第五十一話
二階分の高さのある大きな扉を抜けて石造りの建物の中に入ると、ひんやりとした空気が頬をなでた。建材の匂いだろうか、独特の臭気が鼻をつく。
家具などを全く置いていない、がらんどうの空間だった。吹き抜けで、石の梁と固めたレンガが頭上に見える。高い位置にある明り取りの窓から、昼の光が差し込んでいた。
部屋の横と奥には、扉のない小さな出入り口がある。横の出入り口は資材置き場に、奥は内庭にそれぞれつながっていた。内庭は床を石で覆われ、ここでも固めたレンガ屋根が四本の石柱に支えられている。少しだけ距離を置いて、高い石壁がぐるりと回っていた。
冬真は一通り中を見回ってから、心配そうに見守る大工と石工に向かって頷いた。
「うん、いいね」
二人はほっとした顔で、肩の力を抜いた。
「じゃあ、あとは作業台と棚を頼むよ。もちろん、休憩用の椅子もね」
冬真に話しかけられた大工が、笑顔で胸を叩く。
「お任せください!すぐに仕上げてお持ちします」
ここは、冬真がかねてからほしいと思っていた、領主――つまりは冬真専用の工房だ。ゲルトルの住居建設が進み、住民の仮設住宅としていた木造住宅を取り壊すことになったので、そこに産業研究の名目で新設したのである。
これでやっと、必要なアイテムを思うさま作ることができる。スタンピードで劇的にレベルが上がってから、いろいろ作成しておきたいアイテムはあったのだが、これまでは人目を考えて自重していたのだ。
上級貴族になった今、冬真が色々なものを作れると知られたところで、職人となることを強制されることはさすがにないだろう。しかし、希少なアイテムを作ったときに、なぜレシピを知っているのかとか、他にも有用なレシピを知りながら黙っているのではないかとか、そういった面倒な疑いが発生しかねない。
定例会議で工房を建てることを決めたときには、「工房ですか? 職人は?」と、ベルダーン以下、家臣たちは不思議そうな顔だった。ただ一人、冬真の装備づくりの腕を知るプレッタを除いて。冬真がここにいる間の護衛は、必然的に彼女に頼むことになるだろう。
建築予定に領主権限でねじ込んでしまったのは領民に申し訳ないとは思うが、産業研究という名目は口実ではないので許してもらおう。
一番に作りたいアイテムの材料は、既にほとんど収集済みである。最後の材料も、ほどなく入手できる見込みだ。
そして、顔を輝かせた数人の子供たちが通りの向こうから駆けてきたのは、工房完成の翌朝、日課のグレートボア狩りに向かう途中のことである。
「りょうしゅさま! みつけたよ!」
「本当かい?」
冬真は日課の狩りに向かうのを中断して、踊るような足取りの子供らを追った。やがてたどり着いたのは、大路から外れた外壁の程近くである。木の周りに数人の大人が立って、冬真を見つけて手を振った。
「領主様が仰っていたものを見つけましたが……、これでいいんですかい?」
代表して言ったのは、真ん中に立っている城館の庭師の男だ。木々の上、枝が突き出した場所のすぐ上を指し示している。冬真は、それを見上げて頷いた。
「うん、これがいいんだ。助かったよ、ありがとう」
そう言って、子供たちを見回す。どの瞳も、領主に対する信頼と好意にきらめいている。
「ごめんね。きみたちのおやつなんだろう?」
冬真は、懐から財布を取り出して、銅貨を二枚ずつ子供たちの手に載せてやった。大人たちには銀貨だ。子供たちも大人たちも、満面の笑顔である。
ベルダーンによれば、上級貴族は財布など持ち歩かないものだそうだ。細かな貨幣を取り扱うのは下々の人間のすることで、伯爵のすることではない。必要があるなら、従僕に用をさせればよいという。
しかし、いつも従僕を連れ歩くのは面倒すぎるし、冬真が直接やった方がずっと早い。自分の領地くらい身軽に動きたいから、ベルダーンの渋面は当面の間見ないフリをすることにしている。
「りょうしゅさま、ありがとう!」
「ありがとうございます」
「もし他にもあったら教えてくれると嬉しいな。いくつかほしいんだ」
「はぁい!」
「おれ、さがしてくる!」
「まって、あたしもいく!」
子供たちが弾んだ足取りで、四方に駆け出していく。
「菓子でもつくるので?」
「うん、そんなものかな」
庭師の問いに、冬真は笑って答えた。
* * * *
白くてもっさりとした影が、森の木々の手前を行き来していた。よくよく見れば、それはつばの広い帽子に目の粗い布を被せて動いている人間だとわかる。首から下は、全身を革装備で覆っている。
