第九十五話
「そなた、言葉が足りないにもほどがあるな」
王女は呆れ顔だった。
「国王陛下には、王女殿下をお守りしたいと申し上げたのですが」
「ディルナクでさえ、それは本音ではなく建前だと思っているであろうな」
「それでは、王女殿下も建前だとご判断なさったのですか?」
「つい先ほどまではな。そなたの家宰を助けるために、私の結婚を道具として扱うとんでもない男だと思っていた。カティアも憤慨していたぞ」
冬真は頷く。
「間違いではありません」
王女が胡乱なものを見る目つきになる。
「大事なことは、省略せずに話せ。人は助けてもらったと認識して初めて感謝を抱くのだぞ」
冬真は目を瞬かせた。
「感謝いただく必要などありません。私が助けたいから勝手に助けるだけですので」
「調査隊の振る舞いもその理屈でああなったわけか……」
たとえ侍女と言え、女神の奇跡が冬真のものであったと表現するのには危険があると見ているのだろう、王女の言葉はぼかした表現になっている。
「王女殿下には、大変なご迷惑をかけてしまいました」
「最終的に判断したのは私だ。謝罪は私の裁定を軽んじることだぞ。私はそなたにこの上ないほど感謝している」
「私のしたことが、この国に嵐をもたらしたのだとしてもですか?」
冬真の問いに、王女は首を振る。
「私は王女として、調査隊の者たちが助からない方が良かった、とは決して言えぬ。……それに、そなたにその力がある以上は、遅かれ早かれだ。そなたに警告したとおりにな」
王女の顔に、苦笑が浮かぶ。
「それなのに、まさか、そんなことを引け目に思って、公爵家と養子縁組までして私を助けようとしてくれるとはな。侍女に話したら、目を輝かせて喜びそうな話だ」
首を傾げる冬真に、王女が肩を竦める。
「そのまま、自分の身を犠牲にして王女を守る英雄の物語ではないか。そなたは『ルキアの矛』だからな」
「……ご冗談、ですよね?」
「そうだと思うか?」
王女の視線が何よりの答えだった。
王女が表情を改めた。冬真を真っすぐ見つめる。
「まだちゃんと礼も言っていなかったな。……そなたが、身を切ってまで私を助けようと動いてくれたこと、感謝する。私は、そなたの心に、必ずや報いると約束する。……が」
「が?」
「他に言い忘れていることは、もうないだろうな?」
王女はジト目である。
冬真は、もう一度王都に戻ってきてからの王女との会話を思い返した。それを、自分の中にある前提と一つずつ照合していく。
「あ」
「あ?」
「……ええと」
怒られるかな?怒られるよな。嫌だなあ。
心の中でぼやきながら、冬真はおずおずと切り出した。
「俺は使命を果たしたら自分の国に戻るので、最終的に、王女殿下は寡婦になることに……、申し訳ありません」
王女の顔色に気が付いた冬真は、最後まで言えずに、謝罪した。
* * * *
冬真は、王女の私室の隣に狭い部屋を用意された。狭いとは言っても、王女の部屋と比べればの話であって、12畳くらいはありそうだ。寝台とチェスト、小さな執務用の机と歓談用の椅子までが用意されている。
「至れり尽くせりだなあ」
冬真は部屋を見回して、苦笑した。
王女に近衛として仕えろというのは、つまり、劣勢を悟った王太子派が王女に対する実力行使に及ばないように、護衛しろという意味だ。
王女の私室の反対側の隣には、フェルティスの部屋が用意された。当初は近衛兵として王女を護衛するのは冬真だけ、という話だったが、フェルティスから自分も警備体制に組み込むように進言があったのだ。
冬真がディルナクにこの話を持って行ったら、諸手を挙げて歓迎された。王国最高の武力が二人で交互に護衛してくれるというのだから、断る理由があるはずがない。
冬真は日中の護衛だ。夜間の担当がフェルティスである。
危険度の高い夜間を冬真が担当したほうがよいのではないか、と疑問を呈したのだが、あくまで暴発を思いとどまらせるための護衛であって、暴発を前提とした護衛ではないらしい。冬真が王女の傍に常に控えていることを見せるのも大事だそうだ。
冬真としては、困ったときにすぐに相談できるフェルティスが傍にいてくれるのは非常にありがたい。気分は、青いタヌキ、じゃないネコ型ロボットに泣きつく落ちこぼれ小学生である。
* * * *
ルシュラの護衛として過ごして、一カ月ほど経った日のことだった。
王女の面会時間に入室してきたのは、冬真にとっては馴染みのある相手である。
「王女殿下にお目にかかれて光栄です」
