第三十八話
階上の歓声が、うるさいほどに響いていた。
冬真は、従僕に案内された場所を眺めまわした。奥行きのある、広い部屋だった。
右手には、いかにも高級感のあるレースのカーテンが飾られた大きな窓がずらりと並ぶ。午前の明るい陽射しが差し込んで、等間隔に設置されたテーブルの上のクロスを輝かせている。十を越えるテーブルには、それぞれ高級そうな布張りの椅子が二脚ずつセットされていた。
左手には窓がなく、同様の椅子が数脚ずつ固まって並べられている。
椅子の半分ほどには、年齢も性別も異なる人間が、座って談笑している。いずれもローブを纏っているが、その色はまちまちだ。何人かは、現れたトーマに興味深そうな視線を向けていた。
「トーマ・アイザー様ですね」
部屋の入口に立っているお仕着せを着た従僕が、冬真に向かって一礼した。それを合図にして、案内してくれた従僕が会釈して戻って行く。
従僕の声に反応して、入口近くにいた人間が、一斉に冬真に注目する。検分するような眼差しだ。
「こちらへどうぞ」
従僕が、洗練された流麗な仕草で席へと案内する。どうやら、冬真が座るべき場所は決まっているらしい。
案内された席に、冬真は口角を上げた。部屋の中央、分かりやすく上に花が飾られたテーブル席が、冬真の席のようだ。
そこに座ると、周囲から、視線が突き刺さった。
――まるで、動物園のパンダだな。
冬真は、ここでは正しく見世物だ。
「アイザー様の予選第一回戦は、第八試合です」
冬真が頷くと、従僕は一礼して去っていく。
第一回戦のうち、冬真の試合はご丁寧にも最終試合だ。これも意図的なものだろう。出番を震えて待てということだろうか。
割り当てられた席からは、開け放たれた窓の向こうが良く見えた。大きく開けた場所と、円形にそれを囲む壁、そしてその上にすり鉢状に並んだ椅子と、そこにぎっしり並んだ人々。正面には、一段高くなった場所に屋根付きの観覧席が見えた。そこに座る人間の表情まではよく分からない。
王都ヒャルタ、王国武闘会。王国の威信をかけた大イベントが、幕を開けるのだ。
* * * *
グルドハイム公爵邸に冬真が呼び出されたのは、傍系家門へのお披露目晩餐会より六日後のことだった。
応接室も、晩餐室に負けず劣らず豪華な作りである。壁には格調高そうな絵が掛けられているし、椅子の肘置き一つとってみても、細かな装飾が施されている。
応接室で向かい合ったフューリアの兄は、冬真を歓迎したあとで、椅子を勧めた。
「やあ、わざわざ来てもらって悪いね。実は困ったことになったんだ」
ブラーフェルは浮かない顔だった。
「君の叙爵なんだけどね。王都から、君を寄越すように使者が来た」
「王都に?」
「ああ。本来なら、王都に行かなくとも叙爵可能なはずなのだが。どうしてもと聞かなくてね」
ブラーフェルが肩を竦める。
「どうやら、中央は、ブラッドベアを倒した君の実力に興味津々なようだ」
冬真は顔をしかめた。面倒なことになったものだ。冬真としては爵位などいらないのだが、もはや叙爵前提で色々なことが動いているため、そんな子どもみたいなことを言って引っ掻き回すわけにもいかない。
「実演でもしろと?」
「さすが、将来の義弟殿は察しが早い。この度、明敏にして慈悲深い国王陛下は、度重なるスタンピードに怯える民草を力づけるため、特別に、ヴィルキア領に遣わされた英雄『ルキアの矛』のお披露目を兼ねた、盛大なる武闘会を開催してくださるおつもりらしい」
「なるほど?」
狩りに出てばかりで、冬真は砦内の噂話には無関心だ。知らないうちに、高名な英雄が砦に来ていたらしい。後でフロイにでも聞いておこう。
「そんな英雄がいるなら、俺の実力なんて見なくてもいいような気がするけど」
将来の義父となるムルファスへの言葉遣いを改めたときに、ブラーフェルに対しても言葉遣いを直そうとしたのだが、ブラーフェル自身から止められた。親密な間に敬語など水臭いそうだ。あるいは、周囲にそう見せたいということなのかもしれない。
ブラーフェルが、怪訝そうに眉を寄せた。
「……何を言ってるんだ?」
冬真は首を傾げる。
「君のことだぞ、『ルキアの矛』」
「は?」
ブラーフェルの言葉に、冬真の頭の中は真っ白になる。
動かなくなった冬真を、ブラーフェルがしげしげと観察する。
「……まさか、本当に知らなかったのか?」
冬真は、我に返って顔を歪めた。
「それ、本当に俺のこと?」
「それ以外に誰がいると言うんだ? 英雄殿」
冬真はさらに顔を歪めた。
「不本意と言う顔だな?」
ブラーフェルが笑いを堪えるような顔をしている。
「その、鳥肌が立つような名前、なんとかならない?」
