☆②─32話 「監督」と「父」
「……」
宇津木源十郎は外に出て煙草を吸いながら夜風を浴びる。
その胸中にあったのは、数週間前ほどの出来事だった。
☆
「よぉ」
「…………遼か」
自分の娘の担任にして、古くからの友人である「桜庭遼」が突然家に訪問してきたのだ。
「今日は何の用だ」
「大した用じゃねーよ。ただお前んとこの娘がそろそろフットサル辞めることになると思ってな。相談に来た」
「……また予知のようなことを」
この男は昔からそうだった。
頭の中がどんな構造をしているのかはわからないが、誰にもわからない未来のことをあたかも当たり前のように言い当てて見せる。
現に、自分がまだ詩織に「フットサル部を退部しろ」と告げる前に、こんなことを言ってきているのだから。こいつは人間ではなく妖怪か何かじゃないだろうかと疑ってしまう時が多々ある。
「練習試合をやってあいつが本格的にフットサルを始めようとすれば、過去に色々あったお前が黙ってないだろうなと思ってな。お前昔から頑固だし」
「それで? 友人からの頼みで考えを変えろと?」
「まさか。そんなつまんねーこと言わねーよ」
じゃあ何しに来たというのか。詩織にフットサルを辞めさせないために来たのではないのか。
「今フットサル部の監督は俺がやってるわけじゃねーんだ。俺の息子がやっててな。『楓』っつーんだが……お前と同じような過去がある。サッカー界では今じゃ暗黙の了解で話さねえようになってる事件だ。詳細は……そうだな、『桜庭楓 消失』……『桜庭楓 反則』とでも検索すればすぐに出てくる」
「……それは初耳だった」
「で、単刀直入に言うと詩織の退部問題がこじれてきたら、あいつはそれを阻止しようとお前の家に乗り込んでくると思うぞ」
また突拍子もないことを。しかし、こいつがそう言えばほとんどの確率でそうなる。一笑に付すわけにはいかなかった。
「たしか……まだ高校生くらいじゃないのか? そんな子供がここに乗り込んでくるような勇気があるとは思えんが」
「あいつは良い意味でとんでもないバカだからな。選手のためなら多分なんだってするぞ」
「それでも、こちらの意思は何も変わらない。詩織にはフットサルを辞めてもらう」
そう。友人が訪ねてこようが、その息子が強硬手段で乗り込んでこようが、関係ない。
自分の娘に襲い来るであろう「不幸」から守らねばならない。かつて自分が味わったあの気持ちを抱かせないために。
「そこでだ。ちょっとした賭けをしねえか?」
「賭け?」
「お前は過去に監督からチームを追い出されたことが原因でスポーツそのものに不信感がある。そうだったな?」
「改めて言われると変な気分だが……間違っては、いない」
「じゃあお前の娘がいるチームの監督が信頼できる奴なら問題はないわけだ」
「何が言いたい?」
桜庭遼はニヤリと笑う。
「お前のことだ。ガキが偉そうに何か言ってきたら危ねーもん取り出して脅すだろうよ。それでももし、楓が変わらず自分のことよりも詩織のことを優先して想ってやれたなら退部を取り消してくれねえか?」
「……」
高校生がここに乗り込んでくることもありえないが、自分たちに直接脅されてそれでも考えを曲げようとしないほどの強靭な心を持った子供なんているわけがない。大抵が泣いて謝るか、逃げ帰るに決まっている。
だが、目の前にいる友人の顔は余裕そうだ。自分の息子のことだというのにも関わらず。まるで酷い目に遭ってもいいと言いたげだ。
親失格の烙印上等のようなこの飄々とした態度……その騒動の顛末すらもわかっているというのか。
「やめておけ。うちの若いもんがお前のガキに何するかわかったもんじゃないぞ。子供じゃなくても痛い目に遭えば他人の事よりも自分の保身を気にするのが当たり前だ。お前のガキがみっともねぇ姿を教え子に見せることになるぞ」
「あいつはそれでも詩織を絶対に見捨てたりしねーよ」
それを言い切る。どこにそんな自信があるのか。
