☆③─26話 楽しんでこい
~龍泉ベンチ~
「あの、監督」
瑠夏は前に出た。
このタイムアウトの理由はわかる。立花舞依だ。さっきの動きを見てすぐに試合を止めたのだ。
しかし、いくらなんでも早すぎる。たしかに面食らったが……いくらなんでも即タイムアウトは……
「あの子には仕掛けるな」
辰見は瑠夏の言葉を遮るようにして口を開いた。
「藪をつつくことはない。蛇を出させるな。以上」
難しい言い回しでよくわからないが、「立花舞依を警戒し、彼女と戦おうとするな」ということで間違いはないか。
「しかし監督」
「成長させるな。龍泉に勝てるかもしれないという希望を持たせるな」
辰見は聞く耳を持たない。ここでもしも立花舞依が暴れるようなことがあれば、近衛学園は希望を持つことになる。
「あの龍泉に一泡吹かせた」と。「次はもしかしたら……」と。
そんなことはあってはならない。今年こそは全国を取る。ここでつまづいてはいられないのだ。
「それでも……あれは『乃蒼』じゃないです……!」
瑠夏は言った。この場にはいないエースのことを。
「あれより恐ろしい選手なんて、いない……!!」
龍泉の面々は息をのむ。辰見も少しばかり表情が険しくなる。
このチームの現エースである天下原乃蒼は入部した当初は普通の選手だった。
だが、5年生になって豹変した。
レギュラーのほとんどの心をへし折り、もう少しで引退という先輩も多くがそれを待たずして退部していった。
相対すればその才能に完膚なきまでに叩き潰されてしまうのだ。そして最後にはこう思う。
「フットサルが恐ろしい」と。
「あんな選手が二人もいるわけがない。私にやらせてください」
「…………ダメだ!!」
辰見は、それでも首を縦にはふらなかった。
~近衛学園ベンチ~
「舞依。あれはどういうことだ」
選手が集まったベンチ。そこで楓は労いの言葉も、激励の言葉も、それよりも早くに舞依を詰問した。
「たしかに諦めるには尚早だったのは認める。俺の力不足だ。お前たちにもっと守備連携の練習をさせるべきだった。もっと頑張りたいって気持ちは痛いほどわかる」
楓自身わかっている。自分の選択がどれほどみっともないことかを。
「だが……どうして『ゾーン』を使った!? あれは……近衛学園の最後の切り札だ……! 全国優勝するには……あれが……!」
楓は苦しそうな顔で呻くように、必死に絞り出すように声を出す。
俺は……勝たせてやらなきゃいけないんだ。どうにかして……この子達を。
舞依の爺さんに約束したんだ。『舞依を育てる』って。
詩織の父さんと約束したんだ。『詩織を見捨てない』って。
もし負けたら……負けてしまったら……このチームは……!!
膝をつき、絶望にくれる。
そんな俺の両頬に、突如ペタリと温かく柔らかな感触が。
前を向くと、舞依の顔がすぐそこにあった。舞依は両手で俺の顔をギュッと包み込む。
「楓さん。大丈夫です」
「え?」
「だって、私、今すっごくフットサルが楽しいんです」
「…………」
「私、勝ちたいです。龍泉にだって、この先にいるすっごく強いチームにだって。どんなチームにも勝ちたいです」
「…………」
「でも、それ以上に、どんな試合も楽しみたいんです。楽しんで、全部出し切って、フットサルをやっていたいんです」
「当たり前でしょ」
「そりゃそーだー!」
「うん。なゆも」
「はい。舞依さんの言う通りです」
「おにぃ、難しく考えすぎ」
「みんな……」
舞依だけじゃない。皆、同じ考えのようだ。
「今」は未来のためだけにあるんじゃない。「今」は「今」だ。
勝ち上がっていけばきっと龍泉とはまた戦うだろう。
でも。今日。このコンディション。このメンバー。この状況。
この試合は……人生で一度切りなんだ。
「楓さん。フットサル、楽しんでもいいですか?」
その質問の意味はわかる。
この試合は負ける。どう頑張っても、奇跡が飽きるくらい起きてくれないと逆転なんか不可能だ。
でも、楽しむことは……できる。
俺の答えは、一つだけだった。
「ああ……精一杯、楽しんでこい。後のことは全部俺に任せろ。絶対にお前達を優勝に連れて行ってやるから」
「すみません。楓さん」
それだけ言い残して舞依はベンチに座って給水を取った。




