第三十四話
そこで、二人が言葉を失う。
「欠けた信頼は、同じもので埋めるのが筋というもの。償っていただきたい。何か問題が?」
もちろん、あるだろう。そもそも簡単に用意できるほどの戦力があるならば、冬真への厚遇は発生しない。そんなことは百も承知である。
「強欲が過ぎるぞ!それに、同じものと言うなら手袋があるだろう!」
案の定、バラドが強い言葉で叱責する。
冬真は鼻を鳴らして笑った。ムルファスに視線を動かす。
「この件に関する、率直な俺の意見を言わせてもらっても?」
公爵が微かに目を細める。少しの間を置いてから、重々しく頷く。
「……伺おう」
「ブラッドベア革の切り取りなどは、起きなかった」
冬真がそう言いきると、公爵の表情が怪訝そうなものになる。
「なぜなら、公爵閣下は明確に俺に恩賞として与えると言ったのに、公爵家の面子を潰すようなことが、他でもないお膝元のここで、起きるはずがない」
続けた冬真の言葉を聞いて、眉を吊り上げていたバラドが、一転して愉悦に満ちた表情になる。公爵家の威光に屈したとでも思っているのかもしれない。
「ふむ。ならば、これで冬真殿には収めていただけるということか?」
冬真は肩を竦めて否定の意を示した。手袋を指さして微笑む。
「ゆえに、この手袋は、存在しないものだ。ブラッドベア革の抜き取りは起きなかった。俺はこんなものを作る依頼を出していない。存在しないものは価値を持たない」
そこで冬真の真意を察したのか、ムルファスの表情が一段階険しくなる。冬真は、砦の恩賞の抜き取りを責めないと明言した。しかし、手袋による補償も認めないと明言したのだ。
「今後、似たような問題が起きることを防ぐため、俺が獲ってきた素材の流通は、俺の管理下に置く。特に、今回の件に関わりのあった工房については、今後一切取引を控えさせてもらう」
それは宣言だった。交渉ではない。
バラドが眉を吊り上げる。
「そんなことが通るわけがない!」
「そうか」
冬真が頷くと、バラドが拍子抜けした顔になる。
「では、公爵閣下との協力関係はここで終わりだ。もともと素材を欲しがっていたのはそちらだ。俺は一方的に利用されるつもりはない」
「待たれよ。……トーマ殿の言いたいことは分かった。しかし、工房にまで影響を波及させるのはなぜだ?」
「なぜ波及しないと思うのか、そっちの方が俺は不思議だよ」
冬真は肩を竦める。
「トラブルが起きたなら、誰かが痛みを引き受けなければならない。実行に関わったものが痛みを引き受けなければ、また起きるじゃないか。まさか被害者である俺に痛みを引き受けさせるわけもなし」
そこで、冬真はバラドとムルファスを見比べて唇を吊り上げた。
――当然、この二人は冬真に引き受けさせようとしたのだ。容赦は不要である。
「ならば引き受けるのは、砦の実務担当か、製造に関わった末端のどちらかだ。ところが、慣例だったと言って、実務担当は痛みを引き受けることを拒否した。それなら痛みは最も立場の弱い末端に行く。これは必然なんだよ」
「工房は注文を受けただけだぞ!」
「そうであることをバラド殿は証明できるのか? それはなぜだ? 工房に素材を出した総量を把握できるのは、工房に素材を出すことを認めた本人のみ。バラド殿が出したのか?」
バラドが唇を引き結ぶ。
「俺の故郷には、悪魔の証明という言葉がある。あることは証明できても、ないことは証明できないという意味だ。俺が言うまで問題を認識できなかったお二人が、途中でさらに素材を抜かれていないと証明できるのか? どうやって?」
「な……」
バラドは唇をわなわなと震わせている。
「公爵閣下の誠意を疑うわけではないが、この面会については、実務上誠意を欠くという評価にならざるを得ない」
冬真は言葉を切って、手袋に視線をやった。
「この手袋だけをここに置いている時点で、いかなる弁解も不要だ」
「見事な出来ではないか。何が不満だ!」
「存在しないものの出来に価値があると、副官殿は思うのか? それに、端切れはどうした? 製品を作るのには、必ず端切れが出る。貴重な素材であればこそ、勝手な廃棄・再利用は許されない。実際に、俺が依頼した工房はきちんと管理していた。砦の担当者が、慣行とやらで工房に勝手な裁量を許した可能性はある。だが、それについて何の説明もないのはどういうわけだ? ここに至っても、実務側には俺の素材だったという認識がない」
