第五十話
ゲルトル中の鐘が、一斉に鳴った。驚いた鳥たちが、茜色に染まった空に、一斉に飛び立つ。
葬礼の鐘である。
冬真は、ゲルトル城館の裏手、領主一族が眠る墓地に立っていた。身に纏うのは、くすんだ色の礼服に、黒の喪章。冬真の横には、黒い小さなドレスを纏った幼女が乳母に手を引かれて立っている。養女であるエルネラだ。冬真とエルネラの背後には、沈鬱な顔の領民たち――年老いた者たちが多い――が並ぶ。
まだ新しい墓標がいくつもならんだ墓地の端に、新たに穴が掘られている。その横に、真新しい木でつくられた棺。中に横たえられているのは、前伯爵、ディレル・フェルダーの亡骸である。
ここしばらく体調の思わしくなかったディレルは、冬真の婚約祝祭が終わるのを待っていたかのように、ルキアの御許に旅立った。
既に領地と爵位を返上したディレルは、伯爵家の人間ではないし、ゲルトルの領主一族でもない。しかし、当然この墓地に葬られるべき人間である。――最後まで、この領の領主一族としての矜持と責任を捨てなかった。
冬真のその判断に、領民たちは誰も異を唱えなかった。ただ、頭を下げた。
「おじいさまは、ねむっているの?」
「はい」
「せっかくおあい、できたのに。おこしてはだめ?」
エルネラが唇を尖らせて不満そうだ。
乳母が、そっと自らの目元をぬぐった。
「先代様は、ゆっくり休まれているのですよ」
「あそんでほしいの」
「いけません」
乳母が、冬真に会釈して、エルネラを抱き上げて離れていく。これから行うことを幼い子供に見せたら、動揺すると思ったのかもしれない。
棺の頭側に立った司祭が、別れと旅立ちの辞を送った。領兵が棺の蓋を閉じて、穴の底へと運ぶ。
参列した領民たちが、代わる代わるスコップを手に取って、横に盛ってある土を一振りずつかけていく。言葉を口にするものはいない。ただ、土をかける音だけが響き、そのたびに、棺が少しずつ隠れていった。
――これは、喪失だ。冬真がこの世界で親しく言葉を交わした人間を見送ったのは、これが初めてだ。そしておそらく、これからも見送ることになる。
ディレルが、残り少ない命と引き換えに冬真に託した、エルネラの存在と、この領地。その願いを、冬真は背負って歩くだろう。いつか、トゥルーエンドを迎える日まで。それが、冬真がディレルに返すことができる恩の形である。
* * * *
鬱蒼とした木々と茂みを避けながら、冬真は注意深く進んだ。耳を澄まし、気配を探りながら――時には魔物に先制攻撃を加えて片付けながら、森の奥へとひたすら進む。
耳に届くのは、冬真の足音と息遣いだけ。背の高い木々に遮られて、陽光も届かない。頭上の光の角度から、辛うじて時刻がわかるくらいだ。
通り過ぎた木肌にナイフで印をつけて、まっすぐに進んでいく。地図に記された伯爵領の先、人類の未踏領域へ。
ふと、きらめきが目を射た。
冬真は唇の端を持ち上げた。木々が途切れた、その先。蒼い湖面が、鮮やかに午後の陽光を反射している。――やっと見つけた。
叙爵から一年。領地が危機を脱したので、冬真はほどよくベルダーンに仕事を押し付け、もとい任せながら、一月のうちに数日は探索に出ることにした。名目は、領内の資源調査だ。
定例会議で単独調査に出ることを話したときには、グレートボアを初めて狩ると言い出したときと同じく、やはり目を剥いて反対された。とりわけ、王国から派遣された官僚たちの反発は大きかった。
領主たるもの、領地に構えて統治し、非常時に備えるのが仕事だそうだ。あえて危険を犯すのは領地に対する責任放棄であるとさえ言われた。しかし、冬真にも譲れないものがある。
この世界は、場所によってゲームとは地形のスケールと位置関係が異なる。ゲームプレイに直接寄与しない部分の描写は、思うに、かなり省かれていたのではないだろうか。例えば、ゲームにはゲルトルなどという都市も領地も存在しなかった。正確な攻略のためには、探索が必要だ。
