第三十二話
近頃は、冬真が士官食堂に足を踏み入れても、最初ほどの注目は集めなくなってきている。
「私、士官食堂に来るのは初めてなのです。お父さまから従軍のお許しが出なかったので」
「そうなんだ」
しかし、フューリアと一緒に足を踏み入れた瞬間に、喧騒が消えた。記章の色に関わらず、誰もがぎょっとした顔でフューリアの顔を確認し、ローブと冬真を見比べて、道を譲る。
「トーマ様には感謝しておりますの」
食事の盆を置いたテーブルの席について、フューリアが言う。
冬真は頷いた。既に感謝の言葉は様々な相手から聞いている。冬真がブラッドベアを撃破してこの砦を壊滅の危機から救ったのは事実だ。
「私にも、ここに残って家門の役に立つチャンスがあるということですもの」
「?」
冬真は首を傾げた。今一つ前後の文脈が分からないが、おそらくこの令嬢には何らかの事情があったのだろう。
「そうなんだ」
特に興味もなかったので、そのまま相槌を打つ。しかし、ラリエットもミラーナも――ベルダーンまでが、微妙な表情になっている。
「? 何か?」
「い、いえ……」
ミラーナが慌てた顔になる。
「ふふ」
フューリアが小さな笑い声を上げた。
「トーマ様は、やはり異国の方なのですね」
ただの事実確認のようだった。
「そうだけど」
「ぜひとも色々教えてくださいませ。トーマ様の国のことを」
冬真は目を瞬いた。
「俺の?」
「ええ」
フューリアはにこりと微笑んだ。
「私、トーマ様のことを知りたいですわ」
冬真は目を細めた。ここまで言われれば、フューリアが何を要求しているのかは分かる。要するに、プレッタが以前、冗談交じりに言っていたことが実現しつつあるということだ。
ゲームのヒロインを十分に張れる美少女だ。たとえ冬真の能力を気に入っているだけだって、悪い気はしない。ここまで来るのは大変な道のりだったのだ。ゲームとして考えれば、美少女からのチヤホヤは正当な報酬と言える。
しかし、好意を受け取ることは、すなわち余計な荷物が増えるということでもある。だから、冬真は素っ気なく頷くにとどめた。
「そうか」
いずれ、冬真はここを去るのだから。別れることが辛くなるような関わりは、少ない方がいい。
* * * *
剣を目に突き立てられた魔物が、突進する勢いそのままに立木にぶつかって、衝撃音を響かせながら止まる。数拍を置いて、ゆっくりと横に倒れる。
冬真は溜息を吐いて、歩み寄って剣を引き抜いた。軽く周囲を見回して、踵を返す。森の中をしばらく歩くと、少し開けた場所に出る。そこには十数人の男女が待機している。
その中心に立っていた少女が、冬真の姿を見て頬を緩めた。
「トーマ様。ご無事で。お怪我はありませんか?」
「うん、問題ない。――全員、陣形を保ったままついてくるように。経路の魔物は全部狩ったから。フロイ、頼むね」
「はっ!」
取りまとめ役のフロイが、道中で細かく指示を出して、落ちている魔物を手早くソリに回収していく。
フロイの雇用は何の問題もなくすんなり決まった。冬真の叙爵はまだだが、子爵位相当の品位維持費が公爵家から支給されることになったので、フロイとプレッタは、冬真が個人的に雇っている私兵扱いである。さらに、狩った獲物の素材を砦が査定して、一定の割合が冬真に支払われることになった。
冬真を先頭に、続く形でフューリア、フューリアの左右にミラーナとラリエット。さらにその両脇に二人の護衛兵。フューリアたちの後ろを進むのが、十人の運搬と解体を担当する者たち。これは第一部隊所属の平民出身の兵士だ。最後尾を守るのが、プレッタ、フロイ、そしてベルダーン。
一行の安全を考えればフューリアは最後尾にしたいところだが、冬真のすぐ後ろが最も安全だと、フューリアの護衛兵が譲らなかったのだ。指揮系統は冬真に一任するはずだったが、やはり机上の空論ということらしい。しかし、現実にフューリアに何かあっても困るので、冬真も妥協することにした。
冬真が狩りをした場所に到達して、解体班が獲物を並べて解体に取り掛かる。
「じゃあ、後は頼むね。俺は他の狩りに行くから」
「フューリア様をここに置いていくのですか?」
護衛兵がわざとらしく確認する。
「おやめなさい」
フューリアが制止するのも、いつものことである。
狩りを開始してから十日余り、最初は雑魚の魔物から開始して、魔物の運搬や解体のルーティンをフロイと相談して詰めながら運用してきた。その結果、冬真が狩場への道を掃除しつつ狩場一帯を掃除して、一行をそこに誘導して作業。冬真はその間に新たな狩場に向かう、という手順を取ることにした。
しかし、フューリアの護衛兵は冬真がフューリアを守ろうとしないのが不満らしい。ことあるごとに突っかかってくる。
ハイヒール要員だから我慢をしているが、冬真にとって、このお姫様は心理的お荷物になりつつある。
* * * *
「提案があるんだ」
冬真がそう言い出したのは、その日の夕食の席だった。士官食堂に座ったフューリア、ミラーナ、ラリエットの表情には疲れが見えた。ベルダーンも心なしか覇気がない。一日中、魔物のいるフィールドに連れ出して歩かせているのだから、当然だ。
「二交代制にしたい」
冬真がそう言うと、女性陣の顔が一気に明るくなる。やはり、無理があると思っていたらしい。――言ってくれればいいのに。
冬真自身は休日なんて取ることすら考えていなかったから気づかなかったが、ものすごいブラックな労働環境だ。
