第六十四話
早朝の宿の厩舎前で、伸びをしていたときのことだった。
「そなたがトーマス・ハーウェル卿か?」
声をかけられて、冬真は顔をしかめた。あまり接触する人間を増やしたくはないのだが。
横を見ると、銀の髪を結いあげた美女が立っていた。優雅ながら、その視線には圧がある。ローブを纏い、宮廷魔法師団所属を示す紫のサッシュを付けていた。
「は。お初にお目にかかります」
冬真は礼を取る。
「王女殿下がそなたを気に入っていると風評が立っているようだが。王女殿下は気さくなだけだ。ゆめゆめ勘違いすることのないように」
「心得ております」
ふん、と美女が不快そうに鼻を鳴らした。どう返事すれば正解なのだろうか? 難問である。
そのまま、美女は衣擦れの音とともに去っていった。名乗らぬまま。どうやら、冬真に警告がしたかっただけのようだ。
冬真は、溜息を吐いて馬を引き出した。ここから向かう先はゲルトルである。これよりトーマス=ハーウェルは、アイザー伯への使者として出発するのだ。
* * * *
深夜に工房に駆け付けたベルダーンは、ひどく不安そうな顔だった。
「お早いお戻りですね。明後日到着のご予定では?」
冬真は、工房の机に山と積まれていた書類を読んで、片っ端からサインをしていたところだ。既に髪の色は元に戻っている。
護衛任務を開始してからは、非常事態に備えて、毎晩フロイにはゲルトルの同じ酒場に通ってもらっていた。そこからこっそり工房に連れてきてもらって、フロイがベルダーンに知らせに走ってくれている間に、染めた髪を元に戻したのである。
「うん。予想外の事態になってね」
「まさか、露見したのですか?」
ベルダーンの表情は険しい。冬真は慌てて両手を挙げた。身分を偽称するなどというトンデモ策のせいで、ずいぶんと心配をかけていたらしい。
「ち、違う違う。大丈夫、円満に離れてきたよ。近衛兵団長殿も俺のことを知っていた。だからそこまで心配しなくて大丈夫だ」
「……お話を伺いましょう」
ベルダーンが、机の向かいに腰を下ろす。
「実はね……」
冬真がルシュラ王女たちと相談して決めてきたことを話すと、ベルダーンは顔を強張らせている。明らかに気が進まない様子だ。
「また面倒をかけてごめん」
冬真の謝罪にも、ベルダーンはむっつりとした顔で唇を引き結んでいる。
「これだから中央は……。武闘会で花を持たせてもらったことにも気が付かずに、自殺行為でございますか。自業自得でしょう。王女殿下だけお守り申し上げて、あとは放っておけばよろしいのでは?」
冷ややかな声だ。
「もしかして、怒ってる?」
「革の取引制限などかけてきた奴らです。主君が寛容すぎるのです」
ベルダーンの目が据わっている。確かに、あれがなければ、領の回復はもっと早く進んでいただろう。しかし、その副作用にどんな効果があったかもわからない。冬真の武闘会での手加減だって、こんなことになるとは思わなかったのだ。
「ま、まあ。王女殿下やフェルティス殿が主導したわけじゃないだろうし」
むしろ、冬真が二人に感じたのは、分かりやすく好意寄りだった。高圧的な命令も、意見を無視することもしない。だからこそ、踏み込んで協力してもいい気になったのだ。
「とりあえず、協力を頼むよ」
「主君がお戻りになったということは、溜まっていた書類の決裁も進むということですから。私も安心して仕事にとりかかることができそうです」
厄介ごとばかりを立て続けに持ち込んだせいだろうか。額に青筋でも見えそうな剣呑な口調だ。冬真は首を竦めた。
「う、うん。俺も、ちゃんと領主の仕事はこなすよ……」
ベルダーンがにっこりする。
「さすがは我が主君です」
* * * *
ゲルトルのアイザー伯爵家本邸。滅多に――この二年半の間でも、数えるほどしか使用されていない正餐室に、今夜は贅沢に灯りがともされている。
冬真は、入室してきた三人を、立ち上がって迎えた。丁寧な礼を取る。
「ようこそゲルトルへ。我が領は調査隊を歓迎いたします」
「歓待感謝する。王都ぶりだな、アイザー伯。健勝そうで嬉しいぞ」
ルシュラ王女の言葉を待ってから頭を上げる。
「王国の恩寵を持ちまして」
「お久しぶりですね、アイザー伯。覚えていただいているでしょうか、武闘会でご一緒させていただいた近衛兵団長のフェルティスです」
次に挨拶をしてくれたのは近衛兵団長だ。ルシュラもフェルティスも王族と高位の武官らしく、初対面を装う演技にもわざとらしさがない。冬真もいつかはこんな風に……なる前に地球に戻りたいものである。
