第八十話
アイザー侯爵邸に帰りついて、冬真は、執務室の椅子に身を投げ出すようにして座った。
「お疲れ様でございます」
「うん、疲れた。あ、座って楽にしてね」
「私はまだ任務中です」
「もう少しでプレッタと交代だろう。俺が話しにくいんだよ。フェルティスだって、調査隊で護衛士やってた俺のことを散々座らせたじゃないか」
冬真が持ち出すと、フェルティスが僅かに苦笑する。
「主君と私では立場が違います。それに命じていたのは王女殿下です」
「うん、分かった。座って。これは命令だよ」
面倒くさくなって、冬真は片手を振って言った。
「フェルティスには相談に乗ってもらわないといけないことが多すぎる。ずっと見上げていると首が疲れるんだ」
「それは、申し訳ございません」
そこまで言ってようやく、フェルティスが渋々といった様子で椅子に腰を下ろした。
冬真は息を吐いて、上体を乗り出した。やっと落ち着いて話ができる。
「フェルティスが昨日のうちに来てくれて、本当に助かった」
冬真は、心から言った。事前にフェルティスに相談できていなければ、冬真は体当たりで交渉の落としどころを探すしかなかった。ディルナクへも相談ではなく、冬真が譲れないラインを明示するために、一方的に要求を突きつける形になったはずだ。
「そう仰っていただけて嬉しいです。が、そのように新参の臣下を最初から全面的に信頼なさるのは多少心配ですね」
「フェルティスは知っている相手じゃないか」
冬真を庇って、辞職までしてくれた相手である。冬真の基準では、信頼しないのがおかしい、という判断になるのだが。
フェルティスが微かに眉を寄せる。
「主君がこれまで臣下にいいようにされてこなかったのは、女神の奇跡かもしれません」
冬真は肩を竦めた。
「そうかもね。運が良かったよ」
「今後は、臣下の言うことを全面的に鵜呑みになさるのではなく、誘導の可能性を常に念頭においてください」
「別に、行ってほしい方向があるなら言ってくれていいんだけど……」
冬真としては、自分が譲れないラインに抵触さえしなければ、自分を支えてくれる相手の望む方向に動くのにそこまでの抵抗はない。特にフェルティスは、冬真の引き起こしたミスリル鉱脈騒ぎで職を失ったのだからなおさらだ。
フェルティスがはっきりと眉を寄せた。冬真は首を竦める。
「いけません。臣下にそのような隙をお見せになりませんよう」
「面倒くさい……」
思わずぼやいた冬真だが、フェルティスの視線に気が付いて口を噤んだ。
「本題に入ろうか」
冬真は溜息を吐いて、話題を変えた。
「王太子殿下から、側近入りの打診をされた」
冬真が打ち明けると、フェルティスが表情を翳らせる。
「早速ですか。王太子殿下も、相当焦っておられるようですね」
「もう少し時間をおいて言ってくるかと思ったんだけど」
フェルティスが首を振った。
「時間をおけばおくほど、王国よりも主君、ひいては公爵家に対して諸侯の比重が移ってまいります。速やかに公爵家と同等以上に主君に影響力を及ぼせる、と見られる位置に行く必要があります。既に様子を見る段階は過ぎたかと」
そこで冬真は迷った。公爵家との婚約解消に動いていることを、フェルティスに告げるべきだろうか? 情報が足りなければ、フェルティスの助言の精度も上がらない。
「主君?」
少し考えて、冬真は首を振った。
「いや、何でもない。……この分だと、王宮に行くたびに呼び出されることになりそうだ」
婚約解消は、公爵にまだ打診しているだけの極秘案件だ。万が一、フェルティスを通じて情報が漏洩でもしたら、公爵家側の態度の硬化は避けられない。フェルティスの忠誠が王家ではなく冬真の元にあると確信できるまでは、口にするべきではないだろう。
「王太子殿下にとっては、主君と親しく話をしている姿を見せつけるだけでも牽制になりますから」
「迷惑な話だなあ」
フェルティスが呆れたような顔になる。
「これはご自分の影響力がそこまで来たかとお喜びになるべき案件ですよ。外では、なにとぞそのように振舞われますよう」
「変身魔法がこの世界にあったらよかったのに。そうしたら、フェルティスに俺になってもらって、俺はフェルティスになれた」
「ご冗談を」
ちっとも冗談ではない。大概、このクソゲーは引きこもりぼっちゲーマーに無茶振りをしすぎなのである。
* * * *
「聞いたぞ。ディルナクにまた無茶を言っているそうではないか」
王女の第一声に、冬真は眉を下げた。
