第四十二話
叙爵より四日後。王宮を訪れた冬真は、侍従によって応接室に通された。冬真は溜息を吐いて、高級そうな――猫脚というのだったっけ――椅子に座った。
今日は叙爵式よりも幾分か段階を落とした礼服だ。これも公爵家が用意してくれたものである。場所の格式に合わせて、さまざまな慣習的服装規定があるらしい。
慣習とは、冬真が最も嫌いな言葉の一つだ。しかし、いつまでも公爵家の世話になるわけにもいかないから、そのうちに覚えなくてはならない。
大きく開けられた窓から、午後の陽光に照らされた美しい庭園を見やる。この国にはガラスもあるが、地球で見たような透き通ったものではない。
それがどの程度の時代レベルと技術レベルを示すのかは、詳しくない冬真にはよくわからない。そもそも異世界が地球と同じ産業発展史をたどる保証などない。考えるだけ無駄だ。
ノックの音が響いた。
「宰相閣下がお見えです」
侍従による先触れに、冬真は立ち上がった。ほどなくしてドアが開いて、礼服に身を包んだ白髪の男性が現れる。中肉中背。皺の刻まれた顔には穏やかな微笑みがあるが、瞳に浮かぶ色は冷たい。
王国宰相を務めるバルザール侯爵だ。既に叙爵後のパーティーで一度、挨拶済みである。
侯爵は、傍らに羊皮紙の束を抱えた礼服姿の若い男性を伴っていた。見たことがない顔だから、おそらく叙爵後のパーティーにはいなかった。王宮官僚の下級貴族だろう。
「本日は時間を取っていただき、感謝いたします」
冬真は頭を下げて礼を取る。王宮に呼びつけたのは宰相の方だが、儀礼上冬真が感謝を述べなければならない。
「待たせてすまないな、アイザー伯。楽にしてくれ」
声をかけられて、冬真は改めて椅子に戻った。
いくつかの形式上のやり取りの後、宰相が切り出した。
「本日来てもらったのは、他でもない。アイザー伯に賜る領地についてである」
そこで宰相は言葉を切って、片手を上げる。官僚が進み出て、テーブルの上に羊皮紙を広げた。そこには公爵領と、その周辺の領地が記されている。
「グルドハイム公爵家より、領地調整の希望があった。本来であれば、当事者の意見などを聞いたりはしないのだがな。貴公は一介の傭兵だったと聞いている。領地の運営に不安もあろうから、特別に調整する運びとなった」
勿体ぶった言い回しだ。冬真は殊勝に頭を下げた。
「国王陛下のご厚情に、深く感謝いたします」
宰相が当然のこととして頷く。皺の浮いた手で、地図上の一点を指した。
「公爵家より、この領地をアイザー伯に与えたい意向であると聞いた。そうなると、王国よりアイザー伯に賜ることができる領地は、ここ、ということになるのだが」
指が、その隣、グルドハイム公爵領の外の一点を指し示す。言葉を切って、宰相は顔をしかめた。
「この領地には、いくつかの問題がある」
そう言って、冬真をうかがうように見つめる。
冬真は瞬いた。驚きを演出しなければ。わざとらしくない範囲で。新参の成り上がり貴族が、公爵家と共謀して下賜される領地を誘導したなどと悟られたら、余計な反感を買うことになる。
「……それは、どのような?」
「今回の戦役で、領主一族がほとんど戦死した。残っているのは、三歳の娘と病身で老齢の先代当主一人だ。それゆえ、王国へ返領を願い出ているのだが……。家臣も領兵も壊滅状態であろう。領民も多く被害を受けたようだ。建て直すのは容易ではない。強力な魔物も多く出没すると聞いている」
冬真は息を呑んだ、フリをした。もちろん、グルドハイム公爵からは事前に説明を受けている。正しくは、いくつかの問題があるというより、問題しかない領地だ。
宰相が微笑を浮かべた。目じりに皺が浮かぶ。
「王国としても、決して、貴公に無理難題を課したいわけではないのだ。ただ、公爵家より貴公が賜る領地と隣接地にする、という原則を保てばこの領地が最もふさわしい、という結論になるだけだ。……貴公が望むのならば、公爵家に対して調停を行うこともできるぞ?王国から支援は行うが、このままでは、中央に出てくることもままなるまい」
調停を望めば、公爵家と英雄を切り離して取り込める。調停を望まなければ、厄介な領地を選んだ責任と後始末を公爵家に押し付けられる。どちらに転んでも、王国には損がない。そして、中央に出てこられないことこそ、公爵家と冬真が最も重視するポイントだ。
冬真はじっくりと考えるフリをした。やがて、口を開く。
「そのような土地であるなら、『ルキアの矛』という私の呼び名は一層の意味を持つのではありませんか?」
宰相が目を細めた。
「間違いないであろうな」
「私は戦うしか能のない身です。そのような呼び名は私の身に過ぎたものではありますが、私を取り立ててくださった国王陛下のご恩寵と、その民に報いることができるのであれば、喜んで矛としてこの身を捧げましょう」
宰相が、初めてはっきりとした笑顔になる。
「なんと、見上げた忠誠であるな。グルドハイム公が重用するのも頷けるというものだ」
冬真は下を向いた。恥じ入っているとでも思っているのか、宰相が満足そうに頷く。
「良かろう。陛下には、貴公の覚悟をお伝えしておく」
冬真はがばりと頭を上げた。そこから勢いよく、頭を下げる。
「ご配慮に感謝いたします」
「うむ。領地の詳細については、この者とやり取りをしてもらいたい」
