第八十七話
王太子がその質問を冬真にぶつけたのは、ブラーフェルと会った二日後のことだった。
「グルドハイム公子が王都にやって来たと聞いたが」
「はい。先日ご挨拶に伺いました」
「この時期に公子が王都にやってくるとは、何か問題でもあったのか?」
「詳しくは聞いておりません。ただ……」
王太子が視線で先を促す。
「実は、ブラーフェル殿にも、王太子殿下と同様のことを言われたのですよ」
「ブラーフェル殿も?」
「はい。王都での社交には、少し距離を置いたほうがいいと」
「ほう……」
王太子は考えるような顔である。
「しかし、それならばここに来て良かったのか?」
冬真は首を振った。
「これだけ目をかけていただいている王太子殿下のお招きを断るなど、できるわけがありません」
王太子が目に見えて頬を緩めた。
「そう言ってくれるのは嬉しいが、私が原因で、そなたと公爵家の関係が悪くなっては心苦しいものがあるな」
「私も侯爵家の当主です。公爵閣下のご意向とはいえ、全てを受け入れては独立した家門とは言えなくなってしまうかと」
王太子が納得したように頷く。
「取り立てられた恩義があるとはいえ、他家に侮られかねない振る舞いであろうな」
冬真は苦笑する。
「ですので社交も努力はするようにしていたのですが……正直に申し上げれば、殿下のお言葉は私にとっては大変な助けでして」
「というと?」
冬真は肩を落とした。
「実は私は社交が大の苦手なのです……これで社交が休めると喜んでいたら、フェルティスに呆れられてしまいました」
冬真の素直な本音なので、装っているようには見えないだろう。
「フェルティスか。最近近衛兵団をしごいているそうではないか」
「ええ。私の護衛士などよりはるかに楽しそうです。私の元では、真価を発揮できないのではないかと心配しております」
王太子の表情が翳った。
「私も、フェルティスの処遇には心を痛めている。とはいえ、調査隊で被害を受けた諸侯の手前、庇う訳にもいかなかったのだ」
「殿下のお気持ちは、フェルティスにもよく伝えてまいります」
「頼んだぞ」
「それにしても、侯が社交が苦手とは意外でしたね。如才なくこなしておられる印象でしたが」
話を振ったのは、王太子の側近の一人だ。
「これでも必死なのですよ。王太子殿下が私の無礼な振る舞いをお怒りになっていないか、いつも心配しております。何しろ私は傭兵上がりで、作法や言葉遣いに疎いので」
これも冬真の本音である。王太子が鷹揚に頷いた。
「そのような些事で侯を咎めたりはせぬ。安心するがよい。人には適所と言うものがある。侯の苦手なところでは、私が力になるつもりだ」
「そのような畏れ多い……。よろしいのですか?」
一度冬真が恐縮してから確認すると、王太子は笑顔になる。
「もちろんだとも。こうして私の招きを受けているだけで、そなたは王都で立場を保つことができる。無理に社交をせずともよいのだ」
「何とありがたい。しかし、そのような理由で王太子殿下に時間を使っていただくのは、まことに恐縮なのですが」
「何を言う。私が息抜きをさせてもらっているのだ」
王太子が微笑む。
「侯の武力は王国の宝だ。困ったことがあった場合には、遠慮なく頼ってもらいたい」
* * * *
「正直、王太子殿下が悪人に見えなくなってきたんだ……」
冬真がぼやくと、フェルティスが執務机の向こうで眉をあげた。
「主君は、取り込まれやすすぎますね。社交をしなくてよいと言われたくらいであっさり篭絡されるのはおやめください」
「わ、分かってるよ」
フェルティスはジト目である。信じていないと言わんばかりだ。
「王太子殿下の甘言は、主君を孤立させて、囲い込むためのものです」
「そうだね」
スポイルだと分かっていても、疲弊している冬真にとっては、ひどく魅力的な申し出に聞こえてしまうのが恐ろしいところだ。疲弊させているのは王太子との社交なのだから、ひどいマッチポンプと言えなくもない。
「でも、正直騙しているみたいですごく気が引ける。いつまでこんなことやらなきゃいけないんだろう」
「公爵閣下は、最低でも一月ほどお戻りになれないと公子が仰っていたのでしょう」
「長いな……」
冬真は溜息を吐いた。仕方がない。領地からブラーフェルを引っ張りだしたのは、冬真の無茶振りである。
それと引き換えに公爵が領地に戻って行ったのも、意思決定のプロセスを重くすることで、婚約解消の交渉をあえて長引かせるためだったのではないかというのがフェルティスの見立てだ。
すでに王権争いが終わるまでは婚約維持で合意したとはいえ、すぐさま公爵が王都に戻れば、何かあったと周囲に喧伝するのも同然である。婚約解消の意向を先走って伝えたばかりに、足踏みを余儀なくされているとは皮肉なものだ。