そう言って礼を取るのは、グルドハイム公爵家嫡子、ブラーフェルだ。冬真が王宮に常駐状態となってからは、一週間に一回ほど顔を出して、グルドハイム公爵家との連絡役を担ってくれている。
ブラーフェルが椅子に落ち着くのを待って、ルシュラが椅子をもう一脚運ばせる。それが済んだら、潮が引くように侍女が一人を残して下がっていく。もう慣れたものだ。
「アイザー侯爵も、座るがいい」
「失礼いたします」
ブラーフェルが、ちらりと王女に視線を流す。
「今日は、いくつか良くない知らせを持ってきたのです。王宮内のことですので、既にご存じかもしれませんが……。最近はさらに空気がよろしくないようで」
ルシュラが沈んだ顔になる。
「うむ。知っている。アイザー侯爵を貶めるものだな」
冬真もディルナク経由で聞いている。
『ルキアの矛』という二つ名をいいことに、全ての女神の権威を私物化しようとしているとか、王国秩序への挑戦だとか。王女と面会する諸侯が冬真に向ける視線は冷ややかなものばかりだ。通りすがりに、わざわざ嫌味のような言葉を吐いて去っていく者もいる。
「成り上がり侯爵にも目をかけてやったのに、裏切られた王太子殿下がお気の毒だ、という声も大きいようで。……王女殿下のお耳には入りづらいかと思いますが」
少しだけ言いづらそうに、ブラーフェルが言う。
「王太子殿下の派閥も、焦っているようですね」
グルドハイム公爵は既に国王に謁見したそうだ。現在は、法整備と根回し中らしい。あと数カ月で次の社交シーズンになるから、おそらくそこで正式な裁定があるだろう、というのはディルナクとブラーフェル、双方から伝えられていることだ。
「それで、これが本題なのですが……バルフラウ伯爵領方面が、どうやら不穏でして」
冬真は顔を強張らせた。
「兵力の準備を進めていると報せがありました。近郊の諸侯と、縁戚である宰相家門も相当数の私兵を集めていると」
ルシュラが顔を歪める。
「このまま平穏には終わらぬか」
「向こうにとっては、国王陛下の正式な裁定が下るまでが状況をひっくり返せる最後のチャンスです。仕掛けてくる可能性は十分あるかと」
ルシュラが冬真に顔を向けた。
「そなたはどうするつもりだ。領地を見捨てるわけにはいくまい?」
そんなもの、決まっている。
「領地に戻ります」
ルシュラが頷く。
「そうなるであろうな」
「つきましては、王女殿下にお願いございます」
真顔の冬真に、過去の記憶を刺激されたのか、王女が顔をしかめた。
「そなたがそのように言うときは、ろくでもない願いのような気がするな」
言いがかりだ。ちゃんと合理性はある……と思っている。冬真の中では。
「どうか、領地までご同行いただきたい」
ルシュラが目を見開く。
「王太子殿下は、私とフェルティスを王都から引きはがして、王女殿下を排除する心づもりなのかもしれません」
王女を守ると言いながら、王女より領地を優先した。あるいはわざと隙を作った。アイザー侯爵は裏切り者だ。
ルシュラを排除さえしてしまえば、いくらでも後付けで冬真を非難できる。
「王女殿下をわざわざ戦場にお連れするのか? ヴィルキアに留まっていただくほうがいいのではないか?」
冬真は首を振った。
「もしもそれでヴィルキアが襲撃されて王女殿下や公爵領の領民に被害が出たら、俺とグルドハイム公爵家の関係が悪化する。……それに、ヴィルキアにはフューリア殿がいる。俺はそこまで無神経になりたくない」
冬真を慕っている、と言ってくれていた少女だ。まだ、婚約解消を突き付けてから二カ月も経っていない。既に冬真が王女との婚約に動いたことは伝わっているだろう。
新旧婚約者の対面なんて、絵に描いたような修羅場だ。その場に居合わせたくないのはもちろん、そんな状況を設定する戦犯になるのもいやだ。
「王女殿下、いかがでしょう」
「私とてそなたのいない間に暗殺されるのはごめんだ。が、国王陛下に内々に話を通さねばならぬ。今日この後すぐ、というわけにはいかぬぞ」
「承知しております」
そこで、ルシュラの表情に少しだけ茶目っ気が混じった。
「しかし、そなたは婚約者だ。もう少し、私の心がときめくような言い方で領地に誘ってくれてもいいのだぞ」
冬真は固まって、ルシュラを見つめる。
「……むりです」
ルシュラが眉をそびやかして頷いた。
「知っておる」
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