「詳しいことは、後ほど担当者に説明をさせる!」
叩きつけるようなバラドの反論に、冬真は首を傾げた。
「その説明が正しいことを、誰が証明できるんだ?」
「虚偽の説明などするはずがないではないか!」
「公爵閣下の発言を裏切るようなことはするはずがあったのか?」
ぐ、とバラドが言葉に詰まった。
「俺が獲ってきた俺の素材は俺の管理で流通させる。それだけだ」
「その獲物の解体と運搬には砦の実務が関わっているのだぞ! すべての利をトーマ殿が持って行くなら、協力する意味がないではないか!」
「一方的に人の素材をかすめとっておいて、協力とは片腹痛いな。搾取の間違いではないか?むろん、素材の売却益は砦に還元する。しかし、売る先は俺が選ぶ。それとも、バラド殿はその工房に個人的な思い入れでもおありか?」
ぎくりとバラドの肩が揺れた。バラドの家が後方支援で物資の流通担当ならば、パイプがないわけがないのだ。
「そんなもの、あるわけがなかろう」
「ならば問題はないな」
これ以上は時間の無駄だ。冬真はムルファスに視線を移した。公爵は、難しい顔だった。
「……私は砦の責任者であると同時に、領主として産業の庇護者でもある。ゆえに、その要求は聞き入れがたい。何とか穏便に矛を収めてもらえないか」
冬真は眉を上げた。
「処刑を要求しているわけでもないのに?」
「工房にとっては同じことであろう」
冬真は笑った。
「俺はね、公爵。俺のものをかすめ取って自分の名誉にするような奴らにかける情けは持ち合わせていない。俺の素材を勝手に使って、声高らかに自分たちが製作した、なんて言うのを許すつもりはない。これは面子の問題だ」
貴族に分かりやすいであろう言葉を、あえて選択する。ムルファスが沈痛な表情になった。
「だが、最終判断は領主である公爵閣下のものだ。好きにすればいい。話がそれだけなら、俺は戻る」
立ち上がろうとした冬真に、バラドがカッと目を見開いた。
「たかだが魔力が高いだけの若造が、礼儀をわきまえろ! 貴様の素材を買い取らぬよう圧力をかけることもできるのだぞ!」
「バラド、この愚か者!」
雷鳴のようなムルファスの声がバラドの言葉の後半に重なった。
冬真は微笑んだ。
「なるほど。興味深い」
「トーマ殿、今のは本意ではないぞ!」
ムルファスが焦りを表情に浮かべて腰を浮かせている。
「やはり預かった部隊はお返しする、公爵閣下。我々には協力関係など成立しないようだ」
「待て。私はバラド・グルドハイムの副官の職を解く。今この瞬間をもってだ! トーマ殿、この不見識者の発言を私の発言と取ってもらっては困る。このような者をこの場に配したのは私の不明だ。幾重にもお詫びする」
冬真は十分な間を取って頷く。バラドは真っ青な顔で立ちすくんでいる。
「お受けする」
「ありがたい。今回の件はこちらの全面過失だ。特に、バラドの発言については、ブラッドベア革の切り取りは存在しなかったとまで言ってくれたトーマ殿の厚意を無にする暴言であった。トーマ殿の要求通り、貴公の狩った獲物の素材については、流通を貴公の管理下に置く。取引先もこちらは関与しない。圧力を決してかけることはないとお約束する。それで矛を収めてはいただけないか」
「承知した。ご配慮に感謝する」
「この手袋は、如何する」
冬真は首を振る。
「存在しない手袋の処分について、俺に訊かれても困る」
ムルファスが、疲労した顔で息を吐いた。
「……トーマ殿は、交渉上手であるな。フューリアも貴公の有能ぶりに夢中だ。ぜひとも娘婿にお迎えしたいものだが」
冬真は、立ち上がろうとしていた動きを止めた。ムルファスの言葉は軽口のようでいて、瞳には一切笑いがない。
「あいにく、独身主義なんだ」
「フューリアは気に入らなかったかな?ラッテバルド子爵令嬢でも、ゼードライド子爵令嬢でも、気に入った令嬢がいたなら私が仲介しよう。トーマ殿には、この領に居着いていただきたい」
「冗談を。三人とも、俺には過ぎた令嬢だよ」
「トーマ殿にも後ろ盾が必要であろう?」
「俺は使命があるから、そんなことを考えてはいられないんだ」
冬真はそれだけを言って、速やかに部屋を逃げ出した。苦手がすぎる話題だ。このまま留まったら、言質を取られかねなかった。




