☆②─28話 私に手を差し伸べる貴方は野蛮な王子様
夜。宇津木詩織は自室のベッドで後悔に潰されそうになっていた。
今いる自分の部屋と妹の伊織の部屋は和風なこの家の中で唯一洋風に仕上げてくれている空間。年ごろの女の子に畳の部屋は可哀想だ、という意見からだが。
……そんなことはどうでもよく。
(あたし……あの豚の前でなんてことを……)
まさかあいつの前であんな醜態を晒すことになるなんて。
思い出しただけで恥ずかしくなってくる。みっともないくらい大泣きしたのだから当然だ。しかもしがみつくように抱き着いてもいた。
いくら感情がぐちゃぐちゃになっていた時だったとはいえ、男の人とあんなに密着したのは初めてだ。そういった意味でも恥ずかしくなってきた。
大体、あいつもあいつだ。
きっと挑発してこちらの本音を引き出したかったのだろうが、何もあんなにキツイことを言わなくてもいいだろうに。
結局……どうなるのだろうか。
あいつとはあの後、
☆
「おい。念のためにお前の連絡先を教えてくれ。スマホ持ってるか?」
「持ってるわよ」
「さすが今どきの小学生だな。LINE教えろ」
物言いは乱暴だが、連絡先を交換しておくことは悪くない。
何があった時に連絡するのかはさておいて、こうした「繋がり」を持っておくことで自分は見捨てられていないという少しばかりの安心感があった。
実は……自分はあまりスマホが得意じゃないのでLINEもせっかく入れているのだが舞依たちには教えていない。家族とその部下の男たちくらいしか連絡先は入っていないのだ。
それ以外で言えば、こいつが初めてだった。
そこで終われば良かったのだが……
「……ぷっ。お前のアイコン、妹との2ショットかよ。どんだけ妹好きなんだ。シスコンじゃねえか」
「なっ……! あんただってこの……なんかプロフィールみたいなところが妹の写真じゃない! 豚シスコン!」
「これは勝手に設定されている上、定期的に監視されてて変えられないんだよ! おかげで友達できてもLINE交換できねーし!」
「あんたに友達なんかできるわけないでしょ!」
「そんな当たり前みたいな感じに言うな! 割とガチで傷ついたぞ今の!」
☆
まぁ、そんなことがあったわけだが。
それから、「ちょっとだけ待っててくれ」とだけ言って帰っていった。
まさか助けることが嘘ではないと思うが、それでも不安になってくる。
あの父が意思を曲げるとは思えない。自分がフットサルを続ければ今度は妹が束縛される。
けれど、フットサルは絶対にやめたくない。こんな気持ち初めてなのだ。
ずっとフットサルなんてそこそこやれればいいと思っていた。皆でワイワイやって好きな時に好きなことをやるだけでいいと。
でも、あいつが来て変わった。
練習が大変になった。
体力がない自分は毎日辛い想いをするようになった。
できないことが悔しくなった。
仲間に合わせてパスを出すのが難しくて時々イラつくようになった。
嫌なことばっかり。それなのに。
前より、楽しくなった。
大変なことが、辛かったことが、悔しかったことが、イラついたことが、
全て忘れられるくらいに、試合に勝った時は楽しかった。
ずっとバカにしていたのだ。熱くなることを。
何かに熱中したって何も得られない。どうせいつか辞めるのだからと。
違った。熱中することがこんなにすごいことだなんて「知らなかった」。
あいつの言った通りだった。知らなかったことは……本当にもったいなかった。
「おねえちゃん」
「伊織?」
扉の向こうから愛する妹の声がする。詩織はベッドから飛び起きた。
部屋に入ってきた伊織はいつもと変わらず眠たそうな眼をしているが、今は少しだけ心配そうな色を帯びている。
「どうしたの伊織」
