第四十八話
案内された二階の応接室、大きく開け放った窓からは、眼下のよく手入れされた庭が一望できた。バルフラウ伯爵領――冬真の領地である、アイザー伯爵領の北に隣接する領地の領都城館である。
ゲルトルの城館にも応接室はあるし、庭園が一望できるようにも作られている。しかし、今は窓の下には、荒れ放題の庭が広がるだけだ。まだまだそんなところに労力を回すような余裕はない。
折角の安全な場所だ。畑にしてしまえばいいのでは、と冬真が言ったら、先のフェルダー伯爵、ディレルに窘められた。上位貴族である以上、格調の高い庭と言うものは、他家に対する体面上必要なものだそうだ。
「お待たせしました」
入室してきた人物を、冬真は立ち上がって迎えた。
「時間を取っていただき、感謝します。バルフラウ伯爵」
「わざわざの訪問、歓迎しましょう。伯の武名は、この領にも鳴り響いておりますぞ。さすが『ルキアの矛』だ」
言葉を返したのは、小太りの男だった。すこし低めの背に、ちょび髭。くりくりした瞳には、純粋な称揚の光を浮かべていた。冬真がこれまで出会った上級貴族の中では、とびぬけて親しみやすそうな男である。
ゲルトルは、西をグルドハイム公爵領、北をバルフラウ伯爵領に接している。東と南は、未開拓の危険地域だ。グルドハイム公爵家への挨拶が済んだので、冬真はバルフラウ伯爵家にも挨拶に訪れたのである。
「恐れ入ります」
冬真は微笑んで返した。
「非才の身ですが、身を尽くして国王陛下の恩寵に報いる所存です。まだまだ安定には程遠く、配慮が行き届かぬこともあるかと思いますが、ご容赦いただければ」
「うむ。フェルダー伯爵は気の毒でしたな。隣接領として助力できればよかったのだが、我が領も対応に手いっぱいでな。まこと残念なことでした」
「恐縮です。伯爵のお言葉は、ディレル殿にお伝えいたします」
バルフラウ伯爵が頷く。
「よろしくお願いする。そういえば、エルネラ嬢を養女になさったとか?」
「はい」
「それはよかった。ディレル殿も安心なさったでしょう」
「だとよいのですが。私は何分無頼者ゆえ、貴族の作法に疎く、ディレル殿にはいつもご指導いただいているのですよ」
冬真が冗談めかして言うと、バルフラウ伯爵はころころと笑った。
「何の何の、見事な貴族ぶりですとも。何より、アイザー伯のような方が我が領の南を守ってくださるのは実に心強い。今後もよしなにお願いしますぞ」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
冬真は、微笑んで頭を下げた。
* * * *
ゲルトルの門扉をくぐって、冬真はそっと息を吐いた。
――帰ってきた。半年近く駆けまわって復興の指揮をとる間に、ここが自分の戻るべき場所だという意識が芽生えていたらしい。胸には何とも言えない安堵が広がっている。
ゲルトルの街は、少しずつ伯爵領の領都に相応しい姿を取り戻していた。
無残に破れていた街の門扉は、裏に鉄の補強を入れた分厚いものに取り替えられ、街壁も、崩れていたところには新たな石が積みなおされている。家屋の瓦礫はほとんど取り除かれて、区画を示す革のロープがそこかしこに張られていた。ひっきりなしに石を載せた台車が小路を行き来し、大工たちの掛け声も方々から響きわたっている。
行き交う領民たちの表情は、活力に満ちていた。ひとまず、飢えずに暮らしていける。いずれは家にも住める。そう思えるだけの、手ごたえを感じることができるようになったのだ。彼らは大通りを馬で進む冬真たちの姿に気が付くと、脇に避けてぺこりとお辞儀をした。
城館前に到着して、冬真は馬から降りた。迎えに出てきた従僕に馬を預けて、振り返る。そこには、砦で冬真に従ってくれていた部隊の面々が立っていた。
「まだ復興途中だから、ヴィルキアとは比べ物にならないんだけど。ようこそ、ゲルトルへ。これからよろしくね」
いずれの顔にも、失望はない。表情は明るく輝いている。
「お仕えできて光栄です!」
代表するように、ベルダーンがはきはきと答えた。
* * * *
朝日が差し込む城館前に、近接兵二十名と魔法兵五名が整列していた。その前には、それぞれの司令官が立っている。
礼服を着こんだ冬真は、その前に立った。おもむろに口を開く。
「国王陛下のご恩寵に、厚く感謝を申し述べる。半年間にもわたる諸君らの活躍により、ゲルトルが平穏な生活を送れたこと。素晴らしき綱紀と統率を持ってゲルトルを守ってくれたことを、私も民も、忘れることはないであろう。皆に武運を。どうか無事に帰還してほしい」
冬真が言い終わると、司令官が石畳に踵を鳴らした。合わせて、近接兵と魔法兵が同様に踵を鳴らす。
「『ルキアの矛』とゲルトルの民の長久なる武運をお祈りいたします。どうか王国に安寧をもたらされますように」
王国派遣軍の総責任者であるシュロスが答える。冬真が頷くと、シュロスが顎を上げて、城館前を離れていく。それに続いて魔法兵も。
ぴったり揃った行進を見送って、冬真は息を吐いた。撫でつけた髪を乱暴にかき混ぜて乱す。それなりに慣れたつもりではあるのだが、……こういう儀礼は、やはり少し気恥ずかしい。
* * * *
角を前面に突撃してくるグレートボアを避けて、首筋に剣を突き立てる。一息に引き抜いた。
どうと音を立てて転がる死骸を一瞥して、冬真は木々の向こうへ歩く。開けた場所に出ると、領兵の一群が冬真を見つけて顔を輝かせた。
