第七十二話
冬真は表情を動かさなかった。
「誘引を行ったのは、調査隊員ですか?」
フェルティスが沈痛な面持ちでうなだれる。
「調査中です。誘引によりまず宿営地が混乱したそうで……待機していた随行員にも相当の被害が出ました。当時、誰がどこにいたかも調査できていないのです」
「しかし、タイミングからいって無関係とは到底思えぬ」
被せるように王女が言った。
「……断言してよろしいのですか?」
謝罪とは、非を認めることだ。
証拠がないのなら、していないと同じ。一伯爵に王女を責めることなどできるはずがないのに、謝罪してしまっては、相手に言質を取られることになってしまうのではないか。
「構わぬ。私には伯の心証のほうが重要だ」
冬真は目を細めた。
指先で、テーブルを叩く。コン、コン、コン、と硬質な音が天幕の中に響いた。
「この件については、私からもご報告があります。我が領軍が森の外で戦っていた理由ですが」
ベルダーンから先ほど受けた報告の内容を、二人にも共有する。
三日前、正確には二日と半日前のことだ。宿営地に留まっていた調査隊のメンバーから、アイザー伯爵領に対して正式な救援要請があり、王女の身分を思えば救援部隊を出さざるを得なかった。冬真が不在だったため、領政上で最高位であるベルダーンが部隊を率いた。
冬真が調査隊に同行していることもあり、緊急時に備えて救援部隊の編成は終えていたから、出撃まで時間はかからなかったそうだ。しかし、急行した先の宿営地も、魔物に襲われていてひどい混乱状態だったらしい。そのまま応戦して、あのような状況になったそうだ。
「この男のことはご存じですか?」
フェルティスが表情を翳らせる。
「はい。待機部隊の指揮を任せていました」
「彼は今どこに?」
「今も宿営地の取りまとめを行っています」
フェルティスの表情に取り繕ったところはない。
野営地から逃げ延びて宿営地にたどり着いた従僕から報告を受けて、すぐさまこの領地に救援要請をしたという。その判断自体は、何もおかしくはない。事は一刻を争う。救援部隊を編成したところで救援が間に合うとは思えない距離だが、しないわけにはいかない種類の行動だ。
「もしも誘引が意図的なものであるならば、明確な我が領に対する敵対行為です」
王女の言う通り、誘引のタイミングが良すぎる。冬真のいない領軍にダメージを与えて、冬真の権威を失墜させる、あるいは他の目的もあったのかもしれない。いずれにしろ、最も怪しいのは、救援要請を行った人物である。
逃げ延びた従僕は宿営地にたどり着いたものの、ひどい怪我で命を落としたという。宿営地には宮廷魔法士は残っていなかった。だからそれもおかしなところはない。
「……そうなる、であろうな」
王女は苦しそうに答える。
冬真は、息を吐き出した。
腹の中には、煮えたぎるような怒りが燻っている。しかし、それを目の前の二人にぶつけるのは筋違いだ。この二人だって被害者である。それも、冬真よりも甚大な被害を出した。
フェルティスに視線を向ける。
「……不躾なことを伺いますが、近衛兵団長は敵が多くていらっしゃる?」
一行の統率責任者はフェルティスだ。このような状況になっては、責任は免れ得ない。
「多くはないと思いたかったところですが、この状況では難しいですね」
「フェルティス殿が責任を免れる一番の近道は、私に責任を押し付けることになりそうですね?」
フェルティスは苦い表情だ。
「否定できません。私にそのつもりがなくとも、王国の失態を贖うために、その方向に話が向かうのは避けられないかと」
王女といい、率直にすぎる言葉である。
冬真は王女に視線を戻した。
「私は王国の政治事情には未だ詳しくありません。不勉強で申し訳ないが、新米領主として領政に慣れるのに精いっぱいの状況でしたので、ご理解いただけると」
王女も沈鬱な顔で頷く。
「うむ……」
「王女殿下は、この状況をいかがお考えか?」
王女は一度は開きかけた口を閉じて、首を振った。
「そなたは恩人だ。言葉を飾ることはするまい。これは、王国内の勢力争いであろう」
そうして、青い瞳をまっすぐに冬真に向ける。
「そなたを中心にして争っているのだ」
冬真は眉を上げた。
「私ですか? 王女殿下ではなく」
「そなただ」
王女の断言が、剣のようにその場に突き立った。
冬真は言葉を失って、王女を見つめた。
何を言っているのだろうか。
「……ミスリル鉱脈は、それほどの価値があるのですか?魔物が強すぎて継続的に掘り出すこともできないのに」
冬真の問いに、王女が首を振る。
「そなただと言っただろう。この領地ではない。ミスリル鉱脈など、ただの象徴に過ぎぬ」
冬真は瞬いた。どういうことだ?
王女が冬真の困惑を見て取ったのか、苦笑する。
「言い方を変えようか。領内にブラッドベアが出た時、領主たちは王家とそなた、どちらに救援を求めると思う」
「それは……もちろん、王家なのでは?」
「グルドハイム公爵家もか?」
王女の声は皮肉に満ちていた。
「それは……私でしょう」
なにしろ、娘の婚約者だ。しかも、冬真は公爵領の子爵でもある。
「王家とて、結局は排除する力を持つそなたに命じざるを得ない。もしかすると、グルドハイムを通さねばならないかもしれぬ。それなら王家を通すより、そなた個人と誼を通じた方が手っ取り早いではないか。グルドハイム公爵がそなたを娘の婚約者としたのもそのためであろう?」
「王女殿下」
フェルティスが心配そうな顔で窘める。
「フェルティスだって分かっているだろう。このままでは騒乱は避けられぬ。恩人であればこそ、告げねばならぬこともある」
王女の反問にフェルティスが押し黙る。……では、王女の言葉は本当におかしなものではないのか。
「此度の奇跡も……王家がどう取り繕おうが、いずれ『ルキアの矛』たるそなたと結び付けられることになろう。そなたが現場にいたことは、もはや隠しおおせるものではない」
そう言って、王女がフェルティスの両腕に視線を走らせる。
「『ルキアの矛』とは、そなたにぴったりの二つ名だな。たとえそなた自身に野心がなくとも、そなたを手にしたものが、女神の権威を手にすることになる。王国だけでなく、教団もそなたを巡って争うことになるだろう」
「は……」
「これ以上は、さすがに私の立場からは言えぬ。が、そなたはもっと自分の影響力を自覚せよ。このままではそなただけではなく、そなたの周囲も危険に晒すことになる」
これ以上は、冬真自身で考えろということだろう。フェルティスの表情からは、王女がその立場からは踏み込みすぎた警告をしてくれたのだと分かる。
「少々……考える時間をいただけますか」
「無論だ。……忠誠を捧げられた王家として、そなたの領民を守れなかったこと、心苦しく思う……」
声は苦渋に満ちていた。
冬真は、黙って頭を下げる。




