第七十三話
王女の天幕を出ると、空には星が瞬いていた。
少し離れた草原の上に、布をかけられた黒い塊が等間隔に並べられているのが見えた。調査隊の犠牲となった貴族の遺骸だ。臭い除けの香草と布で覆っても、既に異臭を放っている。王都に着くまでには腐ってしまうだろうが、それでも王国の任務で犠牲となった貴族を連れ帰らないわけにはいかないそうだ。
冬真は、アールバルの難民たちを思い出す。冬真が罠を作らなければ、死ななかった者たち――そして、冬真がミスリルを掘らなければ、死ななかった者たち。いや、違う。冬真がいなければ、死ななかった者たち。
これからも冬真が無自覚であれば、その数は増え続けることになるのだろうか?
冬真が好きに振る舞っただけで人が死ぬ。……でも、それは本当に、冬真のせいなのか?
* * * *
冬真の天幕は、王女のもの、フェルティスのものに次いで大きい。戻ると、ベルダーンが待っていた。
「お疲れ様でございました」
「うん……」
冬真のぼんやりとした返事に、ベルダーンがさっと表情を変えた。
「もしや、王女殿下に責められたのですか?」
「ち、違うよ」
冬真は慌てて否定した。それから、顔を歪めて呟く。
「いや、違わないのかな……」
冬真は椅子にどさりと腰を下ろして、天を仰いだ。深く息を吐く。
「王女殿下は何と?」
ベルダーンの声が怒っている。
冬真はベルダーンに視線を移した。じっと見つめる。この青年は、どんな反応をするのだろう。
「主君?」
「いずれ諸侯が、ブラッドベアの脅威には、王家ではなく俺に救援を求めるようになるだろうと」
ベルダーンが、肩を揺らした。その反応から、ベルダーンの中でも当然想定されていた事態なのだと分かる。分からなかったのは、この世界の政治に疎い冬真だけなのかもしれない。
「しかし、それは能力のない王家の問題ではありませんか。主君が責められる謂れはありません」
「それはそうかもしれないけど……」
冬真の存在が、国を割る。王女が言いたかったのは、つまるところそういうことだろう。諸侯が、王家の代わりにグルドハイム公爵家を、冬真を頼るようになる。それは王国秩序に対する挑戦だ。
……冬真自身は、魔王を倒す日まで、王国には安定していてほしいと心から思っているのに。
「うまくいかないなあ」
冬真は目を瞑って溜息を吐いた。あまりにも面倒くさい。どうして冬真を放っておいてくれないのだろう。そもそも、冬真は魔王を倒したら地球に帰るのだ。ただ一時的にこの世界に滞在しているだけの人間に、そんな責任を期待しないでほしい。
「主君……」
ベルダーンの声は心配そうである。
冬真は目を開いて、微笑む。
「ごめん、弱音を吐いたね。……ベルダーンに、共有しておかなきゃいけないことがあるんだ」
冬真のせいで真っ先に危険に晒されるのは、立場的に見て間違いなくベルダーンだ。
青年が、居住まいを正した。緊張した面持ちだ。これまで冬真が持ち込んだ厄介ごとを思えば、当然の反応である。
「な、何でしょう」
「今回、調査隊で女神の奇跡が起こった」
「は?」
「フェルティス殿をはじめ、五名が四肢を喪った」
ベルダーンが怪訝そうな顔になる。元気に立ち働いている近衛兵団長と会っているだろうから、当然の反応だ。
「それが、不思議にも回復したんだ。全員」
ベルダーンの表情が凍り付いた。信じられないものを見る目で、冬真を見つめる。その瞳に浮かぶのは尊敬を越えた、――畏怖だ。
冬真はそっと目を伏せた。
「ごめん」
言い訳はできない。
回復するべきではなかったのかもしれない。それでも、目の前で両腕を喪失したフェルティスを放置することができなかった。冬真がミスリル鉱脈なんてものを報告したから、ひどいことになった。
「……主君が謝罪される必要はありません」
ベルダーンが、冬真の目の前に膝をつく。
「しかし、臣下として、主君に伺いたい、いえ、伺わねばならぬことがあります」
ベルダーンはこれまでに見たどの場面よりも、真剣な表情だった。
「主君は、王国の支配者の地位を望まれますか?」
ひそやかな声だ。決して天幕の外に漏れ聞こえないような。
「俺が? まさか」
ベルダーンが、沈痛な面持ちになる。
「それでも、おそらく争いは避けられません」
「だよね、やっぱり」
冬真は深く息を吐いた。
八方手づまりである。
根本的に解決する方法の一つは、ベルダーンが暗示した通り、冬真自身が、王国の支配者として、矛の持ち主となることだ。誰にも、冬真自身を所有させない。
しかし、率直に言って、そんな面倒くさいことは御免こうむる。絶対に嫌だ。どうして縁もゆかりもない異世界人のために、そこまで自分の時間と精神力を使わなければならないんだ?
既存の秩序をひっくり返したりしたら、絶対に恨んでくる相手がいるじゃないか。国王職なんて、冬真からしたら、震え上がるほど嫌なポジションだ。待っているのは、終わりなきコミュニケーション調整地獄!
冬真はさっさと魔王を倒して、地球に帰ってゲームと昼寝、ときどき大学の講義と試験勉強の日々に戻りたいだけである。
だとすれば、残る方法は。――冬真のせいで崩れかけている天秤のバランスを、どうにかして元に戻すしかない。
頭の中に、血の色の革のチョーカーを付けた少女の姿が浮かんだ。
「……グルドハイム公爵と、話さないといけないな」
冬真一人で判断できることではない。
ベルダーンが目を伏せた。
「は」
「君はどうする?」
冬真の問いに、ベルダーンが顔を上げた。
「どうする、とは?」
「公爵家に戻る?」
青年が目を見開いた。悲痛な色がその瞳に浮かぶ。
「い、いや、誤解しないでくれ。ベルダーンにいなくなってほしいって意味じゃないから! ただ、君は公爵家の縁者だろう。その方がよければ……」
ベルダーンが領地を去ってしまうのは冬真にとっては痛すぎる。だが、縛り付ける権利はない。ただでさえ負荷をかけまくっている上に、これからの危険度も段違いだ。
「いいえ!」
冬真の言葉を遮って、強い否定の言葉が返った。
「試すような真似はなさらないでください。私は既に主君に剣を捧げた身です。変節をするつもりはありません」
「試したわけじゃないよ。本当にそう思って……」
じろりと視線が睨みつけてくる。冬真は首を竦めた。
「……ごめん」
謝罪する必要がないという言葉は、今度は返ってこなかった。




