第百三話
緋絨毯が敷かれた先、階段を上がった先には、荘厳な玉座が誂えられていた。
その前に、白の正装に身を包んだ国王が立っている。胸にはいくつもの勲章が飾られ、金の縁取りのある赤いサッシュを巻いている。緋の裏打ちの豪奢なマントに、片手に王錫。後ろに撫でつけた白金の頭の上には、いくつもの宝石をちりばめた王冠が輝く。
およそ四年前、冬真が叙爵された時と似たような光景だった。
階段の下、緋絨毯の両脇に、諸侯が居並んでいるのも同じ。
ただし、決定的に違う要素がある。国王の斜め後ろには、礼服に身を包んだ男装のルシュラ王女、さらにその横には王太子が立っている。遠目にも、王太子の表情は強張っているように見えた。
国王が、諸侯を見回して、おもむろに口を開いた。
「此度のスタンピードの防衛、まことにご苦労であった。我が要請に応えて援軍兵力を送ってくれた諸侯を、厚く労うものである」
スタンピード早期終結の原因は、やはりバルフラウ領壊滅にあったのだろうと冬真は予想している。
領主一族が戦死して、領兵も圧倒的に足りない中での避難誘導と防衛戦だ。あっという間に街門を破られて、中に残っていた領民は全滅したらしい。街の中は今もジャイアントウルフがうろついていて、人が生き残れるような状態ではないそうだ。結果として、一万近い領民が死んだのではないかと囁かれている。
復興の目途は立っていないが、領内の魔物掃討は冬真が引き受けて、侯爵昇爵から棚上げになっていた追加領地として、アイザー領に併合することになっている。またもブラック労働の始まりだが、今回はちゃんと潤沢な援助をもらえるらしい。当然である。
王女襲撃も最後まで起きなかった。自分の家門を滅ぼしてでも王太子殿下を利するような忠義者は、バルフラウ伯爵以外にはいなかったらしい。
「此度のスタンピードについては、皆も承知していようが、異例のものであった。事前に、アイザー侯爵より、女神からの特別な警告を受けたとの報せがあったのだ」
国王が、一拍を置いて続ける。
「……しかし、これは実際に起きなかった場合のことを考えて、あえて侯爵が前に立ったものであると後日報告を受けている。実際に女神の警告を受けたのは、我が娘、第一王女ルシュラであったのだ!」
この件は冬真から国王に持ちかけた。冬真としては、自分の権威が無駄に上がるよりも、王女の権威が盤石になって王国が安定してくれたほうがずっとありがたい。
ここまで来れば、国王も冬真の王女に対する忠誠を疑う気を失くしたらしい。「そなたの女神に対する忠誠には目を瞠るばかりだ」と言って終わった。
「女神の信託を蔑ろに扱うわけにはゆかぬ。そこで、ルシュラ第一王女を女公爵、並びに王太女として叙する。これまで王太子としていた第一王子セルヴァンについては、王太子の地位を廃し、新たな公爵位に叙する」
一瞬だけ、空気が揺れた気がした。もしかしたら、根回しが通っていない田舎領主などもいたのかもしれない。
「アイザー侯爵には、かねてより王女の守護を命じていたが、私のその裁定を不服に思う者もいるようだ」
国王が、じろりと諸侯を見回した。
「アイザー侯爵には、正式に第一王女ルシュラの伴侶として、その守護を命じるものとする。女神の寵愛を受けたルシュラ第一王女とその守護者たる『ルキアの矛』が、王国を末永く繁栄に導くであろう」
「国王陛下に申し上げたき儀がございます」
そこで、声が上がった。国王が眉をひそめて発言者を見やる。
発言したのは、居並ぶ諸侯の最上位。祭司服を纏った老年の男である。ルキア教団の枢機卿の一人だ。
「此度、王女殿下は一度ならず、二度までも奇跡を賜りました。その恩寵の深さたるや、聖女と呼ばれるべきお方かと」
もちろん、この展開は予定調和である。
視線の先で、国王が頷いた。
「枢機卿の発言を歓迎し、それをもって王女の聖女たることを王国に宣する!」
* * * *
「よくもまあ、権威を盛りに盛ったものだな」
私室に戻ったルシュラは、呆れ顔だった。
「セルヴァン王子が、もう二度と覆せないと思えるくらいの圧倒的な権威を王女殿下に持っていただくのが、もっとも合理的で平和的です」
「そなたがさばくのが面倒とかいう理由ではないのか?」
ルシュラはジト目である。大分、冬真の判断原理が分かってきたらしい。
冬真は肩を竦めた。
「否定は致しません」
「一年後に、そなたと婚姻して戴冠か。陛下もこのように早期に王位を譲ることになるとは、想定外であろうな」
