☆③─3話 柊 雪姫の初体験
そうと決まればさっそく走り出さねば。少し話し込んだせいでタイムロスだ。
「よし。『雪姫』……でいいか。急ぐぞ」
「はい……!」
「こっちだ!」
俺は先行して走り出す。雪姫が俺の後をついてくれば必然的に学校に着くというわけだ。これを機に道まで覚えておいてほしいところ。
しかし、相手は小学生の女の子だ。あんまりとばしすぎたら追いつけない。こまめに様子を確認しておいてあげないと──
「って、もういねぇし!!」
ちょっと走っただけで雪姫の姿は忽然と消えていた。なんで!?
まさか……いや、そんなわけないとは思うが……
俺は少し後ろに戻り、横に建っていたコンビニに入店する。
すると、そこには周りをきょろきょろと見渡しながら迷った様子の雪姫がいた。おい……!
「あ、一体どこに行ってらしたんですか楓様。姿が見えなくなったので私、どうしたものかと」
「…………」
こっちがどうしちまったのかと聞きたいくらいだよ。お前もしかしてギャグでやってんのか……!
だって真っすぐの道だったじゃん! なんで曲がったの!? なんでコンビニに堂々と入店したんだ!? そっちが学校じゃないの絶対わかるじゃん! あとさっきそっちじゃないって教えたばっかじゃんかー!
「楓様……? どうして泣いてらっしゃるのですか?」
「どうしてだと思う……?」
「はて……?」
今この時だけ小学生特有の無垢が恨めしい。わざとやってるのかと疑いたいのに本人はガチで不思議がってるから怖いよ……もう怪奇現象か何かなのこれ。
しかし、わかってしまった。
方向音痴とかじゃないぞこれは。もはや方向とかいう概念が消滅してる。そら運任せで登校するわ。逆によく今まで学校に辿り着けたなと言いたい。だってコンビニに入るんだぜ?
「早く出るぞ。またタイムロスだ」
「お待ちください。なんだか良い匂いがしてきます……これは?」
「店頭にある肉まんの匂いだそれは! お前さては学校行く気ないだろ!?」
「そんなことはありません。一刻も早く登校せねば遅刻になるではありませんか」
「頼むから店のど真ん中に堂々と突っ立った状態でそんな当たり前のこと言わないでくれ……」
また涙が出てきた。過去からタイムスリップでもしてきたの君。
とりあえずここを出ないと話にならない。俺は雪姫に「出るぞ」と行って歩き出す。今度はちょっと目を離したらトイレとかに突っ込むかもしれない。そんなことさせないために彼女の手を取る。
「!」
雪姫はびっくりしたのか、彼女の小さく細い手を握った瞬間に大きく震えた。
「すまん。嫌だったか?」
「い、いえ……父以外で男性の方に手を握られたのは初めてですから」
「初めてって……学校の男子とかは?」
「少し距離を置かれている気がしまして。女性の方はよく話しかけてくださるのですが」
それはまたなんとも。初めてがこんな根暗とはトラウマになるかもしれないが許してくれ。これ以上のボケをやられるとこっちの精神がもたないんだ。
それにしても随分と冷たい手だな。ひんやりとしていて体温が上がっている俺が握ると温度差からかこっちもビックリしてしまった。
「…………」
雪姫はしっかりと握られた手を、熱に浮かされているかのようにポーっと眺める。
自分とは違うゴツゴツとしていてガッシリとしている男の手。その感触と、自分の手が強く包まれていることを意識すると普段かなり低い体温が珍しく上昇しているのを感じていた。
(初体験、しちゃいました……)
雪姫は、はしたない心のうちを悟られないようにと俯きがちに顔を伏せる。
こんなことを想っているとは楓も気づかなかっただろう。なにせ本人の脳内は今この時もテストのことが占有していただろうから。
かくして楓と雪姫はコンビニから出る。
多少のタイムロスならまだしも、時間が進んでいるのに道はまったく進んでいないという恐ろしい状態だからか俺はそろそろ遅刻に関して絶望に近い心持ちだった。
「もう無理だよな……」と、俺が諦めかけたその時。
救いの神がそこにいたんだ。
「あれ? 楓のアニキじゃね?」
「どうしたんスか。そんな必死に走って。つか、すごい可愛い子連れてますね」
「奇遇やなー」
コンビニを出たところで誰かに呼び止められる。
俺のことを「アニキ」だなんて呼ぶ奴は知り合いにいない。
いや、そういえば。
俺はその顔を確認するために大人しく雪姫の時同様、声の方へ振り向いた。
そこには、コンビニの前で複数人固まってたむろしているガラの悪い男三人がいた。
といっても、そいつらは子供でもなんでもなく。
黒いスーツを着た、タバコをスパスパ吸っている大の大人。
