第三十七話
晩餐会から一夜明けて、部屋を出た冬真を迎えたのは、フロイの満面の笑顔だった。婚約話をプレッタから聞いたらしい。冬真はげんなりと肩を落とした。
「嬉しそうだね?」
「そりゃあな? 仕える相手が、ただの子爵サマと、大領主である公爵閣下の娘婿じゃ天と地ほども違うじゃねぇか。主の出世を喜ぶのが、忠義ある臣下の振る舞いってもんだろう?」
フロイの言葉の意味を実感したのは、集合場所でフューリアと合流したときだった。フューリアが微笑んでいるのはいつものことだが、今までは慇懃無礼を絵に描いたような態度だったフューリアの護衛兵の態度が改まっている。
フロイが喜ぶのは当然だ。本人が傭兵上がりで、主人も成り上がりの子爵叙爵前の若造では、何かと舐められて苦労していただろう。それが、一気に公爵の娘婿の側近だ。あるいは冬真よりも、影響を直に受ける立場と言える。
ベルダーン、ミラーナ、ラリエットの態度もさらに丁寧になっている。
閉口したのは、士官食堂で次から次へと、話したこともない相手から祝福を受けたことだ。一度に自己紹介を受けても、覚えきれない。
横からフューリアが、「無理に覚える必要はありません。トーマ様が苦手なところは私が補います」と言ってくれたおかげで、少しだけ気が楽にはなった。
* * * *
婚約が決まってから、五日後。冬真は着慣れない礼服を着込んで――着付けを手伝ってくれたのは、やはりベルダーンである――、ヴィルキアの中央付近にある、大聖堂に赴くことになった。馬車で冬真を迎えに来てくれたのは、グルドハイム公爵家嫡子ブラーフェルだ。
アヴダール村の教会の十倍以上も大きな石造りの建物だ。礼拝室に入ると、正面の荘厳なステンドグラスから差し込んだ光が、ルキア像を厳かに浮かび上がらせている。
中央奥の教壇に立っている年老いた女性が、冬真たちを見つめて柔和な微笑みを浮かべた。
光沢のある、美しい生地のトーガを身に纏っている。冬真など触ったこともなさそうな高級品だろう。
「ようこそ。ルキアの子らよ。歓迎いたします」
「お時間を取っていただき感謝します。エメリア大司教」
代表するように、冬真の斜め前に立ったブラーフェルが一礼した。女性が、微かに顎を動かして頷く。
「その方が、お話のあった方ですね」
やはりこの人物も、柔和な微笑みと視線が一致しない。値踏みするような、冷徹な視線を冬真に向けてくる。
冬真はぎこちない仕草で一礼した。ここに来るまでにブラーフェルから教わった口上を述べる。
「ルキアの僕たる大司教猊下に拝謁の機会を得ましたこと、望外の喜びです」
「では、別室で話を伺いましょう」
公爵令嬢と婚姻するにあたって、冬真が『ルキアの思し召し』でこの地にやってきたことを教会に保証してもらうための根回しである。
これによって、冬真の身元保証人が教会になるわけだ。
* * * *
「礼儀作法、ですか?」
「うん」
目を丸くするフューリアの前で、冬真は頷いた。教会の面会を終えて、直後の士官食堂での夕食の席である。
「誰か、教えてくれる人を紹介してもらえないかな?」
率直に言って、貴族の礼儀など、知ったことではない。しかし、社交の場でフューリアの荷物に過ぎない扱いをされるのは嫌だ。
やる必要がないものをやらないのはOKだが、できないからやらないというのは冬真の美学に反する。礼儀作法だろうが何だろうが、結婚すると決めたのは自分なのだから、必要となる作法は完璧に身につけておくべきだ。
ベルダーンに頼んでみたら、公爵家に相応しい格式かどうか自信がありません、と申し訳なさそうに断られたのだ。
「学ばれるのですか?トーマ様が?」
冬真は身体を引いた。
「ええと、やっぱり俺には難しいかな?」
