☆②─16話 おにぃがサッカーを辞めた理由
それからは映画を見たり、スポーツショップに行ってみたり、凪の服を買ってあげたり。
思う存分ショッピングを楽しんだところで、最後に凪が連れてきたのは……
「おい。なんでここなんだ?」
どこに行くかと思ったら。ショッピングモールを出て近くの公園に入った。
こんなところで何をするというのか。まさか兄妹一緒にブランコで遊ぶとか言わないよな。それはさすがに色々と勘弁願いたいぞ。
「ん、これ」
「お前、いつの間にそんな物を……」
凪がスポーツショップを出たあたりで持っていた袋から取り出したのは、サッカーボールだった。
やけにデカいものを買ってたなと思ったけどそれかよ。家にあるだろ……。
にしても、デートでサッカーか。なんて桜庭兄妹らしいデートコースだ。
「おにぃも蹴る?」
「俺は見てるよ」
そう答えると凪は勝手にポンポンと1人でボールを蹴りだす。リフティングだ。
あまり強く蹴りすぎず、軽い力で、ボールの真ん中を的確に蹴って上げる。
強く蹴りすぎたりボールの真ん中を狙わないと変な方向に飛ぶし、受け止める時も大変だ。
リフティングのコツは「ボールの蹴る位置を気にすること」、「蹴る強さ」、「体のバランス」にある。
小学生の頃にこれを練習することは意外と身になる。リフティングでさっきの3つのことを意識できるからだ。
サッカーにおいてどこにボールを飛ばすかがどれだけ重要かは言わずもがな。パスやシュートで活きてくる。
ボールのどこを蹴ればどこに飛ぶかを知ることで初めてパスやシュートは自分の武器となる。
蹴る強さに関してもそれに直結する。
どこにいる選手にパスを届けるか、どの位置からシュートを狙えるかも知ることができるわけだ。
それに、リフティング中はほとんどの時間を片足で動くことになる。それによってボールを蹴っている時の体のバランスも鍛えることができる。
そういうことから、リフティングは小学生のうちにぜひ出来ておきたいことだな。
凪は上手いもので、全然落とす気配がない。
体もブレは少なく、慌てる様子もない。顔は涼しそうなままだ。
「お前相変わらず上手いよな。それ、体育の時間でサッカーかフットサルがあったら自慢してやれよ」
「これくらい誰でも出来るでしょ」
誰でもはできねーよ。つか、俺が小学生の頃よりボール捌き上手いからなお前。むしろ周りがドン引きするぞ。
凪のリフティングはまだまだ続く。
そんな様子の凪を見て。俺はこの妹が何を考えているのかと思案する。
このデートの目的。「凪がサッカーを辞めた理由を聞かせてくれるくらいに仲良くなるため」だが……
「なぁ凪。教えてくれないか? お前がサッカー辞めた理由」
「…………」
凪はリフティングを止めて、こちらに目を向ける。
俺はつい視線を逸らしてしまう。どうしてだ? どうして、だろうか。
「なんで? じゃあこっちが聞くけど、おにぃは私にどうしてほしいの?」
「別に俺は何も…………」
その時、脳裏に父さんの言葉が蘇った。
『お前が逃げ道を作ってる限りは向こうも逃げ道を用意するんだぞ』
俺が逃げてる限り変わらないってかクソ親父。あの時点でもう今の状況を予測してたってのかよ。
ああクソ。わかったよ。認める。逃げてたよ。俺は。
本当に凪にしてほしいこと。言えばいいんだろ。最初から、俺が構想に入れていたことを。
「俺は……凪にフットサルをしてほしい」
「!」
「お前が入ってくれれば、これ以上ないくらい助かる。チームの攻撃力は格段に上がる。俺の意図を正確に汲み取ってくれる存在も今じゃお前だけだ。戦力アップは目に見えてる。舞依とはまったく別ベクトルの攻撃選手だから攻撃の選択肢が増える」
俺は考えていたことを挙げる。もし、凪が入ってくれたら、と思っていたことを。
瞬間的な攻撃力や突破力なら舞依に軍配が上がる。
けれど、総合的な攻撃力は知識のある凪の方が圧倒的だ。
作戦だって凪ならすぐにわかってくれるかもしれない。少なくとも舞依たちよりかは何倍も読み取ってくれる。なんたって俺の妹なんだから。
今、凪は近衛学園フットサル部に必要な存在なんだ。
「使えるから、私が必要ってこと?」
凪が悲しそうな目で俺を見る。
それは……違う。
安心してくれ。こんなの、フットサルをしてほしい理由の1割にも満たないことだから。
「一番は、凪が……また楽しそうにサッカーやってる姿が見たいからだ」
「……!」
「お前言ったよな。俺が楽しそうにサッカーしてるのが大好きだったって」
「うん……言ったよ」
「でもな、それと同じくらい、俺もお前が楽しそうにサッカーやってるのがすっげぇ大好きだったんだよ」
凪は俯く。体を震わせて、唇を噛みしめて。
グシグシ、と腕で目元を拭う。え、泣いてたのか……?