長引かせれば、セルヴァン王子がまたどんな手を使ってくるのか分からない。
「よいのか? そのあいだ王宮に詰めるので」
「ここで王女殿下を失っては、私も困るのです」
「こら。婚約者相手なのだぞ。『結婚するまではお側にいたいのです』、くらいは言わんか」
冬真は背筋を伸ばした。
「……むりです」
「全く、このような武骨な相手と結婚することになろうとはな」
「申し訳ありません」
「ふん、存外気に入っておる。少なくとも笑顔で背中を刺される心配はしなくて良さそうだ」
冬真は目を瞬かせた。王女が試すような微笑みで、首を傾げている。
「ええと、私も王女殿下のことはお慕いしております?」
「なんで疑問符をつけるのだ! 失礼な奴だな!」
「申し訳ございません」
「それに、そなた、いつまでそのような口調でいるつもりだ」
冬真は首を傾げた。
「婚約者なのだぞ。私にも、家宰殿やフェルティスに対するように、砕けた口調でよい」
「私は、王女殿下の前でそのような言葉遣いを?」
ルシュラが頷く。
「領地では何度もしていたぞ。時々私にも外れていた。私のことも、王女殿下ではなく、ルシュラと呼ぶことを許そう」
冬真は少しだけ躊躇った。ルシュラは期待に満ちた目で冬真を見ている。
「……うん。これからよろしく、ルシュラ」
「うむ、よろしく頼む、トーマ」
そう言って、ルシュラが満足そうに微笑んだ。
* * * *
ゲルトルの大通りには、人がいっぱいに出ていた。道の両脇を、領兵たちが固めている中を、豪華な馬車がゆっくりと走ってゆく。
「『ルキアの矛』万歳!」
「女王陛下万歳!」
「聖女様万歳!」
人々の顔には熱狂が浮かんでいる。
先日、領主である冬真が、王国の聖女とされた第一王女ルシュラと結婚し、そしてルシュラが戴冠したばかりだ。結婚式も戴冠式も、当然王都で行われたが、何しろ、聖女と英雄の婚姻である。有力な貴族の領都で順次パレードを行うことになった。冬真の本拠地であるゲルトルはその皮切りだ。
大通りを一周して、馬車は城館へと至る。その間ずっと、歓声は引きもきらなかった。
城館の前では、ベルダーンが笑顔で待っていた。
「女王陛下、即位にお祝い申し上げます。ゲルトルにお運びいただき、臣下一同、身に余る光栄です」
「ベルダーン殿、久しいな。そなたの主君を長らく王都に留めてしまったことを詫びよう」
「畏れ多いお言葉です。『ルキアの矛』たる主君の使命については、臣下も領民も十分に理解しております」
「うん、挨拶はいいから、中に入ろうか」
冬真は、気忙しく言った。
「主君。儀礼が」
「そなた、もう飾る気がないな」
護衛として同行していたフェルティスも、完全に呆れた顔だ。
冬真は三人を無視して、さっさと城館へと入る。
「一緒にスタンピードを乗り切った仲じゃないか。それともルシュラは、ベルダーンにそんなにかしこまってほしいのか?」
それから、振り返って、冬真を追いかけてきたルシュラに向かって問いかける。
「そんなはずがないであろ。しかし、ベルダーン殿がつけこまれないようにするのも大事ではないか……」
冬真は聞いちゃいなかった。さっさと自分の執務室へ入る。
「主君! 女王陛下に対して、いくら何でも……」
「右手。取って」
追いかけてきたベルダーンに、それだけを言った。
ベルダーンが、息を呑む。おずおずとした様子で、冬真とルシュラとを見比べる。
「早く」
「私のことは気にするでない」
ルシュラが苦笑して頷くと、ベルダーンが、右腕をごそごそといじった。ほどなくして、手袋ごと義手が外れる。
冬真はその腕を手に取った。
「エクストラヒール」
呪文を唱えれば、手首からその先に向かって、見る間にベルダーンの右手が再生されていく。
再生の終わった右手が、ぴくりと動く。握って、開いて。何度かそれを繰り返して、ようやく実感ができたのだろう。
「ああ……」
ベルダーンの目から、一滴、輝くものが落ちた。
「これでようやく、主君にお願いすることができます」
冬真は眉を寄せた。何だろう。まさか、冬真に仕えるのが嫌になった、とかだろうか? 嫌だ。すごく困る。……でも、仕方がない。ものすごい面倒をかけた自覚がある。
「何?」
「主君に跪く許可を、私にいただきたく」
そうだ。そうだった。
「うん。……許す」
そうして、ベルダーンが冬真の前に跪いた。
「改めて、我が身命を賭けて、主君にお仕えすることをお誓いします」