「……おねえちゃん、ふっとさるやめちゃうの?」
「!」
伊織にはこのことを内緒にしてきた。あたしがボールを蹴っているのをこの子が一番楽しそうに見ていたし、来栖谷との試合だって見に来てくれていた。
なにより、自分のせいで姉はフットサルを辞めてしまったなんてことを思ってほしくなかったから。
だから、「フットサルを辞めたかった」なんて嘘までついていたのに。
「おねえちゃんのお友達からきいた。おねえちゃんがやめそうになってるって」
「そう……舞依たちが」
大方、亜子が皆を伊織の下へ連れて行ったのだろう。自分がいつまで経っても何も言わないから事情を知ってそうな妹に聞くのはおかしいことではない。
「おねえちゃん。ふっとさる、やめちゃだめ」
「でも……これは伊織のためになるの。今はわからないかもだけど、絶対に……だから─」
「いおりのため……? じゃあ、ふっとさるやめないで」
伊織は詩織にギュッと抱き着く。「辞めない」と言うまで離れないぞというように。
今はそれが、痛いほど苦しい。
「おねえちゃんのふっとさる、すごかった。それに、たのしそうだった。おねえちゃんがたのしいと、いおりもたのしい。だから……やめちゃだめ……!」
「伊織……」
ああ、悲しい。
あれだけ……あれだけ、この子を悲しませないようにと頑張ってきたのに。愛する妹のために身を切ったのに。
身を切ることが、この子の悲しませることになるなんて。
でも、もう遅い。
自分がフットサルを辞めることは決定事項だ。あの父の考えを変えさせることなどできはしない。
どんな人にだって─
その時、自分の机に置かれていたスマホが振動した。
伊織を引き剥がすことはできそうにないので、手を伸ばしてスマホを取る。
何事かと見てみると……桜庭楓からの一件のメッセージ。そこには、
『外に出ておいてくれ。今からめちゃくちゃやるから、何やっても文句言うなよ』
「これは……?」
☆
「……」
詩織の家から帰って……それから7時間ほど経った頃。
「父さん。何か面白いパーティグッズのような物はないか?」
「おぉ、あるぞー。偶然にも、最近買った奴がな」
そう言って父さんはドン! とテーブルにとある物を置いた。
「お父さんなにそれ」
凪がなんだなんだと近づいてくる。
「これか? コーラだ。あとメントス。そして……これはメントスコーラ噴射機つってなぁ。海外の知り合いから取り寄せた物だ」
皆ご存知の飲み物に、おそらくその飲み物とセットで覚えられているだろう食べ物。そして、それだけでなく……レバーが付いた謎の筒状の物体までやってきた。なんだこれは。
「この筒をコーラの飲み口にセットして、メントスを入れる。そんでここのレバーを引っ張ればメントスが一気に中にぶち込まれコーラをビーム状に放つという代物だ。使い方は動画でも見ろ」
「なんだ。随分と用意がいいな。まるで俺が近々こういうのを欲しがろうとすることを知っていたみたいじゃないか」
「さーてね」
父さんは知らんふりするが、この様子じゃ宇津木の件を相談しに食堂に来た時から用意してたな。
「え……おにぃサッカー辞めて動画配信者にでもなるの……?」
「ならねーよ」
「いや、だってそれくらいじゃないとそのチョイスにならないじゃん……。それに、おにぃ炭酸あんまり好きじゃないでしょ?」
そう思われるのも仕方ないか。本来の用途は食うと飲むだが、こいつらが揃えば噴射するがまず最初に思い浮かぶくらいだもんな。おまけにそれ専用の物まで付いてきてるし。
まぁ実際、そう使うんだが。
「父さん」
「あん? なんだー?」
用事は終わったとばかりにリビングでソファに寝転がった父さんに声をかける。
おそらく、これを持ってきた時点で俺のこれからの考えも読まれているんだろうけど。一応。
