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絶望遊戯~ゲーム世界に絶望難易度アビリティをつけて転移した話~  作者: 長月透子
第九章 ミスリル事変

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第六十四話

 早朝の宿の厩舎前で、伸びをしていたときのことだった。


「そなたがトーマス・ハーウェル卿か?」


 声をかけられて、冬真は顔をしかめた。あまり接触する人間を増やしたくはないのだが。


 横を見ると、銀の髪を結いあげた美女が立っていた。優雅ながら、その視線には圧がある。ローブを纏い、宮廷魔法師団所属を示す紫のサッシュを付けていた。


「は。お初にお目にかかります」


 冬真は礼を取る。


「王女殿下がそなたを気に入っていると風評が立っているようだが。王女殿下は気さくなだけだ。ゆめゆめ勘違いすることのないように」

「心得ております」


 ふん、と美女が不快そうに鼻を鳴らした。どう返事すれば正解なのだろうか? 難問である。


 そのまま、美女は衣擦れの音とともに去っていった。名乗らぬまま。どうやら、冬真に警告がしたかっただけのようだ。


 冬真は、溜息を吐いて馬を引き出した。ここから向かう先はゲルトルである。これよりトーマス=ハーウェルは、アイザー伯への使者として出発するのだ。


* * * *


 深夜に工房に駆け付けたベルダーンは、ひどく不安そうな顔だった。


「お早いお戻りですね。明後日到着のご予定では?」


 冬真は、工房の机に山と積まれていた書類を読んで、片っ端からサインをしていたところだ。既に髪の色は元に戻っている。


 護衛任務を開始してからは、非常事態に備えて、毎晩フロイにはゲルトルの同じ酒場に通ってもらっていた。そこからこっそり工房に連れてきてもらって、フロイがベルダーンに知らせに走ってくれている間に、染めた髪を元に戻したのである。


「うん。予想外の事態になってね」

「まさか、露見したのですか?」


 ベルダーンの表情は険しい。冬真は慌てて両手を挙げた。身分を偽称するなどというトンデモ策のせいで、ずいぶんと心配をかけていたらしい。


「ち、違う違う。大丈夫、円満に離れてきたよ。近衛兵団長殿も俺のことを知っていた。だからそこまで心配しなくて大丈夫だ」

「……お話を伺いましょう」


 ベルダーンが、机の向かいに腰を下ろす。


「実はね……」


 冬真がルシュラ王女たちと相談して決めてきたことを話すと、ベルダーンは顔を強張らせている。明らかに気が進まない様子だ。


「また面倒をかけてごめん」


 冬真の謝罪にも、ベルダーンはむっつりとした顔で唇を引き結んでいる。


「これだから中央は……。武闘会で花を持たせてもらったことにも気が付かずに、自殺行為でございますか。自業自得でしょう。王女殿下だけお守り申し上げて、あとは放っておけばよろしいのでは?」


 冷ややかな声だ。


「もしかして、怒ってる?」

「革の取引制限などかけてきた奴らです。主君が寛容すぎるのです」


 ベルダーンの目が据わっている。確かに、あれがなければ、領の回復はもっと早く進んでいただろう。しかし、その副作用にどんな効果があったかもわからない。冬真の武闘会での手加減だって、こんなことになるとは思わなかったのだ。


「ま、まあ。王女殿下やフェルティス殿が主導したわけじゃないだろうし」


 むしろ、冬真が二人に感じたのは、分かりやすく好意寄りだった。高圧的な命令も、意見を無視することもしない。だからこそ、踏み込んで協力してもいい気になったのだ。


「とりあえず、協力を頼むよ」

「主君がお戻りになったということは、溜まっていた書類の決裁も進むということですから。私も安心して仕事にとりかかることができそうです」


 厄介ごとばかりを立て続けに持ち込んだせいだろうか。額に青筋でも見えそうな剣呑な口調だ。冬真は首を竦めた。


「う、うん。俺も、ちゃんと領主の仕事はこなすよ……」


 ベルダーンがにっこりする。


「さすがは我が主君です」


* * * *


 ゲルトルのアイザー伯爵家本邸。滅多に――この二年半の間でも、数えるほどしか使用されていない正餐室に、今夜は贅沢に灯りがともされている。


 冬真は、入室してきた三人を、立ち上がって迎えた。丁寧な礼を取る。


「ようこそゲルトルへ。我が領は調査隊を歓迎いたします」

「歓待感謝する。王都ぶりだな、アイザー伯。健勝そうで嬉しいぞ」


 ルシュラ王女の言葉を待ってから頭を上げる。


「王国の恩寵を持ちまして」

「お久しぶりですね、アイザー伯。覚えていただいているでしょうか、武闘会でご一緒させていただいた近衛兵団長のフェルティスです」


 次に挨拶をしてくれたのは近衛兵団長だ。ルシュラもフェルティスも王族と高位の武官らしく、初対面を装う演技にもわざとらしさがない。冬真もいつかはこんな風に……なる前に地球に戻りたいものである。


