第四十六話
グルドハイム公爵家本邸の豪華な応接室を冬真が最後に訪れたのは、叙爵前のことだ。今回の訪問は、およそ半年ぶりということになる。
先触れの声に続いて入室してきたグルドハイム公爵ムルファスに、冬真は立ち上がって礼を取った。公爵は、傍らに壮年の男を連れている。新しい副官だろうか? 男は両手に羊皮紙の束を抱えていた。
公爵と互いに一礼してから、椅子に座る。ムルファスが口を開いた。
「久しぶりだな」
「ご挨拶が遅れましたこと、お許しください」
ようやく、ゲルトルの食糧危機が落ち着いて、街壁の緊急の補修も終わった。それで、ディレルの強い奨めもあり、冬真は一旦ゲルトルを離れて、隣接領に挨拶に回ることになったのだ。まずは後見してくれているグルドハイム公爵への挨拶である。
ムルファスが、冬真の言葉に応えて鷹揚に頷いた。
「よい。ゲルトルの安定に力を尽くしてくれていること、隣接領の当主として礼を言おう。貴公の活躍の噂は、ヴィルキアまで聞こえてきているぞ」
「恐縮です」
「ディレル殿の孫娘を引き受けたと聞いた。養女にしたとな」
冬真は肩を揺らした。
まずい。フューリアとの婚約が内定しているのだから、グルドハイム公爵家に一言断りを入れるべきだったのかもしれない。慌てて頭を下げる。
「その件については、公爵閣下に確認を怠り……」
「何を慌てている?国王陛下から下賜された領地の安定を第一に考えるのは当然のこと。そもそも、ディレル殿にその件を勧めたのは私だぞ」
冬真は顔を上げて、目を瞬かせた。
「公爵閣下が?」
「うむ。トーマ殿がどのような人物か尋ねられたのでな」
「……閣下は何と?」
ムルファスの瞳が光った。
「気になるか?」
冬真はすかさず首を振った。
「いえ、不要です」
反射的に聞いてはみたものの、その返答を受けてディレルが養女の話を持ち出したのだから、低評価であるはずがない。わざわざ聞くのは、褒めろとねだるようなものだ。グルドハイム公爵と冬真は、そのような甘えた関係ではない。
公爵が頷いて、先を続ける。
「ディレル殿は昔馴染みでな。此度のことは私としても心を痛めていたのだ。トーマ殿がエルネラ嬢を引き受けてくれて安心したぞ」
「非才の身ですが、養父としてできる限りのことは致します」
ムルファスが喉の奥で笑った。
「婿殿が非才とな。それでは、世は無才のものばかりになってしまうぞ。聞けば、グレートボアの群れを単独で討伐したそうではないか。その後も継続して狩っているとか?」
「食糧需給が綱渡りでしたので」
「そういう問題ではないのだがな。まあ、よい。本題に入ろう。貴公に与える領地についてだ」
ムルファスの合図を受けて、背後に控えていた男が進み出る。抱えていた羊皮紙の束を、丁寧な手つきでテーブルの上に広げていく。
「約束通り、ここ、ということになる」
ムルファスが地図上で指し示したのは、伯爵領と隣接している、小規模な町だ。
「トーマ殿はまだまだ伯爵領にかかりきりであろう。代官はこちらで用意したぞ。構わないな?」
冬真は頷いた。
「助かります」
「詳細は、後程この者より聞いてほしい」
「承知しました」
冬真と男が互いに目礼する。それを待ってから、公爵が口を開いた。
「次に、重要な話だが」
改まった物言いに、冬真は背筋を正した。
「何でしょうか?」
「婚約式の予定を決めたい」
冬真は言葉を失った。婚約式。そうだった。叙爵が終わり次第、という話だったが、伯爵叙任と荒廃領地の立て直しに追われて、すっかり忘れ去っていた。
……できれば、忘れたままでいたかった。
「は……。そう、ですね」
端切れの悪い冬真の返事に、ムルファスが目を細めて笑う。
「ヴィルキアの民は、『ルキアの矛』が去ってしまったことを残念がっている。婚約式で、貴公が変わらずヴィルキアを守護していることを示せば安心しよう」
「心得ております」
決まっていたこととはいえ、想像するだけで、石でも飲みこんだように、胃の中がずしりと重くなる。
冬真だって、フューリアは嫌いじゃない。むしろ好意を持っている。ゲームで出てきたらヒロイン枠だとすんなり納得していただろう。
