第四十四話
朝の光が、遠く、畑と、その横の木造の小屋、野原の向こうに広がる森と山脈のおぼろげな姿を浮かび上がらせている。実に長閑な光景だ。畑をうろつく、巨大な魔物の影さえなければ。
魔物は、三頭のジャイアントボアである。地球では、イノシシは畑の作物を食べるところだが、冬真は、この世界の魔物が何かを食べているのを見たことがない。人間を襲うが、食害しているのも見たことがない。まるで、人間を殺すために殺す。そう定義された存在であるかのようだ。
冬真は、手早くハイ系身体強化魔法を唱えた。弓を構える。後ろで距離を置いたフロイと数名の領兵が、槍を構えて敵の突撃に備えている。攻撃呪文は使わない。万が一、火事にでもなったら困るからだ。
冬真は矢を放つ。風切り音が響きわたった。弓を捨てて、剣を抜く。一気に距離を詰める。矢は、群れの中で、一番大きなボアの目を貫いた。一瞬の静止のあと、横に倒れる。残り二頭のジャイアントボアが、向きを変えて、冬真に向かって突撃を始めた。
ジャイアントボアならば、ハイ系の身体強化だけで十分に捌ける。冬真は難なくかわして、一頭ずつ剣で首を貫いて倒した。
「お、お見事です!」
領兵の一人が、感嘆の声を上げる。他の領兵は、まだ呆然とした顔で、三頭の死骸を見比べている。
「つくづく思うんですが、伯爵が魔法士とは、何かの間違いではありませんかね」
フロイが口笛と共に述べる。叙爵後は冬真の身分に配慮しているようで、人の耳があるところでは敬語を用いている。
冬真は肩を竦めた。現在の冬真のステータスは超人レベルだ。謙遜は嫌味になりかねないし、領兵にとっても、自信に溢れた領主の方が嬉しかろう。
「運搬を頼むね」
領兵の一人に声をかけると、嬉しそうに頷く。
「はっ、お任せください!」
領兵たちが、背後に置いていた荷車を曳いて、死骸に向かって駆けていく。このあと、死骸はゲルトルで解体されて、可食部位は余さず領民に支給されるのだ。
ゲルトルに到着した翌日から、冬真たちは、領内をうろつく魔物の掃討作戦を開始した。内実は、狩りと変わらない。目撃のあった地点を回ってひたすらジャイアントボアを狩る、退屈な仕事だ。
とはいえ、一般兵レベルだと、ジャイアントボアは一対一で勝てる魔物ではない。まして群れる魔物である。冬真が掃討して回った方がずっと早く、安全だ。ただでさえ少ない領兵を、無駄に失うわけにはいかない。
「じゃあ、俺は駆除を続けるから。運び終わったら、また戻ってきて」
冬真はフロイに向かって言った。ちなみに、プレッタは城館で守備兵の取りまとめである。二人とも、冬真の側近として少しずつ人脈を作る必要があるので、一日交替で冬真に同行してもらうことになっている。
フロイが眉を上げる。
「運搬の時間より、駆除時間のほうが早そうですが」
「そうなんだよね。でも、畑は少しでも早く回復させないといけないし。収穫の手配も頼むね」
冬真はちらりと畑を見やった。地上は無残な有様だが、領兵によればこれはジャガイモ畑らしい。根菜であれば、地中に可食部分が残っている可能性が高い。貴重な食糧である。
ゲームでは、この辺りはジャイアントボアの生息地ではなかった。仮にスポーン地点がこの付近にあるのだったら、畑が成立しているはずがない。
エリア難度に対してモンスターのレベルが低すぎるし、おそらくスタンピード後の残留魔物ではないだろうか。ヴィルキアでも、侵攻後しばらくはジャイアントウルフを見かけることがあった。それなら駆除してしまえば、また農業が可能になる。
「ある程度残敵の掃討が完了したら、領民に運搬を手伝ってもらおう。キュロスに相談してみて」
キュロスとは、この領で元々働いていた、平民官僚の取りまとめ役だ。壮年の男性である。
フロイが頷く。
「何と言っても、自分たちで食べる肉ですからね。頑張ってもらいましょう」
「頼むよ」
冬真は頷いて、野原の向こうに駆け出した。まだまだ、付近にはジャイアントボアの目撃ポイントがある。魔物のレベルが低すぎて経験値にもならないのだが、これも領主の務めだ。
* * * *
一月ほどゲルトル周辺を駆けずり回って、散在する農地の安全確保が終わったら、次は伯爵領内の町と村の回復である。領内にあるのは、町が三つ、村が五つ。五年前の戦いから復興しきっていないところに再度の侵攻だったようで、住民はゲルトルへ退避したそうだ。
試しにゲルトルから最も近い町に単独で行ってみれば、崩れかけた街壁に、半壊した建物の群れ。そこらにはジャイアントボアがうろつき、人っ子一人残っていない。ほとんど廃墟だ。なるほど、フェルダー伯爵家の親族が領地を継ぐのを嫌がったのも頷ける。
「回復する町と村を限定する。ゲルトルの収容限界から逆算して、最低限の農村を優先的に回復しよう」
毎週行う定例会議で、冬真は宣言した。出席者は、官僚たちと、領兵の指揮官として任命したフロイとプレッタ、あとは王国から派遣された治安維持部隊の隊長二名である。
