのこと。異常なしであります!」
「そうか、ありがとう。こっちも異常なしだと伝えて」
もしかすると、バルフラウ領軍が撤退しようとして、バルフラウ領方面に魔物を引き付けたか排除してくれた影響だろうか。彼らにとっては皮肉な結果であるが、一方向だけでも魔物が少ないのはありがたい。
冬真の受け持っている方向は、およそ想定したとおりの密度である。地上には、映画のワンシーンを彷彿とさせるような情景が広がっている。見渡す限り、イノシシの群れ。
東の空には、月が登り始めていた。この世界の月は、ゲームと同じく常に満月である。