しかし、指揮系統を統一するように要求したのは冬真だし、志願した手前言いづらかったというのも分かる。
「ごめんね、無理をさせたよ。ルーデン殿に相談する。ひとまず、結果が出るまでは、三日に一日は休みにしよう。明日は休みだ。ゆっくり休んでほしい」
「かしこまりました」
女性たちはほっとした顔になっている。実に申し訳ない気分だ。自分がブラック上司になっているとは全く思っていなかった。
あとでフロイとプレッタにも話をしよう。傭兵も割とブラック環境に慣れているから、二人も言い出さなかったのかもしれない。
「それと、意見を聞きたいんだけど」
冬真はフューリアに視線を向ける。すぐさま柔らかな微笑みが返る。
「はい、何でしょう?」
「前哨基地を作ってはどうかと思うんだ」
フューリアが目を瞬かせる。
「前哨基地……ですか?」
「ああ。この十日間で、大体の動きは掴めたから。運搬担当チームが待機する地点に簡易拠点を建てたい。できれば街道わきに建てて、荷馬車で獲物を運んで砦内で解体したほうがいいと思うんだ。長時間の作業だからね」
フューリアが納得した顔になる。
「でも、俺はこの国の制度には詳しくないから。そういうことをしても問題ないのかな?」
「そういうことでしたら、お父さまに相談してみます」
「うん。フューリアにはそこを守ってもらうようにすれば、今より安全も確保できるんじゃないかと思うんだ」
「まあ、ありがとうございます」
フューリアが嬉しそうに微笑んだ。
そして、冬真もフューリアの護衛兵に絡まれる頻度が下がる。そこが一番大事なポイントだ。
食事を終えて、まず冬真はプレッタとフロイに休日について話した。
「そろそろ言い出そうかと思っていた」
女傭兵は含み笑いである。対照的に、肩を竦めたのはフロイだ。
「お貴族様は軟弱だな」
「俺の配慮が足りなかったよ。それで、これは構想段階なんだけど……」
そう前置いてから、前哨基地のアイデアについて話すと、フロイが大きく頷いた。
「おお、ナイスな案だ。これで、お姫様の護衛の小言が減るんじゃねぇか?」
自分の目論見を真っすぐ言い当てられて、冬真は噴き出した。
「分かる?」
「こっちは、お前がいつ怒り出すかヒヤヒヤしてたからなぁ」
「まあ、結構キてたよ。仕方ないんだけど」
フロイが肩を竦める。
「中間管理職の悲哀ってやつかね。隊長ともなると大変だ」
「フロイも中間管理職だからね?」
「そうだった! 十日間も休みなしで働かせる鬼畜上官を持つと苦労が絶えないな」
「全く、もう。部隊のみんなに明日はお休みだって言ってあげて。あと、これで労ってくれるかな?」
冬真は懐から革袋を取り出した。中には銀貨が十二枚。フロイとプレッタの分を含めて、一人につき銀貨一枚だ。
フロイが中を検めて、口笛を吹く。
「おお、素晴らしい心遣いだ。理解のある上官ってのは最高だぜ」
革袋の中から銀貨を一枚、プレッタの手のひらに乗せて、フロイは踊るような足取りで去っていった。
その後のルーデンとの調整で、二交代制にすること、前哨基地の建設の許可はすんなりと下りた。それに伴う再編成は前哨基地の完成後に一気に行うので、ひとまず暫定的な三日に一度の休日運用体制のまま進行する。
冬真は、休日は訓練だ。もちろん、ベルダーンたちを付き合わせるわけにはいかないが、当番の魔法士たちが協力してくれるので問題ない。
* * * *
ドランバリエ工房では、揉み手をせんばかりの工房長が待っていた。
「これは、トーマ様! お待ちしておりました」
テーブルには、すでに出来上がった革の手袋が並べられている。
今日は、三日に一度の休日だ。手袋ができたという連絡がきたので、出向いてきたのである。
革は、しっかりブラッドベアのものを使っているようだ。冬真は両手にはめて確かめてみる。ぴったりだ。動きやすさに問題はない。以前に来た時に冬真の手を細かく採寸していたから、それに合わせるように作ってくれたのだろう。
「いかがでございましょう? ジャロ渾身の作でございます。ディルッタ工房には劣らぬ出来栄えであると自負しております」
「ディルッタ工房?」
冬真は首を傾げた。ムルファスに一番に紹介された工房だ。出来上がりの見栄えは良かったが、可動性が今一つだった。
「ディルッタ工房でもブラッドベア革で手袋を制作されていると聞き及びまして」
「……へぇ。それは知らなかったな。あ、この手袋、すごく気に入ったよ。これから装備を作ってもらうときには、ここに頼みたいな」
工房長とジャロが一様に輝く顔になる。
「光栄でございます!」
「それで、一応なんだけど、製作で出た端切れを見せてもらえる?」
「もちろんでございます」
工房長が心得た顔で頷く。後ろめたさなどかけらもない動作だ。ジャロが盆にのせて運んできたそれらを、冬真は細かくチェックした。
――不審なところはない。そもそも、冬真が渡した量は、手袋2セットは作れない量だ。ジャロは相当神経を使って裁断したはず。
「問題ないね。ではこちらの端切れは君たちの好きにしていいよ。指ぬきくらいは作れるんじゃないか?」
「ありがとうございます!」
工房長が、ぺこぺことお辞儀した。
「さて、それじゃあ、ディルッタ工房の話を聞かせてくれる?」
冬真は微笑みを浮かべた。冬真が試作を依頼したのは、このドランバリエ工房だけだ。他の工房には出していない。まだ冬真はブラッドベアを追加で狩りもしていない。考えられることは一つ。
――誰かが、背信行為を行っている。




