第六十話
冬真がグルドハイム公爵邸に呼び出されたのは、ムルファスと面会してから五日後のことだった。
応接室の中には、ムルファスと、もう一人。七日前に顔を合わせたきりの、軍務大臣、ディルナク伯爵が待っていた。
「本日は、お招きいただき光栄です」
「うむ、よく来てくれた」
冬真の挨拶に、公爵が鷹揚に頷いて答える。
「トーマ殿は、ディルナク卿とは面識があるな?」
「はい。軍務大臣閣下、お会いできて光栄です」
「こちらこそ。今日はお会いできて嬉しいですぞ」
挨拶を交わし合って、それぞれが椅子に収まる。
「本日、婿殿を呼んだ理由だが」
表情を改めた公爵が、話を切り出す。
「ディルナク卿が婿殿に話がおありだとか」
公爵がちらりと横に視線を流した。冬真もディルナクに視線を向ける。わざわざグルドハイム公爵を通して冬真に接触をするのは、公爵家に対する配慮アピールだろう。
「公爵閣下、席を設けていただいて感謝いたしますぞ」
ディルナクが、まずはムルファスに礼を述べてから、冬真に向き直る。
「既にご承知のことだろうが、調査隊の件についてだ。今日は、貴公に個人的に要請させていただきたいことがある」
冬真は眉をひそめた。個人的、とはまた意外な言葉である。
「伺いましょう」
冬真に対して不利な話であれば、まず間違いなく公爵が間に入る。冬真が一人で考えて戦う必要はない。
「アイザー伯には、調査隊に同行をお願いしたい」
「……もしかして、王女殿下個人を護衛する、というお話の続きでしょうか?」
七日前の会合では、その話は結論が出ないまま、責任問題に話がシフトして終わっていた。
「その通りだ」
ディルナクが勢い込んで頷く。
「しかし……」
冬真は戸惑いと共に公爵に視線を向けた。
ムルファスも、王女が危険地帯に向かうことは反対していたはずだ。冬真の英雄性を下げる装置としては無効化されたのだから、もはや王女が直接調査隊を率いて、危険な場所に赴く必要性はないのではないか。
公爵が、軽く肩を竦める。
「王女殿下は、今さら後には退けぬと仰せだそうだ」
冬真は目を瞬かせた。
バカな。そんな意地で王族が危険地に向かうだと。その論理はこの世界でなら通用するのだろうか?
「ことは王家の威信に関わる。グルドハイム公爵閣下が交渉に出られたからといって、王女殿下がご意思を簡単に変えるわけにはいかんのだ」
冬真の表情を読んだのか、ディルナクが肩を落として説明する。
なるほど。冬真は自衛のためにムルファスと諸侯を巻き込んだのだが、それによって王女は引くに引けない状態になった、ということだろうか。ここで調査隊のトップを降りたら、やはり失敗時の責任を英雄に押し付けるつもりで、無謀な挑戦を強引に押し切るためにトップになったのだ、と言われかねない。
「閣下の仰りたいことは分かりましたが、調査隊の被害責任を私に負わせたい、という趣旨のお話ではないと?」
ディルナクが、自嘲気味に笑った。
「公爵閣下の面前でそんなことを言えば、私は史上一の愚か者と呼ばれるであろうな」
「しかし、現実的に、私が同行すれば、私が一番現地に詳しい。調査隊に被害が出た場合に、私の責任は免れ得ない。違いますか?」
「違わぬ……」
答えるディルナクの声は弱々しかった。
「結局のところ、調査隊に被害が出たときに私が責任を負うという構造は変わらないではないですか。公爵閣下が私のためになさってくださっていることが、何の意味もなくなる。お受けいたしかねます」
冬真はちらりと横を見やった。ムルファスは澄ました顔で紅茶を飲んでいる。冬真の返答に異論はないようだ。
退けなくなった王女は気の毒ではあるが、そもそも最初から身分を盾にした調査の強行なんてしようとしなければ良かった話である。陥れられそうになった冬真がフォローしてやる義理は、どこにもない。
ディルナクの表情が歪んだ。
「無茶な頼みであることは分かっている。そこを何とか、お願いしたい。受けていただければ、伯の立場について、私から国王陛下にとりなしをすることをお約束する。ブラッドベア革の規制についても、考え直していただけるよう上奏しよう」
