第八十三話
「しかし、グルドハイム公爵家と婚約解消をするとなると、また別の騒乱が起きる可能性がありますが」
「宣戦布告したも同然だから?」
「はい」
「そうならないように公爵閣下に条件の調整をお願いしている最中なんだ」
「主君は新興の領主です。すでに侯爵とはいえ、一方的な譲歩は難しいかと」
「まあ、一応は応じてくれると言っていたよ。戦争には多分ならない、と思いたいな。もし攻めてきたなら、公爵領にドラゴンの誘引をするとも言っておいたし」
そこで、フェルティスが目を見開いた。
「ドラゴンの、誘引ですか?……そのようなことが?」
「うん、もちろん最終手段だけど。手始めは、そうだなあ。ルキア教団に駆け込んで、俺の左腕を落として再生して見せることにしようか?女神から特別の能力を授かったとでも言って」
奇跡の実演だ。さながら人間ビックリショーである。
冬真には、領軍で公爵家と真面目に殴り合う気はさらさらない。実際の戦闘に至るまでに、盤外で最大限相手の戦意と戦力を削ぐべきだ。
フェルティスがさらに息を呑んだ。冬真がはっきりと、奇跡は思いのままに再現可能であると断言したからだろうか。信じがたいものでも見るかのような眼差しだ。
「ご自分の腕を落とされる?」
冬真は首をかしげた。
「他人の腕を落とすわけにいかないだろう? 公爵家には、女神の敵になってもらうのがいいんじゃないか? 公爵は女神の奇跡を私的に独占しようとしている、とでも言おうか」
「その場合には、主君を巡った争いが起きてしまいます」
「公爵家との戦争が避けられないなら、面倒な勢力地図書き換えは一度で済ませたほうがいいよ」
おそらく、既存の権威の序列はぐちゃぐちゃに破壊されることになる。もしかしたら、トゥルーエンドは呼べなくなってしまうかもしれない。しかし、そもそも婚約解消に踏み切ったのはトゥルーエンドに対する冬真のこだわりだ。その結果として、臣下、そして領地と領民を危険に晒すことになったのだから、代償は自分で払うべきだ。
フェルティスが、瞑目して小さく息を吐いた。なんだか悲壮な表情だ。それから、冬真を見下ろして言う。
「主君がご自身の能力を公開されたら、王家ではなく主君に乗り換える諸侯が続発するかと」
「そうかもね。そんな面倒は嫌だから非公開にしていたんだ。……でも、王女殿下にはご迷惑をおかけしてしまったな」
フェルティスが首を振った。
「グルドハイム公爵閣下がお気の毒になります。取り立ててやった有用な魔法使いのつもりが、まさか人間の皮を被った女神の使徒だったなどと、どうやって想像できるのですか」
「俺を利用したり、俺に対して干渉をしてこなければ何もするつもりはないよ」
フェルティスがさらに首を振った。
「すぐ隣でドラゴンが昼寝をしていたら、穏やかではいられないのが人間です。寝息に耳を澄まし、何とかしてドラゴンの顔の向きを、自分とは反対方向に向けたくなります」
「フェルティスでも?」
「もちろんです。仕官して良かったと今も胸を撫でおろしている……、いえ、自分の判断を褒めそやしているところです」
フェルティスが疲れたように笑う。
「私の役目は、主君の顔の向きを好き勝手に変えようとして、迂闊にも主君をひっかいてしまう相手から、主君をお守りすることですね」
「逆じゃないの?」
「そうかもしれません」
返す声は諦めに満ちていた。
「そういうことでしたら、公爵閣下には、なおさら、主君のご意向をお伝えした方がよろしいでしょう。情報は貴重な判断材料です。誰より先にお知らせすることで、義理立てにもなります」
「そうだね、そうしよう」
冬真は観念して頷いた。気まずいだのなんだの、言っている場合ではない。
「それで、婚約解消をなさるということは、王女殿下に求婚なさるのですか?」
「は?」
きゅうこん? きゅうこんってなんだ?
一瞬呆気にとられた冬真だったが、我に返って首を振る。
「いやいやまさか」
「しかし、主君が婚約解消をするのであれば、王女殿下の周囲は当然その方向に持って行こうとするはずです。『ルキアの矛』たる主君が、女神の寵愛深き王女殿下を守護するのです。これほど民が納得する組み合わせもないかと」
ぐむむ、と冬真は眉を寄せて唸った。
「ですが、外から見れば公爵令嬢から王女殿下に乗り換えたようにしか見えません。慎重な調整が必要かと」
王女と結婚だと? どうにか結婚しなくて済みそうなのに?
フェルティスの言葉に妥当性があるとは分かっても、到底頷けるものではない。
「俺の国には獲らぬ狸の皮算用って言葉があって」
「ほう」
「取っていない獲物の皮をどう使うか考えるのを馬鹿にするような意味合いの」
冬真が言うと、フェルティスが憐れむような眼になる。
「現実的に、主君の婚約解消が知れ渡ったら、求婚書でこの机の上は埋まります。王女殿下をご支援なさる決意を固められたなら、主君と王女殿下の双方にとって、これ以上ない縁組かと。むしろそれ以外では、主君を巡って争いが起こりかねませんよ」
王女ではなく冬真を巡って争うだと。まるでヒロインである。
「そもそも王女殿下になんで婚約者がいないんだ?味方がほしいんだったら、真っ先にその席が埋まりそうだけど」
「序列を乱さないようにと国王陛下と王太子殿下の思し召しかと。……王宮では、王太子殿下がご成婚されて、ご長男が誕生されたらご降嫁なさることになるのではないかと言われていました」
冬真は顔をしかめた。それでは、いわゆる行き遅れというやつになるのではないか?しかし、妊娠がなく、子供をつくるのに肉体的なタイムリミットがない世界ならば成り立つのかもしれない。
「それなら俺との結婚もないんじゃないの?」
「国王陛下のご判断次第ですが……。王女殿下の派閥はもとより、国王陛下の派閥が賛同に回る公算は十分すぎるほどです。折角公爵家が、王国領外を自由行動してのける『ルキアの矛』を手放してくれると言っているのです。王家にとっては千載一遇の機会です。放置して他家に取られれば、国王陛下は王国を安定させる義務よりも、王太子殿下に対する私情を取ったとそしられかねません。諸侯群でも、自分以外の家門が主君を私的に所有するより、王家が公的資源として管理してほしいと考える諸侯が出ます。私も職を辞していなければ、この首をかけて推薦いたします」
「俺はそんないいもんじゃないと思うんだけど……」
フェルティスが眉を上げる。視線で語るのはやめてくれ。
「所有っていうけど、好きに命令をさせるつもりもない相手でも、取り込むことがそんなに大事か?」
「主君がそのおつもりであっても、周囲にはそう見えませんから」
冬真は天を仰いだ。政治って難しい。
「……王女殿下と結婚しても、魔物を狩りには行けるかな?」
「女神の権威を取り込むための婚姻です。使命を邪魔することは難しいと思いますが……。最初から条件に入れ込んでおけばよろしいでしょう」
「そっか。それならまあ」
無駄な内乱が減って、臣下と領民の被害が減るのならば、選択肢はないも同然である。
「向こうから言って来たら考える形をとる、ということでいいかな?」
頭の中に王女の姿を思い浮かべる。求婚。プロポーズ。やはり現代日本人としては、そんな理由でプロポーズするのはものすごく抵抗がある。正直言い出せる気がしない。
「承知しました」
フェルティスが頷いてくれたので、冬真は肩の力を抜いた。その視線が、なんだか残念なものを見るようなものだったのは、気づかなかったことにする。




