第三十六話
「すでにお父様がお話をしたと伺いました。この砦には、ブラッドベアを撃破できる戦力が、必要なのです。私とどうか、結婚してくださいませ」
フューリアが、片手を胸に当てて微笑む。
「無論、トーマ様の使命のことは承知しております。公爵家は、トーマ様の使命に全面的に協力することをお約束いたします。これはお父様も承知のことです」
詰められた。冬真は顔を歪めた。心理的な重荷を引き受けたくない冬真に対して、公爵家は、誠実さと好意という、最も冬真が断りにくい盆の上に、心理的な重荷を載せて差し出してきたのである。
断れば、公爵家を潜在的な敵と宣言するも同じ。
冬真は、口を開いて、閉じる。
「……受けられない……」
呻くような声が漏れる。
翡翠の瞳が瞬く。決して揺れはしない。
「理由をお伺いしても?」
冬真は躊躇った。これを言えば、魔王討伐の支障になるかもしれない。しかし、目の前の年若い少女の勇気を踏みにじって誤魔化してエンディングにたどり着いて、冬真は後悔せずにいられるのか?
やがて冬真は、口を開いた。
「……俺は、いずれこの地を去るんだよ」
冬真が砦の決定的な防衛戦力だと見なされるなら、経験値稼ぎを邪魔される可能性は十分にある。
――それがどうした?そうしたら、改めて公爵家と敵対関係になるだけ。むしろ、分かりやすくていいじゃないか。フューリアにこの場で誤魔化すより、ずっといい。
フューリアが、虚を突かれたような顔になる。
「すでに、ご結婚相手がおられる?」
「い、いや、そうじゃないよ!使命を果たしたら、元の場所に戻るんだ」
冬真の答えに、少女がほっとしたように微笑んだ。気を取り直したように、冬真を見上げる。
「いずれ戻られることは、父より伺っています。冬真様が使命を果たされるまででよいのです。当家がトーマ様をお助けします」
冬真は言葉を失った。確かに、最初に公爵に会った時に、いずれ元の国に戻るとは言った。しかし、それをフューリアに共有しているとは思わなかったのだ。共有したうえで、フューリアから求婚してくるなど。
「……どうして、そこまで? いなくなることが分かっている相手に求婚なんて」
フューリアが、冬真を帰さずに済むように考えているのなら、わかる。しかしフューリアからは、そんな打算を感じなかった。冬真の人物鑑定眼が曇っていて分からないだけかもしれないが。
フューリアが、心得たように語り始める。
「五年前のスタンピードで、お兄さまも、その乳兄弟も、私を可愛がってくれていた伯父様の一人も……、メイドたちの家族も、何人も死にました。皆、次は自分の番かもしれないと、不安に怯えていました」
その時のことを思い出したように、少女は胸の前で、ぎゅっと両手を握りしめている。
「でも、トーマ様が砦にいてくれたら、民たちも私も、安心して、笑って、眠ることができるのです。たとえわずかな間でも。それが理由では、いけませんか?」
公爵家の言葉ではない。フューリア自身の、悲鳴のような本音。冬真は、そっと視線をそらした。こんな理由は、卑怯だ。冬真は否定する言葉を持たない。
「結婚じゃなくて、君の経歴に傷をつけないで、……俺が砦にいるだけじゃ、ダメなんだろうね?」
「はい。いずれ、他家がトーマ様を取り込もうとしますわ。公爵家では、ご不足ですか?」
冬真は、首を振った。最終的にレベル99を目指すならば、ここを拠点にするのが最も効率的だ。
「フューリアは、それでいいんだね?」
少女が、微笑んで頷く。そこには、揺るがない自信が輝いている。
「はい。トーマ様と結婚できる自分が、誇らしいですわ」
冬真は、長く息を吐いた。結婚。そんなもの、地球では考えたこともなかった。当たり前だ。冬真はまだ、扶養される大学生にすぎなかった。気楽に引きこもって、毎日をゲームに浪費するだけの。