そもそも二つ名なんて寒い物、勘弁してほしい。しかも『ルキア』。クソ女神を冠した名前で呼ばれるなんて、そのたびに最悪な気分になれそうだ。
藁にも縋る冬真の言葉だったが、ブラーフェルがすげなく首を振った。
「無理だろうな。兵にも民にも既に浸透しているようだぞ。良い名だと思うがな。君はルキアの思し召しでこの地にやってきたわけだし」
「……まさか、公爵家が考えた?」
冬真は据わった眼でブラーフェルを見た。老練な貴族なら、冬真の価値を上げるために、そのくらいのことは平気でやりそうだ。……それならば、冬真にも考えがある。
「まさか。兵たちが勝手に噂し始めたのだ。公爵家の名誉にかけて誓ってもいい!」
冬真の覚悟を感じ取ったのか、心なし顔色を悪くしたブラーフェルが答える。
冬真は深く息を吸って、吐いた。そうしないと、眼玉が飛び出そうな価格であろうテーブルや、その上の紅茶をなみなみと湛えた陶器に当たり散らしたくなってしまいそうだった。
「……それで、武闘会、だっけ?」
努めて平穏な声で話題を戻すと、ブラーフェルがあからさまに安堵の顔になった。
「ああ。君の功績を称えるための大会だそうだ」
「俺の能力を測るための大会じゃなくて?」
聞き返すと、ブラーフェルの瞳がきらりと光った。口元に面白がるような笑みが戻ってくる。どうやら正解のようだ。
「……公爵家は、俺にどうしてほしいんだ?」
冬真は、この砦で狩りを続けたい。そして、公爵家も、冬真にこの砦で狩りを続けてほしい。目的は一致しているのだから、ここは下手に冬真が判断せずに、公爵家の判断を仰ぐべきだ。
この国の貴族事情など知らないし、興味もない。ムルファスやブラーフェルのほうがよほど適切な判断を下せるはずだ。
ブラーフェルが、笑みを消した。目を細める。
「トーマ殿が実力を十全に示せば、国王陛下に直接仕えることも夢ではないぞ。フレアネットを使えるのなら、子爵位では低すぎる。侯爵位の叙爵もあり得る」
冬真は顔を歪めた。
「それ、俺に何かメリットある? 無駄な仕事と責任が増えるだけだよね。使命と関係ないことに時間を割くつもりはないよ」
目先の欲に惑わされてレベル1からやり直しになったら、自分を到底許せそうにない。魔王を倒すのにタイムリミットがなかったら、もしくは死に戻りにひどいデメリットがなかったら、冬真にも出世とか統治とか、地球では味わえないファンタジーを楽しむ余裕があったかもしれない。
ブラーフェルが苦笑する。
「義弟殿は無欲だな。グルドハイム嫡子として安心すればいいのか、フューリアの兄として残念に思えばいいのか、微妙なところだ。……しかし、トーマ殿は、我が領の英雄だ。無様な負け方をされては士気に関わる」
「つまり、立派な負け方をしてほしいって?」
国王に仕える気がないのなら勝つな。そういうことだろう。ブラッドベアを倒せる冬真ならば、武闘会で勝てることは分かりきっている。
冬真としても、グルドハイム公爵家の要望に異論はない。
「武闘会って、魔法士同士が戦うの? 殺傷能力高いけど」
正直、殺さない自信がない。魔法の威力の減衰率は、使用者と対象の魔力で決まる。冬真の魔力では、一般の魔法士に対する減衰はほぼ期待できない。対戦相手は冬真のファイアボールで燃え尽きるのではないか? 文字通り。
ブラーフェルが眉を上げる。
「そんなわけがないだろう。魔法士を消耗してどうする。以前と同じルールならば、デコイを用意して、撃破速度を競うことになるはずだ」
「ははぁ……。うまくできるかは自信がないなぁ」
冬真には、王国最高峰の魔法士たちがどの程度の魔力なのかがわからない。フレアネットとホーミングフレアを連打してはいけないだろうことだけは確実だ。そして手を抜きすぎたら無様な負け一直線である。
「そうだ、武闘会に他の部門はないのかな」
「いや? 近接部門と弓兵部門がある。それぞれの部門の上位者が最後に戦うのだ」
冬真は眉を寄せた。
「魔法士とそれ以外が戦うの?」
人死にが大量に出そうだ。
「君が何を考えているのかは分かるが。殺傷魔法は禁止だぞ。魔法士には条件が厳しいので、大抵は近接部門の優勝者が総合部門で優勝する」
「なるほどねぇ。遠距離はそのままの武器を使うの? やっぱり死人が出そうだけど」
「そんな物騒な大会に、誰が自分の臣下を出すんだ。染料を括り付けた、矢じりを潰した矢を使うんだ」
「目に当たったら危ないよ」
「目を狙うわけがないだろう!」
もはや、ブラーフェルは完全な呆れ顔である。
「そっか? うん、なるほど」
冬真はにっこりと笑う。
「それなら、提案があるんだ」
ブラーフェルが、僅かに上体をのけぞらせた。




