第八十四話
「では、これで大枠は決定ですな」
ディルナク伯爵が、羊皮紙を見下ろして満足そうに頷く。冬真の勤務形態に関する、三回目の会合である。
冬真が王国領外の遠征に出る場合には、事前に行動計画書を策定し、非常時の連絡経路を確定しておくこと。討伐で得た素材の一部を成果として王国に納めることなどが明文化された。
侯爵たる冬真に解体をさせることになってしまうことと、持ち帰ることのできる素材に限りがあることから、ヴィルキア砦での狩りのような解体部隊を同行することを提案されたが、丁重に辞退した。
王国領外では安全確保が難しく、冬真の負担が多すぎる。そもそも、冬真が狩るスピードに合わせた人員を連れていくなら、調査隊の二倍くらいの人数が必要だし、移動速度も問題になる、と話したらディルナクは顔を引きつらせていた。
「ご尽力に感謝申し上げる」
「いやいや。一臣民として、侯爵閣下が領外の魔物を討伐してくださること、まことに心強く思いますぞ」
ディルナクがそこで、少しだけ表情を改める。真剣な表情だ。
「閣下は、すぐに討伐に出られるご予定で?」
「どうか、気を悪くしないでいただきたいのですが……しばらく、そうですね、次の社交シーズンまでは王都に留まりたいと考えています。ここまで迅速にご尽力いただいたのに申し上げにくいのですが。問題ありませんか?」
明文化した特別討伐任務に、一年のうちにどれほど討伐に行かなければならないかという規定はない。完全に冬真の裁量である。領地に戻るのも、計画を報告さえすればいいらしい。
一方で、王都にいる間は、午前中に数時間王宮に伺候して、王国内の魔物情報をまとめるのに協力することになっている。王宮内には、狭いが、冬真の執務室も用意された。これまでも会合のない日は、軍務大臣の用意した官僚と作業を行っている。
ディルナクが破顔する。
「無論です。王女殿下も心強く思われるでしょうな。それでは、一度我が家にお招きさせていただきたい。以前にお話をさせていただいた甥と、あとは愚息の紹介もさせていただきたいですな」
「楽しみにしております」
侯爵邸の執務机の上には、冬真への茶会やら観劇やらへの招待状が山積みだ。ディルナクとの会合の合間には、フェルティスが厳選した相手との社交にも足を運んでいるが、軍務大臣で王女の叔父であるディルナクの誘いならば、その山の一番上に置くことになるのだろう。
フェルティスが冬真の元に来てからまだ十日も経っていないのに、もはやいない生活には戻れる気がしない。おそるべき異世界ナビゲーション力である。
フェルティスが冬真に仕官することを許してくれたという事実だけで、あまり印象の良くなかった国王に、後光が差して見えそうだ。もっとも、それを口にしたら、フェルティスは、「主君のつけこまれやすさが心配です」とこぼしていた。
* * * *
王宮に通い始めて二週間がすぎれば、王太子たちとの談話も、慣れたものである。四人の側近の特徴も少しは分かってきたが、いずれ対決することが確定している相手だ。
フェルティスにはあまり親近感を持たないようにと警告を受けている。それでいてある程度相手に会話で期待を持たせろなどと言うのだから、無茶ぶりをする臣下である。冬真にそんなコミュニケーション力があると思っているのだろうか。
しかも、終わりが見えないやりとりである。いっそ、奇跡の実演でも何でもして事態を動かしてしまえば楽になるのではないか? と思わないでもない。そんな理由で王国の秩序を破壊するのはさすがに気が引けるので、実行に移す気はないのだが。
「ところで、侯は、枢機卿猊下に拝謁されるご予定とか?」
側近の一人が、何気ない様子で切り出した。王国子爵長男だ。
ぴりりと空気が張り詰めたような気がする。冬真は素知らぬ顔で頷いた。
「はい。私としたことが、奇跡を目撃したというのに、教団への報告義務を失念しておりました。『ルキアの矛』としてまことに恥じ入るばかりです」
「そのような。侯ほどその名にふさわしき方はおりません」
「ですが、実を言えば、侯のおふるまいは王女殿下の助けとなるかもしれません」
冬真は目を瞬かせた。
「というと?」
「最近王宮内の空気が微妙でして……」
「姉上の元には、連日諸侯が嘆願に訪れていると聞く。いずれも、スタンピードで四肢を喪った身内の回復嘆願であるとか」
曖昧な、濁すような側近の言葉の先を答えたのは、紅茶を置いた王太子だった。
冬真はほぞを噛む。その報告は、冬真も聞いていた。……冬真のせいで、いらない負荷を王女にかけている。
「しかし、奇跡とは思うように起きないから奇跡というのです。そうでしょう?肩を落として帰る諸侯たちの列で、空気が荒れておりまして」
「その中で侯が教団に奇跡を喧伝してしまえば、王女殿下がますます困ったお立場に置かれることになるやもしれません」
冬真は眉を下げた。
「なんと。そのようなことになっていたとは存じませんでした。お知らせくださって感謝いたします」
わざわざ敵に、冬真が王宮内の情報を拾える耳を持っていることを知らせてやる必要はない。
ちなみに、報告してくれたのはフェルティスである。最近は、冬真の執務中に、フェルティスは近衛兵団の訓練指南に出向いている。ディルナクに貸してほしいと請われたのだ。
フェルティスは武闘会で優勝するほどの実力者だ。殺しても死なないような冬真の護衛士として遊ばせておくのはもったいない。それで、フェルティスは近衛兵団に出かけて、王宮内の情報を拾ってきてくれているのである。
教官役に参謀役、さらには諜報役までこなすとは、超人的な働きだ。冬真よりフェルティスの方が、よっぽど有用だと思う。
「うむ。私も姉上の窮状が気の毒だと思っているのだ……」
憂い顔の王太子は、本当にそう思っているようにしか見えない。
「侯は、女神が奇跡を賜った条件に、何か心当たりなどはないのでしょうか?」
「現場はひどく混乱しておりましたので……。私も、他の負傷兵の治療に駆け回っておりましたので、いつ奇跡が起こったのかすら分からないのです。女神の息吹を感じ取ることもできぬとは、枢機卿猊下にも顔向けができません」
「侯が祈りを捧げたわけではないのだな」
「もちろんです」
「王国の継承者たる王太子殿下に女神が奇跡を賜れば、国も民も良く治まるはずです。侯もそう思われませんか?」
側近の言葉に、冬真は感じ入った様子を装って頷く。
「まさしく。王太子殿下が女神の奇跡を賜れば、女神の寵愛深き王国は、ますます発展いたしましょう。私も女神に祈りを捧げたいと思います」
「あまり大きな声で言えることではないのだが……このままでは、王宮秩序が乱れかねぬ。私も陛下も、『ルキアの矛』たる侯が余計な争いに巻き込まれることは望んでおらぬ。これまで以上に、振る舞いには気を付けてもらいたい」
王太子は、冬真がトラブルに巻き込まれないよう、心から心配して言っているように見える。フェルティスの警告がなければ、ころっとほだされていたかもしれない。
冬真は頭を下げた。
「畏れ多いことでございます。心に刻みましょう」