宰相が、横に立った官僚を指し示した。男が会釈する。
「国王陛下と宰相閣下の恩義に報いるべく、尽力致します」
立ち上がって退室する宰相を、冬真は礼を取って見送った。
――ああ、くたびれた。思ってもいないことを口にし続けて、魂が汚れた気がする。せめて選択肢が出て、選ぶだけなら消耗もしないのに。なんてクソゲーだ。
* * * *
叙爵式の後からは、礼儀作法の勉強の時間は、領地運営の基礎の詰め込み勉強の時間へと変わった。
公爵家麾下の形式的な子爵となって面倒なことは公爵家の代官に全部任せるはずが、王国直下の領地付き上級貴族になってしまったので、学ばなければならないことが大量だ。
公爵家の代官に伯爵領を任せるのは、王国直下として叙勲した王家の意図に背くことになってしまうらしい。願い出れば王国から代官を寄越してもらえるのだろうが、どんな相手がくるかも分からない博打である。一度権利を譲り渡したら、取り返すのに苦労するのも分かり切っている。そんなものに賭けるくらいなら、最低限の知識をつけて責任を果たしたほうがいい。
最優先事項は、家臣となる子爵と男爵への儀礼手続き、領地の基本的な決裁事項などだ。しばらくは、カンペ片手に領地を走り回ることになりそうである。
ブラーフェルが言っていた通り、最初の二年間は、王都から数名の官僚が派遣されることになった。王国に収める税金も免除である。三年目は50%免除、四年目からは免除なしとクッションが入る。
冬真が最初から全てを把握する必要はないが、中央から派遣される官僚が清廉な人物であるとは限らないし、そこから腐敗しないとも限らない。裏切られる余地を作らないことが最も大事だということは、どこも変わらない原則らしい。
休憩は、フューリアとのお茶の時間だ。
「お疲れですわね」
「頭が爆発しそうだよ」
冬真はぼやいた。テーブルの上の焼き菓子を、口に放り込む。
砂糖をふんだんにつかった焼き菓子は、結構な贅沢品だ。勉強でカロリーを消費した身には実にありがたい。おいしい。伯爵領に移動したら、こんな贅沢はしばらくできそうもない。
女性とにこやかに話すことを要求されるのは、冬真にとってはストレスでしかないが、そもそもフューリアには、最初から愛想よくなど振舞っていないので、表情筋を無理に使うこともしないし、ことさらに話題を振ったりもしない。
フューリアも慣れたもので、不満があるようには見えない。もしかしたら隠しているだけかもしれないけれど。
「明日は王宮に呼ばれているのでしょう?」
「うん」
冬真は頷いた。おそらく、領主任命の勅書を受け取ることになる。
「では、近いうちに伯爵領に発たれる?」
「そうなるだろうね」
その後は、冬真は王国派遣の官僚とともに南下する。伯爵領を最優先している姿を見せなければならないため、移動は公爵領を経由せずに直接向かう。ヴィルキアを通った方がずっと早いし楽なはずなのだが、緊急時という言い訳がない限りは、王権を最優先するという姿勢を見せることは他のどの理由にも勝るそうだ。
「大変なお役目ですね」
フューリアが少しだけ沈んだ顔で言った。
「フューリアは、俺が伯爵になったことを喜んでくれないの?」
冬真は、フューリアをからかってみた。ふと、悪戯心がわいたのだ。
フューリアは、実は、一度も冬真に祝いの言葉を述べていない。卒のないこの少女のことだから、おそらく意図的なものだ。プレッタは一言だけ祝いの言葉を述べたし、フロイは盛大に祝ってきた。
少女は、驚いたように目を瞠って、微笑む。
「もちろん、嬉しいですわ。でも、トーマ様には不意打ちだったと伺っております」
冬真は苦笑した。ブラーフェル辺りから、不用意にその件には触るなと警告が行っていたらしい。本当に統制のとれた一家だ。
「まあ、そうなんだけど。俺としては、意外と、悪くなかったかなって思ってる」
冬真にとっては、気まぐれに口にすることにした本心だ。
少女が目を瞬かせた。
「そうなのですか?」
「うん。まあ、もらえる領地にもよるんだけど。色々動きやすくなることは確かだし」
少なくとも、公爵領の一子爵よりも、行動の裁量は跳ね上がる。責任も跳ね上がったが。
検証したいことが山積みだし、魔王討伐前のアイテム準備には、さまざまな希少な素材が必要だ。それを加工する場所も。心理的負荷さえ考えなければ、最終的な帳尻としては、メリットの方が多いはずだ。
「砦に常駐はできそうにないのが、フューリアには少し申し訳ないけどね」
冬真が言うと、フューリアは少しだけ困ったような顔になった。
「そうですね。お会いできる回数が減るのは寂しいですけれど」
「……」
冬真は口をつぐんだ。そういう方向のセリフは予想していなかった。次にスタンピードが起きたらとか、機能的な会話になると思っていたのである。
「でも、公爵領の隣接領をトーマ様に守っていただけるなら、安心です」
「……うん。頑張るよ」
フューリアが微笑む。
「改めまして。トーマ様、王国伯爵位叙爵、おめでとう存じます」
「ありがとう」
冬真は破顔した。なんだかんだ、自分はフューリアに、叙爵をおめでたいこととして祝ってもらいたかったのかもしれない。――どうせ戻れないのだから、前向きに状態変化を受け取った方がいいに決まっている。