「一度領地に戻って、ベルダーンとも情報共有したいんだけど、ゲルトルは遠いからな」
「家宰殿ですね。公爵閣下が戻られて、陣営と方針が確定しないうちに王都を離れるのは危ういかと」
「分かってる」
冬真の元には、ベルダーンの代わりができる人材がいない。フェルティスならできるのだろうが、フェルティスはフェルティスで冬真にとっては替えの効かない位置にいる。
「フェルティス、誰か信頼のできる、家宰の代役ができそうな人は知り合いにいないの?」
フェルティスが頭痛をこらえるような面持ちになる。
「信頼していただけるのは嬉しいですが、臣下に必要以上につけいるような隙をお見せになりませんよう。臣下の出自が偏れば派閥ができます。家門が乗っ取られる危険もございます」
冬真は重い溜息を吐いた。知人紹介も制限つきとは、異世界の領地経営はあまりにも難易度が高い。人材登用サイトが、異世界にあったらよかったのに。
* * * *
異変があったのは、ブラーフェルとの会談から二週間あまりが過ぎて、枢機卿との面会を数日後に控えた日のことだった。
当初二週間程度、と見積もられた面会までの日数が一カ月まで伸びたのは、これも女神の奇跡の影響で、多くの諸侯が真っ先に教団とのやり取りを増やしていた結果だそうだ。
多くは大司教レベルの面会だとは思うのだが、順番を飛び越えて冬真と最高位の枢機卿が面会をすれば反感を招いてしまうということだろうか。
王宮の執務室で、官僚に尋ねられるまま、王国領外の魔物について話していたところに、ノックの音が響く。
「アイザー侯爵閣下。ただいま、お邸から使者が」
姿を現した侍従が、書簡箱を上に載せた盆を、冬真に恭しく差し出した。
「ありがとう」
封蝋の紋章は、アイザー侯爵邸が連絡用に使用しているものだ。羊皮紙を開いて、そこに浮かぶ文面に眉を寄せる。領地から早馬が到着したという報せだ。
そのまま待機している侍従に声をかける。
「近衛兵団にいるフェルティスを呼んでくれ。邸に戻る。君たちも、今日はもう終わりだ」
* * * *
侯爵邸に戻った冬真は、上着を脱ぐのも後回しに執務室に直行した。気ぜわしく、執務机の上に置かれていた書簡箱の封を解く。封蝋にはアイザー家の紋が押してあった。
くるくると丸められていた羊皮紙を広げて、視界に飛び込んできた文字に、冬真は足元がぐらつくのを感じた。手足の先から一気に血の気が引いて、冷たくなっていく。
「主君?」
背後を振り返れば、フェルティスが心配そうな表情を浮かべて立っている。
冬真は、無言で、いつの間にか握りつぶしてしまっていた羊皮紙をフェルティスに渡した。
「拝見いたします」
フェルティスが一言断ってから、手紙に目を通す。一気に表情が険しくなった。
「これは……」
「ゲルトルに戻らないとならない」
「すぐに支度をさせます。が、教団にはどのように?」
「謝罪するしかないな」
馬車を使わず、馬で急ぐとしても、往復で一週間近くはかかる。到底、面会予定日までには戻れない。
「王宮にも使いを。領地に戻ることを報せてくれ」
そこで、冬真は少しだけ躊躇った。
「……俺が王都を離れている間に、王女殿下が危険になるだろうか?」
フェルティスが頭を振る。
「そのようなことをすれば、主君を王都から引き離すための企みだったと自白するようなものです。主君と、ひいては公爵家と全面戦争になりかねません。主君の引き込みがうまくいっているように見える現時点で、王太子殿下がそのような強硬策を取る可能性はほぼないと言えるでしょう」
「ブラーフェルにも知らせを。俺のいない間の動きを注視していてくれるかもしれない」
「かしこまりました」
部屋を出ていくフェルティスの背中を見送って、冬真は唇を噛み締めた。口の中に、血の味が広がる。
大声を上げて、部屋中の物を叩き壊したい。冬真のステータスでそんなことをしたら、邸の備品は大損害だ。何の解決にもならないことは分かっている。それでも、耐えがたい衝動が冬真を襲う。
――ベルダーン・ブレーダル子爵が襲撃を受けて負傷。領兵五名を含む、領民七名が死亡。
フェルティスが執務机の上に置いていった羊皮紙の上には、その文字が躍っていた。
* * * *
久しぶりの街門が見えても、懐かしさを感じる余裕はなかった。ゲルトルの門番が、緊張した様子で冬真を通してくれる。大通りを馬を駆けさせて、駆け込んだ城館。
足音高く踏み込んだ官僚用の執務室、その一番奥の机から、そばかすの青年が立ちあがる。
「主君……!申し訳ありません。私が不甲斐ないばかりに」
ベルダーンが沈痛な表情で、冬真に向かって礼を取る。
背後で、フェルティスが息を呑む気配がした。
ベルダーンの、左胸に当てる、右腕。――包帯が巻かれたその手首には、先がなかった。




