第七十五話
冬真は、言葉を取り繕うのをやめた。
「それで? 俺に魔物を狩らせてやるから、騒乱では先頭に立って人間を殺戮しろって? あんたの大事な公爵家のために。それとも、どこぞの諸侯の窮地を俺に助けろって?」
唇を歪めて嘲笑を浮かべる。
「俺にメリットがなさすぎる。全く釣り合うとは思えないな」
公爵の表情が一気に冷たいものになる。
「公爵家はトーマ殿に庇護を与えてきた。これからの騒乱でも支えると約束すると言ったはずだが?」
「たかが三年支援しただけで、俺のこれからの力と人生を搾取しようだなんて、強欲なことだな。そもそも、これからの支援が、俺の力と見合うと公爵閣下は本気で思っているのか? 騒乱を避けることもできないのに?」
僅かに公爵の顔が歪んだ。
「貴公のせいで起きる騒乱であろう」
「ちがうな。起こすのは王国だ。俺じゃない。あんたたちの行動の責任を俺に被せるのをやめろ」
冬真のせいで騒乱が起きる? 桶屋が儲かるのは風が吹いたおかげだ、みたいな論理である。
冬真に全くの責任がないとは言わないが、その間の因果をつなぐ人間たちの責任のほうが遥かに大きいはずだ。グルドハイム公爵のような立場ならなおさらである。なのに、都合よく自分の責任は回避して冬真に一方的に責任を押し付けてくる。
この時点で、公爵は既に冬真にとって敵に等しい。
公爵がさらに不快そうに表情を歪めた。
冬真は、構わずに言葉を続けた。
「俺一人の存在で壊れるような天秤なら、そんな天秤しか用意できない王国側の統治責任だ。俺の責任にするのはお門違いというもの。……しかも、俺を連れてきたのは女神だ。俺の存在が騒乱の原因だから俺に責任があると言うつもりなら、つまり、俺を選んで連れてきた女神に責任がある。女神に文句を言ってみたらどうだ? 私たちの脆弱な王国にこのような人間を遣わされるなんてあんまりです、とな」
冬真はせせら笑った。このまま、公爵家の都合のいい殺戮人形をやらされるなんて、冗談じゃない。
「俺が公爵家に味方して、現在の王国の体制をひっくり返して、何の得がある? 庇護がほしいだけならば、それこそ、王家側に助けを求めた方がずっと波乱がないんじゃないのか。諸侯の抵抗だってずっと少ないだろう」
当然、冬真の負担だって遥かに少なくなるはずだ。
「貴公をここまで庇護してきた私に、たいそうな物言いではないか。不義理が過ぎるのではないか?」
公爵が目を光らせながら、静かに言った。
しかし、冬真の理論に、真っ向からは反論ができなかったらしい。内容はただの論点ずらしだ。
「は。とんでもない奴隷契約を持ちかけてきたのはそちらだ」
あらゆる交渉と情の余地を吹き飛ばすだけのインパクトのある申し出だった。
そもそも冬真は、縁も所縁もない異世界の魔王退治なんてものに無理やり駆り出されているというのに、その上力があるからと言う理由で、秩序維持まで押し付けて来ようとするのはどうしたわけだ?
