第八十一話
「カティア殿が、何かを言いたそうだったんだ」
アイザー侯爵邸の執務室に落ち着くなり、冬真は口にした。
執務机の向こうに立っているフェルティスが眉を上げる。この数日で、臣下を立たせて会話することに慣れてください、と説教されたので、仕方なく、冬真だけ座ってフェルティスを見上げている。
「王女殿下は気にしなくていいと仰っていたけど……」
ルシュラの発言からすると、カティアは冬真の使命を邪魔するようなことを言おうとしていたのだと思う。
「その前の会話をお伺いしても?」
「俺が魔物を狩るために、いずれ王都を離れるという話をしていた」
「なるほど……」
フェルティスは思案顔だ。
「思い当たることがあるんだね?」
「はい」
フェルティスが頷いて一拍置いてから、おもむろに切り出す。
「主君に、伺いたいことがあります」
改まって、何の話だろう。
「何?」
「主君は私に王家について訪ねませんね。なぜです?」
冬真は目を瞬かせた。
「なぜって……忠誠を捧げていた相手だろう。守秘義務とかもあるだろうし」
正直、今現在も捧げているだろうと思っている。しかし、ここまで世話になっていて、それを口にするのは何となく憚られた。
冬真の返答を聞いたフェルティスは、何とも言い難い表情になっている。
「何を甘いことを仰っているのです。どのような情報を自分に渡すかで臣下の忠誠を図るのです」
「ええ?だって前に仕えていた相手だよ。裏切りにくいだろう?」
「だからこそです」
フェルティスの返答はきっぱりとしていた。
「臣下に尋ねることすらしないのは、その臣下が報告する情報の信頼性を評価しないと宣言するも同然です」
「えーと、ごめん……。じゃあ、王家と王国の派閥について、知ってることを教えてくれるかな?」
馴染みとなったじっとりした眼差しに、冬真は慌てて言い直した。
「教えてくれ?」
「配下にむやみに謝罪なさらないように」
「はい……」
この世界で冬真が息子を持つことがあったら、教育係はフェルティスがぴったりだと思う。
「では、ご説明致します」
「……長くなりそうだし、座った方が。いや、何でもない……」
フェルティスの一瞥を受けて、冬真は引き下がった。無駄に疲れそうで、すごく気になるのだが。
そこからフェルティスの話を要約すると、現在の王国内の貴族は大きく四つの派閥に分かれているということだった。
そのうち最も規模の大きなものが、諸侯群。ただし、こちらは王家の権威に依存する必要がない大貴族や、領地が王都と距離がある周縁諸侯を便宜上ひとまとめにしているだけで、それぞれの家門の利益に従ってバラバラに動く。グルドハイム公爵が属していて、現在冬真が属していると目されているのもこの群だ。
次が、国王派閥。法務大臣と、多くの王国貴族と中央貴族が属する。
そして王太子派閥。こちらは宰相と財務大臣の行政ラインを抑えている。
最後が王女派閥。先の王妃の実家であるベルシュフォール侯爵家、ディルナク伯爵家を中心とした軍部ラインである。
冬真は王女派閥に献身的に協力した形になっているので、諸侯群から王女派閥に一歩踏み出した位置にいる。しかも、各派閥から冬真と誼を通じようと近づいている諸侯たちも少なくない。それで、王太子が派閥のパワーバランスを戻すために冬真を取り込みに動いているというのが、フェルティスの見立てだった。
冬真は天を仰いだ。派閥なんて知らないし。冬真はただ、ミスリル装備を誰憚ることなく作りたかっただけである。領地と領民に被害が出るのも嫌だし、調査隊に無駄に被害が出るのも後味が悪いから協力しただけなのに、どうしてこうなった。
「でも、それなら、俺が王都を離れれば勢力間のパワーバランスは元に戻るんじゃないのか?」
時間的物理的距離によって、冬真は再び諸侯群に戻るはずだ。冬真に寄って来る諸侯たちのせいで諸侯群の比重は相対的に増えるかもしれないが、王権争いに関係があるようには見えない。
しかし、フェルティスは沈痛な表情だ。
「いいえ。おそらく、戻りません。以前とは状況が違います」
冬真は視線で問いかける。