「食糧供給が安定次第、ゲルトルの街壁を補修する。再度の侵攻があった時に耐えることができなければ、全滅するだけだ」
故郷に帰れる日を心待ちにしている領民には気の毒だが、冬真という規格外戦力がいても、少しずつ安全領域を広げていくしかない状況だ。そもそも、安全領域を広げたところで、再度侵攻があったら全部吹っ飛んで無駄になる。
その言葉を聞いて、意外そうな顔をしたのは王国から派遣されてきた官僚たちだ。これまでも冬真と話す言葉の節々には、侮りが感じられた。冬真のことを、こんな負債だらけの領地をまんまと掴まされた、野蛮なだけの考えなしの愚か者とでも思っていたのかもしれない。
「農地の回復は全体の三割だったかな」
冬真が確認すると、食料生産を担当している平民官僚、キュロスが答えた。
「はい。ゲルトルの住民を総動員して回復に当たらせています」
働き盛りの人間が多く戦死しているので、冬真の土地確保能力から比べると、どうしても回復は遅い。
周辺で冬真が安全確保した農地は、全て公地として接収している。この国では、土地は全て領主のものであり、民には税金を課して貸与するだけのものだそうだ。
もともとの借主を探して照合するなどという手続きは、現在の領府には現実的に不可能である。そして、食糧価格が高騰するのもまずい。供給が安定するまでは、領が全面的に管理するしかない。
領民には、当面の税金を免除し、食料を渡す代わりに労働力として働いてもらってはいるものの、それでは士気も上がらない。いずれは、税納入と引き換えに貸与に戻す必要がある。そのためには、産業を回復させて、他領からの貨幣の流入を確立しなければならない。
「食糧の備蓄があと三カ月で枯渇か」
王国にも多少の非常食糧は支援してもらったし、冬真が褒賞で王国から与えられた金貨も、伯爵領の復興のために与えられた性格のものであるので、備蓄食糧を購入するのに費やしたのだが、高騰していて、十分な量は買えていない。近接領も同様にスタンピードの被害を受けているから、援助をしてもらえる期待はしないほうがいいだろう。
現在の食料供給は、冬真が狩ったジャイアントボアの肉と農地に残っていた収穫物、都市の北を流れる河で行っている、ほそぼそとした漁、あとは大した量ではないが、街の中で飼育している鶏の卵と、山羊の乳だ。そのうち、ジャイアントボアと農地の収穫物は一時的なものでしかない。
最初に回復させた農地には、収穫の早いジャガイモを植えてはいるが、収穫は最短で二カ月後だ。それも、とても住民全員の腹を満たせる量ではない。
「農村を中心に、ボアを駆逐しつつ残存農作物を収穫して回るしかないか」
ゲルトルの周囲の農地は被害が大きかったが、ゲルトルから離れるにつれて、被害の程度は減っている。周縁地域には、まだ多くの可食物――小麦、ジャガイモが残っている可能性がある。
遠地でジャイアントボアを狩ってさらに農産物を収穫するとなると、現在の分隊規模の領兵では足りない。追加の荷馬車と荷車が必要だ。野営が必要になる場合もあるだろう。
「連れていく領兵を増やせるかな?」
尋ねる相手はプレッタだ。しばらく運用してみた結果、外回りの部隊はプレッタ、ゲルトルの治安維持や徴兵、訓練など、人間関係の調整が重い都市内の領兵統括は、フロイに任せることにした。
プレッタが首を振る。
「現在の人員でギリギリです。訓練兵を十人ほど回してください」
冬真が叙爵されてから敬語を使うようになったのは、プレッタも同様だ。プレッタとは長い付き合いだから、敬語を使われるのはまだまだ慣れないものがある。
「フロイ、回せる?」
冬真が領主となってから、数十名の領兵を徴集した。多くは戦死した領兵の家族らだ。そのため、半数は女性で、中にはぎりぎり成人に届かないかという年齢の少年少女も混じっている。戦力の補充というよりも、生活保障の色合いの方が強い。
「外回りなら、訓練兵じゃなくて、ベテランを回したほうがいいでしょう。無駄にジャイアントボアに接敵して、伯爵の負担を増やしては困るので」
「助かるよ」
実際に、新兵を訓練の一環として連れて行ったこともあるのだが、冬真に突撃するボアにパニックを起こして、横から槍で攻撃しようとした兵士がいたのである。そのときはフロイが新兵を殴り倒してくれたので、結果的にボアの敵対行動が領兵に及ぶことはなかったのだが。
そのうちに慣れさせなければいけないが、現在の領にはまだまだそんな余裕がない。
「ベテラン領兵が減るので、都市内の治安維持が相対的に重くなるけど、よろしく頼むよ」
声をかけたのは王国から派遣された部隊長二名だ。
「承知しました」
「尽力いたします」
二人とも、武闘会で冬真の実力を確認していたらしく、無駄な反発を受けたことはない。正直助かる。そんなものに使っているリソースはないのだ。危険地であるから、志願制であったのかもしれない。親しく会話する余裕もないが、そのうちに聞いてみてもいいかもしれない。