冬真の強さを知っているベルダーンすらも渋い顔を隠さなかったから、領主として、相当の奇行であろうことは間違いない。
しかし、現実に、冬真以外の誰も奥地の探索などできない。探索に行けと言うことは、死にに行けと言うのと同義である。冬真が誰かを連れて奥地に分け入るのも難しい。足手まといを連れていれば、却って危険が増す。
そして、たった今見つけた湖こそが、冬真が求めていたもの――領地としてゲルトルを選んだ最大の理由だ。
ゲームでは、この湖は、高マナ回復薬の生産材料である薬草の群生地だった。遠目に、湖のほとりに血の色の巨大な熊がうろついているのが分かる。合間に、もう少し小柄な通常の色の熊もいる。ブラッドベアとジャイアントベアだ。
湖の奥にはデバフ特盛で厄介な敵のブラッドフェアリーが生息し、その近くにミスリルを採掘できるポイントもある。
さらには、湖を抱きとめるように左右にせり出している山肌を登っていくと、グリフォンだのワイバーンだの、飛行系の強敵がうろつくのだ。さらに登れば、ボスモンスターであるドラゴンの一匹がいる。――そして、オリハルコン採掘ポイントがその足元にあるのだ。
* * * *
冬真の姿を見つけて、外壁の門兵たちが顔を輝かせる。
「領主様!」
そのうちの一人が、冬真に駆け寄ってくる。冬真の荷物が多いのに気が付いて、運ぼうとしてくれたのだ。しかし彼は、近づくにつれて怪訝そうな顔になった。
「ええと、その……。そちらは?」
手を出すのをためらって、思わず尋ねてしまったのは、それがあまりに異様な物体に見えたからかもしれない。鮮血のような色の、大きな塊だ。
「これ?」
冬真は、革紐で縛ったそれを、見せつけるように持ち上げた。
「ブラッドベアの革だよ。もったいないから、解体して持ち帰ってきたんだ」
ぽかんとした顔で、領兵がそれを見つめる。
ようやく目当ての狩りポイントを見つけたので、記念に一匹だけブラッドベアを狩ってみたのだ。
冬真のレベルは67だ。腕力は29しかないが、強化魔法で58まで上がる。魔力は120。それ以外の体力、敏捷、器用は40。以前にブラッドベアと戦ったときから腕力と体力に振ったので、かなり戦いやすかった。他の魔物を巻き込まないように、一匹ずつ誘引して戦うことができれば、そこまで苦戦することもない。
「こら、何をしている!さっさと荷物をお持ちしろ!」
部下が領主を引き留めて、ぐずぐずしていると思ったらしい。隊長が肩を怒らせてやってくる。
そうして、冬真が持っている塊を見て、同じく不可解そうな顔になった。
* * * *
会議室のテーブル上に広げられた血の色の革に、立ち会った者の誰もが言葉を失っていた。サイズが大きすぎて、広いテーブルの端から革の端が流れ落ちてしまっている。まるでテーブルクロスのような有様だ。
ゲルトル城館の会議室には、ベルダーンをはじめ、城の実務を担う官僚が揃っている。ブラッドベアの革を獲ってきたよ、と声をかけたら、皆ぞろぞろと冬真の後をついてきたので、会議室で広げて見せることにしたのである。
「これは……素晴らしいです」
真っ先に口を開いたのは、ベルダーンだった。冬真がブラッドベアを倒すのを直接見ていたから、衝撃も少なく済んだのかもしれない。それでも、自分の目が信じられないというように、何度も目を擦っている。
「これは、本物なのですか?」
次に口を開いたのは、王国から派遣された官僚の一人だ。宰相の家門出身だとかで、三人の派遣官僚の中ではリーダーとして振舞っている。ベルダーンの眉が途端に寄った。
「偽物だとでも?」
「そのようなことは申しておりませんが、しかし倒すところも見ていない。解体も見ていないでは、証明することができません」
「つまり、領主様の言葉だけでは足りないと?」
ベルダーンの目が据わっている。
「……伯爵閣下が、これが本物であると断言なさるなら、本物として取り扱います」
官僚が不承不承と言った体で頷く。
