第九十四話
「アイザー侯とこのように話をするのは初めてだな」
「身に余る誉れです」
冬真は答えて、深く首を垂れた。相手に対する敬意を示すためだ。
「面を上げよ」
執務机の向こうに座る、礼服に身を包んだ国王は、冬真の父親よりもずっと若く見えた。
国王の隣には、法務大臣が無表情で立っている。執務机の正面に冬真、冬真からは見えないが、冬真の右後ろに控える形で、軍務大臣のディルナクが立っているはずだ。
「そなたから、特別の申し入れがあったとディルナクから聞いた。相違ないか?」
「は。アイザー侯爵トーマとして、国王陛下に王女殿下との婚姻をお認めいただきたく、請願いたします」
国王が目を細める。
「そなたは、現在グルドハイムの令嬢を婚約者としていると思ったが、その縁を解消して、王女との婚姻を求めるか」
「はい」
「グルドハイムが納得するとは思えぬ。王家がそなた個人の負債を引き受けるわけにはいかぬぞ」
「承知しております。解消に際して、グルドハイム公爵閣下には、父上とお呼びする許可をいただきました」
ディルナクからは、冬真の王女と婚姻したいという意向だけ国王に伝えたので、細かい事項は直接話すように言われている。意図を勝手に歪めるようなことがあっては、あとから問題になるからだろう。
冬真の返答に、国王と法務大臣の表情が変わった。一瞬だけ、互いに視線を見交わす。
「……そなたは、女神の思し召しでこの王国に来たのだったな。そうまでして王女と婚姻を望む理由は何か。そなたには既に十分な恩賞を与えた。裁定に不服があるのか?」
内容に反して、国王の声にはそこまでの険がない。王家にも十分すぎるほど利のある申し出だ、というフェルティスの見立ては間違っていなかったらしい。
「そのような意図は決してございません。私の『ルキアの矛』としての名声と力で、女神の寵愛深き王女殿下をお守りしたいのです」
国王の表情が微かに緩む。冬真は畳みかけるように続けた。
「もしも国王陛下が望まれるのでしたら、王女殿下の降嫁ではなく、私の婿入りという形でも構いません。ただ、私にも爵位がございますので、王女殿下と私がそれぞれ別の家門の当主となる形になってしまいますが」
「ふむ。可能か?」
国王の問いかけは、法務大臣に対してのものだ。法務大臣が頷く。
「多少の法を整備する必要はございますが、家門の後継者がいない場合に、十分な後見のもと、一時的に女性が爵位を留保した例も、その状態で他の家門と婚姻を結んだ例もございます。その場合、お二人の子供がそれぞれ、別の家門の後継者となる形になるかと」
「ふむ……」
国王が考える顔になる。一瞬だけ、その表情に苦々しげなものがよぎった。
「そなたの力を王女に捧げたいという忠誠を拒んでは、女神に顔向けできぬな。だが、この決断は、王位継承の序列を脅かすことになろう」
冬真は国王の言葉に眉を動かさなかった。国王が眉をひそめる。
「それでも望みは変わらぬか。……王太子は王国の世継ぎとして、一度は私が選んだのだ。軽々に扱うことは許さぬぞ」
「無論のこと。王国の臣として、国王陛下のご裁定を疎かに扱うつもりなど、毛頭ございません」
国王が溜息を吐いた。
「グルドハイムからも話を聞かねばならぬ。後日に謁見の予定を設ける。それまでの間は、そなたには王女付きの近衛兵として、王女にその力を捧げることを許そう」
「陛下のご恩情に感謝申し上げます」
冬真は最後にもう一度、深く首を垂れた。
* * * *
王族の私的な生活空間に足を踏み入れるのは、初めてだった。
王女の私室では、ルシュラがくつろいだ様子で椅子に座って待っていた。冬真はその前に立って、一礼する。
「王女殿下の近衛兵として、本日より特別に任命されました。よろしくお願いいたします」
「うむ。よろしく頼むぞ、侯爵」
ルシュラが頷く。
「さ、ではそこに座ってくれ」
早速正面の席を示されて、冬真は首を傾げた。既視感のあるやりとりだ。
ルシュラが、じろりと視線を寄越した。
「どうした? まさかこの期に及んで、自分がただの近衛兵だと申すつもりではあるまいな」
「……では、失礼して」
冬真が王女の向かいに腰を下ろすと、王女が片手を振る。部屋の隅に控えていた侍女が一人を残して、退室していった。
「陛下とのやりとりは、ディルナクから聞いている。大変な喜びようだったぞ」
「ベルシュフォール侯爵は、どうお考えか伺っても?」
「自分で聞けばよい。そのうちやってくるであろう」
王女の答えは素っ気なく聞こえるが、王女が気遣う必要がない程度には侯爵も賛成しているということだろう。
そこで冬真は、少しだけ言葉をためらった。
「何だ?侯がためらうなど珍しいな」
「ええと、その、少々今さらではあるのですが……」
冬真は視線を泳がせた。これは、国王との謁見が終わって、いざ王女と再会するとなってからやっと冬真の頭に浮かんだ疑問である。
「王女殿下には、慕っておられる方などは……」
王女はカッと目を見開いた。
「本当に今さらではないか!」
もっともなツッコミである。耳が痛い。行動を急ぐあまり、完全に失念していた。
冬真は肩を落とした。
「言い訳になりますが……。私の領民を悼んでくださった王女殿下が、自分に従う者たちの立場と命がかかっている情勢で、ご自分の感情を優先なさるとは思えなかったのです」
王女が嫌そうな顔になる。
「そんな風に言われたら、怒る私が狭量みたいではないか」
「怒っているのですか?」
「少しだけだ」
「申し訳ございません」
「謝るな。そなたは私を、私が目指している、あるべき王女の姿として扱ったのだ」
冬真は黙った。怒っているのに謝るな、とはどうしたわけだ。難しすぎる。
王女が冬真を一瞥して、追加する。
「これは八つ当たりだ。そなたに謝らせたら、ますます私が狭量になるではないか」
「なるほど」
分かるような、分からないような。
「今さらついでに、私も侯に尋ねたいことがある」
「何でしょう」
「なぜわざわざグルドハイム公爵家との婚約解消を選んだのだ?」
冬真は首を傾げた。
「私と結婚しなくとも、公爵家の後ろ盾があれば、それに近い地位にはなるであろう。いかな言葉を飾り立てても、そなたが公爵令嬢を捨てて私を取ったと見る者が出るのは避けられぬぞ」
「もちろん、王女殿下をお助けするためです」
「何だと?」
王女は目を瞬かせた。ひやりとしたものが、冬真の背中を伝う。
「……もしかして、私はそれをお伝えしておりませんでしたか?」
王都に帰って来てから王女と交わした会話を、最初から思い出す。……まずい。
「そなたとは、どうやらゆっくり話し合う必要がありそうだ」
王女の瞳は、爛々と輝いていた。
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