「領主様、これはこちらでいいんですか?」
「うん、それで頼む」
冬真は少し離れたところから、作業の指揮を取っている。横にはプレッタが率いる五名ほどの領兵も連れていた。もっさり装備の一人以外、全員が騎馬である。もっさり装備の中の人用の空馬も、一人が曳いていた。
領兵の横には、冬真が一日で作り上げた木箱と目の粗い布で作った袋が置かれていて、燻煙器がその中で煙を上げている。
怖気だつような微かな虫の羽音――都会育ちの冬真は、虫が苦手だ――が、少し離れた冬真の元にまで聞こえてくる。
冬真がやろうとしているのは、養蜂だ。ゲームでは、巣箱を作って蜂の巣を入れて置いておくと、蜂蜜が出来上がる仕組みだった。
街中で作っても産業にはなるが、実は、採取した地域によって蜂蜜の効果には違いが出る。冬真が狙っているのは、高マナ薬の材料となる蜂蜜だ。これは、湖そばに群生している花の蜜からしか作れないのである。
ここは、ゲルトルから東へ馬で二日ほど移動した場所だ。この森を抜けると、件の湖がある。
いくつか段階を置いて湖に近づけて、蜂蜜が取れるかの試験運用である。湖に近すぎると、ブラッドベアが危険すぎるため領の産業にするのは難しい。しかしある程度距離を置いても作ることができるなら、それは新たな産業として成立する。安全性を確保するために、森をある程度伐採してしまえばいいのだ。
領主となっていくつかの開発をして分かったが、伐採をして地形を変えた状態で、その地点でポップする魔物を短期間に集中して倒すと、魔物の生息域はやがて後退していく。ゲームで言う、脇潰しの原理だろうか。そうであれば、スタンピードで魔物がうろついたまま放置された領域は、やがて完全な魔物領域になってしまう可能性もあるということかもしれない。
「ありがとう、助かったよ」
当初は、作業を自分でやるつもりだったのだが、作業の内容を知った領兵に、やらせてほしいと懇願されたのである。冬真としても、渡りに船の申し出だった――何しろ、虫があまり好きではないので。
袋と燻煙器を手に戻ってきた作業員が、馬上の領兵が提げている木箱と、膨らんだ袋に視線をやる。
「他にも設置するんですか?」
「そうなんだ。森の中なんだけど、頼める?もちろん、私が全力で守るよ」
冬真が作業してもいいのだが、冬真が作業している間に領兵に守ってもらうよりも、冬真が作業員を守った方が、お互いに危険度が低い。万が一ブラッドベアが寄ってきても、十全の状態の冬真ならば返り討ちにできる。視界の悪い装備では、さすがの冬真も森の中で単独で作業したいという気にはなれないのだ。
防護服の中の領兵が、小さく笑った。
「もちろんです。領主様にそう言われたら、頑張らないわけにはいきません」
* * * *
内庭に運び込んだレンガを、冬真はよどみない手つきで組み上げていく。傍らに立っているプレッタは、呆れた顔を隠そうともしない。
「何を作ってるんだ?」
「もちろん、炉だよ」
領民に作ってもらうことも考えたが、冬真の求める品質の炉――あらゆる鉱石を溶かすことができる――ができるかがわからない。大した手間でもないし、誰かに作ってもらうよりも、最初から自分で作った方が早くて確実だ。
「今度は鍛冶仕事か」
プレッタが、ちらりと運び込まれている金床とハンマー一式を見やった。そちらはひとまず領民につくってもらった。必要なら自作しなおせばいい。
納入しに来た鍛冶屋は、一体どの職人が冬真の目に叶ったのかとしきりに気にしている様子だった。ドランバリエ工房の例もあるから、他領から連れてくるつもりだとでも思っているかもしれない。
「武器は大事だからね」
「領主が直接作ったと知ったら、職人たちが仰天しそうだ。弟子入り志望の者たちでこの工房が埋まるのではないか?」
「だからこうしてコソコソ作るんだよ」
「コソコソ、ね……。ベルダーンとフロイはうっすら察しているようだぞ」
冬真は笑った。
「あはは、彼らとも長い付き合いだしね。俺の装備更新が終わったら、いずれプレッタたちにも作らないと」
「この領地に、謎の職人伝説が作られそうだな……」
プレッタがそんな感想を述べたときだった。ドンドンドン、と表のドアを叩く音がした。
「領主様!城館から使いの者が参っております!」
表で声を上げているのは、門番を任せている衛兵だ。
冬真はプレッタと顔を見合わせた。




