第五十二話
城館の官僚執務室には、ベルダーンと官僚たちが揃っていた。
冬真が執務室に入っていくと、ベルダーンの視線が身体に突き刺さった。ぴりりとした緊張を感じて、冬真は瞬く。ベルダーンの表情はどことなく固く、強張っている。明らかに、いら立っている風だ。
普段から貴族としての振る舞いをわきまえている爽やか青年が、冬真の前でこんな風にネガティブな感情を露わにするのは非常に珍しい。
「王都から命令書が届きました」
立ちあがったベルダーンが、感情のない声で言って、冬真に細長い木箱を差し出した。中には丸められた羊皮紙が収められている。破られた封蝋には、王家の紋章があった。
ベルダーンには、領主代行として、冬真が不在の間の手紙の確認も任せている。緊急度を判断して、狩場などから冬真を呼び戻してもらうためだ。
冬真は羊皮紙を取り出して、目の前に広げた。そこに記された文章が日本語として羊皮紙の上に浮き上がる。それらを読んで、冬真は頷いた。
「なるほど」
一同を見渡せば、無表情ながら目の据わったベルダーン、心配そうなキュロスをはじめとした現地官僚、そして無表情を装いながらもどことなく満足そうな表情の派遣官僚たちと、反応がきれいに分かれている。
「内容はわかったよ」
元通り羊皮紙をくるくると丸めて書箱に戻す。
「王国に抗議するべきです」
ベルダーンが怒った声で言った。
「国王陛下の決定に異を唱えるおつもりですか?」
横から言うのは、宰相ゆかりの派遣官僚である。
冬真は首を振った。
「そんなつもりはないよ」
ベルダーンが眉を吊り上げる。
「トーマ様!」
「まずは、これを読んでもらえるかな」
冬真は、あえて派遣官僚に書箱を渡した。
反応からいってこの官僚は既に内容を知っている。しかし、ベルダーンが冬真より先にこの官僚に手紙を見せるとも思えない。行き着く結論は、この命令書には、官僚がある程度関わっているということだ。
「拝見いたします」
官僚がわざとらしく書箱を捧げ持ってから、中を取り出して読み上げる。
「王国は、希少素材であるブラッドベア革の素材価値を担保するため、また、既存の皮革の素材価値を担保するため、各領地に年間の取引量上限を設けるものである。全ての領地は、ブラッドベア二匹分以上の皮革を他の領地に譲渡・売買・移動してはならない」
言葉を聞くにつれて、現地官僚の表情がどんどん険しくなっていく。
ブラッドベア革の件でこの派遣官僚とやりあったのは、ほんの二カ月前のことだ。遠征には往復で数日かかるため、まだ追加の狩りには行けていない。なかなか迅速に対応してきたものである。
「確認したいんだけど、王国としては、ブラッドベア革を流通させすぎるのはよろしくない、という見解であってるかな」
冬真が尋ねると、派遣官僚が目を細めた。瞳には明らかな優越感が浮かんでいる。
「それ以外には読めませんな」
「トーマ様!」
再度声を上げるベルダーンに、冬真は首を振った。
「王国側の懸念はもっともだよ」
派遣官僚が意外そうな顔になる。
「だけどこれ、ブラッドベア革に限っているけど。それ以外の革ならいいってことなのかな?」
冬真なら、ドラゴンとか、そういう超希少素材以外ならば、おおよそどんな革でも取れる。領地付近に生息さえしていればだが。
もしも冬真がそっちをメインにしたらどうするつもりだったのだろうか。後追いでどんどん制限取引素材が追加されるのだろうか? 意地が悪いが、見てみたい気もする。
官僚が慌てた顔で咳ばらいをする。冬真の言わんとするところに遅れてたどり着いたらしい。
「そ、そのような形で国王陛下のご意向に背こうとするのはいかがなものかと」
冬真は肩を竦めた。
「ただの疑問だよ」
ベルダーンは不満そうだが、この命令は、この領にとって――とりわけ冬真にとって、明確なメリットがある。
冬真しかブラッドベア革を調達できない以上、他領に売らずに独占をすれば恨まれてしまう。しかし冬真が狩った量を公平に流せば、今度は狩人たちの生活の逼迫や、皮革による収入に頼っていた他領からの反感は避けられない。
いずれにせよ反発が避けられなかったところを、一気に救ってくれる王の一声である。手間のかかる解体自体の件数を減らせる格好の言い訳ができたわけだ。たとえばグルドハイム公爵家だって、王国の意向とあれば無理は言えない。冬真としては、むしろ感謝してもいい案件である。
「制限がかかるのは素材としての皮革だけ? 製品の項目が足りないね。算定方法も書いてもらわないと、他家への贈り物にできないと思うんだけど」
ベルダーンが首を振った。
「命令で制限されるのは皮革だけです。装備品にどれほどブラッドベア革を使っているかの細かい裁定は不可能ですので」
冬真は眉を寄せた。穴だらけの命令だ。ブラッドベア革で作ったテントを売って、売り先の領地で加工してしまえばやりたい放題ではないか。曖昧に命令しておけば、あとからいくらでもいちゃもんをつけられるということか。
「そういうことなら、当家としては王国の判断を遵守する。ブラッドベア革は、王都を含め一切他領に流さない。製品も全て伯爵家預かりとする」
「領主様!」
驚きの言葉を上げたのは現地官僚たちだ。