「領主様!」
領兵の一人――女性兵が駆け寄って、布を渡してくれる。
「いつもの通り、頼むよ」
顔と腕の返り血を拭いながら、冬真は言った。
「お任せください!」
領兵たちが台車を曳いて森の中へと分け入っていく。
日課のグレートボア狩りである。陽はまだ登ったばかりだ。もう一か所、グレートボアが狩りやすく、かつ領兵たちが死骸を回収しやすいポイントがあるので、そこを回ってから、冬真は城館に戻ることにしている。
「領主様、おはようございます!」
道ですれ違う領民が、帽子を取って挨拶をするのに、冬真は片手を挙げて応えた。毎朝決まった時間に移動するから、すれ違う領民の顔も大抵同じだ。わかりやすく平和で、実にいい。
全ての狩りを終えて城館に戻ると、時刻は九時と言ったところ。
「お帰りなさいませ。狩りはいかがでしたか」
フェルダー伯爵の時代から仕えている、老齢の執事がにこやかに出迎えてくれる。
「問題ないよ」
そこからは着替えて、領主としての執務の開始である。前領主のディレルを相手に相談しながら、決裁事項の確定を行い、領主としての責務を学ぶのだ。
何しろ、冬真は領主教育などというものとは無縁の素人だ。今までは領地の状態が逼迫していたために、冬真自身が動き回らなければならなかったが、落ち着いたからにはそのままではいけない。ディレルの状態もあまりよろしくないし、引き継げることは余さず引き継いでおかなければならない。
しかし、必要なことだと分かってはいても、やりたくてやっている領主業ではないので、ストレスはたまる。実務はまだしも、礼節やら儀礼だの、冬真にとってはどうでもいいことが多すぎる。
それで冬真は、狩りやすいポイントだけ毎朝狩って回る、ということにした。ディレルを始め家臣たちには呆れた顔しかされなかったが、冬真は戦闘狂ではない。断じて。ただ、心の慰みに、少しでも経験値を貯められていると言う実感が欲しいだけだ。ついでに、おいしいお肉を食べたいとか、上質な革で兵士の装備を更新したいとか、そういう気持ちももちろんある。
おかげで、叙爵前から止まっていたレベルが、やっと2上がってくれた。
「ドランバリエ工房より納入に参っております」
執事がそう知らせに来たのは、昼前のことである。
冬真はディレルに断って、立ち上がった。
「すぐに会うよ」
城館の応接室――とはいっても、一階にある、職人や商人の出入り用の部屋だ――に行くと、既に、工房長と職人のジャロが揃って待っている。
「領主様、ご注文の品をお持ちしました」
工房長がそう言って、うやうやしい手つきで、細長い木箱を冬真の目の前に置いた。そのまま開ける。
中を確認して、冬真は微笑んだ。
「よかった、間に合ったね」
そこには、血の色の、幅1cmほどの革紐がきれいに折りたたまれて入っていた。縁には金糸で細かく刺繍が入り、紐の端には、小さなアメジストがあしらわれている。女性用装身具の、チョーカーだそうだ。
ディレルに助言を受けて、フューリアへの贈り物として急ぎで工房に作らせた品だ。材料は、もちろんブラッドベア革である。
冬真の言葉に、工房長と職人が、一気に安心した顔になる。
「見事な刺繍だね。ジャロはこういうのも得意なんだ?」
「ブラッドベア革の細工を、他の者に任せるわけにはいきませんので」
ジャロは得意そうである。
ドランバリエ工房を領地に連れ帰った当初は、冬真は他の皮革工房から非難めいた眼差しを向けられることもあった。しかし、ゲルトルの全ての工房にグレートボア革で装備品を一斉に作らせて展示してからは、風向きが変わった。
各工房から、職人頭をドランバリエ工房の弟子として修行に入らせたい、と相談されるようになったのである。おかげで、ドランバリエ工房の人員はパンク寸前だそうだ。
ちなみに、ドランバリエ工房は、名目上は移転ではなく出張所の扱いである。即移転としてしまうと、関係各所を無駄に刺激することになるからだ。公爵領から引き抜いた工房で公爵家への贈り物を用意するとは侮辱である、などと言い出す輩も出かねない。
「助かったよ。これで、安心してヴィルキアに行けそうだ」
婚約式は、二週間後に迫っている。来週には、領を発ってヴィルキアに向かう予定だ。
冬真はゲルトルの立て直しで忙しいので、ほとんどの準備は公爵家が引き受けてくれているのだが、返礼の贈り物の一つも持参しないのでは、あまりにも体裁が悪い。冬真ですらそう思うのだから、意見を尋ねたディレルの反応はより激烈だった。伯爵家としての面目が丸つぶれになる事態だそうだ。
これなら、少なくとも格がどうたらと言われることはないだろう。アメジストは廉価だが、ブラッドベア革の価値がそれを補ってあまりある。やっつけ仕事であることは否めないが。つくづく、ドランバリエ工房を追い出してくれたバラドには感謝である。
「端切れで、指ぬきを作るのも間に合うかな?公爵夫人にお贈りしよう」
ふと思いついて言ってみると、工房長とジャロの顔が輝いた。
「はい、お任せください!出発までにはお持ちします!」
勢い込んで言うのはジャロだ。
冬真は微笑んだ。
「ありがとう。急がせて悪いね」
「とんでもない!ご婚約、おめでとうございます」
「ありがとう」
おめでたいことは確かだ。この世界では天涯孤独の冬真に、確かな縁ができるということなので。