だからこそ、婚約なんてしたくない。冬真は絶対に地球に戻るつもりだが、目指すのは、あくまでトゥルーエンド。――主人公が無責任に婚約者を放り出す物語では、ダメなのである。
* * * *
公爵家での面会を終えて向かったのは、ヴィルキア砦第一部隊の司令官、ルーデンの執務室である。
許可を得て入室すると、ルーデンが立ち上がったところだった。
「トーマ殿!お久しぶりですな!顔を見せてくれて嬉しいですぞ」
冬真が叙爵されたからだろう。言葉遣いが丁寧になっている。
笑顔のルーデンに促されて、手前の応接セットに向かい合わせに座る。
「前哨基地や部隊など、ルーデン殿には配慮してもらったのに、このような運びになってしまい、申し訳ない限りだ」
冬真は、心からの思いで言った。
いくらなんでも、利用期間が短すぎる。公爵領に負荷をかけただけで終わった気がする。もちろん、冬真は末永く利用させてもらうつもりで提案したわけで、悪いのは冬真を伯爵なんかにした王国なのだが、結果は結果である。
ルーデンが、笑顔で首を振る。
「何を言われる!名誉なことではないですか。文句を言う者などおりませんぞ。ゲルトルが魔物の領域になってしまえば、ヴィルキアとて困るのですから」
「そう言ってもらえると助かるよ」
半分は社交辞令だろう。冬真みたいなぽっと出の人間が組織の中で好き勝手して、不平不満が出ないなどありえない。
「それで、またすぐゲルトルに戻られる?」
「そうなるね」
冬真が頷くと、ルーデンがほうっと溜息を吐いた。
「?」
「ゲルトルの民は幸せ者ですな。私もいずれグレートボアのご相伴に預かりたいものです」
グレートボア肉は、高級肉である。高級肉というより、希少肉といったほうがいいかもしれない。そもそも狩れる人間がいないからだ。実際にその肉は、地球の食事でこの世界の人間とは次元が違うレベルで舌が肥えているはずの冬真からしても、非常に美味だ。
最も厳しい労役に携わる者の配給をグレートボア肉にしたら、志願者が増えすぎて困るほどだとキュロスが零していた。冬真がいない間はグレートボア肉が調達できないわけだが、不在の間の労役が少しだけ心配になる。
「いつか、うちの領に遊びに来てくれたときにはごちそうするよ」
「楽しみにしておりますぞ!」
ルーデンの瞳には、あながち冗談ではない光が浮かんでいる。
「う、うん」
冬真は少しだけのけぞって頷く。ルーデンが、我に返ったように瞬いて、こほりと咳ばらいをした。
「そうそう、何人かの者たちから、トーマ殿に仕官したいと紹介を頼まれております」
ルーデンが立ち上がって、執務机から羊皮紙の束を持ち上げて、冬真に向かって差し出してくる。
「ご興味がおありでしたら、お会いいただくのもいいかと」
「俺が連れて行ったら、引き抜きにならない? 公爵家に断りを入れればいいのかな?」
ルーデンが頷く。
「そうしていただけるとありがたいですな」
冬真の領には、圧倒的に人が足りない。戻る頃には、王国から借りている治安維持部隊も任期切れで返さなければならない。砦で実務に携わっている人間が仕官してくれるのは、正直とてもありがたい。
「あとは、トーマ殿が不在の間に、幾度か、トーマ殿を訪ねて来た者らがおりました。お知らせしておいた方がよいかと」
「俺に?」
「はい。ドランバリエ工房の者だと聞いております」
冬真は目を瞬かせた。手袋の代金は払ったし、取引は片付いているはずだ。冬真が使用許可を出したブラッドベア革の端切れの製品ででも、何らかの問題が起きたのだろうか。
「分かった。後で顔を出してみる。色々とありがとう。短い間だったけど、世話になったね」
「何の。トーマ殿は公爵領では子爵にあたる訳ですからな。これからも一緒に戦うことはありえるかと」
「領のためには、そうならない方がいいんじゃないかな?」
他領の領主である冬真が砦に詰めて戦うとなると、相当な緊急事態だ。ルーデンが頬を掻いて笑った。
「これは、仰る通りですね。聞かなかったことにしてください」
冬真も笑って頷く。
「もちろんだよ」
手の中の羊皮紙の束と、ドランバリエ工房。多少の余裕を持って予定は組んでいるが、もう一つの隣接領に訪問するスケジュールを考えると、猶予は限られている。のんびり感傷に浸っているような暇はなさそうだ。