「本物だよ」
「分かりました。では、すぐに輸送隊の手配をいたしましょう」
「輸送隊?」
冬真は目を瞬いた。何の話だろうか。
「国王陛下に献上なさるのですよね?ブラッドベア革の貴重性を考えると、護衛を用意しないと……」
「私はそんなことは一言も言ってないけど?」
今度は官僚が目を瞬かせた。変わらない冬真の反応を見て、僅かな侮りが表情に浮かぶ。
「ブラッドベア革は、個人が勝手に左右していいようなものではありませんぞ。好きに扱えば、王家の心証が悪くなることは避けられないかと」
まるで諭すような口調である。王国だの貴族だのの常識が分からない冬真に対して、何か言いたいことでもあるらしい。
「私が狩って、私が解体して、私が運んできたものなのに?」
官僚が当然の顔で頷いた。
「領主は国王陛下の臣下です。その行動は、王国のためにあるべきものです。王国と王家の権威を重んじることが、王国秩序を保つ第一でありましょう」
冬真は眉を上げた。
「その論理で言えば、領主は自分のものを何一つ持てないことになるけど?」
「ものには限度がございます。領主としての度を越えた振る舞いは、あらゆる災禍を招くことになるでしょう」
断言を避けた、歯に物が挟まったような言い方である。冬真の権利は否定しない。しかし、察しろ、と言いたいわけだ。
「何を言いたいか分からないな。王国は私に伯爵位と領地を与える。私は税収の一部を王国に収める。いわば、そういう契約だったはずだ」
そこで初めて、官僚が困惑を露わにする。言えばホイホイ功績と労力を差し出す、考えなしの猪領主、とでも思っていたのかもしれない。
「しかし、伯爵閣下は国王陛下に忠誠を誓ったではありませんか。閣下を領主にとりたててくださった国王陛下の威光を軽んじることは、閣下のおためになりませんぞ」
「全ての財産を擲って王国に尽くすのが当然だとでも? あなたには私財がないとでも言うのかな」
「論点をすり替えないでいただきたい! ブラッドベア革は、一伯爵が左右するには、明らかに過ぎた財物だと申しているのです」
冬真は肩を竦めた。論点をすり替えているのはどっちだ。これはよくて、あれはだめ。そんな曖昧で感覚的な線引きにはつきあっていられない。一度譲れば、次も――今度はもっと貴重でないものについても寄越せと言われかねない。
「確か、王国への税は三割だったかな?」
ベルダーンに視線をやると、口を挟むこともできずに硬直していた青年が頷く。
「は、はい。でもあと二年間は税は免除のはずですが」
冬真は無言で、腰からナイフを引き抜いた。官僚を始め、その場にいた一同が一瞬で硬直する。
そのまま革にナイフを当てて、一息に引き裂く。おおよそ三割の大きさになるように。
見事だった一枚革が、一瞬で分断される。冬真は切り落とした分をくるくると巻いて、官僚の目の前に置いた。
「これを王国に送るといい。税は免除されているけれど、特別に三割を収める。忠誠の証として献上しよう」
「な、なんと……」
官僚がいっぱいに目を見開いている。
「こ、このようなことは許されませんぞ!」
「そもそも、獲った獲物をすべて献上すべしなんて法は、聞いたことがない。狩ったものの裁量権は領主にある。これはあなたの主張に対する最大限の配慮だ」
「このことは、中央にも報告させていただきます!」
「うん、そうしてほしい」
冬真の言葉を挑発と思ったのか、官僚が目を吊り上げる。
「それで、是非ともブラッドベア革の買い取り額を決めてほしいな」
そこで、官僚が虚をつかれたように瞬く。
「私はいずれ、ブラッドベアをさらに狩るつもりだから。命を懸けてるのに、全部を献上なんてしてたら、やってられないんだ。ただ、王国が適正価格で買い取りたいと言うなら売却はする」
分かってくれるよね? そう言った冬真の顔を、官僚は口を開けて見つめていた。
「……適正価格、ですか?」
「そう」
冬真は微笑んだ。何しろ、この領は金欠なのである。




