第八十九話
フェルティスが、執務室に入って一礼した。
執務机に座った冬真の横には、ベルダーンが立っている。
「調査隊で会ったことはあるけれど、フェルティスが仕官してくれてからは顔を合わせるのは初めてだね。改めて紹介しよう。アイザー侯爵家の家宰を務めてくれている、ベルダーンだよ。ベルダーン、前近衛兵団長のフェルティス殿だ」
「フェルティス殿が仕官してくださったとは報せで聞いていましたが、この目で見るまではなかなか信じられませんでした。心強い限りです。これからよろしくお願いします」
「ベルダーン殿、新参者ですが、よろしくお願いいたします。……それと、主君は、私に敬称をつけて呼ぶのはおやめください」
冬真は首を竦めた。
「さ、早速だけど。今回の襲撃について、フェルティスの意見を聞きたい。ベルダーン、悪いけど、もう一度、同じ話をフェルティスにしてくれ」
「は」
話が進むにつれて、どんどんフェルティスの表情が険しいものになっていく。
ベルダーンの話が終わるのを待って、冬真は口を開いた。
「ベルダーンは、この襲撃は、俺が奇跡を思いのままにできるかを確かめるためのものだと見ている。俺も同感だ」
「妥当な推測だと思います」
「多分だけど……一番の標的はベルダーンじゃない。エルネラだったんじゃないのか。ベルダーンが早めに異変に気が付いたから失敗しただけで」
フェルティスが頷く。
「可能性は十分にございます」
六歳の娘の右手を落とされれば、よほどの冷酷な人間でなければ、回復に動かざるを得ない。冬真に回復能力があるのに動かないのであれば、フェルティスを助ける動機も成立しないから、王女の奇跡の原因は冬真ではない。
「悪辣な……」
ベルダーンが呻く。
フェルティスが、ベルダーンに視線を向ける。
「ベルダーン殿に女神の奇跡は?」
冬真は首を振る。
「止められた。わざわざ敵の要求に応えてやる必要はないってさ」
「ベルダーン殿は奇跡についてご存じなのですね?」
「うん、話してある」
フェルティスの視線に意外そうな色が混じった。
「それでも主君なら、強引に回復をなさるかと思いましたが」
「フェルティスは止めないの?」
「臣下としては止めるべきですが……、主君から奇跡をいただいた私が、ベルダーン殿の回復を止められる道理がございません」
フェルティスが沈痛な面持ちになる。
「まして、私の回復が、ベルダーン殿の負傷の呼び水になっているとあればなおさらです」
「フェルティスの両腕は、俺が勝手にしたことだ。だから、この事態の責任は俺にある」
冬真は深く息を吐いた。
「エルネラが狙われ続ける可能性がある。王都に移動させたい」
「それがよろしいでしょう。王都でこのような騒ぎを起こせば反逆です。リスクは劇的に下がるかと」
「本当は、フェルティスをゲルトルに置いておきたいんだけど、それは俺が困る」
「恐れ入ります」
「でもせっかく来たんだから、フェルティスには領内の警備と防衛体制の見直しを命じる。元近衛兵団長としての知見を存分に生かしてくれ。あまり時間はないけれど」
ゲルトルに長居はできない。長居をしてしまうと、今度は王太子派が王女を排除しても、冬真の留守を仕組んだのではなく、たまたま留守が長かったから準備ができただけだ、という言い訳を与えてしまう。用意できるのは、せいぜい一日か二日だ。
「承りました」
「できれば指揮系統の再編も見てほしいけど……」
「さすがに時間が足りないかと。ただ、フェルティス殿のご意見はほしいので、王都でご検討いただけるように、至急資料をご用意いたします」
フェルティスが苦笑する。
「宿題というわけですね。主君に仕官して、書類仕事とようやく縁が切れたと胸を撫でおろしていたのですが」
「縁を切りたいなら後任を育てるしかないんだ。頑張って見つけてくれ」
フェルティスが首を振る。