「私も困っているのです。是非、王女殿下から女神に陳情していただきたい」
王女のサロンである。冬真の正面には王女が、王女の隣には、王女の従姉にして宮廷魔法士首席であるカティアが座っている。
ルシュラが呆れた顔になる。
「では、王国領外の上級魔物一万体というのは、本気の話か?」
「冗談だったらどんなにか良かったのですが」
今日はディルナクとの二回目の会合だった。特別討伐任務という形で王国から派遣という形にしてはどうか、と打診を受けている。ガチガチの身分社会でも、言ってみたら意外と無理が効くものなのだな、というのが冬真の率直な感想だ。
ただし、ディルナクからは、王国としても緊急時に連絡がつかないでは困るのと、任務の成果として示せるものが何もないでは冬真の立場が悪化しかねない、とも説明を受けた。冬真は正直立場なんてどうでもいいのだが、フェルティスの顔色を見て口に出すのは控えた。次回の会合では、その詳細について詰めることになっている。
会合の後はやはり王太子の呼び出しがあったが、今日はディルナクから、王太子と会った後に、王女の元も訪問するよう頼み込まれた。ディルナクには冬真の使命について現在進行形で無理を聞いてもらっているし、王女は王太子よりはずっと気安い相手だ。その場で頷いた冬真だったが、フェルティスは少しだけもの言いたげだった。
王女が軽く首を振った。
「侯と話していると、感覚がおかしくなる」
「申し訳ありません」
「何とも、難儀な使命だな。およそ人間に可能とも思えぬが……。女神も酷なことをなさる」
「全く同感です」
冬真は本音全開で頷く。王女が苦笑を浮かべた。
「そなたが報奨を受けることを嫌がったのはこれが原因か? 今後は、変に拗らせるのではなく、私かディルナクにはそなたの望みをしっかりと伝えるのだぞ。応えるとは約束できぬが、それでも対応を考えると約束しよう」
「無茶でもですか?」
「無茶だからこそだ」
王女が即答する。なるほど。
「承知いたしました。ご恩情に感謝いたします」
これも冬真には珍しく、本音の答えである。王家側に、気軽に相談できる窓口ができるのは実にありがたい。フェルティスの存在と合わせて、攻略難易度が二段階くらいは一気に下がった気がする。
「……では、侯はいずれ王都を離れられる?」
王女とのやりとりがひと段落したとみて、遠慮がちにカティアが口を開いた。
「そうですね。すぐにではありませんが、いずれ」
公爵家に婚約解消という無理を頼んだ手前、婚約解消の調整が待ちきれないから遊び歩いてきます、とは言いづらいし、そんなことをしたらいつまでもずるずる引き伸ばされかねない。本格的に動くのは、最低でも公爵からの次の反応を待ってからということになるだろう。
「そうですか……」
カティアはどこか納得していない表情だ。
「何か問題が?」
冬真の問いに、カティアが口を開こうとしたときだった。
「カティア」
王女が短くカティアの名を呼んだ。カティアが肩を揺らして口を噤む。
「侯は女神の使命を果たすのだ。邪魔をしてはならぬ」
冬真は首を傾げた。王女が微笑して首を振る。
「気にする必要はない。そういえば、そなた、フェルティスを護衛士として連れ歩いているそうではないか。アイザー侯は前近衛兵団長を護衛士扱いできる器であると、王宮でもっぱらの評判であるぞ」
「やめてください。護衛士というより、フェルティス殿は私の教官役を買って出てくれているのです」
「ほう?」
「私が危なっかしいと」
王女が苦笑した。
「うむ、まあ、事実ではあるな。……フェルティスがそなたの傍についているなら私も安心だ。結局、フェルティス一人に調査隊の責を負わせることになってしまった。大事にしてやってくれ」
「もちろんです」
結局、調査隊の魔物の誘引の原因については、有耶無耶になってしまった。調査隊の任務は成功として処理したし、領民に被害を受けた冬真に対しても叙爵と王国の役職、さらにはフェルティスの仕官で補償したのだから、黙っていろということらしい。フェルティスが表立って責任を引き受けたことも大きい。
犯人が分からなかったのは腹立たしいが、しかし科学捜査もなにもない異世界で、冬真の納得のいくまで捜査せよ、などという要求が甚だしく非効率で非合理的であることも分かっている。
冬真にできることは、せいぜい、誰が犯人なのかを推定して、その人物と反対の立場を取ることくらいであろう。