「文言が曖昧過ぎる。当家の手落ちを後から作ろうと思えばいくらでも作れる命令文だ。もちろん、国王陛下にそんなおつもりがないことは承知しているが。たとえば、受領を遅らせたり、早めたりして、書類上一年に二匹分の革を移動させたなどという実績を作ることは簡単だろう?」
冬真の問いかけに、現地官僚たちが悔しそうな顔で押し黙る。対して、派遣官僚たちは不快そうな顔だ。
「たかだか革1枚を売るのにリスクとリターンが釣り合わない。最初から流さない方がいい」
冬真は断言した。
いくら宰相筋の官僚からの報告があったとはいえ、こんなに迅速に命令が出るということは、王国は冬真にそこまで好意的ではない。冬真に泣きついてほしかったのか、それとも税を免除している間に荒稼ぎをされたくなかったのか、それともさらに他の理由があるのかは知らないが、好意からの規制でないことだけは明白である。
「ばかな。それでは領地の収入になりませんぞ」
眉を寄せて、文句を言ってきたのは派遣官僚である。冬真は肩を竦めた。
「別にいいんじゃないかな? そもそも、私はいちいち解体をするのは面倒だと思っていた。ほしい人が多いというから、解体することにしていただけだ。流通してほしくないと言うのなら、解体しないで捨てる。私は余計な手間をかけずに済む。王国も市場を保護できる。何か問題がある?」
「す、捨てる、ですと?」
派遣官僚が目を白黒させている。
冬真は会話を打ち切って、ベルダーンに視線をやった。
「これ、領内の取引は制限していないね」
「領内で物資をどう動かすかは領主権限です。そんな命令を出したら、さすがに他領の領主も反発します。王権による干渉の前例になってしまいますから、将来に禍根を残しますよ」
「じゃあ、領内でブラッドベア革を取り扱えるかは免許制にしようか」
「免許……ですか?」
「そう。卸売り商に任せて他領に勝手に持っていかれたら大変だから、ブラッドベア革は伯爵家と工房の直接取引にせざるを得ない。工程と端切れも管理することになるだろう。工房が勝手に素材を他領に持ち出しても困る。だから信用のある工房にしか任せられない」
「なるほど。ですが免許はどのように与えるのです?」
「そうだなあ。やっぱりコンペティションがいいんじゃないかな?」
ベルダーンが瞬いた。
「コンペティション? とは、この間やったあれですか?」
ドランバリエ工房を迎え入れたときに一度行った、製品コンクールだ。
「そう。せっかくだから定期イベントとして開催しよう。工房の負担を考えたら、三年に一回くらいがいいかな。その結果でブラッドベア革の割当量を決めるんだ。ひとまずは、前回の結果を踏まえて、ドランバリエ工房にのみ取り扱い資格を与える」
「定期開催ですか?」
「そう。他の工房にとっては序列の入れ替わるチャンスだから、励みになるだろう。技術の革新は競争によって起きる。努力しなくても権利が保障されているなら、努力しない人間が必ず出るからね」
話している間にも、みるみるベルダーンの瞳が輝いていく。どうやら、冬真のアイディアを気に入ってくれたらしい。
「なるほど、承知しました!」
ベルダーンが感じ入ったような顔で頷く。冬真を過大評価している気もするが、まあいい。
「君たちも、これで私が王国の命令を遵守するつもりであると、分かってくれただろう?」
冬真は派遣官僚たちに顔を向けて、念を押す。
「は……」
三人は納得のいかない顔で、それでも頷くしかない。当然である。
ちなみに、冬真は、コンペティション参加の条件に、自領の工房であるという条件はつけないつもりだ。競争を活性化させるためである。
他領からの出張工房でも構わない。そもそもドランバリエ工房も公爵領からの出張工房である。十分な身分の紹介者がいて信用できること、ブラッドベア革の加工作業を領内で完結できること。参加基準はそれだけだ。
この状態が長引けば、いずれ、他領の職人たちは、冬真の領地に自発的に移動せざるを得なくなる。素材としてのブラッドベア革は他領には出回らない。自分たちで領主にブラッドベア革装備を作るには、冬真の領地にやってきて作業を行わざるを得ない。
冬真にしか材料を供給できない産業など、作るつもりはなかった。しかし、王国の規制のおかげで、思いもかけない形で発展することになりそうだ。
「じゃあ、この話はそれでいいね。それでベルダーンにだけ、個別に話があるんだ。こっちへ」
視線で誘導すると、ベルダーンが納得した顔で冬真の元へやってくる。派遣官僚たちのねばついた視線が背中を追いかけてくるが、異を唱えることはできない。
冬真専用の執務室の扉を閉めてから、振り返ったベルダーンが勢い込んで言った。
「やはり何らかの対策を取るのですか!?」
冬真はのけぞった。
「い、いや、違うよ。落ち着いて。まずは座ろうか」
椅子を指し示すと、ベルダーンは恥じ入ったようにそこに収まる。
冬真はちらりとドアを見やって、声を潜めた。
「内密に聞きたいことがあるんだ」
まさか盗み聞きを試みるような不逞の輩はいないとは思うが、念のためだ。
ベルダーンの表情に、僅かな警戒が浮かぶ。
「は。何でしょう」
「うん。この国では、ミスリル鉱石って、どんな扱いなのかな?」
そばかすの青年は、ぽっかりと口を開けて冬真を見返した。
叙爵から数えて、一年二カ月後のことである。