しかし、この世界でそれが通用しないことは分かっている。言葉を喉の奥から押し出すのには、気力が必要だった。フューリアは、その間も、じっと冬真の言葉を待っている。
「……分かった。受けるよ」
その言葉を聞いた少女が、花が咲いたように笑う。
二人で連れ立って戻った談話室で、フューリアがムルファスに冬真から結婚の承諾が得られたことを報告する。一人掛けの椅子にゆったり座っていた公爵は、満足そうな微笑みを浮かべて頷いた。
「トーマ殿は、いずれ娘婿というわけだ。当主として、歓迎する。実に心強いことだ」
冬真は、表情を変えずに会釈した。
「さ、二人ともそちらに座るがいい」
公爵が上機嫌で席を勧める。二人が椅子に座るのを待って、ブラーフェルが口を開いた。
「盛大な婚約式を執り行うべきです。英雄と領主令嬢の婚約ですから、民と兵は熱烈に歓迎し、安堵するでしょう」
「そうだな。婿殿の叙勲が整ったなら、すぐにでも執り行いたいところだが」
すでに婿殿呼ばわりである。冬真は黙って聞いていた。口を挟める立場ではない。
「まだ承認が下りないのですか?」
「うむ」
「公爵家は子爵以下の爵位授与権を持っている。無論、無制限ではないが。五年前の戦で、いくつかの領地と爵位が宙に浮いている。今回、そのうちの一つをトーマ殿に与える予定だったのだ。しかし、これには名目上国王陛下の承認が必要なのだ」
冬真の眼差しに応えて、ブラーフェルが解説をしてくれる。妹婿になることが確定したからだろうか。晩餐の時よりも、心なしか砕けた口調である。
「時間の問題ではあるだろうが……。婿殿には、しばしお待ちいただきたい。無論、婚約式前ではあっても、当家の婚約者として正式に扱わせていただく」
ムルファスからは、逃がすつもりはない、という副音声が聞こえてきそうだ。
「……。ご配慮に感謝します」
冬真の言葉遣いが変わったことに気が付いたのか、公爵の眉が微かに動いた。
どこかのお偉いさんには敬語を使わなくても、義理の父親になる相手ならば、敬語を使うのは当然だ。
――たとえ本意ではなくとも、承諾した以上、これは冬真の選択なのだから。
* * * *
夜更けに戻った冬真を見て、プレッタが眉をひそめた。余程疲れた顔をしていたらしい。
「何か問題があったのか?」
「うん、まあ。……その、フューリアと結婚することになったんだ」
プレッタは面白がるような顔になる。驚く素ぶりは全くない。
「それはそれは。一応おめでとうと言っておこうか」
冬真は顔をしかめた。
「ありがとう。プレッタの言う通りになったね」
「まあ、良かったのではないか。安全度は格段に上がっただろう」
「それはそうなんだけどね……」
冬真は苦笑した。公爵家の協力の確約は取り付けた。しかし、あくまで魔物を大量に狩ることに対する協力だ。魔王討伐に協力してくれるかは未知数である。
「しかし、目的は変えないのか? 十分すぎる出世だと思うが」
「変えないよ。そのために今まで頑張ってきたんだから」
老衰で死んでレベル1に戻るかもしれないことを受け入れるなんて、まっぴらだ。仮に、冬真が権力者になって、レベル1になった自分を手厚く庇護して、レベルを楽に上げられるような仕組みを整えることができたとしてもだ。レベル1に戻れば、結局やることは同じ。魔物の殺戮だ。一体何が楽しいと言うのか。
この世界には、冬真が愛する食べ物も、飲み物も、娯楽もない。地球に帰れば楽しめることが分かっているのに、わざわざこの世界で作りたいと思うような酔狂でもない。
冬真はトゥルーエンドを見て、地球に戻る。
「変わった奴だな。普通は、そこで満足するものなんだぞ」
「俺は、普通じゃないからね」
冬真は肩を竦める。現在のレベルは、62。砦防衛戦から、二カ月近く経って、2しか上がっていない。あるいは2も上がった、というべきか。まだまだ、クリアには程遠い。
――それでも、少しずつは前に進んでいる。たとえ、背負った荷物が、それ以上に重くなっているとしてもだ。