良い子は知らなくて当たり前なのだが、……残念なことに良い子であるはずの俺は知ってる。こいつら全員もれなく「ヤクザ」だ。
「おい、詩織のとこのヤクザ三人組。頼むから俺のことをそんな風に呼ばないでくれ。あとこんな朝っぱらからコンビニ前で迷惑かけるな」
そう。「ヤクザ」でピンと来てしまった悪い子は話が早くて助かるが、こいつらは俺が監督しているフットサル部のメンバーの一人「宇津木詩織」の家、というか組にいるヤクザさんだ。
可哀想なことに……彼女の「監督」という立場のせいか、はたまた彼女の家で大暴れしたことで目をつけられたのか、こんな風に「アニキ」とか呼ばれるそれはそれは深い関係になってしまったのだ。あーあ、高校一年生にして同級生より先にヤクザの人と仲良くなっちゃったよ俺。
「ひでぇな楓のアニキ。極道を息するみてぇに悪ぃことする奴と勘違いしてません?」
「漫画の読みすぎっスよ」
「アニキも一本吸うかー? ほれ」
とかなんとか言いながら気のいい笑みで寄ってくる三人組。順番に一茂、克二、三郎。覚えやすい名前だ。あと高校生にタバコなんか勧めるな。さっそく息するみてぇに悪いことしてんじゃねえか。
俺は差し出されたタバコを叩き落としながら嫌な顔をして迎えてやる。後ろには小学生の雪姫だっているんだぞ。俺までお前らの仲間と思われるような行動は誤解を与えるからやめろ。
「つか、時間大丈夫っスか? 俺らはお嬢を送り届けてきた帰りにコンビニ寄ってんスけど。アニキ達はなんでまだこんなとこに?」
「そうだったぁ……!!」
そんじょそこらのヤンキーより悪い連中に絡まれたせいでさらに遅刻の危機が強まった。もう人間の足じゃ間に合わねぇよ……。
クソ。背に腹は代えられない。すげー嫌だし今でも迷ってるが、ここでこいつらと出会ったのを何かの縁とするしかない。最終手段だ。
「おい。詩織を送り届けたってことはここに車あるよな? 俺とこの子──雪姫もついでに学校に届けてくれ」
「えぇ……マジっスか」
「マジだ。今日俺はテストの日なんだ。頼む。遅れるわけにはいかないんだよ」
「いや、別に俺らはいいっスけど……」
ヤクザさん達は「こいつマジか」って顔してるよ。ああ、マジだよ。それだけなりふり構ってられないんだよ。
「はぁ……じゃあ乗ってください。すぐ出しますよ」
そう言って一茂は自分たちの車に案内し、助手席のドアを開ける……が、
ほらぁ……黒い高級車みたいなのが出てきたよ。急いでたから目に入ってなかったけどコンビニに停まってるのが不自然すぎる。こいつらこんなので詩織を送り届けてんのか。あいつグレるぞ。いやもうすでにグレてるような性格してるけどさ……。
「なあ。車どうにかならんのか。これで学校はいくらなんでも目立ちすぎないか?」
「注文多いっスよ。だから根暗って言われるんじゃないスか? ほら黙って乗った!」
「お、おい! なんでそのこと──」
車に乗らせてもらう身分のくせに色々言ってくるのが面倒くさくなったのか、後ろで聞いていた克二は半ば無理やり押し込むように俺を車の助手席に入れて乱暴にドアを閉める。痛ぇ! 足がドアに挟まった!
その様子を見ていた雪姫はどこか遠慮していた。
遠慮……どころか、ちょっと怖がっているって感じか。そりゃそうだよな。こんなガラ悪い連中目の前にしたら誰だってそうなるよ。俺なんてこの前銃口突き付けられたことあるんだよ? 気持ちわかるよ。ははは。はは……
「雪姫。お互い遅刻の危機なんだ。遠慮するな。こんな車だが我慢して乗ってやってくれ」
「……アニキってマジで恩とか礼儀とかそういうのどっかに置いてきてますよね。ほんと知り合いじゃなかったらぶん殴りたくなる性格してますよ……」
「お嬢が『礼儀を忘れた日本人代表』っていうのも頷けるっスね」
俺は一秒でも早く悪い人との関係は断っておきたいんだよ。今だって注目されてるから表面上だけでも「俺はこの人達に嫌々乗せられてますよー。仲良いとかじゃ全然ないですよー」ってアピールしなきゃおちおち外も歩けなくなる。あと詩織は裏でそんなこと言ってたのか。俺の父さんよりはマシだと思うんだが……
「では、お世話になります」
自分の現状を重く見たのか(できればもっと早く深刻であることに気付いてほしかったが)車に乗ることを決めた。後部座席の方へと入る。
危ない危ない。ここまでのボケ倒し加減からボンネットの中に入りだすかと思ったが車の乗り方はちゃんとわかってたみたいで安心したよ。そんなことしたらさすがのヤクザさん達も目ん玉飛び出して仰天するだろうからな。未知との遭遇だ。




