第六十九話
冬真は、少しだけ残念な気持ちになった。……それでも、後悔はない。フェルティスの同意も取らずに、自分がやりたいようにやっただけだ。むしろ気分はすっきりとしている。
「それは、おかしなことですね。人は、強い衝撃を受けると記憶が混乱することもあるとか。フェルティス殿も記憶が相当混乱しておられるのでは?」
王女はじっと冬真を見つめている。やがて、溜息を吐いて首を振った。
「……そうは言わなかった。今も眠っている」
王女の続けた言葉に、冬真は眉を上げる。この王女様は、冬真にカマをかけていたのか?
「だが、不思議なことに、どうやら魔法で眠らされているようなのだ。カティアのディスペルでは歯が立たなかった。他の欠損者も全く同じ様子でな」
「激しい失血でした。気絶しても無理はありません」
苦しい言い訳である。エクストラヒールはもちろん失血だって補ってくれる。今のフェルティスは、おそらく健康な人間そのものにしか見えないはずだ。
どうやら、こっそりディスペルまでかけておくべきだったようだ。冬真が使った魔法の解除が、冬真以外には難しいであろうことを失念していた。
ゲームと同じようにダメージが入れば目覚めるだろうが、四肢欠損をして眠っている相手を、起こすためだけに斬りつけるようなサイコパスは通常はいない。
思えば、これまでは自分が魔法をかけられたときの対処にばかり集中して、他人にスリープなどの魔法をかけた場合の効果検証は手付かずだった。これは明確な冬真の手落ちである。
「この一行で、カティアのディスペルが効かぬ魔法を使えるものなど、一人しかおらぬ。私はそう考えている」
冬真は口の端を持ち上げた。
「何がおっしゃりたいのです?」
冬真の表情を見て、王女が顔色を変えて慌てる。
「違う。違うのだ。私はそんなつもりではない」
冬真は首を傾げた。どんなつもりだというのだろう。このやり取りで冬真が真実を暴かれることを望んでいないことは、どんな鈍い人間だって分かるはずだ。
冬真の冷めた視線に気が付いたのか、王女が肩を落とした。
「私はただ……そなたに心から礼を言いたかった。それだけだ。そなたのおかげで、王国の宝が……多くの者が戦士としての命を取り留めた」
「私は王女殿下にそのように仰っていただくようなことは何もしておりません」
王女が小さく笑って首を振った。
「いいや。してくれたとも。そなたは、ブラッドベアを排除してくれたじゃないか。他の重傷者たちにだって、ハイヒールをかけて回ってくれた。それだけで十分、私が礼を言うに値する」
まさかそれまでも否定はしないだろう、と問いかけられて、冬真は息を吐いた。
「そういうことでしたら、お言葉はありがたく頂戴いたします」
「うむ。それで、そなたはどうする。確か、調査隊に大きな被害が出たら戦死扱いとするはずだっただろう」
「王女殿下に被害が出たら、です。第一、この状況で、離脱などできるはずがないでしょう」
冬真が即答すると、王女とカティアが揃って表情を緩めた。
「そ、そうか。……正直、助かるが……いいのか?」
「トーマス殿の正体に気が付いた者たちも部隊には相当数いるかと」
カティアの補足に、冬真は苦笑した。
「今更です。もう一度同じようなことがあっても困りますので」
「伯のいない状態でまたブラッドベアが出れば全滅は免れぬからな……」
「ここは生息地から外れているのではなかったのですか?」
カティアの疑問に、冬真は首を振る。
「はぐれ個体が周辺にいたのかもしれません。それも含めて、安全の保証はできないと申し上げたはず」
王女が暗い表情になる。
「とはいえ、率直に申し上げれば、今回のことは何者かが故意に誘導を行ったのではないかと疑っております」
野営をする前に、冬真は周囲の魔物を一掃している。はぐれ個体など、いるはずがないのだ。ましてや、二体である。
一気にその場の空気が緊迫した。
「なんだと」
危険度はおそろしく高いが、冬真以外の人間でも、短距離ならば誘導ができるはずだ。一人で誘導するのではなく、一定距離に立った人間が順繰りにヘイトを取っていく方法ならば、理論上は誘導が可能になるのではないだろうか?試したことはないし、誰かに試させるつもりもないが。
「直前に、宮廷魔法士殿に話しかけられて、逆方向に誘導されました。タイミングからいって、無関係とは思えないのですが……」
バルフラウ伯爵の次男の話をすれば、王女が首を振る。
「それだけでは判断はできぬな。あるいはそのブラッドベアが野営地を襲った可能性もあるではないか。そなたの戦闘力を間近で確認した今、そなたに近づきたい者など、この野営地には山ほどおるだろう」
「仰る通りです」
冬真にも、たかがこれだけで犯人扱いをするのが難しいことは分かっている。バルフラウ伯爵次男は、治療にも駆け回っていて、その後は不審な素振りがない。
「ともかくこうなった以上、私が王都まで確実にお送りいたします」
ここまで手間をかけて手伝ったのだ。失敗で終わるのは不愉快である。
「助かる。私は、これ以上、王国の宝を喪うわけにはいかぬ。そなたに託す。彼らを共に連れ帰ってやってくれ。この被害の責を、決して伯に問うことはせぬと私の名にかけて約束する」
「承りました」
――それに、あくまで王族としての自分を捨てないこの王女のことも、冬真は嫌いではない。
* * * *
天幕の中には、五つの寝台が並べられ、人が横たえられていた。そのいずれも血まみれの格好だが、聞こえてくる寝息は健やかで、苦痛に呻いているという気配もない。
「エリアディスペル」
冬真が小さく唱えると、途端に寝息が乱れ始める。
冬真の斜め前で王女が息を吐いた。
「そなたに解除できるスリープでよかった」
あくまで、スリープをかけたのが冬真だとは断定しない物言いだ。
「恐れ入ります」
冬真は頭を下げた。横ではカティアがもの言いたげな顔をしている。
協力関係が成立して、まず冬真が王女に依頼されたのはディスペルの行使である。もっともな話だ。
冬真としても、一団の統率責任者であるフェルティスが眠ったままでは、非常に困る。行動決定もままならない。怪我もなく眠り続けているだけの兵士を背負って連れ帰るなど、無駄の極みである。
微かなうめき声とともに、フェルティスが真っ先に瞼を揺らした。ぼんやりした顔で、天幕の天井を見上げる。
「フェルティス、気分はどうだ?」
「……王女殿下! 部隊は」
がばりと身体を起こして、それから怪訝そうに、自身の右腕と左腕を見下ろす。
「こ、これは? いや、夢、だったはずは……」
信じられないという顔で、右手と左手を握りしめては広げるということを繰り返して、眺める。
「夢ではない。そなたの両腕が落ちたところを、多くの者たちが見た」
王女の声に、フェルティスが顔を上げる。
「で、ですが!」
そして、王女の背後に無表情で立っている冬真と視線を合わせて、息を飲む。
「そのとおり、今、そなたの腕は回復している。どうやら問題なく動くようだな。そなただけではない。この戦場で四肢を喪った者たちは、みな回復している」
王女に視線を戻していたフェルティスが、はっとした顔で、冬真をまじまじと見つめなおした。
「私はそなたに尋ねなければならぬ。何があった?」




