第四十三話
王国伯爵領中核都市、ゲルトル。冬真が封じられた領地である。先の戦役で門を破られて、甚大な被害が出た都市だ。
ヴィルキアの三分の二程度の高さしかない街壁は所々が崩れて、土嚢が詰まれていた。至るところにひびが入り、煤と黒い血のあとが残っている。門扉は下半分が割れて、応急処置と思われる木の板で塞がれていた。
門を抜けると、歓声が一行を包み込む。冬真は、馬上から都市を見渡した。手前の家々はほとんどが崩れて、瓦礫の山が放置されている。
都市の中央を貫く大通りには、いっぱいに人が立っていた。多くは、子どもと老人。若者はほとんどいない。冬真に、期待と不安の入り交じった眼差しを投げかけていた。英雄と聞いてはいても、見かけはひょろい魔法士だ。現実に炎の壁を目撃したヴィルキアの民とは違って、頼もしさなどは感じるべくもないだろう。
命を賭した領主一族の奮戦のおかげか、それでも市民はそれなりに生き残っているようだった。絶望的な状態で全滅を免れたのは、途中で魔物が退いたからに他ならない。やはり、魔物襲撃には終了条件があるのだろう。もしかしたら、ヴィルキアが持ちこたえたので、その分のしわ寄せがここに来た可能性もある。
「なかなか、守りがいのありそうな都市じゃねぇか」
小さな口笛と共に軽口を叩いたのは、横で轡を取っているフロイだ。反対側の横にはプレッタが歩いている。フロイもプレッタも、伯爵となった冬真についてくることを迷わず選んだ。家臣のいない冬真にとっては、気心の知れた貴重な人材だ。おそらくは一部隊を率いてもらうことになるのだろう。
冬真たちの後ろには、王国から派遣された官僚三人が乗った馬車、そして治安維持支援として派遣された、王国正規軍魔法兵団一分隊、近接兵一小隊が続いていた。
「本当だね」
領民たちの顔には疲労の影はあるものの、悲嘆に暮れているというほどでもない。戦闘終了から既に三カ月以上が経っているし、生き残った以上、いつまでも嘆き暮らしてはいられないのだろう。
幸か不幸か、都市の人口が減って食糧消費量が減ったのと、都市を襲った魔物がボア系だったため、解体が間に合った分は塩漬け肉として貯蔵ができたらしい。
都市中央の一段高いところにある城館も、門壁は歪み、両開きの重い扉の下部にはむごたらしいほどの傷がついている。
城館の前には、先頭に礼服を着こんだ白髪頭の老人が、杖に寄りかかるようにして立っていた。冬真たちが近づいてくるのを見て、横で支えていた老婦人が一歩下がって頭を下げる。その後ろで、禿頭の老人がやはり頭を下げ、軽鎧姿で並んだ十人ほどの領兵たちが、一斉に剣を掲げた。
「トーマ・アイザーである。国王陛下より恩寵を賜り、この地の守護の任に叙された。……よろしく頼むよ」
冬真が馬上から簡潔に挨拶をすると、杖をついた老人が、深く首を垂れた。
* * * *
「アイザー伯爵閣下に、改めてご挨拶申し上げる」
応接室で向き合った老人の顔色は白かった。言葉の合間にも小さく咳き込んでいる。
「私は前フェルダー伯爵、ディレル・フェルダーと申す。『ルキアの矛』にお会いできて光栄だ」
前領主一族の中で、唯一生き残った人物だ。病身と聞いているから、無理をしてここに座っているのだろう。
「こちらこそ。ディレル殿のご高名は、グルドハイム公爵閣下より伺っている」
「恐縮だ。この度は、この領を引き受けていただき、感謝する」
「この領を守り切った貴家の奮戦に敬意を申し上げる」
冬真の言葉に、老人は眉を寄せて、沈鬱な微笑みを浮かべた。
「そう言っていただければ、散った者も報われよう」
ディレルは、首を振る。そして気を取り直すように、顔を上げて続けた。
「アイザー伯につつがなく引き継げるように、当方で出来る限りの準備はした。しかし、官僚も多くが戦死したゆえ、至らないところもあろう。皆、領の立て直しに奔走している。ご理解願いたい」
冬真は頷く。
「承知している」
「感謝申し上げる」
そこで、ディレルが改まって居住まいを正した。
「ところで、貴公にお願い申し上げたいことがある」
冬真は眉を寄せた。何らかの便宜を図ってほしいのか?
「伺おう」
「ご承知のことと思うが、我が一族のほとんどが此度の戦いで戦死した。残っているのは、私と三歳の孫娘のみ」
既に冬真も知っている情報だ。ディレルが真剣な表情で続けた。
「そこで、アイザー伯に、孫娘エルネラをお託ししたい」
冬真は、肩を揺らした。
「……エルネラ嬢を?」
「うむ。貴公の養女としてはいただけないか」
養女。養女だと。冬真の頭の中は一瞬で白くなる。
「しかし、エルネラ嬢は貴家の」
ディレルが首を振る。
「既に、爵位の返上を陛下よりお許しいただいた。私亡き後は、エルネラはいずこかの縁者を頼ることになろうが、どう扱われるかも分からぬ。それならば、一族が愛したこの地で、領民と共に過ごさせてやりたいのだ。領民も、エルネラが娘となれば、アイザー伯を一層慕うであろう。私も、エルネラの祖父として、伯の統治に力添えを惜しまぬつもりだ」
冬真は言葉を失った。新領主としては、これ以上ない申し出だ。
エルネラは、領民を守って死んだ前領主一族の娘だ。冬真の養女とすれば、領民感情は安定する。ディレルの人脈によって領政も安定するだろうし、冬真にとってもディレルは良い教師となるだろう。どこかの貴族に利得を図る立場ではなく、純粋に孫娘と領地の未来のために動いてくれる貴重すぎる人材だ。一方で、断った場合に、何らかの火種になる可能性も否定できない。
理性では分かっていても、冬真個人の感情が納得できるかは、また別の話だ。
婚約者に続いて、今度は養女。まだ結婚もしてないのに、なぜこんなことに。
これはあれだ、英雄が娘を育成するゲーム。……そんなわけがあるか。一瞬の思考の跳躍を、冬真は頭を振って振り払った。
「アイザー伯?」
ディレルが眉を寄せている。怪訝そうな顔である。
「いや、失礼した。……申し出、ありがたくお受けする」
冬真が喉の奥から出たがらない言葉をようやく押し出すと、老人はほっとしたように笑った。
「肩の荷が下りた。ルキア様の御許で、息子と笑って会えそうだ。感謝する」
冬真は、引きつった微笑を浮かべて頷いた。
冬真にとっては、肩の荷がどっしりと増えた。幼い養女を放り出して魔王を倒して地球に帰る。有り体に言って、無責任で最低な振る舞いだ。
完全に袋小路に迷い込んだ気分だ。どう進めばトゥルーエンドにたどり着けるのか、もはや分からない。
冬真は、この世界に対して、絶望なんか絶対にしてやるものかと思っている。
――でも、そろそろ絶望がしたい。