「おにぃはサッカーやんないの?」
「俺は……まだ……」
目線が自然と下を向く。
これはまた逃げ道を求めたとかそういうことじゃない。
俺には、サッカーができない理由があるんだ。誰も幸せにならないとか、そんな曖昧な理由じゃなく。
「当ててあげよっか」
「え」
凪はポン、とこっちにパスしてくる。ボールはコロコロと転がり俺の足にぶつかって止まった。
「おにぃ、パス」
「…………」
ボールをこっちに渡せってか。
俺はボールに手を伸ばそうとする。足で蹴らずに、手に取って、放り投げようと。
「『パス』って……蹴って渡してってことなんだけど」
「…………」
俺は伸ばそうとした手を止める。
凪に言われた通り、俺は自分の足元にあるボールを蹴ろうとする。
しかし、足が止まる。凪にパスしようとした瞬間。ビキリ、と石の彫像かのように固まって止まってしまう。
「どしたのおにぃ。早く蹴ってよ」
「ま、待て。あ……足がつったかもしれない。もうちょっとだけ待ってくれ」
「…………待ったら、パスしてくれるの?」
その声に、ドキリと心臓が跳ねる。
凪の声がまるで心臓を掴む手のようにも感じられる。逃がさないぞ、というような。
「おにぃ、過去のトラウマでパスができなくなってるんでしょ」
「…………」
凪には……バレてたのか…………。
俺は観念する。ここまで言われれば、もう白状するしかないだろう。
「……ああ。シュートはできる。物や壁に向かってなら一応パスはできる。でも……『人』に向かってパスしようとすると、気分が悪くなって吐きそうになる。それで……体が固まって、動かなくなるんだ……」
俺は顔を覆う。
愛する妹に、昔一緒にボール蹴っていた仲間に、こんな今の俺を見てほしくない。こんな、サッカーができなくなってしまった俺を。
凪はそんな楓を見て、口を開いた。
「私がサッカー続けてた理由はね。おにぃに負けないくらいすごいプレーヤーになることだったんだよ」
「え……」
突然、凪は自分のサッカーを始めた理由を語りだす。
「一緒にサッカーやってた頃、おにぃはいつもすごいパスを出してくれた。そんなおにぃのパスをちゃんと決められるようになろうって。あの桜庭楓の傍に居ても恥ずかしくないくらい、ずっと一緒にサッカーやれるくらい、私もすごいプレーヤーになろうって。……結局、私は女の子だからおにぃとずっと一緒なんて、そんなの無理だけどね」
近くの石ころを蹴りながら、凪はポツリ、ポツリ、と言葉を紡ぐ。その声はどこか寂しそうだ。
「でもね。おにぃがパスを出してくれて、私がそれをゴールに入れて。そんな風にずっとずっと一緒にサッカーがやりたかったから……私、いっぱい頑張ってたんだよ?」
凪は、大粒の涙をボロボロと流す。
そう……だったのか。俺のパスを受けたくて、お前はずっとサッカーを頑張ってたのか。
でも、そんな俺は過去のトラウマの恐怖からパスを出せなくなって、サッカーを辞めて。
その時の凪の気持ちはどんなものだったのだろうか。想像すらできない。それほど辛かったはずだ。
大好きなサッカーを。ずっと思い描いていた夢を。そして何より兄を。全部、サッカーに奪われた。
凪がサッカーを続けていた理由を知って、辞めた理由までわかってしまった。
申し訳ない。情けない。こんなダメダメな兄に対して、そんな夢を願っていてくれたなんて。
俺は……!
「ぐっ……! ぐ、ぐ、はぁ……はぁ…………!」
覚悟を決めて、歯を食いしばる。
そして足を振りかぶる。標的はボール。
行うのはもちろん、シュートではない。
「おにぃ……?」
「凪……勘違い、すんなよ。人に向かってパスができなくなった? ははっ、さっきのは、ジョークだ。俺はちゃんとパス、できるぞ」
大粒の汗を流しながらボールを睨み、足を動かそうとする。
足が震える。歯もガチガチと鳴る。吐き気もする。
数年前幾度となく行い続けた、俺の最も得意な動作が、今この瞬間においてどれほど難しく恐ろしいことかを知っている。
もしかすると、『あの時』と同じくパスをスルーされるかもしれない。
そう思うだけで底知れない恐怖感が襲い掛かる。
それでも、それでも…………!!
ここで何も出来なきゃ、
こんなお兄ちゃんダサすぎるだろ……!!
「くっ……はぁっ、ぁ……!」
小さく。ポンッ……とボールが転がる。
小学生や赤ちゃんよりも弱い力で打たれた「それ」は……コロコロ、と気が遠くなるほど遅い速度で前へと進み、凪の足にコツンとぶつかって止まった。
「おに、ぃ……」
「へ、へっ……どうだ凪。パス、できただろ? 俺はまだサッカーできるんだ。お前と、まだ一緒に。……だから……お前も、戻って来いよ」
みっともなく、汗もダラダラ、息も絶え絶え、目も疲労感満載。
そんなカッコ悪い姿でも、
「俺と、一緒にサッカーやろう」
その言葉を聞いた時。凪は走った。ボールを置いて。俺の胸に飛び込んできた。
「うんっ…………うん……おにぃ、ごめ……無理させて、ごめ、んなさい……! おにぃまだサッカーできる、できるよ……! うああぁあああぁああああああああ!!」
泣きじゃくる。失ったと思っていた物がまだそこにあったとわかったから。お互いが触れずに置いていて腐ったそれは、まだ少しばかりの光を保っていた。
その光はずっと幼い頃から2人が共有していた物だった。
ボールを買って初めて蹴ったあの日。
一緒にボールを追いかけまわしたあの日。
遊びの草サッカーとはいえゴールを決めれば泥だらけになって抱きしめ合って喜んだあの日。
全て失って戻ってこないと思っていたのだ。それが、たとえ弱々しくても、確かにここに生き残っていたのだ。
こんな弱いパスでは誰もが認めないだろう。それでも、
桜庭楓は、サッカーを失っていなかった。