「もちろん記憶しております。あの時は勉強させていただきました」


 如才なく答えながらも、冬真は三人目の人物に視線をやった。僅かに身体を揺らす。


 微笑を浮かべて立っているのは、銀髪を結い上げた美女だ。トーマス・ハーウェルとして言葉を交わした女性である。


「私も覚えていただいているでしょうか、カティア・ベルシュフォールで……」


 女性の青い瞳が、冬真の顔を見つめて揺れた。そのまま言葉を失う。


「もちろん記憶しております。見事な魔法でした」


 冬真はそう言葉を引き取るしかなかった。カティアの眉が、次第に寄っていく。


「あなたが……アイザー伯?」

「はい」


 カティアが王女とフェルティスに視線を走らせた。王女が微かに首を振る。


「失礼いたしました。改めてお会いしたら、知り合いに似ておられる気がして」


 気を取り直したように微笑むカティアに、冬真は内心で胸を撫でおろした。この場で問い詰められたらどうしようかと思った。


「左様でしたか。さあ、どうぞ席におつきください」


 冬真が王女を、フェルティスがカティアをそれぞれエスコートして席に移動する。


「未だ復興途上の領ゆえ、もてなしが行き届かないところはご容赦いただきたい」


 何しろ貧乏領であるので、王宮の料理とは比べられても困るのだ。


 王女が鷹揚に頷く。


「無論だ。むしろ負担をかけてすまぬな」


 男性陣が席についてから、給仕が始まった。


「む、これは何の肉だ?」

「美味ですな……」


 メインディッシュを一口食べて表情の変わった客人たちに、冬真は頷いた。これは王都にも引けを取らないと断言できる唯一の品だ。


「こちらはグレートボアの肉です」

「グ、グレートボアだと?」

「狩ったのですか?」

「はい。手軽に狩れる場所がありますので」


 冬真が頷くと、フェルティスとカティアが何とも言えない顔になる。フェルティスがぼやくように呟いた。


「手軽に……」


 王女が唇の片側を吊り上げた。


「伯が手ずから狩ってくれた獲物を振る舞ってくれたというわけか。最高の贅沢だな」

「恐れ入ります」


 料理が全て終わって、最後に供された焼き菓子に目を丸くしたのは女性陣だ。もちろん菓子には蜂蜜を練り込んである。そしてさらに甘くして食べたい人のために、直径5cmほどのおちょこのような容器を作らせて、そこに蜂蜜を満たしてある。


「何だこれは。つけて食べれば良いのか?」


 王女は蜂蜜をつけた焼き菓子を口にして、目を見開いた。


「甘いな。これは蜂蜜か?」

「はい。実はこれがこの領地の新しい産業なのですよ」

「なんだと!?」


 王女の反応は激しかった。同席者の視線に気が付いたのか、小さな咳ばらいを一つしたあと、取り繕うように言う。


「産業ということは、これを生産しているというのか?」

「はい。ようやく軌道に乗ってまいりました」


 王女が身体を乗り出す。


「それは実に素晴らしいことだぞ。よし。王女として、今回の件の礼に私が買い上げよう」

「いえ……お申し出はありがたいのですが、既に全量、売り先が決まっているのです」


 冬真が言うと、王女は身体を揺らした。


「そ、そうなのか?それは残念だな……。王都の商会には売っているのか?」

「いえ。全てグルドハイム公爵閣下が買い上げてくださいました」

「何だと……。王都の商会にも売ったほうが、販路ができてよいのではないか?」


 王女は、少しだけ眉を吊り上げている。何だか不満そうだ。


「私もそう考えて、ミスリル鉱石を献上する際にいくらか持って行ったのですが」

「ほう? まさか、売れなかったのか?」

「調査隊の件で領の立場が悪くなると聞いて困っていたところを、グルドハイム公爵閣下が助けてくださったのです」


 途端に、三人は複雑そうな表情になった。宰相とのやりとりを、この三人も聞いているようだ。


「そ、そうか……。それは残念だな。しかし、次は王都に持ってくるといい。もし商会が買わないと言うのであれば、私が直接買い上げる」

「ありがとうございます。生産量に余剰ができましたらお持ちしましょう」

「絶対にだぞ! 公爵家ではなく、私に先に持ってくるように!」


 冬真は眉を上げた。


「公爵家は我が領の重要な取引相手ですので確約はできません。王女殿下に売る分は、別に確保をいたしましょう。それでお許しください」

「う、うむ。それでよい……」


 王女は少しだけ不満そうではあったが、辺境にとっては遠い王都よりも、王都に行く途中の公爵領のほうが、遥かに重要な取引相手なのである。

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