「それならまずは、後任を育てる暇をくださらないといけません」
「その点については、私も主君に大いに申し上げたき儀がございます」
ベルダーンまでが横で頷いている。冬真は肩を竦めた。
「それで、この後の方向性だけれど」
冬真が切り出すと、フェルティスが表情を改めた。ベルダーンも居住まいを正している。
「まず、ベルダーンに大前提を共有する。俺は王権争いに介入するつもりでいる。王女殿下にお味方する」
空気が張り詰める。
「それで、王都からしばらく動けなかったんだ。だけど、こんなことになるなら、こっちに先に情報を共有すべきだった」
判断ミスだ。優先順位を誤った。
「王女殿下をお助けする理由を伺っても?」
「俺が王女殿下に押し付けた奇跡のせいで、王権争いの激化が避けられないそうだ。王女殿下をお見捨てするわけにはいかない」
ベルダーンが悲痛に顔を歪めた。
「……承知しました」
「俺はこの後、王都に戻って様子を見る。これだけのことを仕出かしたんだ。相手は、俺の反応を見たくてうずうずしているはずだ」
そこで冬真は、唇を歪める。
「それも、反応を見るだけじゃない。誘導をしかけてくるはずだ。それを見極めるまでは、動かない」
この襲撃計画を見れば分かる。敵はどう事態が転んでも利益が出るように、冬真を誘導しようとするだろう。
「だけど、挑発もするつもりだ」
冬真の言葉に、フェルティスが微かに眉を寄せた。
「どのようにですか?」
「王女殿下の元に日参する。俺も四肢欠損した身内を抱えて、王女殿下の慈悲にすがる哀れな諸侯の仲間入りというわけだ。今回の件で確実に犯人から外れるのは、王女殿下の派閥とグルドハイム公爵家だけだ」
王女自身は検証などせずとも冬真が奇跡を行使できることを確信している。派閥としても、冬真が奇跡を起こせるか検証する動機がない。下手をすれば、王女の威信が借り物だったとして傷つくだけだからだ。
「王女殿下は分かるとして……グルドハイム公爵家にも奇跡について共有なさったのですか?」
ベルダーンの声は、心配そうだった。グルドハイムは、出身家門の主家のはずだが、完全に冬真に忠誠を寄せてくれているらしい。嬉しく思う分だけ、右手を見ると心が痛む。
「匂わせただけだよ。王権転覆に加担しないという理由でフューリア殿と婚約解消をするのに、王女殿下は助けるなら、その理由を明示しなければ納得できないだろう」
「公爵家が、主君を便利な道具としようとするのではないかと心配なのですが……」
「いずれ婚約解消をするつもりだとは宣言してある。どうせ期限付きだ。期限をずるずる延ばそうとしたり、俺を手段にして王女殿下に敵対しようとするなら、その時は敵対することになる」
「聖人として神格化されてもですか?」
冬真は真顔になった。
「神格化」
頭の中では、ギリシャ神話みたいな白い石膏像が、後光を放って輝いている。
「女神の使徒が降臨された土地としてヴィルキアを称揚するかもしれません」
頭が痛くなってきた。そういえば、『ルキアの矛』の呼び名もヴィルキアで得たものだ。
「……現時点でも、その条件は満たすね」
「そうですね。英雄の降り立った地だとおそらくヴィルキアの民は誇りに思っています」
「まあ、好きにすればいいよ……」
考えた結果、冬真は投げた。人の口に戸は立てられない。そんなものの制御は事実上、不可能だ。
「聖人として神格化されれば、ベルダーンの右手を回復しても文句を言われないしね。案外、早道かもしれないな」
冬真がベルダーンの右手を見ながら言うと、ベルダーンがさっと右腕を身体の後ろに隠した。
「そのような理由でご自分を晒すのはおやめください」
冬真は肩を竦めた。もちろん、冗談だ。そんな遠回りで不安定な地位に縋るつもりはない。
手に入れるのなら、確実に、誰にも文句の言われない地位を。
ひやりとした思いが、胸の底に落ちた。