「王女殿下は女神の奇跡を賜りました。私はすでに近衛兵団長の職を辞しておりますので、ここからは推測ですが……、女神の寵愛深き王女殿下を王国の後継者とすべき、という声が出るのは、もはや避けられないかと」
冬真の頭の中は、真っ白になった。
「王女殿下の派閥から出るか、ルキア教団から出るか……あるいはその両方から出ることになるでしょう。そうなれば、王国は割れます」
しばらく、沈黙がその場を支配した。フェルティスはじっと冬真を見つめている。
冬真は顔を歪めた。
「つまり、俺のせいか」
フェルティスは答えない。答えないことこそが、答えだった。
カティアが冬真に物言いたげだったのは、無責任だと言いたかったのかもしれない。奇跡を起こしたのが王女ではなく冬真だと、カティアは確信しているのだろうから。それなのに、奇跡を起こした当人が、激化する王権争いを放置して王都を離れると言い出す。冬真がカティアの立場でも、それは文句を言いたくなるというものだ。
冬真は、瞑目して息を吐き出した。
「主君……」
「ごめん。少し、一人にしてほしい」
「は」
ドアの開閉音ののち、冬真は執務室の中に一人きりになった。
* * * *
どれほど一人で考えに沈んでいたのか、気がつけば部屋の中は薄暮に沈んでいた。
灯りを入れに来る者がいなかったのは、フェルティスが止めてくれたのだろう。
冬真は卓上のベルを手に取った。鳴らせば、すぐさま扉を開けてフェルティスが顔を出した。もしかしなくても、ずっと外で待っていたのかもしれない。
「ごめん。もう大丈夫だ。プレッタとの交代時間だろうけど、状況の整理を続けたい」
後悔したところで時間は戻らないのだから、立ち止まっているわけにはいかない。
「承知しました」
フェルティスと共に入室した使用人が、ランプに灯りを入れていってくれる。
使用人が出ていくのを待ってから、冬真は口を開いた。
「王太子殿下が焦っているということは、それだけ、王権争いが起きるのが現実的な未来だということだね?」
「左様です」
「俺に対してのすり寄りが増えているのも、同じ理由かな?」
「おそらくは。国が割れるのであれば、どの領地も公爵家と主君の戦力が喉から手が出るほど欲しいはずです」
冬真は唇を歪めて笑った。どいつもこいつも、冬真のことを人間兵器扱いしたいらしい。
「ただ、王太子殿下だけは、主君自身が目的かもしれません」
冬真は首を傾げた。
「主君は『女神の矛』です。主君を取り込めば、王太子殿下は『女神の奇跡』は本当は『女神の矛』に下されたものだった。王女殿下は不当にその名誉を奪ったのだと主張することが可能になります」
「なるほどね」
半分以上事実だから、タチが悪い。正しくは冬真とフェルティスが共謀して王女に奇跡を押し付けた、だ。
「……俺が、前に立っていれば良かったのかな」
思わず、呟きが漏れる。
冬真が負うべき責任を、王女に負わせた。その結果がこの状況だ。
「そうなれば、公爵家とルキア教団が主君を推し立てることになったかと」
フェルティスの返答はよどみない。
「誤解をされませんよう。王女殿下は主君に心から感謝しておられました。王家の面目を立ててもらったと」
冬真は力なく笑った。――何の慰めにもならない。
「仮に、王太子殿下が勝利した場合に、王女殿下の処遇はどうなる?」
「女神の奇跡を賜られた方です。仮に政争に敗れても、処刑などはできませんが、明確に政治と距離を置いていただかねばいつ問題が再燃するとも限りません。修道院に入られて、実質的な幽閉……そこで、病死ということになるかもしれません」
フェルティスの含みのある口調から、病死として処理されるだけ、ということが分かる。
冬真は、息を吐いた。
「俺は、王国の権勢争いには、興味がない」
「はい」
「俺はこの国の人間じゃない。俺の勝手な好みで、この国の将来を決める王位継承に干渉することが正しいとは思えない。この国は、この国で生きる人のものだ」
冬真はぐっと掌を握りしめる。
「だけど、俺が起こしたことが、すでに王位継承争いに影響を与えてしまったのなら、収拾するのが筋だとも思う」
冬真の逃げ腰が、王女を権勢争いに押し出した。王女とフェルティスがどう言おうと、冬真だけはそれが事実だと知っている。




