第五十四話
ベルダーンの頬が次第に上気して、瞳が輝きだす。
「高マナ回復薬とは、どれほど回復するのですか?」
「たくさん、だよ。そうだなあ。ベルダーンが気絶寸前まで魔法を使っても、これを飲めばほとんど全快するんじゃないかな?」
「そんな薬が存在するのですか!?」
「まあね。味はひどいものだけど……」
冬真は言葉を濁した。美味しいものを食べ慣れているお貴族様が、この味に耐えられるものなのだろうか?
「そのようなもの! 薬の効果が本当なら、世界が変わりますよ」
そう答えながらも、ベルダーンは難しい顔だ。
「産業化するとなると、王国からの干渉が心配です。まず間違いなく、鉄や塩並みの……、いえ、もっとひどい流通規制がかかるかと」
要するに、魔法士を人間砲台化する薬だ。
「やっぱり? そんな気はしたんだ」
だから派遣官僚を避けて話をすることにしたのである。
「取り上げに来るかな?」
「まず間違いなく」
冬真は少しだけ考えてから、首を振った。
「仕方ないな。諦めよう。リスクが大きすぎる」
ベルダーンは沈痛な面持ちだ。
「残念です」
「そんなに大量に生産できるものでもないからなあ。戦争の火種になっても困るし」
この分では、ミスリル装備を作成する前にも、何か対策を考えておく必要がありそうだ。
存在することすら知られていない高マナ回復薬とは違って、こちらは収集や研究を行っている上級貴族もそれなりにいて、装備を見れば分かってしまう可能性もあるらしい。
一傭兵ならいざ知らず、注目を集める上級貴族という立場では、隠ぺいできるとは思わないほうがいいだろう。頭の痛い問題である。
「じゃあ、まずはこの蜂蜜の産業化でいこうか」
冬真は左端の小瓶を指さす。
「蜂蜜ですか?」
「うん。通常のね」
ベルダーンが怪訝そうな顔で、二つの瓶を見比べる。
「中央のとはどう違うんです?」
「こっちの蜂蜜は、食べるとマナが少しだけ回復する」
「はい?」
「この薬ほどじゃないけどね。まあ、一瓶飲めば、ファイアーボール一回くらいは撃てるんじゃないかな」
ベルダーンが顔をしかめた。一瓶分蜂蜜を飲み下すことを想像したのかもしれない。
「そんな蜂蜜など、聞いたことがありませんが……、それなら、こちらの蜂蜜を産業化すればよいのでは?」
「採れる場所が限定的すぎる」
「どこです?」
「ブラッドベア生息地の近く」
ベルダーンの顔がさらに歪んだ。
「そんなところで領民を作業させるのですか?」
「だから、前哨基地の建設と、周辺の伐採による魔物の駆除を行わないといけないんだ。すぐにできるものじゃない」
「しかし蜂蜜を産業化するとはいっても、どうやってです? あれは偶然見つけた巣から採取できるものだと聞いています。探す領民を常時置くのですか?」
ベルダーンは首を捻っている。
「いや、巣箱を用意してそこに女王バチを入れておくと、蜂蜜が取れるんだ」
「箱、ですか? そんなに簡単に?」
「作るのが簡単かどうかは保証できないなあ」
冬真は苦笑した。実はあまり巣箱の構造を理解していない。冬真はシステムの命じるまま手を動かして作ったからだ。上から見ている限りはそれなりに複雑だった。もしかすると、大工の弟子を取って冬真が作って見せなければならないかもしれない。ゲームでアイテム作成に必要とされる器用は30。複合弓と同じ数値だ。
「それなら、その箱自体は産業にならないのですか?」
冬真は虚を衝かれて押し黙った。ベルダーンは不思議そうな顔である。
継続的な産業を重視するあまり、消費材にばかり目が行っていた。
「……なるほど。成立するかな?」
「それによって蜂蜜が安定供給できるというなら、価値は非常に高いと思います。職人の管理には気を付けないといけませんが……」
「いずれ模倣は避けられないから、初期に収入が見込めるならそれで十分じゃないかな」
問題は、冬真しか教えられる人間がいないということである。果たしてうまく説明ができるのか?