「そう言われましても……」
ブラッドベア革の規制については、もうそのままで構わない。すでに工房の免許システムも動き出しているし、今さら変えられる方が面倒だ。冬真の立場についても、やりがい詐欺で便利屋として中央にこき使われるより、距離を置いているほうがずっといい。
「姪なのだ。頼む。調査隊に被害が出るとも、王女殿下だけは無事にお戻ししてほしい」
そう言って、ディルナクががばりと頭を下げた。
冬真は思わず顔をしかめた。最も苦手な論法がやってきた。
ディルナクは頭を上げない。軍務大臣が、新参の地方伯爵に頭を下げている。冬真に公爵という後ろ盾があるとはいえ、これがどれほど譲歩した行動かは、ベルダーンに解説されなくとも察することができる。
公爵を見れば、興味深そうな顔で冬真を見返してくる。
止めない、ということは、公爵は冬真が王女を個人的に護衛すること自体には賛成しているらしい。それなら検討自体は可能である。
冬真は息を吐いた。
「大臣閣下のお気持ちは分かりました」
正直に言って、顔を合わせたこともない兵士たちが権力者の勝手で死ぬのは、仕方がないことだと思っている。
危険だと警告はした。その上で、王国領外の探索ができる、という夢を見るのは王国の勝手で、冬真の責任ではない。兵士たちが死ぬのは、無能な権力者を戴いた者たちの不幸であろう。
しかし、実際に死地に向かう姪を心配する叔父の姿を目の当たりにすると、冷たくあしらうのは躊躇われた。ディルナクが冬真に対して、敬意をもって接してきたからなおさらだ。
個人的に縋られた上で、王女様が無残な死を遂げたらものすごく後味が悪い。しかも、原因は冬真が報告したミスリル鉱脈だ。
眉間を指先で揉みこむ。仕方がない。
「ですが、個人護衛を引き受けるに当たって、いくつか条件がございます」
問題は冬真が同行することで、自動的に降りかかってくるであろう被害責任だ。これを何とかしない限り、冬真は調査隊に同行はできない。
* * * *
グルドハイム公爵邸での会談より、三日後のことだった。
「そなたがアイザー伯か。私が王国第一王女、ルシュラである。叔父上から聞いておるぞ。実に扱いにくい男だとな」
波打つ焦げ茶の髪に、生き生きとした青い瞳。迫力のある話し方。着ているのは、ドレスではなく、ブラウスに白いズボン。首にはクラバットを結んでいる。
これは騎士だ、明らかに。すくなくとも、ふわふわしたお姫さまではない。
「恐縮です」
冬真は頭を下げる。
王女の隣には、ディルナク伯爵が曖昧な微笑みを浮かべて座っている。
場所は、軍務大臣の執務室である。
「私を守るよう叔父上が頼んだと聞いた。そなた、そんなに強いのか?」
青い瞳が、じっと冬真を見つめる。好奇心をそのまま表に出したような表情だ。
「武闘会は三位であっただろう。フェルティスより役に立つとも思えぬがな?」
「近衛兵団長殿も調査隊に?」
「ああ。そなたが採掘できるのであれば、フェルティスとカティアを連れて行けば必ずや安定採掘できるはず、と宰相が譲らなくてな」
カティア、とは誰だっただろうか。
「宮廷魔法士の首席だ。武闘会で競い合ったはずだぞ。覚えていないのか?」
冬真の表情を読んだ王女が、呆れた顔で補足した。
冬真は肩を竦める。近接戦闘部門ならともかく、魔法士部門は距離を置いて会釈しただけである。二年前に一度しか会っていない相手など覚えていられるわけがない。
「カティアのほうはお前を随分意識しているようなのになぁ」
王女は少しだけ不憫そうな顔で言ったあと、微笑んだ。
「ともかく、『ルキアの矛』の戦闘を間近で見られるとは楽しみだ!」
「私は王女様を守るためにしか戦いませんが?」
そこで、王女がむっと唇を結んだ。
「……戦わないのか?」
「護衛ですから。前には出ません」
「では、私が前に出れば戦うのか?」
冬真は目を細めた。
「無謀な護衛対象は殴ってでも退避させて良いとディルナク伯より伺っております」
「無論、冗談だとも」
王女が肩を竦める。しかしその瞳は、悪戯っぽく輝いていた。