「もちろん記憶しております。あの時は勉強させていただきました」
如才なく答えながらも、冬真は三人目の人物に視線をやった。僅かに身体を揺らす。
微笑を浮かべて立っているのは、銀髪を結い上げた美女だ。トーマス・ハーウェルとして言葉を交わした女性である。
「私も覚えていただいているでしょうか、カティア・ベルシュフォールで……」
女性の青い瞳が、冬真の顔を見つめて揺れた。そのまま言葉を失う。
「もちろん記憶しております。見事な魔法でした」
冬真はそう言葉を引き取るしかなかった。カティアの眉が、次第に寄っていく。
「あなたが……アイザー伯?」
「はい」
カティアが王女とフェルティスに視線を走らせた。王女が微かに首を振る。
「失礼いたしました。改めてお会いしたら、知り合いに似ておられる気がして」
気を取り直したように微笑むカティアに、冬真は内心で胸を撫でおろした。この場で問い詰められたらどうしようかと思った。
「左様でしたか。さあ、どうぞ席におつきください」
冬真が王女を、フェルティスがカティアをそれぞれエスコートして席に移動する。
「未だ復興途上の領ゆえ、もてなしが行き届かないところはご容赦いただきたい」
何しろ貧乏領であるので、王宮の料理とは比べられても困るのだ。
王女が鷹揚に頷く。
「無論だ。むしろ負担をかけてすまぬな」
男性陣が席についてから、給仕が始まった。
「む、これは何の肉だ?」
「美味ですな……」
メインディッシュを一口食べて表情の変わった客人たちに、冬真は頷いた。これは王都にも引けを取らないと断言できる唯一の品だ。
「こちらはグレートボアの肉です」
「グ、グレートボアだと?」
「狩ったのですか?」
「はい。手軽に狩れる場所がありますので」
冬真が頷くと、フェルティスとカティアが何とも言えない顔になる。フェルティスがぼやくように呟いた。
「手軽に……」
王女が唇の片側を吊り上げた。
「伯が手ずから狩ってくれた獲物を振る舞ってくれたというわけか。最高の贅沢だな」
「恐れ入ります」
料理が全て終わって、最後に供された焼き菓子に目を丸くしたのは女性陣だ。もちろん菓子には蜂蜜を練り込んである。そしてさらに甘くして食べたい人のために、直径5cmほどのおちょこのような容器を作らせて、そこに蜂蜜を満たしてある。
「何だこれは。つけて食べれば良いのか?」
王女は蜂蜜をつけた焼き菓子を口にして、目を見開いた。
「甘いな。これは蜂蜜か?」
「はい。実はこれがこの領地の新しい産業なのですよ」
「なんだと!?」
王女の反応は激しかった。同席者の視線に気が付いたのか、小さな咳ばらいを一つしたあと、取り繕うように言う。
「産業ということは、これを生産しているというのか?」
「はい。ようやく軌道に乗ってまいりました」
王女が身体を乗り出す。
「それは実に素晴らしいことだぞ。よし。王女として、今回の件の礼に私が買い上げよう」
「いえ……お申し出はありがたいのですが、既に全量、売り先が決まっているのです」
冬真が言うと、王女は身体を揺らした。
「そ、そうなのか?それは残念だな……。王都の商会には売っているのか?」
「いえ。全てグルドハイム公爵閣下が買い上げてくださいました」
「何だと……。王都の商会にも売ったほうが、販路ができてよいのではないか?」
王女は、少しだけ眉を吊り上げている。何だか不満そうだ。
「私もそう考えて、ミスリル鉱石を献上する際にいくらか持って行ったのですが」
「ほう? まさか、売れなかったのか?」
「調査隊の件で領の立場が悪くなると聞いて困っていたところを、グルドハイム公爵閣下が助けてくださったのです」
途端に、三人は複雑そうな表情になった。宰相とのやりとりを、この三人も聞いているようだ。
「そ、そうか……。それは残念だな。しかし、次は王都に持ってくるといい。もし商会が買わないと言うのであれば、私が直接買い上げる」
「ありがとうございます。生産量に余剰ができましたらお持ちしましょう」
「絶対にだぞ! 公爵家ではなく、私に先に持ってくるように!」
冬真は眉を上げた。
「公爵家は我が領の重要な取引相手ですので確約はできません。王女殿下に売る分は、別に確保をいたしましょう。それでお許しください」
「う、うむ。それでよい……」
王女は少しだけ不満そうではあったが、辺境にとっては遠い王都よりも、王都に行く途中の公爵領のほうが、遥かに重要な取引相手なのである。