「他領に蜂蜜生産が普及して産業価値が落ちたら、この真ん中の蜂蜜に切り替える。その頃には、開拓の余裕もできてると信じたいね」
「承知しました」
「まずは蜂を増やさないと話にならないから、警備のための拠点を作ろう。領民に食べられてしまっては困るんだ」
「まさか蜂を護衛することになるとは領兵も思わないでしょうね」
「最悪の場合を想定して、城館の裏庭にも巣箱を作っておこう。誰かの嫌がらせで蜂が全滅したら困るからね」
ベルダーンが顔をしかめる。
「ありえないと言えないのが困るところですね」
「巣箱については私が手配をする。ベルダーンは拠点の整備を頼む。付近に農地がたくさんあって、農民たちの理解と天然の警備が期待できるところがいいな」
「はっ」
「ああそうだ、これは上げるよ」
冬真は一番右の小瓶を、ベルダーンに差し出す。
「え、よろしいのですか?」
「うん。ベルダーンにもしものことがあったら困るし」
「家宝に致します!」
「いや……賞味期限とかあるかも……どうなんだろう……怖いから、そんなに長期保存はしないでくれると」
ベルダーンがくわっと口を開けた。
「もったいなくて飲めるわけがないでしょう!」
* * * *
ガリゴリ、ザッ、ザッ、カンカン。工具を様々に持ち替えた冬真の手は、よどみのない手つきで動いては、作業台の上に複雑なつくりの箱を完成させていく。
ここは冬真の専用工房だ。
「作業の流れはこんな感じなんだけど、できそう?」
横に立っている大工を見上げる。辛くもスタンピードを生き残った、がっしりとした体格の、壮年の男だ。フェルダー伯爵時代からのお抱えの大工である。この作業テーブルも、男の工房で作ってもらったものだ。
他の領でもやっていける確かな腕があるというのに、ゲルトルが壊滅しても、再建には大工が真っ先に必要になるからと留まってくれていた男である。領地への忠誠は申し分ない。
男は呆然とした顔で、出来上がった木箱を眺めていた。
「領主様……」
しばらく待っていると、ようやくのように口を開く。
「も、申し訳ありません。一つずつ、作業を小分けして見せちゃもらえませんかね」
肩を落とした大工は自信を喪失している風だった。真似して作ってもらいたいものがあるんだけど、と冬真が声をかけたときには、威勢がよかったのに。
冬真は頷いた。
「じゃ、まずはこれを分解して、部品の寸法を写し取ろうか」
そう言って、冬真は横の机に視線を流した。作業用の羊皮紙は、十分な数を用意した。大事なのは仕様書だ。しかし、冬真はそんなものを書いている暇はないし、どう書けば分かりやすいのかもわからない。そして、どう分解すればきれいにパーツとして分かれるのかもわからない。
「よろしいのですか?」
男がこわごわとした目で箱を眺める。領主が手ずから作り上げた箱だ。
「もちろん、そのために組み立てたようなものだからね。もしも破壊してしまって仕組みが分からないようなら、私がもう一度作っても構わない。ただ、全ての作業はここでしてほしいんだ。いいかな?」
職人の瞳に力が戻った。
「へぇ! お任せください!」
「長時間の拘束になるだろうから、戻るのは好きなタイミングで。口外禁止を守れる助手なら数人連れてきても構わない。いずれ、大量に作ってもらうことになるから。表の門番に声をかければ通すようにはしておくよ」
「ありがとうございます!」
大工がぺこぺこと頭を下げるのに、冬真は頷く。――何とか、作れるようになってくれるといいんだけど。