「あいつは孤立させられることの辛さを誰よりも知っている。だから、たとえ何があろうと、どれだけ痛い目に遭おうと、自分の選手を見捨てたりすることは絶対にない」
「……」
こいつの自信はそこか。
源十郎は嘆息する。頭痛がしそうな心地を吐き出すように。
「話はそれだけか?」
「おう。期待してるぜー。あ、この菓子貰っていいか?」
「……好きにしろ」
客用に用意している菓子を全部根こそぎポケットに突っ込んで帰っていこうとする。この男に遠慮というものはないのか。
「……遼」
「あん?」
正直。このまま帰らせても良かったが、やはりどうしても気になる点があった。
「お前は今、なんのためにそうやって動いている」
桜庭遼はなぜ息子に監督をやらせるという無茶をしているのか。
どうしてそうまでして出来たばかりの、潰れかけとも言えるフットサル部を継続させようとしているのか。
そこに自分の娘まで巻き込んで一体何をしようとしているのか。
そして、どうしてこのように裏方でサポートをしているのか。
この男の心の内と、思惑を知ってみたかった。
「サッカーの、フットサルの、未来のため」
「なんだ、それは」
「さーてね」
遼がニヤリと笑うと、源十郎はまた一つ嘆息した。
☆
「……」
最後の遼の言葉の真意だけは今でもわからなかったが、桜庭楓の話は本当だった。
自分の中に娘がフットサルをすることを許す気持ちなどまったくなかった。
それなのに……。
あの少年の目を見た時、なぜか「この男になら娘を任せてもいい」と思ってしまった。
もう、絶対に信じないと決めていたのに。
やはり……まだ自分の中に残っていたのかもしれない。
スポーツへの不信感だけではなく、「楽しい」と想う気持ちが。
そしてそれを、娘の詩織にも味わってほしいという想いが。
「あ……」
「桜庭……楓くん」
治療を終えた楓が家から出て帰ろうとしたところを鉢合わせた。
あれだけ殴られながら、脅されながらも、最後までチームのこと、選手のことを考えていた。この男なら、もう一度信じてもいいのかもしれない。
「これから詩織には良くない声もあるかもしれん。それでも君は……あの子を守ってくれるかね?」
「もちろんです。けど……あいつ、そんなに弱い奴じゃないですよ」
楓は笑う。それは……あの友人と重なって見えた。
「そんな声も全部吹っ飛ばすくらい強い奴ですから」
「そうか……」
宇津木詩織は簡単に折れる奴ではない。楓はそう信じている。彼女の父である自分よりも理解している。
これが……「監督」か。「父」にすら見えないあの子の姿を知っている。
どうりで……敵わないわけだ。
「楓くん。詩織のことを……これからもよろしく頼む」
「はい。と言っても俺たちのチームは全国優勝しなくちゃならないんで……頼りにするのはこっちかもしれませんけどね」
舞依がフットサルを続ける条件は最低でも全国優勝。必須条件なんだ。
そして全国優勝には詩織が絶対に必要になる。あいつがいなきゃチームの連携はバラバラだからな。
俺たちのフットサル部のメンバーは個々で光るものがある。だが、それを繋げてくれる存在がいないとチームスポーツは勝てない。
詩織は自己中心的に思えるが、意外に周りが見えている。好きに動く亜子をコントロールできるのもあいつだけだ。
そして何度も言うことだが……才能に関しては抜群。努力もする天才ってところだな。
まだまだ課題は山積みだが……正直、一番将来が楽しみな選手だ。あっちが嫌だと言ってもこっちからついていくさ。
こうして俺は宇津木家を後にした。
……これで気持ち良く今日を終えられると思ったが、家に帰ると
「ぎゃー! おにぃがお化けみたいな顔になって帰って来たー!」
「なにぃ!? 我が家の姫に近づくな! 悪霊退散!!」
詩織の妹と反応は同じなのか、ボコボコになった俺の顔を見るなり凪が叫ぶと父さんが塩を撒いてきた。お前らなぁ……!