譲り続けていれば、時間も力も搾取されるしかない。
「一方的な婚約解消は宣戦布告と同義だぞ。トーマ殿は我が公爵家と戦争するつもりか?」
「そうだな。公爵閣下が望まれるならば」
ぴくりと公爵の眉が動いた。
「貴公一人で公爵領軍と勝負になるとでも? 領民と家臣を死なせるつもりか?」
「公爵閣下が、領軍で俺の領地を踏みにじるというのなら、俺も俺の持てる最大の力で報復するしかない」
「ほう?」
「公爵領軍がドラゴンに勝てることをお祈り申し上げる」
公爵が耳を疑う顔になる。
「ドラゴンだと?」
「王国領外にいるドラゴンは五体だ。まあ、倒しても再出現するし、数は問題じゃないね。あんたたちの戦力が俺を殺すのが早いか、俺が公爵領にドラゴンを誘引するのが早いか、競争といこうじゃないか。……ただし」
冬真はそこで言葉を切って笑った。
「実は俺には女神の加護があって、死んでも蘇る」
冬真の持つ最大の、そして禁忌のカードだ。蘇ってから強くなるまでの苦労とタイムラグはあるが、事実である。公爵が実際に戦争というカードを冬真に対して使うと言うのなら、冬真もこのカードの提示に踏み切るしかない。
抑止力は、大きければ大きいほどいい。フロイも、プレッタも、ベルダーンも、領民たちも。誰も死なせないために。
「何だと!?」
「もしも公爵閣下が俺の領地を……領民と家臣を攻撃するというのならば、俺はあんたの大事な領地が滅ぶまで、ドラゴンを誘引し続ける。その覚悟で戦争をしかけてくればいい。あんたの孫でもひ孫でも、全ての血が絶えるまで、つきあってやる。今ですら、俺を殺せるのか? どうやって? ブラッドベア一匹に良いようにされる砦で、俺から身を守れるとでも?」
冬真はここには一人でやってきた。公爵がなりふり構わずその気になれば、生きて帰れるはずがない。……普通ならば。実際には、公爵家が冬真を捕らえるより、冬真がこの屋敷を地獄に変える方が遥かに早い。
しばらくの間、静かなにらみ合いが続いた。
「話は終わりだ。俺は帰る。ここまでの庇護には、お礼を申し上げる。だが、俺は公爵家の殺戮人形にはならない。そもそも、俺は魔物を狩る。そしてその素材をあんたたちに流す。それだけの関係だったはずだ。王国秩序の転覆に協力するような約束は最初からしていない。この国の人間ではない俺に、この国の常識を前提条件として押し付けられるつもりなら生憎だったな」
言い切って席を立とうとする冬真を、公爵が制した。
「待たれよ。……トーマ殿と実際に戦争などするつもりはない。仮に領地を落とすことができたとて、我らが手にするのは、さして豊かでもない領地と、反感にまみれた領民、女神の矛の敵という実にありがたくない呼称、それにブラッドベアよりも遥かに恐ろしい復讐者だけではないか。負債もいいところだ」
冬真は目を細めた。
「しかし、当家とて、今まで便宜を図ってきた相手から婚約解消を持ちかけられて、はいそうですかと頷くわけにはゆかぬ。体面というものがあるのでな。私は家長として、家門を貶めることを看過できぬ」
「……もっともなことだ。俺だって、公爵家とことさらに敵対をするつもりじゃない。そのために来たつもりだ」
公爵が苦々しげに言う。
「さて。トーマ殿のおかげで、寿命が十年ほどは縮んだ気がするがな」
冬真は、内心で息を吐いた。ひとまず、交渉の第一段階はクリアだろうか。ここからが、詰めである。
「しかし、婚約解消を通したところで、貴公を巡って争いが起きることは避けられぬ。どうするつもりだ?」
「俺は事を大きくしたくないんだ。落ち着いて魔物を狩れないじゃないか」
公爵が首を振った。理解できないと言いたげだ。
「そのうえで、公爵家の顔を最大限立てる形に持って行きたいとは思っている。それで公爵閣下の意向を聞いておきたいんだが……、公爵家と王家は敵対しているのか?」
公爵が苦笑した。
「直截的だな。敵対していればこんなところで安穏と話ができるわけがなかろう。そうさな、トーマ殿にも分かりやすく言えば、トーマ殿と当家の関係に近いであろうな」
「それはよかった」
公爵が眉を上げる。
