第七十九話
「ようこそいらしてくださった!」
両手を広げて冬真を大仰に歓迎するのは、ディルナク伯爵だ。
慰労パーティーの翌々日午後、王宮の軍務大臣執務室である。
特別軍事顧問として冬真のするべき仕事の説明については、軍務大臣を訪ねるように言われてやってきたのだ。
挨拶を交わして、それぞれが椅子に座る。
「ほう。フェルティス殿が早速閣下のお側についているとは」
ディルナクが、冬真の背後に控えて立ったフェルティスを眺めて顎を撫でた。
「私はまだ不慣れなので、色々と助けてもらっています」
正直に言えば、ありがたすぎて恐縮しそうだ。前近衛兵団長を護衛士扱いとは、贅沢過ぎて、おさまりが悪い。通り過ぎる人々の視線が痛かった。
「うむ、閣下も王宮での役職を受けられたからな。隙はないほうがよかろう」
ディルナクが満足そうに頷く。
冬真は少しだけ表情を改めた。ディルナクは、フェルティスが冬真の傍につくことでやりにくくなる側ではないらしい。
「それなのですが……特別軍事顧問の仕事について、伯爵に特別の相談があるのです」
昨日、フェルティスに相談したところ、すでに田舎の一伯爵として侮られていた頃のような心配はしなくてよいということだった。自分の要求が全く聞き入れられず王都に拘束されるのではないかと心配していた冬真に、フェルティスは呆れた顔だった。
現在の王家は冬真を取り込みに動いている。ここで冬真の意志を無視すれば、無駄に反感を買う可能性がある。それよりは、便宜を図って恩を売る方がずっと合理的だ。さらに、そこらには冬真に恩を売りたがっている貴族だらけなのだから、率先して王家との間を調整してくれる可能性の方が遥かに高いらしい。
しかも、女神に与えられたのは、魔物の討伐という誰にもそしることのできない使命だ。女神の奇跡があったばかりで、女神の下された使命を邪魔などすれば、せっかく上がった王家の権威が地に落ちてしまうという。
「ほう、何ですかな?」
フェルティスの言葉を裏付けるように、ディルナク伯爵が目を輝かせて身体を乗り出してくる。
「実は私には、女神に下された特別な使命がありまして」
ディルナクが少しだけ複雑な表情になる。冬真が女神にかこつけて、難しい要求をしてくることを警戒したのかもしれない。
「王国領外に発生する強力な魔物を、大量に倒さねばならないのです。ざっと一万体近く」
「は」
冬真の言葉を聞いたディルナクが、目を丸くした。
「王国には、魔物討伐のために、私が王都を離れる自由裁量をいただきたい」
* * * *
王太子の執務室は、ディルナクの執務室と同じ階層にあった。
「アイザー侯爵! 待ちかねたぞ」
案内されてきた冬真の姿を見て、王太子が執務机を立つ。
ディルナクと会話している最中に、終わったら王太子執務室に顔を出すようにと使者がやってきたのだ。
「みな、休憩にしよう。せっかくの機会だ。侯と親交を深めようではないか」
王太子が部屋を見渡して言うと、並んでいた四つの机から、王太子とあまり年齢の変わらない青年貴族たちが立ちあがった。
侍従が、執務室手前の横合いにある扉を開けて、まずは王太子を先導する。その次は冬真だ。後からぞろぞろと、青年貴族たちが続く。
「今日はよく来てくれた。いや、アイザー侯は軍事顧問となったのだから、話を焦る必要はなかったのだが、待ちきれなくてな」
冬真は右手を胸に当てて一礼する。
「畏れ多いことでございます」
「さあ、まずは楽にしてくれ。今まで侯とは親しく話す機会がなかったからな。私の側近たちを紹介しよう」
そう言って、王太子が順繰りに青年貴族たちを紹介していった。四人のうちの二人が、大貴族縁故の次男坊と三男坊で、あとの二人が国王直轄の子爵家の長男たちだ。いずれも、昨日のパーティーで、父親である当主とは二言三言、挨拶を交わした覚えがある。