「い、いえ!そんなことは全くございません。お兄様にご相談いたします」
「頼むね」
「はい、お任せください!」
フューリアは嬉しそうだ。それを見ていると、冬真も少しだけ嬉しくなる。
「礼儀作法も分からない、魔力の高いだけの若造が結婚相手じゃ、フューリアとつり合いがとれないからね……」
社交の場で、フューリアまで軽んじられるのは分かり切っている。
「そんなことを気にされるなんて。礼儀作法ができる方はたくさんいらっしゃいますけど、ブラッドベアを倒せる方はいません。私の方がつり合わないくらいです」
フューリアが断言する。冬真は首を振った。礼儀作法が「できない」と言われるのが問題なのだ。自分でも馬鹿なこだわりだと思う。しかし負けず嫌いの血が騒ぐのだ。
それに、もし死んでレベル1に戻ったとしても、知識は消えない。次に学べる機会があるかも分からない。人脈を得られた現在を、最大限に活用するべきだ。
「ふふふ」
フューリアが、笑っている。
「どうしたの?」
「トーマ様と結婚できる幸運をかみしめておりました」
冬真は眉を寄せる。そんな風に言われる要素が会話にあったか? どこに?
フューリアが、茶目っ気と共に付け加えた。
「ご存じありませんの? 私、トーマ様のことをお慕いしているのです。能力だけではありませんわ」
冬真はますます眉を寄せた。自分は始終素っ気ない態度だったし、好かれるような態度は一切とらなかった。おためごかしを言われているような気がしたのだ。
少しだけ恥じらうような顔で、フューリアが、内緒話をするように囁く。
「トーマ様は、私を一度も家門の付属物とは扱いませんでした。最後まで、私の意志を確認してくれましたもの」
「……。そんなことで?」
「はい。そんなことで、です」
そう言って、フューリアは微笑んだ。
* * * *
豪華な正餐室は、二週間ぶりだった。相変わらず、圧倒されるような調度品に、ふんだんに飾られた生花。テーブルの上には、格調高い食器が並ぶ。
二週間前と大きく違うのは、座っている顔ぶれと人数だ。公爵夫妻、ブラーフェル夫妻、フューリア、冬真はそのまま。その横に、ずらりと貴族夫妻が並んで座る。グルドハイム公爵家、傍系家門の当主夫妻たちだ。
ムルファスが、おもむろに口を開いた。
「本日はよく集まってくれた。この度、フューリアの婚約者として、トーマ・アイザー殿と縁を結ぶことになった」
列席している人間の視線が、一気に冬真に集中する。冬真は立ち上がって、無表情に一礼した。
「国王陛下より、叙勲の承認が下り次第、叙勲式と婚約式を執り行う。皆も見知りおくように」
ムルファスが、じろりとテーブルを眺め渡した。
「既に聞いていると思うが、トーマ殿は、ブラッドベアを撃破してくれた英雄だ。かの敵が、過日、我が領に壊滅的被害をもたらしたこと、忘れている者はよもやおるまい」
座っている貴族のうち、何人かが、目を伏せた。そっと指先で目元を拭う仕草をする夫人もいる。
「今後、トーマ殿への侮辱は、我がグルドハイムへの侮辱と見なすこととする。弁えるように」
「承りました」
「必ずや」
傍系家門の貴族たちの半数ほどが、口々に承諾の言葉を返した。それらの冬真に対する視線は、驚くほど好意的だった。壁面防御を担当していると紹介された家門たちだ。
それ以外の家門は、観察するような視線を冬真に向けている。しかし、嫡子であるブラーフェルが、冬真に気を遣って話題を振っているのを見るにつけ、少しずつ好意的なものに傾いていく。
ただ一組、ラドミール叔父様、とフューリアが呼んだ夫妻だけは、最後まで冷たい視線を冬真に向けていた。バラドの両親であり、冬真が素材の流通管理権を引きはがした相手である。