「当家ではなく、王家に寄ると?」
冬真は首を振った。
「まだ考え中だ。俺が死ぬことも考えたが……俺が死んだあと、臣下と領民がどうなるかも分からないからな。そんな無責任はしたくない」
放り出すにしても、落ち着き先を手配してからだ。
「死ぬ? トーマ殿がか?」
冬真の言葉を聞いて、公爵が眉を寄せる。
「もちろん、名目だけだ」
アイザー伯爵トーマがこの世からいなくなれば、一応の火種は消える。
「理解できぬな。なぜそこまで、騒乱を嫌う? トーマ殿にとっては、女神に連れてこられただけの、通りすがりの国であろう。身分を捨てるほどの理由があるとは思えぬ」
「通りすがりの国だからだよ。どうして俺が、そこまで責任を負わなきゃいけないんだ?」
冬真の領地に限らない。おそらく、大量の人間が死ぬだろう。それが自分のせいになるなど、考えるだけで憂鬱だ。やってられない。
公爵が喉の奥で笑う。
「責任とは、重く考えすぎであろう。ドラゴンの誘引を無期限で行える者と戦いたいと思う者などおらぬ。それはもはや災厄だぞ。そなたが仲裁者として立てば、誰もそなたの顔を立てるしかなくなる。むしろ騒乱は減るのだ」
まるで、いいことのように聞こえる。
「俺の時間を無制限に、あんたたちの秩序のために使え、公爵が言っているのはそういうことだぞ。ああ、面倒な調整は自分たちが引き受ける、なんていうおためごかしを言うのもなしだ。もうたくさんだ」
冬真は公爵が言いそうな言葉を先回りした。再び、空気が急速に重く、冷えたものになっていく。
「あんたたちの秩序を守りたいなら、あんたたちだけでやれ。俺を巻き込むな」
「秩序を守らないのなら、秩序に守られる権利もなくなるぞ」
「王国の秩序をひっくり返すのが秩序だとは笑わせてくれるな。都合よく言葉の定義を変えるな。どんな秩序であろうと、俺を攻撃してくるつもりなら迎撃する。それだけだ」
公爵が溜息を吐いた。首を振る。
「当家としても、王国の秩序をことさらに乱したいわけではない。しかし、貴公のその最終手段を知れば、誰もが王家ではなく貴公の顔色をうかがうようになる。……当家のようにな。たとえば貴公が反逆の罪を犯したとして、討伐の命令を出されても、中立を保つ以外の選択肢が事実上存在しないではないか」
「だから公言をしていないんだ。公爵が王国秩序を乱したいわけではないのなら、諸侯に広まる心配はないと思っていいな。安心した」
冬真のあからさまな皮肉に、公爵が嫌そうな顔になる。
「……仕方がなかろう。貴公が当家の面目を立ててくれるつもりがあるというのならば、検討はする。ドラゴンを誘引されてはたまらないからな……。私としても、王国に大きな騒乱が起きることを願っているわけではない。しかし、すぐに調整がつくものでもないぞ」
「それくらいは分かっている。……勝手な申し出で、公爵閣下には申し訳ないと思っている」
「まったくだ。末永く恩に着てもらわねば割に合わぬ」
「これから先、騒乱の中で公爵領に負荷が行くようなことがあれば、救援に行くことは約束する」
「殺戮人形は拒否するのではなかったのか?」
「人形じゃない。俺の意志で、助けに行くんだ」
公爵が首を振る。
「難儀な性格だな」
「生まれつきでね」
冬真はそっと息を吐いた。
何とか着陸しただろうか。疲れた顔の公爵に辞去の挨拶を述べながら、一瞬だけ、婚約者の……婚約者だった少女の面差しが脳裏をよぎった。
交渉に移る前に、彼女に予告することも考えないではなかったが、彼女の立場では、内心がどうであれ、冬真との婚約解消に同意できないのは分かっている。それなのに直接会って謝罪するのは、ただ謝ったと自己満足するためだけの振る舞いだ。
公爵家側の都合での婚約だったとはいえ、冬真が解消を持ち出したことが不義理であることに、一切の疑問はない。現時点で、公爵家側が冬真に直接的な不利を及ぼしたわけでもないのだから。
冬真は、彼女と、自分の都合を秤にかけて後者を取ったのだ。どう言葉を取り繕っても、それが事実である。
だから、むしろ、冬真を怒って、恨んでくれた方がずっといい。