「アイザー侯爵トーマだ。よろしく頼むよ」
序列で明確に下の者には傲岸なくらいでちょうどいい、王太子の側近にはくれぐれも丁寧な態度を取らないように、とフェルティスにはここに来るまでに念を押された。
王太子の側近ならば冬真より上ではないかとも思うのだが、爵位のない人間と侯爵、さらに正式な役職のない側近と、特別軍事顧問では比較にもならないらしい。今一つ、冬真が任命された役職の重みが分からないから、そのあたりの感覚はフェルティス頼りである。
そのフェルティスは、廊下で冬真が出てくるのを待っているはずだ。
「お噂はかねがね聞き及んでおります」
「是非ともお話をうかがいたいと思っていました」
「調査隊では大変な活躍ぶりだったと」
「ブラッドフェアリーなどという魔物にどうやって詳しくなったのですか?」
側近たちは如才ない微笑みを浮かべて、王太子を立てつつ、冬真から話を引き出していく。
王太子ともなれば、側近に会話のかじ取りを任せることができるらしい。冬真はちょっとだけ権力が羨ましくなった。
話がひと段落したところで、王太子が何気ない様子で切り出した。
「今回の調査では、女神が奇跡を姉上に賜られたと。建国より数百年の間で、このような奇跡は聞いたことがない。これも侯への女神の寵愛の賜物であろうな?」
穏やかな微笑みを浮かべてはいるものの、王太子の瞳は一切笑っていない。
「とんでもございません。女神が王家に向けられる寵愛に比べれば、私に向けられる女神の視線など、塵芥に等しいかと」
王太子が微かに目を細めた。
「謙虚なことだ。少なくとも、侯は隔絶した実力を持っている。塵芥などということは決してあるまいよ」
「身に余るお言葉です」
「侯には、是非とも、その力を王国のため――できれば私のために使ってほしいとも思っているのだ」
直球の側近入りの打診だ。
伯爵のままならば、後見の公爵を盾にして逃れることもできただろうが、侯爵ともなれば、もはや公爵は後見としては力不足。顔色を気にしすぎては独立勢力として侮られるもとだ、とフェルティスからこれも事前に指南が入っている。
昨夜は遅くまで、この国の身分社会の講習を受けた。異世界の身分社会は、現代日本人である冬真には難解である。
冬真が尋ねたことの数々が、あまりにも基本的な質問だったのだろう。フェルティスは、一体これまでどうしていたのです? と呆れ顔だった。領地の立て直しに忙しかったし、全く興味がなかったし、いずれ自分の国に帰るつもりだったから、という返答を聞いたあとは、頭を抱えていた。
「私の忠誠は、王国に捧げたもの。王太子殿下が王国を継がれた暁には、全力でお支えすることになるでしょう」
この返答は、遠からず王太子からの抱き込みが来ることに備えて、曖昧にするためにフェルティスと相談して考えておいたものだ。
王太子の人格も能力もまだよく分からない状況だ。正当な王国の後継者とされているという理由だけで加担するのも、パワーバランスを一方的に傾けるという点では無責任だという気がする。
現在の冬真はまだ公爵令嬢の婚約者で、勝手に振る舞って、無駄に公爵の反感を煽るわけにはいかないというのも大きい。
王太子が鷹揚に頷いて答える。
「侯の存在は、王国にとって実に心強い」
王太子だとて、親しく会話した初日から冬真を取り込めるとは思っていないはずだ。これはただの王太子側の意向表明と、小手調べである。
「侯には、まだ色々と話を聞きたいが、そろそろ執務に戻らねばならぬ。そう遠くないうちに、また話を聞かせてくれるな?」
「お招きをお待ちしております」
この分では、冬真が王宮にやって来る度に呼び出されそうだ。内心げんなりしながら、冬真は頷いた。