「ちょっと出かけてくる」
「おう行ってこい……無事に帰ってこれるといいな。ま、一発二発殴られるのは覚悟しとけー?」
「ああクソ。やっぱそうなるかよ……」
やっぱりバレてたか。ここで止めないところを見ると、俺もこいつも相当なアホだ。
「え!? おにぃどこ行くの!?」
「ん?」
凪は父さんの言葉から俺がとんでもない危険地帯に行くのではないかと心配そうにしているが……
「頑固なお姫様を救いに、大魔王の城に行ってくる」
それだけ言い残し、コーラとメントス、専用機をポケットに無理やり突っ込んで外に出た。
「意味わかんないんだけど……」
凪はポカーンと口を開けていた……。
で、今に至る。ただいま宇津木家の前。
さぁ、ここからはもう一度覚悟が必要だ。
俺は今から徹底的にバカにならなければいけない。舞依の爺さんに啖呵を切ったあの時のような。
「よし……いくぞ」
俺は、インターホンを押した。
☆
どうやら来客のようで、広大な敷地を持つ宇津木家に半ば護衛やお世話の目的で住まわせてもらっている部下の1人が外に出た。
もちろん自分たちの頭である宇津木源十郎にこんなことさせるわけにはいかない。
「おや? どうしたんスかお嬢。こんなところに」
外に出てみると、宇津木源十郎の娘である宇津木詩織が寝間着姿にストールを巻いた姿で立っていた。
「別に。夜風に当たってただけ……」
「そうっスか。まだ冷えるんで風邪ひかないうちに中入っといてくださいね。お嬢が病気なんかになっちまったら俺らがオヤジに怒られちまいますから」
「……」
詩織は内心ドキドキしていた。あいつから「外に出ておいてくれ」と言われて、インターホンが鳴ったのだ。
心臓が口から飛び出そうだった。一体これから何があるというのか。
「へいへい。こんな時間に誰だ~?」
大きな門を開けて外を覗く。……が、人の姿は見当たらない。
「くらえ」
「あ?」
声がしたのは自分の真下。地面に寝そべりながらこちらへ何か銃口らしきものを向けている。
「なっ!?」
レバーを引っ張り、発砲。
部下の男は体中の毛という毛が逆立ったが、次に来たのは飛来した弾丸からの痛みではなく……勢いよく噴射された液体が顔面にかかる驚きだった。
「ぐおおぉぉ! んだこれ、まさか、硫酸……!?」
「メントスコーラだ。余った分のコーラはここに置いておく。欲しかったら飲め」
奇襲をしかけた者─桜庭楓は蹲る男を飛び越えて中に侵入する。
宇津木詩織はその光景を見て、固まってしまう。
「よぉ。遅くなったな」
「な……なにやってんの……あんた」
「なにって。普通に来ても話すら聞いてくれないから、こうして1対1で話をするために出向いてきたんだ。強行突破でな」
「ふ、不法侵入! おもいっきり犯罪じゃない! あ、頭おかしいわあんた! こっちは軽く引いてるわよ……!」
「……それより早くお前の父さんのところに案内してくれよ。時間がない」
楓は詩織の手を取る。
事態が全然呑み込めない。この男は本物のバカではないのか!? どう考えたってめちゃくちゃだ。
一般人が近づくだけでも怯えそうなところに、襲撃してくるなんて。
バカすぎて、バカの極みだ。頭のネジが何本か吹っ飛んでいる。
しかし……そんなバカだからこそ、舞依を救えたのかもしれない。
もしかしたら……自分も?
「ぷっ、ふふっ……あんた、ほんとありえないわね。これが終わったら警察に突き出してやるわ」
「おい。早々に裏切るな」
「裏切るも何もこんなことするなんて思ってもなかったわよ……バカ」
「バカっていう方がバカだからな」
「なにそれ。あんた以上のバカなんてこの世にいないわよ」
お互いに口で叩き合う。でも、その顔は、
どちらも笑っていた。……イタズラをして駆ける子供のような、顔で。




